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田舎の貴公子と都会の田舎令嬢

作者: 悠木 源基

 携帯電話が無かった家電の頃は、すれ違いによる様々な悲恋物語が生まれたようですが、その電話そのものが無い時代はさぞかし色々な悲劇が生まれた事でしょう。

 でもそれは異世界とて同じ事。

 ろくな伝達方法が無いせいで、周囲から既に婚約者同士と見なされていた幼いカップルは罠に嵌められて別れ別れになってしまう。

 そしてようやく再会出来たと思ったら、一度生まれた誤解と齟齬は簡単には解消されず、二人は更に苦しむ事になった。そこでそんな二人をなんとかしようと、友人達が行動を起こすのだった・・・

 カレンの原風景は何処までも続く緑の草原と青い空、そして優しく輝く太陽。それから、濃紺の中に煌めく星空……

 自分はレントと同じ風景をずっと共有していると思っていた・・・

 しかし、それは勝手な自分の思い込みだったのだということを、カレンはようやく悟った。

 

 ✽✽✽

 

 カレンはその原風景を思い出しながら、毎日少しずつ刺繍を刺すのが日課だった。

 三年前に生死の境を彷徨って以降、彼女は引きこもり気味である。一歩でも外へ出ると、いつ()()()()()()かわからないからだ。特に庭園などもっての他だ。だから、美しい庭園は屋敷の中から眺めて楽しんでいる。もしくは庭師に摘んでもらった切り花を花瓶に活けて、それを愛でている。それにそれは花を刺繍する時にも役に立つ。

 

 幼い頃から度々訪れた辺境の地は、王都から片道三日もかかるため、体力のないカレンはまだ訪問することが出来なかった。

 それに、あそこは()()()()()()

 

 しかし、大好きなあの原風景は忘れがたく、その風景やそこに存在していた動植物達をこうして刺繍して心慰めているのである。

 

 赤狐(アカギツネ)栗鼠(りす)山羊(やぎ)、馬、牛、羊、犬、鹿……

 ラベンダー、リンドウ、ライラック、アカシヤ……

 

 カレンはハンカチに思い出の風景を刺繍して、六月のレントの誕生日と冬の女神の降臨祭にプレゼントとして、手紙と共に辺境の地へ送っていた。

 それに対してレントも辺境の特産品などと共にカードを返してくれた。カレンはその貰ったカードをお気に入りの薔薇の絵柄の美しい缶の中に大切にしまっていた。

 正直な気持ちを言えば、カードだけではなく手紙も欲しかったが、昔から手紙を書くのが苦手だと言っていたので、しかたないなとあきらめていた。

 ただ、せめてありがとう以外に後少しだけ言葉が添えてあったら、と残念に思うのだった。

 

「いくら遠いとは言っても、一度も見舞いに来なかったなんて薄情過ぎるわ」

 

 友達で侯爵令嬢のエイミーがカレンの気持ちを代弁するかのように怒ってくれた。

 

「辺境地では動物をたくさん飼育しているから、なかなか領地を離れられないのだとおば様が以前おっしゃっていたわ」

 

 エイミーの気持ちを嬉しく思いながらもカレンはそう言った。

 

 辺境地の伯爵夫人とカレンの母は王立学院時代からの親友同士で、お互いに結婚してからも家族ぐるみで付き合ってきた。

 そしてカレンは母と共に夏の終わり、社交シーズンが終わる頃、夫人の招待を受けて、辺境地の伯爵夫妻とともに彼らの領地へ向かうのが恒例になっていた。

 

 辺境地の伯爵家の嫡男であるレントは、両親が王都に行っている間は跡継ぎの自分が領地を守るのだと、物心が付くか付かない頃にそう宣言し、ほとんど領地から出ることがなかった。それ故に、カレンがレントと会うのは辺境の地だけだった。

 社交シーズンになると今でも、彼の両親は年に何度かタウンハウスに訪ねてきてくれるのだが。

 

 以前、辺境地の伯爵家の息子ってどんな子なの? と以前エイミーが尋ねた時カレンは薄っすらと頰を染めてこう言った。

 

 ……やんちゃ、暴れん坊、悪戯(いたずら)好き、

 田舎大好き、動物好き、虫好き、

 農業好き、星好き、勉強嫌い、

 礼儀作法嫌い、カッコつけ嫌い……

 

 それを聞いたエイミーは呆気に取られた。

 何それ? ただの田舎の腕白坊主じゃないの。とても貴族のご子息とは思えない。そんな奴の事を頰を染めて、嬉しそうに話すカレンの気持ちがエイミーにはサッパリわからなかった。

 

「それのどこがいいの?」

 

「都で遊び回ってはいる軟弱な男の子と違って、ちゃんと自分の領地の為に働いて、領民のことをよく見て考えているのよ。とっても偉いじゃないの。

 勉強嫌いと言っても頭が悪い訳ではないのよ。本には書かれていない、生きた知識をたくさん持っていて、私にも色々教えてくれるの。それがとっても楽しいの」

 

 カレンはいつも幸せそうに思い人の事を語っていた。

 

 この国の貴族の子弟は十六になる年に、王都にある王立学院に入学する決まりになっている。

 それ故その日が来るのを、エイミーはカレンとは違う意味で楽しみにしていた。彼女の思い人がどんな人物なのか、エイミーはしっかりと見極めてやろうと思っていたのだ。

 カレンの家の執事であるバートラン卿からも、レントの印象を教えて欲しいとそれとなく頼まれていたので。どうやら彼もカレンの婚約者候補に不信感を抱いているようだった。

 

 そしてエイミーがレントを見て感じた最初の印象は、カレンが語っていた人物像とは全く違うじゃないの……という驚きだった。

 確かに頭が良いというのはその通りだったのだが。

 

 なんとレントは学院の入学式で、新入生代表で挨拶をした。つまり入学前のクラス分けの試験で一番だったということだ。そのため、入学と共に彼は生徒会メンバーとなった。

 

 その試験で三番だったエイミーは、生徒会もクラスもレントと一緒になった。

 しかし、カレンはあとわずかなに点数が足りずに隣のクラスになった。

 

「これからもっと頑張って勉強をして、来年は私も、エイミーやレント様と同じクラスになりたいわ」

 

 そうカレンは言ったが、むしろ同じクラスになんかならなくて良かったわ、とエイミーは思った。

 何故なら、レントはとにかく女性にもてて、いつも彼は女性徒に囲まれていたからである。あれを年がら年中見せつけられたら、カレンも嫌だろうし辛いだろうと。 

 

 ……やんちゃ、暴れん坊、悪戯好き、田舎大好き、農業好き、礼儀作法嫌い、カッコつけ嫌い……

 

 以前カレンはレントをそう評していた。しかし、実際にエイミーが目にするレントはそうは見えなかった。

 

 レントは礼儀正しく洗練されていて、都会生まれの者よりもよっぽど洒落ていて、格好が良くて都会的だった。とても自ら農業や酪農を自らやっているようには見えなかった。

 ただ運動の時間に見せた彼の運動神経や持久力は、都会っ子にはない野性味が感じられたが。それに乗馬姿も先生より様になっていて、馬の扱い方も彼の方がずっと上手だった。

 その上生徒会でもテキパキと事務処理をして、彼の仕事ぶりはすぐに生徒会長達にも評価されるようになっていった。

 

 そう。辺境地の伯爵令息レントは既に完璧な紳士で、今社交界にデビューしたとしても何の問題も無いだろう。きっと皆の注目を浴びるに違いない。とても田舎者なんかには見えない。

 流行に全く関心を持たず、我が道を進んでいる自然派のカレンの方が、よっぽど田舎の令嬢だわ。エイミーはそう思った。

 

 それにしてもレントはどういうつもりなんだろうと、エイミーは疑問に思った。

 入学してからもう二ヶ月近くは経つというのに、カレンはまだ一度もレントと話をすることが出来なかったのだ。

 

 入学したあの日、カレンは思いがけない形でレントを目にして驚いていた。そして、三年ぶりに会えたこと、彼が立派に成長したことを喜んでいた。

 そしてカレンはレントに話しかけようとしたのだが、彼はたくさんの人に囲まれていて、引っ込み思案の彼女はとても近寄ることが出来なかった。それでも、彼の方からきっと会いに来てくれると思い、ずっと教室に残って待っていた。


 エイミーが隣のクラスを覗くと、カレンが一人でポツンと座っていたので、レントはもう帰ったみたいよと告げると、カレンは泣きそうな顔をしていた。

 

 入学初日で既に、エイミーとカレンの家の執事であるバートランは、レントのことを見限った。

 カレンはレントのことが大好きだったが、その思いは一方的で、レントはカレンのことを何とも思ってはいなかったのだろう。いや、既に忘れしまったのかもしれないと。

 

 エイミーは同じクラス、しかも同じ生徒会役員をしていたので、レントとは普通に話をしていた。だから、カレンのことを尋ねる機会はいくらでもあった。

 しかしそれをあえてしなかったのは、レントがカレンを忘れているのなら、むしろその方がいいと思ったからだ。

 カレンは今、とても辛いだろう。しかしもういい加減レントのことは忘れてしまった方がいい。

 バートランも、カレンの婚約者探しを早めにした方がいいと、主夫妻に進言するつもりだと言っていたし。

 

 しかし、それは彼女達の思い違いだった。

 

 入学初日からレントは人々の注目を浴び、すぐに男女の関係なく人気者になっていた。特に女性徒達からは大変もてて、実際にたくさんの女性から交際の申し込みを受けていた。しかし、彼はそれらを全て断っていたのだ。

 そしてそんなある日、エイミーはレントとその友人達の会話を偶然に聞いてしまった。

 

「レント、お前また女性を振ったんだって? これで何人目だ。酷いな」

 

「五人じゃないか? いや、昨日侯爵令嬢を振ったから六人じゃないか。あんな美女のどこが気に入らないんだよ、お上品でお淑やかでさ」

 

「僕は誰も振ってなんかいないよ。人聞きの悪いことを言いふらさないでくれ。最初から交際の申し込みをされないように避けているだけじゃないか」

 

「だからさ、なんであんな良家の素敵な淑女をみんな断ってしまうのかがわからないんだよ。もう決まった相手がいるのか?」

 

「いないよ、今は……」

 

「今はって、昔はいたってことか?」

 

「ああ。だが、田舎暮らしは無理だって振られた。子供の頃からの付き合いで、毎年夏の終わり近くになると遊びに来てくれていたんだけど、ある日突然王都に帰ってしまってそれきりだ。

 うちの領地はかなり辺境の地だ。都会の女性が暮らすには無理だって、年頃になってそう感じたんだろう。

 だから、もう都会の子と付き合うつもりはない。卒業して領地へ戻ったら、あっちで結婚相手を見つけるよ」

 

「君さ、見かけに反して真面目なんだな。結婚するつもりはなくても、学生時代の思い出として付き合えばいいのにさ。今まで君に申し込んできた女の子達だって、ほとんど婚約者持ちじゃないか」

 

「そんな不誠実な事をするつもりはないよ。自分がされたら嫌だから」

 

 この会話を聞いてエイミーはとても驚いた。彼女はずっとレントを快く思っていなかったが、それは彼が不誠実で薄情な、女好きなキザ男だと思っていたからだ。

 しかし、彼は真面目な誠実な男だった。

 

 それと同時に当然疑問が湧いた。幼い頃から付き合いのあった少女に振られたと、レントはそう話をしていた。その少女とは間違いなくカレンのことだろう。

 しかしカレンはレントを振ってはいない。振るわけがない。カレンは今もずっとレントが好きなのだから。何なんだろう、この齟齬は。早々に確認しなければ、とエイミーは思った。

 エイミーは親友のカレンのことが大好きで、彼女が幸せになることを願っている。だから、何も無理矢理レントと別れさせようと思っていた訳ではなかった。

 

 エイミーはレント達の会話のことをバートランに話をした。すると、案の定彼は眉間に皺を寄せ、思案する様子を見せた。そして、確かに何か齟齬があるようなので調べてみます、と言った。

 

 ところがである。その調査が終了する前に、突然面倒くさいことになった。

 

 ある日のこと、エイミーが風邪を引いて学院を休んだ。そしてその翌日、なんとレントが休んだ日の授業分のノートをエイミーに貸してくれたのだ。

 二人は特に仲が良いという訳ではなかったが、生徒会活動も一緒だったので、彼の中でカレンは仲間認定がされていたようだった。

 

 やっぱりレントは真面目で優しい人物だったわ、とエイミーは再認識した。ところがだ。

 昼休みに一人教室に残って、レントから借りたノートを見ながら、それを自分のノートに書き写していると、そこにカレンがやって来た。

 前日学院を休んだエイミーを心配して、隣の教室まで様子を見に来たのだった。

 

「ノートを貸してもらえたのね、良かったわ。誰のノートなの?」

 

「レント様よ」

 

 少し気まずそうにエイミーがそう答えると、カレンが瞠目した。

 まだカレンが話せていないのに、自分が仲良くしている事に気分を悪くしたのか……とエイミーは一瞬焦った。

 しかしカレンは悋気を起こしていたのではなく、真っ青になって、まるで信じられないものを見るかのようにレントのノートを見つめていた。

 それから彼女は、今までエイミーが見たことのないような歪んだ表情をした。

 

 今まで何度手紙を出しても返事が来なかったのは、自分が嫌われていたからだったということに、カレンはようやく気が付いたのだ。レントのノートを見て。

 

 手紙を書くのは苦手だから返事は出さない。昔からレントはそう言っていたので、カレンはこれまでなんとも思ってはいなかった。誕生日や冬の女神の降臨祭に刺繍を送った時には、きちんとお礼の品とカードをもらっていたから。

 そしてカレンの誕生日にはプレゼントも届いていたので……

 あれは夫人が贈ってくれていたのだろう。娘のように可愛がってくれていたから。

 

「カレン、一体どうしたの?」

 

 エイミーは醜い笑みを浮かべるカレンを見て恐れ慄いた。

 

「字が違う…… カードに書いてあった文字じゃない…… 

 馬鹿みたい。レント様から貰ったと思って全部大切にしていたのに」

 

 カレンはそう呟くと、教室から飛び出して行った。

 エイミーは慌ててその後を追ったが、間もなくカレンの悲鳴が上がった。カレンが廊下の角で出合い頭に対向者とぶつかったのだ。

 

「カレン!」

 

 エイミーは廊下に蹲っているカレンの傍に近寄って、彼女の背に手を触れると、カレンはブルブルと震えていた。

 

「ごめん、カレン嬢、大丈夫かい?」

 

 ぶつけられた方の男子生徒の方がそう謝って、腰を下ろしてカレンの両肩に手を置いたが、彼もブルブル震えている彼女に驚いて、目を見開いた。

 その男子生徒はカレンの顔馴染みだった。いや、正確に言えばエイミーの婚約者の公爵家の令息だった。

 

「リチャード様、申し訳ないのですが、カレンを保健室まで運んで下さらないかしら」

 

 エイミーのいつにない不安そうな顔を見て、何かあったと察したリチャードは頷いた。そしてカレンを抱き上げて立ち上がった。だがその時である。

 このアクシデントで廊下には多くの野次馬が集まっていたのだが、その中の一人がこう言った。

 

「別に怪我した訳でもなさそうなのに、か弱い女を演じて男に抱っこしてもらうなんて、さすが都会の女は甘え上手だな。会長、騙されないように気を付けた方がいいですよ」

 

 それはレントだった。

 ずっと思い続けてきた相手に、まるで男を手玉に取る女だと揶揄されて、カレンは更に衝撃を受けてそのまま意識をなくした。

 

 エイミーは怒りで顔に青筋を立てながらレントに近づくと、言葉の(ぬし)の頰を思い切り叩いた。

 

「リチャード様は私の婚約者よ。だから私が保健室へ運んでとお願いしたのよ。

 カレンは退院した後も二年間ずっと自宅で療養していて、まだ体力が完全じゃないから心配で! それなのに、なんてゲスな発想をしているのよ、貴方って最低ね!」

 

「えっ?」

 

 レントは頰を叩かれたことよりも、カレンが、二年間自宅療養をしていたという言葉に衝撃を受けた。しかもその前に入院していたとはどういうことだ。そんな話、聞いていない。

 

 レントが呆然と立ち尽くしているうちに、カレンはリチャードに抱き抱えられたまま、エイミーと共に目の前からいなくなった。

 

 野次馬達はこの四人のやり取りを見ていたが、やがてヒソヒソと話をし始めた。入学以来紳士的な態度で人気だったからこそ、レントの嫌味というか、わざと当て擦るようの物言いにみんな驚いたのだ。

 

 やかでそのうち誰かがこう囁いた。

 

「レント君を田舎者だって振ったのが、さっきの令嬢なんじゃないか?」

 

「ああ、なるほど……」

 

 その囁きはやがて段々と大きなさざ波となって広がっていった。

 レントはカレンのことが心配で保健室へ向かおうとしたのだが、昼休みが終わり、教師によって教室へ追い立てられてしまった。

 

 そして結局エイミーはその後教室には戻らなかった。彼女がカレンに付き添って早退したということを、放課後の生徒会でリチャードから聞いた。

 

 リチャードは三年生で生徒会長だった。彼とエイミーが婚約者だということを役員達は誰も知らなかった。

 特段秘密にしようと思っていたわけではないが、公私混同したくなかったので公表しなかったんだよ、とリチャードは言った。

 

「会長はカレン嬢とも親しいのですか?」

 

「ああ。私とエイミーは幼い頃に婚約して、エイミーとカレン嬢は幼馴染みだからね、私とも子供の頃からの付き合いだよ」

 

「それでは僕とカレン嬢のこともご存知だったのですか?」

 

「ああ…」

 

「それならば何故何もおっしゃらなかったのですか?」

 

「何故? 君からカレン嬢との関係を聞いてもいないのに何を話すんだい? 

 入学してから君はカレン嬢になんのアプローチもしなかったのだろう? だから、君はもう彼女には関わりたくないのかも知れない。そう思ったんだよ」

 

 リチャードにそう言われて、レントは返す言葉がなかった。

 

 

 レントはカレンのことが幼い頃からずっと好きだった。いつかカレンと結婚したいと思っていた。まだ婚約はしていなかったが、周りの人達も二人を婚約者同士のように扱っていたし。

 ところが三年前の夏、いつものように避暑にやって来たカレンが、まだ滞在予定が終わる前に突然、レントになんの挨拶もせずに王都に戻ってしまったのだ。

 レントは驚いて王都のカレンの屋敷に手紙を出したが、返信はなかった。訳が分からず不安になっていた時、レントは両親のこんな会話を聞いてしまった。


「カレンちゃんとレントの婚約の話はもう無理かも知れないわ」

 

「そうだな。とても残念だが、カレン嬢に田舎生活はもう無理かも知れないね」

 

 レントは大きなショックを受けた。何故? どうして?

 カレンはここが好きだと言った。ここでずっと暮らしたいって。

 まだ夏の星座しか見た事がないから、残りの秋と冬と春の星座を僕と一緒に見たいっていつも言っていた。

 春の山羊の出産に立ち会いたい、冬の犬ぞりレースに参加してみたい、カエルになる前のおたまじゃくしが見たい、そう言っていたじゃないか! 

 それなのにどうしてここが、田舎が嫌いになったの?

 

 レントは訳がわからなかった。レントはその理由が知りたくて、何度も何度も王都にいるカレンに手紙を送ったが、返信はなかった。ただその年の終わり、女神の降臨祭の日にカレンから贈り物が届いた。それは栗鼠(りす)だと思われる刺繍がされたハンカチだった。

 

 ちゃんとお礼状を出しなさいと母親から言われたが、今まで苦手にもかかわらず何度も手紙を出したのに、一度も返信をしてくれなかったカレンに、もう手紙を書きたくはなかった。

 レントが思い悩んでいると、三つ年上で姉のように思っていたメイドのスージーが、自分が代わりにカードを書いて送りましょう、と言ってくれた。傷心のレントはその申し出を受けたのだった。

 

 その後、女神の降臨祭とレントの誕生日には、辺境の地に関連した刺繍の刺されたハンカチが届けられた。そしてそれらの刺繍はどんどんと上手になっていた。

 最初のカードだけはメイドのスージーに頼んだレントだったが、それ以後はちゃんと自分でカードを送っていた。たった一言メッセージを添えて。

 

 スージーが言った。

 カレンは昔から本当はここが好きではなかったのだと。夫人から招待されるから仕方なく来ていたのだと。彼女は田舎を嫌っていた。動物も植物も昆虫も・・・

 

 レントは既にカレンへの怒りはとうに消えていた。ただただ悲しかった。自分の大好きな場所がカレンに嫌われていたことに。

 そして憎かった。ここを嫌っている癖にここの生き物をわざとハンカチに刺繍して、それを厭味ったらしく送ってくることに。

 それでもレントは、そのハンカチをどうしても捨てることが出来なかった。

 

 カレンに田舎者として見下され、見捨てられたことが悔しくて、レントはそれまでさぼっていたマナーやダンスのレッスンを真面目に受けるようになった。そして、王都のトレンドを知る為に、結婚して王都に住む姉から情報を入手した。

 その結果、学院に入学する頃には、レントはすっかり都会的な若者と遜色なくなっていたのだ。もちろんそれは見かけだけで、心の中は純粋なカントリーボーイだったのだが。

 

 レントは本当は王都になんか行きたくなかったし、学院になんか入学したくなかった。カレンに会いたくなかったから。

 彼女に会ったら女々しく恨みごとを言ってしまいそうだった。そして馬鹿にされても、嫌われているとわかっていても、彼女を未だに好きだという気持ちが知られてしまうかもしれない。それが怖かった。

 

 だから入学後、もちろんカレンの存在には気付いていたし、彼女が自分に話しかけようしていたこともわかっていたが、意図的にカレンから目をそらしていた。それ故に、カレンに以前のような溌剌さがなくなっていたことに、レントは気付けなかった。

 

「一つだけ聞いてもいいですか?

 カレン嬢はどこか体の具合が悪いのでしょうか?」

 

 レントの不安そうな顔を見て、それが演技ではないとリチャードは思った。

 彼は当然カレン側の事情は知っていた。しかし、レント側の情報は今のところ何もない。ただ、何か齟齬があることは確かだと思った。多分彼らには大きな行き違いがある。

 それならば、無闇に干渉したら余計にややこしくなるのではないか……

 

「どうも君達の間には勘違いがあるみたいだね。しかし、私はカレン嬢側の情報しかない。その状態で余計な言動をするのはどうかと思う。

 改めてお互いの情報交換する場を設けた方がいいと思うのだが、どうだろう?」

 

 こうリチャードが提案すると、レントは瞠目した。

 勘違い? その意味がわからなかった。

 しかし、事実誤認で公衆の面前でカレンに暴言を吐いてしまったのだから、第三者を交えて謝罪すべきだろうとレントは考えた。そこで、よろしくお願いしますとリチャードに頭を下げた。

 

 

 そしてその夜、早速リチャードの家である公爵家から、明日茶会を設けることにしたので参加して欲しい旨の知らせが届いた。

 

 翌日公爵家を訪ねると、その茶会には招待主であるリチャードと、彼の婚約者であるエイミー、そしてカレンがいた。

 カレンの顔色は大分悪く、本当に重い病気なんじゃないのか、それともまだ昨日のショックから立ち上がれないのかと、レントは罪悪感に苛まれた。

 

 レントはカレンに近づき、昨日のことを謝罪しようとしたが、カレンに顔を背けられてしまった。それに、エイミーから視線で咎められてしまった。まだ口を開くなと。

 

 四人は暫くただ黙ってお茶を飲んだ。公爵家なのだからさぞかし良い香りと味がするのだろうが、緊張しているレントには無味無臭のように感じられた。すると、エイミーが言った。

 

「その紅茶、味も香りのも無いでしょう? そりゃそうよ。出がらしだもの。カレンをずっと苦しめてきた男にはそれで十分でしょ?」

 

「えっ?」

 

 レントはギョッとした顔をした。するとエイミーは冗談よ、と笑った。

 

「ええと、僭越(せんえつ)ながら、私がお話を進行させて頂きますわ。だって、この中で私が一番客観的に、俯瞰的(ふかんてき)に、カレンとレント様の事を見られると思うもの。

 カレンとは幼馴染みだし、レント様とはまだ二ヶ月ですが、クラスメイトで同じ生徒会役員ですからね」

 

 カレンとレントは頷いた。

 

「最初にレント様を見た時私は、カレンから聞いていた人物像とは正反対だなという印象を持ちました。

 純朴でヤンチャだけれど、優しいところが好きだと彼女は言っていたのに、彼は田舎者どころか、都会的で貴公子然としていて、少し冷たい感じがしたからです。

 カレンが話しかけたがっているのをわかっていた筈なのに、わざと無視しているように見えたので。

 私はこのことをカレンの家の執事であるバートラン卿にお話ししました。卿がカレンとレント様のことを心配していらっしゃるのを知っていたので。

 卿はカレンがずっとレント様と再会出来るのを心待ちにしていた事を知っていらしたので、レント様の態度に大層腹を立てられました。そして、レントさんのタウンハウスいる執事さんに苦言を呈しに行かれたそうです」

 

 エイミーがここまで話す間にも、レントは何度も口を挟もうとした。何故なら、彼は三年前からカレンにずっと拒否され続けてきたのに、彼女は自分を好きなのだという。

 そしてそんな彼女に、まるで自分の方が一方的に冷たく当たっているかのように言われた。

 そんな話は到底納得出来なかった。

 しかしエイミーはレントに口を挟ませなかった。

 

「ところが、両家の執事が話し合った結果、両家というか、お二人に間に大きな齟齬があった事が判明したそうです」

 

「「齟齬?」」

 

 カレンとレントは同時に疑問形の言葉を発した。

 

「ええ。レント様は、三年前にカレンは突然帰省してから手紙の返事も寄越さないとおっしゃっています。しかも田舎は嫌いだからもう行きたくないとカレンが言っていると聞かされて、精神的ダメージを受けられていたそうです」

 

「そんなことを言った覚えはないわ。そもそもそんな嘘を言う筈がないわ。私はレント様の領地が大好きなんだもの。

 それに、返事も何も、レント様から一度もお手紙を貰った事はないわ。カードだって、レント様が書かれたものじゃないでしょ。ノートの字と全然違ったもの!」

 

「僕は何度も手紙を書いたよ。カードだって最初だけはメイドに頼んだけど、それ以後はみんな僕がメッセージを書いていたよ」

 

「そんなの嘘よ!」

 

「嘘じゃない!」

 

 カレンとレントが言い争いになりかけたので、エイミーがそれを制した。

 

「カレン、今まで貰ったカードはみんな同じ文字だった? 今日はそのカードを持ってきたわよね?」

 

「みんな同じ人が書いたものよ」

 

 エイミーはそう言いながら、お気に入りの薔薇の模様のついた缶を取り出して、その蓋を開けた。

 しかしそのカードを見たレントは眉を顰めた。

 

「それらのカードは僕が書いたものじゃないよ。僕が送ったカードは全てカレンが好きなモスグリーン色のシンプルなものだ。そんなカラフルなものを僕が送る訳がない」

 

「カードの文字が全て同じだということは、つまり、最初のカードを書いた人物が、その後、レント様のカードを全てすり替えたということよね。

 つまり、そのメイドがレント様の手紙やカードをカレンに送らず、反対にカレンが出した手紙はレント様に渡さなかったということでしょうね」

 

「スージーが? 何故そんなことをしたんだ!」

 

 レントは愕然とした。彼女はレントが幼い頃から屋敷で働いていた三歳年上の使用人だ。彼は彼女をもう一人の姉のように思っていたので、(にわか)には信じられなかった。

 

「領地にいる執事長に連絡して調べさせた所、さすがにレント様の手紙を捨てることまでは恐れ多くて出来なかったのでしょう。メイド部屋に隠してあったのが見つかりました。カレン様からの手紙も……」

 

 レントのタウンハウスの執事がこう口を挟んだ。

 

「スージーさんはレント様のことが好きだったのではないでしょうか。私に対して、その、冷たいというか、素っ気なかったし……」

 

 カレンが言いにくそうにこう言うと、エイミーがハッとした様子でカレンを見つめた。

 

「カレン、三年前にレント様の名前で、カレンを温室に呼び出したのって、そのメイドなんじゃないの?」

 

「多分……カードの文字が同じだったかも」 

 

 カレンが頷いた。

 

「温室ってなんの事ですか? 呼び出しとは?」

 

「三年前にカレンが突然辺境の地を去ったのは王都へ帰ったからじゃありません。カレンは温室で大量の蜂や蝶々などの虫に襲われて、病院へ搬送されたからです。温室に大量の蝶々を放ったのは貴方ですよね、元悪ガキさん?」

 

 エイミーの問いにレントは真っ青になった。確かに薔薇の温室の中に、レント自ら育てた美しい蝶々を放った。蝶々好きなカレンを喜ばせたくて。決して悪戯なんかではなかったし、まして蜂までわざと温室の中入れるわけがない。

 

 そしてあの日の早朝、母方の祖母が倒れたと聞いて、家族と一緒に屋敷を離れたのだ。カレンを温室へ呼び出す訳がない。

 しかしそう言えば、レントのサプライズ計画を知っていたのはスージーだけだ。

 

 全身を蜂に刺されたカレンは、温室に倒れていた所を侍従に発見されて病院へ運ばれた。全身を蜂に刺された事によるショック状態で、一時は命の危険さえあった。

 唯一運が良かったのは、たまたまその日が馬の健診日で、獣医がいたおかげで、緊急処置を受けられたことだった。

 

 辺境の伯爵夫妻がカレンのことを知ったのはそれから四日後のことだった。夫人の母親が危篤状態に陥っていたので、執事が連絡をするのを躊躇ったからである。

 そして葬儀が終わった後でカレンのことを知った夫妻は慌てて領地の病院へ向かったが、その時はもっと大きな病院のある遠い町へ転移していていた。

 そこで、すぐにそちらへ向かおうとしたが、そちらも大変だったろうから、わざわざ見舞いに来なくてもよいと連絡があったという。

 

 その後夫妻は、少し間をおいてから何度も謝罪に行き、ようやく両家のわだかまりはなくなったのだ。

 しかし、カレンは退院後も二年近く自宅での療養生活を余儀なくされた。

 その上、蜂と蝶々のアレルギーが出るようになったので、娘はもう田舎へは行けないかも知れないとカレンの両親から聞かされた辺境の伯爵夫妻は、カレンに対する申し訳なさで一杯になった。

 

「レント様が聞いたというご両親のお話は多分、カレンが虫アレルギーになったので、田舎生活は無理かも知れないわね、と話していらっしゃったのじゃないかしら」

 

 そうエイミーが推察したが、恐らくはそれに間違いないだろう。

 まだ事の詳細がわからなかったので、当初夫妻はレントにカレンの話をしなかった。

 そしてそのうちにカレンの両親から、


「温室の件は単なる子供の悪戯で、悪気があった訳ではないだろうから気にしないで欲しい。

 カレンが死にかけたと知ったらレントの受ける衝撃が大きいだろうから、カレンのことは内緒にして欲しい」


と言われたそうだ。

 カレンも罪悪感を持ったままのレントと付き合うのは辛いだろうからと。

 

 レントはカレンの身に起こった真実を何も知らされなかった。そして、それと同時にレントの真実も伝えられなかった。

 それなのに、メイドからの嘘の情報だけが伝えられたのだった。

 

「でも、カレンが田舎を嫌っていなかった事は、カレンから贈られたハンカチの刺繍を見れば一目瞭然だったのではない? だって貴方はそのハンカチを全て、額縁に入れて部屋の壁に飾っていたらしいし」

 

「えっ?」

 

 思いも寄らなかった事実にカレンは目を見張った。カードを書いたのが別人だと知った時、送ったハンカチも全てメイドに捨てられたと思ったのだ。

 

「さすがにカレン嬢の刺した素晴らしいハンカチまで処分するのは、そのメイドも後ろめたかったんだろう」

 

 とリチャードが言った。

 

「田舎を嫌っているくせに、何故カレン嬢が君の領地の風景の刺繍を刺したのか、その意図がわからずに、君はずっと悩んでいたんじゃないのか?」

 

 リチャードの問にレントは首肯した。そう、訳がわからなくてレントは苦しかった。

 ハンカチの刺繍は段々上手になっていって、次第に複雑で美しい絵柄になっていった。そんな刺繍が単なる嫌がらせで出来るものだとは、彼にはとても思えなかったのだ。

 

 カレンが本当は自分を、自分の領地をどう思っているのかずっと知りたかった。でも目の前で直接聞くのは怖かった。怖くてこの二ヶ月、何も出来ずに、カレンを余計に苦しめてしまった……

 

 この三年間の自分はずっと誤解、思い違いをしてきたのだと、ようやくレントは悟った。

 

『ああ、僕はカレンになんて酷いことをしてしまったのだろう。

 僕のせいでカレンは命をなくしかけた。そしてそれを知らずに、カレンに裏切られたと恨んでいたなんて。なんて馬鹿だったのだろう。謝って許されることではない。

 そして、カレンとはもう終わりなんだ・・・』

 

 そう。カレンに嫌われた。捨てられた。あんな女見返してやる! そう思いながらも、刺繍入りのハンカチが届いている限り、心のどこかではやり直せるのではないかと思っていた。

 

 でもそれはありえないことだった。この三年間だけでなく、学院に入学してからも、この二ヶ月間、更に彼女を苦しめてきたのだから。レントの胸が張り裂けるように痛んだ。

 その上、先週の自分の誕生日にハンカチを貰えなかったことに勝手に傷付き、苛立ち、昨日はあんな酷いことを言ってしまった。己は本当に最低最悪野郎だ……

 

 レントは徐に立ち上がると、正面に座っていたカレンの後ろに行き、そこに跪いて頭を垂れた。

 

「カレン嬢。君が好きだった温室で君を怖がらせ、君の命を脅かしたのは僕のせいです。

 そして何も知らなかったとはいえ、貴女が苦しんでいた三年の間、傍にいることが出来なかったことと、入学してからのこの二ヶ月、君に冷たく接していたことを、心からお詫びします。

 許して欲しいなんて、そんなおこがましいことは思っていません。ただ、謝罪することだけはどうかお許しください」

 

 するとカレンは、昔と同じ優しい笑顔でこう言った。

 

「温室の蝶々は私を喜ばせたくてしたことなのでしょう? 貴方が私のために、青虫から育てていたことを知っていたわ。

 それにあの蜂はスージーさんが入れたんでしょ。あの人のお父上は養蜂家ですものね。

 貴方は私の誕生日にサプライズしたかっただけだって知ってるわ。

 だから貴方に余計な罪悪感を持って欲しくなくて、私の体調のことを知らせなかったの。

 でもまさか嫌われて憎まれているとは思っていなかったわ。だから、学院で貴方に会えるのをずっと楽しみにしていたの。それがこんなことになるなんて・・・・・」

 

「すまない。本当に申し訳ない。許してくれとは言わない。ただ僕にできることがあるのなら、なんでもするから言って欲しい」

 

 レントが再び謝罪すると、カレンはにっこりと微笑んだ。

 

「来週、王立美術館で展示会があるのですが、最後に一度私とそこへ行って頂けませんか?」

 

 最後という言葉に胸を抉られながらも、レントは頷いたのだった。

 

 そして約束の日までの一週間は、レントにとって辛く厳しいものだった。

 レントのせいでカレンの悪い噂が立ったので、それを必死に打ち消して回ったり、領地の執事からスージーの報告を聞いたり。

 

 三年前までスージーはあろうことか、自分がレントと結婚できると本気で思い込んでいたらしい。

 使用人でありながら貴族の友人達と同様に接してもらっていた事と、姉のように慕われていたために勘違いしたらしい。

 故に周りから婚約者として扱われていたカレンに嫉妬し、辺境の地や、レントに近づけさせないために、数匹の蜂を温室に紛れ込ませた上で、メッセージカードを使ってカレンを呼び出したという。

 蜂の中には蜜蜂だけではなくスズメバチも交ざっていたのだから、その悪意は相当だったろう。

 養蜂家の娘でスズメバチに刺されれば人が亡くなる場合もある事を当然知っていたのだから、()()()()()と言えるだろう。

 しかも自分が疑われる事を恐れて、レントとカレンがやり取りするのを邪魔して書簡を隠していたのだから、罪は更に重い。

 

 カレンを殺そうとまでしたスージーだったが、明るく朗らかだった性格がガラリと変わり、スージーにも素っ気ない態度をとるようになったレントに、さすがに自分が伯爵夫人になれるかも…という無謀な夢は消え去った。

 そして今年になって同じ屋敷で馬丁として働く気のいい若者と婚約した。ところが、一月ほど前から執事が彼女の周りを探り始めると、それをいち早く察したスージーは、突然屋敷を辞めて姿を隠したのだ。

 しかし彼女は数日前にようやく隣町で見つかり逮捕されたという。

 そのうち殺人未遂及び信書隠匿罪で裁かれ、長期間牢に入ることになるだろう。

 

 親しき仲にも礼儀あり。もっと自分の立場を弁えて使用人と関わるべきだったのだろう。彼らと仲間意識で接していた自分の甘さを今更ながらにレントは反省した。

 その甘さ故にスージーの暴走を止められず、カレンに対する嫌がらせに気付かず、あまつさえ、彼女を危険にさらしてしまった。

 

 レントは悶々とした気持ちで王立美術館へと向かった。そして約束の時間から一時間も前から、入り口近くでカレンを待った。

 カレンは彼女の好きなモスグリーン色のドレス姿で現れた。顔色は大分良くなっていた。薄らと頬には赤みがさしていて、三年前と変わらない、いや、もっとずっと大人びて美しくなっていた。

 

 これが最初で最後のデートなんだと思うと、胸が苦しくなったが、それを必死に隠して、彼女をエスコートして建物の中に入った。

 カレンが向かったのは美術館の中の特別展示室だった。なんでも今日からそこで、素人による色々な手作り作品が展示されているのだという。

 そう言えば彼女は幼い頃から手先が器用で、色々な手作りをしていたな、とレントは思い出した。

 

 そして彼女はある作品の前で足を止めた。それは刺繍コンテストの最優秀作品らしい。サイドテーブルに敷くクロスくらいの大きさで、紺色の美しい夜空を思い浮かべる生地に、煌めく星々が輝いていた。

 さすが最優秀作品だと素直に納得してしまう程、素晴らしい刺繍で、まるで本当の星空のようだった。そう、レントの領地の牧場で見上げたような、夏の夜空……

 

 まさか・・・

 

 近づいて作品の紹介部分を見た。

 作品名は『北の領地の夏の星空』

 作者はカレン……

 

 レントに衝撃が走った。横に立つカレンに慌てて顔を向けると、彼女はレントのことをじっと見つめていた。

 

「カレン、これは…… この作品は……」

 

「このテーブルクロスはね、貴方の誕生日プレゼントにしようと思って作ったの。だけど、貴方とは会うことも話すことも出来なかったから、これからはもう刺繍を刺すのは止めよう、そしてこれは見るのも辛いから捨ててしまおうと思ったの」

 

「そんな……」

 

「でもエイミーが、せっかくよく出来たのだからみんなにも見てもらいましょう、って言ってくれて、この手芸コンテストに応募してみたの。そうしたら思いがけずに賞を頂けて」

 

「素晴らしい。素晴らしいよ。最優秀賞をとれたのも当然だよ。受賞おめでとう」

 

 レントはまずこう言った後で小さく呟いた。

 

「でも、本当は僕が欲しかった。額縁に入れて他のハンカチと一緒に僕の部屋の壁に飾りたかった……自業自得で仕方ないけど」

 

「あのね、実はこの作品は完成していないの。四枚で一つのシリーズものだから。これは夏の星座でしょ。あと三枚、秋と冬と春の星座の分を刺繍しないといけないのよ、本当は。でも、今の私にはその星座は刺せないの」

 

「どうして? 僕のせい?」

 

 自分のせいで刺繍をする気力をなくしてしまったのだとしたら……レントは胸が締め付けられるように痛んだ。カレンの素晴らしい才能を自分が潰してしまったのか……

 

「そうね、貴方のせいね」

 

「すまない……」

 

「悪いと思うのなら昔の約束をちゃんと守ってね」

 

「えっ?」

 

「まだ夏の星座しか見たことがないから、残りの秋と冬と春の星座を見たいと私が言ったら、大人になったら一緒に見ようと、貴方、そう言ってくれたでしょ?」

 

 カレンはこう言うとレントの手をとって、まるで野薔薇のように愛らしく微笑んだのだった。

 

 展示されていた『北の領地の夏の星空』という名の刺繍入りテーブルクロスは、三ヶ月後には、王都のリントのタウンハウスの彼の部屋の壁に飾られてあった。特注の額縁に入れられて。

 

 そしてその年の冬、カレンは初めて『北の領地の冬の星座』をレントと共に見た。夏よりも更に美しい星空にカレンは感動し、制作意欲が更に高まり、すぐに刺繍を刺し始めた。

 しかし、彼女はそれほど急いではいなかった。どうせ一連の作品を仕上げるためには、まだまだ時間がかかりそうだったから。


 というのも、カレンは蜂や蝶々や蛾のアレルギーがあったので、まだ冬にしか辺境の地へは行けないのだ。

 しかし、カレンとレントの両親、そして二人の友人であるエイミーとリチャードの家も、アレルギー研究機関に援助してくれている。そのおかげで研究が少しずつ進んでいるようなので、そう遠くないうちに、きっと何か対策が見つかる事だろう。

 

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