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運のいいことに、今週はイブリンは家にいた。毎夜の如くどこかしらに出かける義姉は、昼から準備に追われているが、今日は暇を持て余していた。

義姉に先触れを出して部屋に訪れると、こわばった顔のイブリンに出迎えられた。


「ごきげんよう、お義姉さま」


「ええ、あなたも」


いつもは横柄なまでの自信に溢れた義姉が、ひどく気詰まりそうに椅子に座っている。センスのいいドレスに身を包み、落ち着かなげに身じろぎを繰り返す。

マリアは当たり障りのない話から始めて、場を少し緩めようとしたが、その努力はあまり身を結んだとはいえなかった。

イブリンの顔はこわばって、あまり表情が変わらない。

仕方なくマリアは、本題をなんとも思っていない風を装って切り出した。


「イブリンお義姉さまは、あのお義母さまをどう思われますか」


マリアの質問に、イブリンはぐっと眉を寄せて、険しい顔になった。


「あの人は……ほんとうにお義父さまの、奥さまなのかしら」


イブリンの言葉の意味を掴みかねて、マリアはぱちりと瞬きした。


「それはどういった意味でしょうか?」


「あのリーナとかいう子は、お義父さまの奥さまではなく、クロードの妻として連れてこられたのではないのかしら」


イブリンは忌々しそうにそう言った。

マリアは目が点になった。クロードと同じことを言うイブリンに、この夫婦は、恐ろしいほどの似た者夫婦だと思う。

なぜ、なぜこの夫婦は、揃いも揃ってそんなことを思うのだろう。頭が痛くなりそうだ。マリアは心の底からため息をつきたかった。


「まさか、なぜそう思われるのでしょうか。イブリンお義姉さまが、間違いなくクロードお兄さまの妻なのに」


マリアの言葉に、イブリンがエメラルド色の瞳を揺らす。


「そう……そうよ、そうよね。間違いなく、わたしが次期公爵夫人なのよ。ちょっと問題があるとしたら、子供ができないだけで」


「ええ」


「子供ができないのが、わたしのせいと思われているのは知っているわ。でも、これは夫婦両方に問題がある可能性だってあるじゃない」


「ええ、そうですね」


未婚の義妹に向かって、一体なにを話し始める気だ。マリアは戦慄したが、イブリンは突っ込んだ話をするつもりはなかったらしい。あまり貴婦人らしからぬ悪態をついて、マリアに向き直った。


「でも、クロードにはあのリーナとかいう子には近付いてほしくないの」


「……お兄さまの行動を、完全に制限することはできませんわ。特に、お義母さまは、同じ屋敷に住んでいますし」


「だとしても、できるだけ避けることはできるわよね?」


「ええ……まぁ……」


マリアは、イブリンのしつこさに辟易しそうだった。これ以上、イブリンといても、中身のある会話は期待できそうにない。


マリアはお茶を濁しながら、適当にこの後の予定をでっち上げて、イブリンの部屋から自室へと引き上げた。




引き上げた自室で、マリアは人を待っていた。侍女のナディアをだ。

ナディアは、リーナに付けている侍女から話を聞いてきてくれる。なんなら、リーナの侍女と交代して、直接リーナと接触することも構わない、と指示を出していた。

ここ何日かはマリアの元から離れていた腹心の侍女には、何があってもこの日の夜は戻ってくるようにと言っておいた。


「お待たせいたしました」


ようやく帰ってきた腹心の部下は、わずかに疲れた顔を見せた。


「それで、義母の様子はどうかしら」


「リーナさまは、とても慎ましやかな方で、侍女のジェーンが言うには、弟君のことを大事にしていらっしゃる、身を弁えた無欲な方だと」


「そう、無欲、というのはつまり公爵夫人として働く気はない、ということね」


「はい。リーナさまは、この身分になったのはただの手違いで、あくまでも自分はライアン家の一時的な居候に過ぎないとお考えのようでした」


ナディアの報告を聞き、マリアは少し考えてから、決断した。


「わかりました。一応、わたくし本人の目でも確認しましょう」




そうして、あらゆるカマをかけた庭園での対面では、マリアのリーナへの印象は決して悪くないものだった。むしろ、好感を持ってさえいる。リーナの受け答えは、前触れもなくこの家の、最も上の女性の立場に置かれたことに対する反応として、至極もっともなものだった。そして、家を継ぐ立場であるクロードの妻になる気もない。イブリンを蹴落とすつもりなども毛頭なく、それどころか距離を置こうとさえしている。

勿論、それが演技である可能性も排除しきれないが、マリアの王都の魑魅魍魎を見てきた目で見る限り、リーナの話すものは本心からの言葉だった。


「悪くないお人でしたわね」


「お嬢様がそう判断されたということは、そのようですね」


マリアはリーナと会って、評価を上方修正した。勿論、この評価は定期的に更新していくことにはなるが、現状での判断はそう間違ってはいないはずだという確信があった。

リーナは身の回りのものの準備が終わり次第、すぐさまカントリーハウスに旅立つ予定だと言っていた。なにか家のことに口出しをするつもりなら、タウンハウスに留まるはずだし、もっと家族の人間との関係を強化しようと試みるはずだ。リーナにはその気配は微塵もなく、むしろ肩身が狭そうに、いつも顔色を窺っていた。マリアはそれを惨めにも、哀れにも思った。同時に、わずかな親切心も抱いた。

一応、リーナには手紙で近況を聞き出しながら、関係を保ち続けるつもりだ。


「クロードお兄さまが、正気に戻ってくださるといいのですけれど」


そればかりは、もう祈るしかない。

マリアは兄と義姉のことを思って、重いため息をついた。



王都のマリアと領地のリーナは、それなりの頻度で手紙を送り合った。

マリアは王都での出来事や、簡単な近況、家族のことを書き、リーナは領地であったこと、弟のこと、それから領地経営の勉強をしている、という内容を送り合った。

特に実のある内容ではないが、マリアは満足していた。リーナの手紙は、初めの頃は気を使った堅苦しい内容で、あまり近況などは書かれていなかったが、ここのところは弟のマークや、領地であったことを事細かに書いて送ってくれる。マリアは生まれてからほとんどを王都で過ごしてきたので、領地での出来事は面白く感じた。そして、手紙の端々から、リーナは王都や王都にいる義理の家族に、ほとんど思い入れはないということがわかった。クロードのクの字もない。むしろ、距離を置きたくて仕方ないような気配すら感じていた。勿論、自分のことは除く。どうやら、兄のあの異常なまでの執着は、兄のひとりよがりに過ぎないものらしい。

リーナが屋敷にやってきて、すぐに弁護士の元へと出かけていったが、離婚に至るまでの話し合いはどうなっているのか、その後の音沙汰すらない。このまま兄は諦めたのだろうと、マリアは楽天的に考えていた。

そんな折り、マリアは夏も終わり気候も涼しくなってきたので、王都の観光にでもこないか、とリーナを誘ったのだ。

リーナは喜んで、王都にやってこれる日時を折り返してくれたので、マリアはぜひきて欲しいと返事を書いた。

義母に、少しばかりの同情心と親切心を抱いていたので、これを機に、マリアは自分の友人の中でも、特に気立のいい数人とリーナを引き合わせるつもりだった。リーナは田舎から出てきて、そのまま領地の田舎に引っ込んでしまった。王都に知り合いはいないと手紙でも書いていた。リーナには、王都に住む同年代の友人がいた方がいいと考えたのだ。

横のつながりが身を助けることもある。勿論、結婚して、夫の庇護下に入ってしまうのが一番手っ取り早いが、女同士の横のつながりがだって馬鹿にできないものがある。

特に、リーナは自分の父親と形だけとはいえ結婚してしまっているので、父が亡くなった後のことを考えると、人脈はあって邪魔にはならないはずだ。

イブリンが忙しく茶会や夜会に出かけていくときなら、ほとんど屋敷のことは自分に采配を任せられている。そういった時期にうまく合うように、マリアはリーナに誘いの手紙を出した。

友人たちにも茶会の誘いと、義母にあって欲しいとの旨の手紙を送ってから、マリアは慌ただしく準備に明け暮れた。

王都にやってきたリーナは、明らかに夏前に会った時より、血色が良くなって体に肉がついていた。

手紙をやり取りする中で知ったが、実家ではろくな扱いをされておらず、食事が出されない日もあったらしい。父と領地にいる間に、食事の量が増えたのだとわかる、明るい顔色だった。棒のように細かった手足に、健康的な肉がつき、折れそうだった腰も柔らかい曲線を描くようになっていた。父も、それなりに気を配ったのだろう。素朴で垢抜けないようすは変わらないが、健康的で声にも張りがある。前のリーナは、どう見ても哀れな子供としか言いようのない有様だったが、今はそれなりに見れるようになっていた。

うん、と頷いて、マリアはリーナに自分の服を貸し出すことに決めた。幸いなことに、マリアとリーナの背格好は似ていた。

一応、リーナはマリアの義母だ。家の中で立場のある人間が、みすぼらしい格好をしていると、周りからは猜疑の目で見られる。いらぬ詮索を買わないためにも、多少は手をかけてやった方がいい。

父と領地にいる分には、どんな格好でも誰も文句をつけないだろうが、ここは王都だ。誰がどこで目を光らせているのかなんて、分かったものではない。


すこしばかり肉付きの足りないリーナに、下着で補正するように侍女に言いつけて、マリアは着せるための服を見繕ってやった。

残念ながら、マリアとリーナでは少々肌の色が違うので、似合う色の服が全くなかった。昔に着ていた服まで引っ張り出す。なんとか顔色がおかしくならないような服を探し出して、リーナに着付ける。侍女とああでもないこうでもないと言いながらリーナを着せ替えするのは、今までしたことがない感覚だった。マリアは末子で、下の姉妹はいない。いたらきっとこんな感じなのだろうと思いながら、リーナに着せたり脱がせたりを繰り返したのだが、それがなんとも面白かった。いわば等身大の着せ替え人形だ。

リーナは文句も言わず、大人しくマリアのおふるを着ては脱ぎ、着ては脱ぎを繰り返した。マリアはそれを見て、幼い頃に遊んだぬいぐるみを思い出していた。一番のお気に入りの、白い毛で青いガラスの瞳の猫のぬいぐるみだ。自分の着ている服をぬいぐるみに着せて、リボンもつけて、椅子に座らせてお茶会ごっこをした。不意にそんなことを思い出して、口元を緩める。いま、マリアがやろうとしていることは、ぬいぐるみがリーナに変わっただけのことだった。なんとも言えない気持ちで、侍女と服を着せ替え続け、やっと決まったのは実に二時間後のことだった。

マリアは淡い色の服が似合うので、その系統の色のものしか持っていなかったが、リーナには恐ろしく似合わなかった。リーナの肌の色には、淡いブルーやパステルピンクよりも濃い色彩が似合う。はっきりとした色の方が似合うので、マリアの服だと、ことごとく顔がぼんやりしてしまう。それが余計に垢抜けなさを加速させていた。

父があつらえてやったのだろう服も、そんな色ばかりだったので、どうも父は若い女の子はそんな色を好むものだと思い込んでいるらしかった。たまたまマリアに、その色がよく合うだけだ。父には、それがわからなかったのだろう。

やっと見つけ出した似合う服は、青みの強い濃い紫のものだけだ。

リーナにそれを着付けてやると、顔立ちがはっきりして、肌が白く見えた。やっとこれでリーナを飾り立てるスタートラインに立てる。あとは、侍女の手で髪を整えて、化粧すればいい。手のかけられていないリーナを見て、侍女はやる気を出していた。それをかたわらで座って見ながら、マリアはにんまりと笑みを浮かべた。


マリアの主宰したお茶会は、おおむね成功した。まさか途中から兄がやってくるとは思わなかったが、友人たちとリーナは、それなりに打ち解けられていた。

事前に友人たちには、義母のリーナのことを軽く話しておいていたので、割合すんなりと受け入れてもらうことができた。彼女たちから、自宅へ遊びに来ないかと誘われて、リーナははにかみながら受けていた。しばらくの間はマリアが付き添いとして同行する必要はあるだろうが、それも二、三回で済みそうだ。

はじめてのお茶会は、それなりに満足のいく結果を出せた。そして迎えた翌日は、外に出ようと、リーナを連れて出ようとしたところで、また兄がやってきた。

昨日のうちに、昼から合流する予定だと聞いていたのに、何か変更があったらしい。兄の青紫の目がリーナを捉えて爛々と輝いている。それを見て、マリアは不安な気持ちになった。

兄は、リーナの服装を見て、「さみしい」と評した。それはマリアも思っていたことだったので、これ幸いと乗っかった。リーナは不安そうにこちらを見ていたが、悪いようにはしないつもりだ。

今度はどんな服を着せようかとワードローブを思い返していると、兄が「そうだ」と明るく言った。


「母さまのネックレスにしよう。あの、サファイアの」


「お母さまのサファイアのネックレスですか」


マリアの脳裏に、亡き母のネックレスが思い浮かぶ。大きな青玉の周りを、小粒のダイヤモンドが囲む、豪華な一品だ。明らかに、昼の外出には向かない。夜会で身につけるならばおかしくはない。だが、昼はつける時間として適切ではない。兄はわかって言っているのか。マリアはため息をつきそうになるのをようやくこらえた。


「派手すぎませんか」


「そうか?」


同じサファイアでも、もうすこし控えめなものがあったはずだ。それを思い出しながら、マリアはリーナをもう一度着替えるために部屋へと連れて入った。


ああでもない、こうでもないと侃侃諤諤と揉めながら兄と決めた服を着せられて、ぐったりとしたリーナと兄と、植物園へと向かう。

最近できた水晶宮と呼ばれる巨大温室のなかは、南国の花々が咲き誇っている。

むっとするようなにおいと熱に、肌がじっとりと汗をかく。マリアははじめて来た植物園の中をぐるりと見渡して、ふうん、と感心した。

鬱蒼とした森を模した内装に、鳥が放し飼いにされていて、まるで本物の密林にでも迷い込んだようだ。所々に休憩するためのベンチはあるが、あまり使っている人はいない。

南国の森を模倣した温室内は、ここがどこなのかを見失わせるような濃い緑を湛えていた。

人混みに押されて園内を歩いていたが、ふと気づくとリーナがいない。


「お兄さま!」


小声で隣を歩く兄を呼ぶと、マリアの意図に気づいたらしい。顔を顰めて、「先に行っていろ」と言って踵を返した。

リーナのことを心配しながら、出口で待っていると、クロードとリーナが寄り添いながら歩いてきた。

リーナの様子がおかしい。なんだか顔色が赤く、肌を震わせるようにしながら歩いてくる。目がうるみ、服の胸元が心なしか乱れている。乱れた胸元からは、赤らんだ肌がチラリとのぞいていた。そのことに気づいて、マリアは兄を見た。兄はすこしにやけながら、リーナを腕につかまらせている。それを見て、マリアは血の気が引いた。

兄が、なにかリーナに不適切なことをしたのではないか。

マリアの頭の中で、そんな不安がみるみると大きくなっていった。そして、二人の様子はそれを否定しきれないいかがわしさがあった。

きりきりと眉を釣り上げて兄を睨みつけたが、目尻の下がった兄は、どこ吹く風とばかりにリーナの腕を掴む手に、自分の手を添えていた。


「クロードお兄さま、リーナお姉さまになにかされました?」


兄に聞くと、肩をすくめるだけでろくな答えは返ってこない。にやけた兄の腕からするりと離れて、リーナが「お手洗いに行ってきます」と言った時の顔は面白かった。

そんなあからさまにがっかりしなくてもいいのに。しかしその顔は、すぐにいかにも貴公子らしい微笑みに上塗りされた。リーナはその兄など見向きもせず、真っ直ぐにお手洗いに直行していたので、マリアは指をさして笑わないようにするのに必死だった。

不満そうな兄を放置して、お手洗いに向かうと、リーナが洗面台で首元を洗っているのが見えた。手元には、小ぶりな石のついた、細い銀の鎖のネックレスがある。


「リーナお姉さま」


マリアが呼びかけると、はっとしたようにリーナが振り返った。


「ごめんなさい、すぐに戻ります」


手に下げていたレティキュールからハンカチを取り出して、リーナは慌てて首元をぬぐい、ネックレスを付け直した。


「慌てなくても大丈夫ですわ。クロードお兄さまは逃げませんから、ゆっくりお支度しましょう?」


「いえ、でも」


リーナはうろうろと目をさまよわせてから、小さくありがとうございます、と言った。





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