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クロードに連れてこられた別荘は、カントリーハウスからは離れた領地に立つ、瀟洒な建物だった。こぢんまりとした佇まいだが、一目でかなり手をかけられているのがわかる。白亜の外壁には、外国の神々の彫刻が飾られ、リーナの知らない神話の再現をしている。躍動感のある彫刻は、それ一つで立派な美術品に値する。それを外壁の装飾に使っているような建物だ。内装が地味なはずがなかった。
内装は基調は白と金で覆われていた。ほんの少しの隙間すら許せないと言わんばかりに壁には金の装飾と、名高い画家が描いたのだろう絵が飾られ、天井ですら金の花蔦で覆われていた。
ここまで来ると、屋敷というよりは屋敷のていを取った芸術品だ。
使用人に案内されたリーナの部屋は、とても日当たりの良い部屋だった。広々とした居間と、居心地の良さそうな寝室が一つなぎになっている。ビロードの張られた椅子やソファと、飾りではない大きな暖炉。部屋には沢山の絵画が飾られていて、この付近の風景を写しとったものと思しき絵も飾られていた。
リーナは部屋の中に飾られた絵を見て回ったが、一つだけ、子供が描かれた絵があることに気づいた。他の絵画は、雄大な風景や、神話の一場面を描いたものだが、この絵だけは実在の人物のようだった。10をすこしすぎたくらいの女の子の絵だ。量の多い明るい茶色の髪をハーフアップにして、子供らしい丸い目は冷たさを感じる青みがかったグレー、まろやかな頬は薔薇色だった。そして、着ているドレスに、リーナは覚えがあった。一番お気に入りだった、濃紺のドレス。母がよく似合うと褒めてくれた、一番のお気に入りの服だった。
「私の絵……?」
子供の頃のリーナの絵姿が、壁に飾られていた。たしかに、昔画家に絵を描いてもらった記憶はある。長い時間、動かないでいるのが辛くて、母に泣きついた。その記憶はあるのに、そういえば完成した絵を見た記憶がない。
こんなところに飾られているとは夢にも思わなかった。
「どうして」
答えてくれる人はいない。おそらくは知っているはずのクロードはここにはいない。
クロードを見た時に感じた既視感について、リーナは想いを馳せたが、何一つ思い出すことは出来なかった。
クロードが二人の様子を見にきたのは、リーナたちが屋敷にやってきた二週間後だった。
マークと二人で出迎えたが、クロードは疲れたようすもなく、むしろ機嫌よく快活な笑みさえ見せた。
「やぁ、こちらでの生活はどうだ」
「おかげさまで、ゆっくりさせていただいております」
マークは未だにクロードに慣れないらしく、リーナの隣で一度挨拶した後は、部屋へと戻ってしまった。
「すみません、まだ、おじさまが亡くなったことに気落ちしていて」
「いや、構わない。マークもここでゆっくりすごして、父とのことに整理をつけてほしいと思っている」
グロブナー卿が存命のときは、クロードには嫌われていると思っていた。それが、思いがけない優しさをかけられて、リーナはクロードのことを見直した。はじめの頃の当たりの強さは、やはり父親が母親以外の女と再婚することに、不満が出てしまったのだろう。それは仕方のないことだ。もっと早く、クロードと歩み寄っていればよかったと、リーナはタウンハウスで顔を合わせたときのことを思い返していた。
クロードに、不便はないか、過ごしやすいかと聞かれて、リーナはとてもよくしてもらっていると答えた。使用人も数は多くないがよく教育されていて、過ごしやすい。ここまでしてもらえて、リーナは心苦しいくらいだった。
クロードが夕食の席の前に、リーナの部屋を訪ねてきたときは、ちょうど手慰みに以前もらったファッションプレートを眺めているときだった。マリアからもらったそれは、すこし古いものだったが、その時の流行の服や小物が描かれていて、見ているだけで楽しい。
「すこしいいか」
クロードが断って、リーナのそばに座る。
「さっき、マークから相談された。マークは寄宿学校に行きたいそうだ」
「寄宿学校、ですか」
なんとも寝耳に水な話だ。リーナはそんな話は初めて聞いた。
「父の生前から、寄宿学校に行く話は持ち上がっていたらしい。マークの成績なら問題なく入れるだろうと言われていて、それをすこし早めたいということだった。このことだが、僕は賛成だ。マークの家庭教師にも話を聞いたが、彼はとても優秀だ」
「そうなのですか」
そんなこと、リーナは聞かされていなかった。
「早く学問をおさめて独立して、姉に心配をかけなくて済むようにしたいと。マークは姉想いだな」
初めて聞かされたマークの考えに、リーナはどことなくさみしさと、同時に大きくなった弟への誇らしさを感じていた。
幼かったマークが手を離れてしまうのはさみしいが、これも大事な成長だ。
「わかりました。クロードさまのご判断に従います」
「リーナがわかってくれてうれしい。学費は心配せずとも、僕が出そう。それくらいの余裕はある」
寛大な申し出に、リーナは心の底から感謝を述べた。
マークは、クロードにこのことを相談したくてずっとナイーブになっていたらしい。自分たちが子供で、クロードたち家族に迷惑をかけているのに、更に学校のことで反対されるかもしれないと思って神経質になっていた、と後から聞かされた。
「僕は、早く大人になりたいんだ」
クロードから話を聞いた後、三人で囲む夕飯の席で、マークが恥ずかしそうに話してくれた。
「姉さんに話をしなかったのは、悪かったけど……クロードさまに反対されると思ってたし……」
「僕がそんなにケチに見えていたのか?心外だな」
クロードが混ぜっ返すと、マークはあわててそういうんじゃないです!と弁解していた。
穏やかな食事の席は、グロブナー卿が生きていたときと同じように楽しいものだった。
マークは学校に入れることを喜んで、学校のことをあれこれ話してくれたが、リーナには全くわからなかった。わからないが、マークがうれしそうなので、自分もうれしくなる。
「そこの寄宿学校は、僕も行っていたところだ。かなりクセのある先生が多くてやりづらいと思うが、慣れれば面白い学校だ」
クロードは卒業生だったらしく、あれこれとマークに教え込んでいた。余計なことまで言っていなければいいと思うが、男のあれやこれやは、女が横から何か言ったところで改まることはないだろう。
クロードが入学手続きを進めてくれている間に、マークは先んじて寮に入ることになった。マークは大喜びで荷造りを終えて、クロードの用意した馬車に荷物を押し込み、さっさと屋敷から出て行ってしまった。
マークが出て行ってしまって、屋敷に一人になったリーナは心細く思った。頻繁に様子を見にきてくれるクロードがいなければ、マークに縋り付いていたかもしれない。
クロードは足繁くこの別荘にやってきて、リーナの様子を見にきてくれた。
当初、リーナはマークと二人でカントリーハウスからこの別荘に移されると聞いたとき、軟禁とまでは言わない厄介払いの一環だと思っていた。それにしては待遇がいい。屋敷はごちんまりしているが、純粋な大きさが本邸に比べれば小さいというだけで、内装は芸術品と呼んで差し支えないレベルでもあるし、使用人はただ、管理だけしているということもなく、きちんと仕えてくれている。使用人からのリーナたちの扱いも、主人の家族に対するものだ。リーナへの呼称も「奥さま」なので、変わらず公爵夫人として尊ばれる扱いだった。
クロードも、リーナを粗雑には扱わない。タウンハウスでの、トゲのある言葉遣いや態度はなんだったのかと不思議に思うほどだ。
昼は近所の湖を散策し、馬に乗せてもらって遠乗りに行き、食事を共にする。
クロードが泊まって行くことはないが、三日と開けずにやってくる。ここの立地は知らないが、こんなに頻繁にやってこれるくらいなので、王都からそう離れていない場所なのだろう。
こんな生活を、長くは続けられない。クロードの手元にいるだけなど、リーナにはできない。リーナは、ライアン家に何一つ貢献していない。グロブナー卿の妻ではあったが、どちらかと言えば扱いは娘だった。娘ならば、親の庇護を受けるのは当然だろう。
グロブナー卿の亡くなった今、リーナの立場は不安定だ。クロードはゆっくり考えればいいと言ってくれたが、ずっとこのままというわけにはいかない。
それこそ、リーナにできることは少ない。まして、マークの学費を出してくれたクロードに報いなければならない。リーナのできることは、ライアン家の為になる再婚か、王族のもとへ働きに出るかのどちらかだ。以前に考えていたことと、何一つ変わらない。
以前は逃げるための選択肢だったが、いまは、クロードに少しでも報いることができる選択肢を選びたいと思っている。