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翌日の晴れた日に、マリアとリーナは王都観光に繰り出した。

普段はカントリーハウスにこもっていて、ろくな服のないリーナに、マリアが好意で服を貸してくれたので、服装だけは垢抜けた。お茶会でもマリアのお下がりを着ていたので、そんなに野暮ったくはなっていなかったと思う。タウンハウスの侍女は、流行の化粧にも髪型にも敏感で、リーナをそこそこ見れるように仕上げてくれたので、変にきょろきょろしなければ、おのぼりさんだとは思われないはずだ。


一応、自宅の一つではあるのだが、タウンハウスでのリーナはほとんど客人扱いだった。実質の女主人は、クロードの妻であるイブリンが務めている。リーナは王都にはほとんどよりつかないし、女主人として仕事をするつもりもないので、その扱いに甘んじ、口を出しはしなかった。

しかし、マリアはそれに対して、思うところがあるらしい。


「イブリンお義姉さま、リーナお姉さまに挨拶にもこないなんて」


「イブリンさまも、忙しいのでしょう。王都では催し物も多いでしょうし、次期公爵夫人なら、ご友人も多くいらっしゃるでしょう。顔繋ぎは大切なお仕事ですから、仕方ありません」


「それにしたって……」


侍女を伴って出ようとする二人に、クロードが屋敷の奥から声をかけた。


「ひどいな、僕を置いていくつもりなのか」


「あら、お兄さま。午後からいらっしゃるのではなかったの?」


「二人と出かけるのに、急いで仕事を終わらせたのさ」


マリアの疑問に、クロードはぱちりとウインクしてみせた。それを見て、リーナはおじさまに似てるわ、と思った。


「それよりマリア、義母上の格好は幾分、さみしいのでは?」


クロードに言われて、リーナは居心地悪く身じろぎした。

たしかに、服を着替えて髪を侍女に結ってもらっているあいだに、マリアにもう少し華やかにしてもいいのではないか、と提案された。アクセサリーが足りないと言われたのだ。

しかし、観光をしにいくだけなのに、そんなに飾り立てる必要はないとリーナは断った。観光に、夜会もかくやな身だしなみで行っても、スリのいいカモにしかならない。


「そうなの、お兄さまからもお姉さまにお願いしてくださいな。もう少し、飾ってもいいくらいなのに」


「母さんのサファイアのネックレスと、揃いのピアスがあったろう。あれでいいんじゃあないか」


「まあ、あれをつけるならこの格好だとおかしいわ。色が合わないもの」


クロードもマリアは、リーナの格好を見ながら、あれやこれやと話し始めた。

リーナは兄妹の会話についていけず、黙って見守っていたのだが、どうやら着替えることになりそうだと内心でため息をつく。

案の定、着替えることになり、リーナはもうどうにでもしてくれと投げやりな気分でマリアに手を引かれて、部屋に戻った。


結局、一時間ほどかけて服の着替えを済ませて玄関ホールに行くと、にこやかなクロードが迎えてくれた。


「やあ、よく似合うね。義母上」


「どうも」


無愛想にリーナが返すが、クロードは気にした様子もない。リーナが気分を害そうがなにをしようが、気にもしない。そのくせ、服装には口出しをするのだから厄介だった。なにを考えているのか、義理の息子の内心など、顔を合わせることのほとんどないリーナには、とても推し量れそうになかった。


マリアが口を出して着替えさせられた服に、今度はネックレスとピアスをつけて、リーナはクロードたち兄妹と出かけることになった。



一番はじめに向かった先は、植物園だった。なんでも、新し物好きの王族の方が、巨大なガラスと、まだ目新しい鉄骨の骨組みで作り上げたらしい。建設途中から王都中で話題で、なにができるのかと、話題を攫っていたそうだ。

そうして出来上がった植物園は、一般開放されていて、庶民でもそこそこに高い金を払えば入れるらしい。


植物園の外見は、荘厳なオブジェのようにも見える。

全面ガラス張りの巨大な温室の中は、南国から持ち込まれた、色鮮やかな植物がひしめいていた。赤、オレンジ、黄色、紫、色とりどりの原色の花が、温室のいたるところに咲いていて、目にも鮮やかだった。

ひらひらと蝶が舞い、秋の弱い日差しの中でもとても温かい。


美しい花に見惚れていると、周囲に人がいなくなっていることに気づく。ぼんやりと花ばかり見ているのはリーナだけらしい。着飾った貴顕淑女は、さざなみのような笑い声を上げながら、ゆったりと植物園を回遊している。


(取り残されてしまった)


青々とした葉も、どぎつい色の花も、むせるような濃い香りも、何もかもが現実味を失わせていく。今いるのが、王都のど真ん中であることも忘れて、リーナはぼんやりと南国の花に魅入られていた。濃い緑と、桃色の対比が鮮やかだ。太い花芯に、たっぷりと花粉が蓄えられていて、そこからかおる果物のような甘ったるい香りが頭を酔わせる。


「義母上」


不意に背後から呼ばれて、リーナは振り向いた。クロードの姿に、誰か、昔会ったことのある人の姿がダブる。くらくらとしたまま、リーナは何者かの名前を呼ぼうとして、我にかえった。


「クロードさま」


いま、誰の名前を呼ぼうとしたのだったか。喉元まで上がってきた誰かの名前は、明確な輪郭を取るまえに、口の中でほどけて失せた。陽炎のように、クロードにダブっていた姿が、たちまち消える。

するりと溶けてしまったもののかわりに義息子の名前を舌に乗せると、青紫色の瞳の奥でなにか激しい火花がぱちりと爆ぜるのがみえた。しかしそれも一瞬だ。リーナは、花のみせた白日夢かと思った。

もう、クロードの瞳は凪いでいて、リーナの見たような激情の名残すらない。そもそも、クロードがリーナに対して、好意にしろ悪意にしろ、明瞭な気持ちを持ちようはずもない。なにせ、ほとんど会ったことのない人間だ。もしクロードがリーナに思うところがあるとすれば、警戒心と、不信感、付け加えるならば猜疑の念といった、およそ普通の家族には持たない類の感情くらいだろう。

リーナははっきり言って他人だ。しかも前触れもなく急に現れた。それなのに、義理の母親という地位に収まった。父親の見る目を疑うわけではないだろうが、とはいえ、彼は次期家長だ。家族に近づく人間に対して、疑心を抱くのは当然の反応だった。


リーナは、クロードの疑心を晴らすつもりはない。最後まで、適度な距離のある、血の繋がりのない隣人としているつもりだ。

グロブナー卿の年齢を考えれば、あと十年もすれば、間違いなくリーナは未亡人になるはずだった。

前公爵夫人という肩書がリーナの属している世界でどう言った意味を持つのか、知らないはずもない。おそらく、普通の未婚の令嬢のような結婚は望めない。

そうなると、リーナと同じく、連れ合いに先立たれた男性の後添えに収まるのが、順当なリーナの将来になる。それが嫌なら、高位貴族夫人として、更に高貴な方のそばに侍るかだ。つまりは王族の友人としての地位だ。


宮廷人として王族のそば近くに侍るのは、名誉なことではあるし、給金も出る。リーナはどちらかというと、誰かの後添えになるよりは、女性王族のそばにいるほうを望んでいた。そして、その希望は弟のためにもなる。弟がその時に未だ成人していなければ、高貴な人の後ろ盾がある姉が、後見人になれる。これなら、顔も知らなかった親族が、突然しゃしゃり出てくることを防げる。これ以上、実家を荒らされるのは勘弁願いたい。


自分で食い扶持を稼ぐので、ライアン家のお荷物になることもない。誰かの後添えになるならなるで、ライアン家との関係も考慮しなければならず、考えることが多い。できれば弟との関係性も考慮して欲しいところではあるのだが、クロードにそれを言うのが面倒くさいという事情もある。一番害がないのが、王族に侍ることだった。もっと言えば、継承権の低い、王弟妃などが最も望ましい。下手に王太子妃の側仕えなどになってしまうと、ライアン家との政治的なパイプ役を求められてしまうので、クロードと密にやりとりをしなければいけなくなる。それはご遠慮したい。

もっとも良い立ち位置は、付かず離れず、たまに思い出す親戚だ。

そうして過ごしていれば、おそらくこの義息子も、そのうちにリーナを害のない義母として認識してくれるだろうという魂胆だった。



ぼんやりとしたまま、リーナはクロードを見返した。うつろなリーナの表情になにを思ったのか、クロードの丹精な面立ちに忌々しそうな感情が浮かぶ。


「先でマリアが待っている。早く行こう」


クロードが腕を差し出すので、リーナは大人しくそれにつかまった。

クロードにエスコートされる自分を見て、他人はどう思うだろうかと、そのことにばかり想いを馳せていた。年齢からすると、浮気相手か、不倫相手あたりだろうか。


温室で汗をかいたせいか、首につけたネックレスのすぐ下の肌が、かゆみを覚えた。こんなところで宝石のついたネックレスを外すわけにもいかない。仕方なく、リーナは、クロードの腕にそえた手と反対の手で、肌を爪で突き刺すようにして軽く掻いた。リーナがネックレスを弄っているのが横目でわかったのか、クロードが口を開いた。


「……それは、父が、亡き母との結婚十周年を祝うために求めたものだ」


「大事な遺品なのですね」


つまり、がちゃがちゃいじくりまわすな、傷がつかないように大人しく付けていろということだろう。しかし、かゆい。肌が熱を持っている気がする。

ドレスのひだの中で、手をわきわきさせながらリーナはかゆみをこらえた。油断すると、ネックレスを振り回して、肌をかきむしりたくなる。

クロードの腕をぎゅっと掴んで、手が勝手に肌を掻かないよう、リーナは意識を別の方向に向けるのに砕心した。

かゆみに肌がぞくぞくして、内腿がむずむずし始める。かゆみを我慢するのは、苦痛とまでは言わないが、なかなかつらい。服が肌を擦る感覚すら、かゆみを助長している気がする。そわそわしながらリーナは無心で足を進めていた。


マリアが二人を待っていたのは、植物園の出口付近だった。

マリアがリーナたちに気づくと、呆れたような顔になる。


「クロードお兄さま、リーナお姉さまになにかされました?」


「なにが?義母上に、僕が何をするって言うんだ」


クロードの言葉に、マリアは思わずといったていでなにか言いかけ、ぎゅっと唇を噛んで口をつぐんだ。


「いえ、なにもないならいいのです」


兄妹のやりとりを、リーナはそわそわしながら聞いていた。


「その、お手洗いに行ってきてもいいですか」


リーナの言葉に、クロードが信じられない、と言いたげな顔をした。なぜクロードがそんな顔をするのか、リーナは全く思い当たらなかったし、そんなことよりもはやく手洗い場でネックレスの下の肌を洗いたかった。絶対に汗でかぶれている。すでに肌の感覚は、かゆみを通り越してちくちくとした痛みに変わりつつあり、肌が赤く変色していることは確実だった。

クロードがなにも言わないのをいいことに、リーナはさっさと手を離して、小走りにお手洗いへと駆け込んだ。




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