視線と対策
ついにフレデリックがクラスにやってきた。もしかしたらただの戯言で、実際に来ることはないかもしれないと期待していたのだが、彼は本当にこの日から授業に参加するようである。
席は離れている。だが、彼の席からはレセリカを観察出来る位置だ。レセリカの方が前の方に位置しているためこちらから確認は出来ないのだが、視線を嫌というほど感じる。これは気のせいではないだろう。
もちろん、対策は考えてきた。出来るだけフレデリックと関わらないように休み時間になる度にすぐ席を立ち、教室から立ち去ること。ダリアが近くに来る素早さも増していた。
「現状、それしか手を打てないのがとても歯痒いですね……! 相手が王族っていうのが厄介です」
昨晩、悔しそうにそう言っていたダリアを思い出す。
そうなのだ。いくら学園内では身分関係なく接する決まりがあるとはいえ、王族から声をかけられた場合はさすがに無視するわけにもいかない。
軽い挨拶だけならまだしも、そこから会話を引き延ばされでもしたらたまったものではないのだから。
別に、他の者であれば王族であっても接することは問題ではない。フレデリックだから問題なのである。
彼は、レセリカへの好意を隠そうともしない。フレデリックはこの教室にやってきた朝からずっと、レセリカだけを見つめ続けている。さすがに他の生徒も気付くというものだ。
ここでセオフィラスの婚約者であるレセリカが応じてしまっては、よからぬ噂の火種となることは明らかである。
「レセリカ様。私の気のせいでなければ……困ってらっしゃいます?」
「ラティーシャ。ええ、そうね。少し困っているわ」
こういった視線や雰囲気を察することに長けているラティーシャはいち早く気付き、ランチタイムに入る直前、レセリカが立ち去るより早く駆け寄ってすぐに声をかけてきてくれた。
「……レセリカ様。本日の午後の予定はございまして? 親しい者だけのお茶会をしようと思っていますの。キャロルやポーラも誘ってあげますわよ」
暗に、詳しい話は後でと言ってくれているのだ。正直なところ、フレデリックと二人きりにならないためにも協力してくれる人は大いに越したことはない。レセリカも協力を頼みたいと思っていたところだったため、これはありがたい申し出だった。
「ぜひ参加させてもらいたいわ」
「決まりですわね。では、また午後に」
この場では多くを語らず、それだけを告げてすぐ立ち去るラティーシャの姿は頼もしく見えた。去年までの態度が嘘のようだ。
(あの時、きちんと彼女と話せて本当によかったわ)
前の人生ではその為人さえよく知らなかった。一方的に犯人にされ、糾弾されたあの恐怖を今はもうあまり思い出さなくなっている。
ただ一点、ラティーシャについて気になることはリファレットとの繋がりだ。調べた結果、仮の婚約者同士ということはわかっているのだが、同じ学園にいて二人が話している姿を見ることはない。
ヒューイが見た時のように人のいないところで会話している可能性もあるが……。今後、リファレットの影響で再びレセリカの敵になることはあるのだろうか。そこだけが不安要素としてレセリカの胸に残っていた。
(ラティーシャはもうお友達だもの。それにリファレットだって……嫌な人ではないと思う。信じたいわ)
レセリカの介入により、二人とも少しでも前の人生とは変わっていると思いたい。それでもわずかに残る不安は拭えなかった。
(それでも、セオフィラス様の暗殺を阻止するのが目的だもの。しっかりしなきゃ)
そもそも、事件さえ起きなければレセリカが疑われ、断罪されることもないのだから。
心の内に浮かび上がる様々な不安を胸の奥に押し込み、レセリカはダリアを伴ってカフェテラスへと向かった。
今日はセオフィラスとランチの約束をしている。フレデリックがやってきた初日だからこそ、レセリカを心配したセオフィラスがぜひにと声をかけてくれたのだ。
その提案を聞いた時、レセリカは心底ホッとした。他ならぬ婚約者のセオフィラスが自分を気にかけてくれることが何よりもありがたく、心強い。それに。
(心が、温かくなるわ)
それは気遣いという行動によるものなのか、セオフィラスだからなのか。レセリカにはまだわからないことであった。
いつものようにカフェテラスの二階へと向かったレセリカは、階段を上り切ったところでセオフィラスの姿を見付けると僅かに口角を上げた。完全に無意識である。
そのまま真っ直ぐ彼の下へ向かおうと歩を進めたその時、背後から聞き覚えのある声で呼び止められた。
「レセリカ嬢、そろそろ逃げるのをやめてもらえないかなぁ?」
「……フレデリック殿下」
色素の薄い癖のあるアッシュゴールドの髪を左手で軽く掻き上げ、フレデリックはその深い青の瞳で真っ直ぐレセリカを見てくる。
困ったように肩をすくめているが、レセリカが己を避けることさえ愉快だというように、顔には嫌な笑みを浮かべていた。
「今日はずっと君を見ていたんだよ? 気付いていたよね? どうして逃げるのかな」
一歩近付いたフレデリックに、レセリカは反射的に身を強張らせた。もう二度と、どこにも触れさせまいという意識が働いたのだろう。
それを怖がっていると解釈したのか、フレデリックは何がおかしいのかクックッと笑うのだった。




