一話 夕立と友達8
車窓に水滴が線を描いていく。
揺れる特急列車内で、俺はそれをぼぉっと見ていた。
向かい合わせに雨宮先輩が座っている。
相も変わらず、本に視線を落としているが――
「ここ数年、夏場に雨が続く地域がある」
「いきなりなんです?」
ぺらりとページを捲りながら、先輩は「まあ、聞けよ」と言った。
「それは、ある家族が引っ越してから、だそうだ」
「え?」
車窓に流れる水滴の数が増えた気がした。
「まあ、噂だけどな」
「その地域って、もしかして……」
そこで雨宮先輩の黒い瞳が俺を静かに見た。
「今でも、君と遊ぶために留まっているのかもしれない」
車内のアナウンスが、次の駅を告げる。
『次は……駅、……駅でございます』
なぜか駅名だけ、雨音で掻き消されたように聞こえた。
(知ってる町なのに、名前が……)
頭がずんと重くなった。
「下りるぞ」
「あっ、はい……!」
気付けば先輩は席を立ち、扉の前にいた。
俺も急いで立ち上がる。
止まりかけた列車の窓に、懐かしい景色が映っていた。
ここは、俺が以前住んでいた町だった。
電車から降りた途端、俺は激しい頭痛に見舞われた。
遠くで鳴り響く雷に、視界が揺れる感覚がする。
雨音がすべての音を掻き消していくような恐怖さえ覚えた。
「前を見ろ」
それでも、雨宮先輩の声は凛とし、豪雨を切り裂いた。
「『その子』が今でも待っている場所へ行くぞ」
「……待っている、場所?」
「ほら、掴まれ」
先輩は、頭痛でふらつく俺を支えた。
特急列車が停車する駅にしては待合室と自販機が二台あるだけの小さな駅舎を出れば、町は煙っていた。
そこに雨も降っているから、昼間だというのに見通しが悪い。
傘が開く音がする。
「まさかこんな形で相合傘をすることになるとはな」
淡々と告げられたそれと先輩の近さに、今度は鼓動の方がやばくなる。
「一人で歩けますから……!」
「いいから。君に道案内をしてもらわなければ、先に進めない」
離れようとする俺の腕を、先輩はぐっと掴んだ。
思わず、周りに知り合いがいないかを見回した。
が、よくよく考えれば、引っ越して五年は経っている。
俺を知っている人がそんな都合良く現れるはずがない。
――と。
「あら? 斎藤さんのとこの竜助君?」
「えっ?」
不意に年配の女性の声に呼ばれ、俺は横を向く。
煙る町からこちらに近付いてきたのは、見知った顔の人物だった。
「田代のおばさん……?」
「あらぁ、やっぱりぃ。久しぶりねぇ。どうしたの? こんな大雨の日に」
笑顔の田代のおばさんは、隣に住んでいた女性だ。
小さい頃は、親父が仕事から帰ってくるまで一緒にいてくれた。
晩御飯に出してくれたカレーが美味しかったことを、今でも覚えている。
そして、親父以外で唯一『その子』の存在を信じてくれた大人だった。
おばさんは俺と先輩を交互に見て、またにやっとした。
「お二人は、もしかして?」
「えっ、あっ、……」
「友達です。竜助君の傘が強風で壊れてしまって」
「あら、そうなの。あたしはてっきり」
どことなくガッカリした風におばさんは言うと、再度俺を見た。
「こんな雨の日に、お友達とどうしてここへ? お父さんは元気にされてるの?」
「はい、親父も元気ですよ。ここへは、ちょっと……」
「竜助君にこの町のお話を聞いて、一度来てみたいって私が我儘を言ったら、付き合ってくれたんです」
「そうだったのぉ。何もない町なんだけどねぇ。住み易くて良い所よ」
俺は、先輩に任せることにした。
こういう時の先輩は、なぜか相手を信用させる。
「ホッとする町ですね」
「そうでしょそうでしょ」
田代おばさんは、自分のことのように喜んでいた。
「よかったら家にご招待したいところだけど、あたしはこれからちょっと行くとこがあってね……本当に残念だけど」
「おばさんこそ、こんな雨の日にどこへ?」
俺が尋ねると、おばさんはふと顔を曇らせた後、また「ちょっとね」と苦笑した。
「でも、竜助君にまた会えて嬉しかったわ」
そう言って、おばさんは駅の方へと歩いて行った。
「おばさん、ありがとう。お気をつけて」
俺が後ろ姿にそう声をかけると、田代のおばさんは少しだけ振り返った。
「『その子』はまだ竜助君のお家に来ているわよ。会っておあげなさい」
その言葉に、俺と先輩が顔を見合している間、おばさんは音もなく来ていた列車に乗り込んでいた。
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