婚約破棄………じゃない!?
ヴァイオレット(悪役令嬢)サイド→ミア(ヒロイン)サイドです。
リッツハインド王立学園の卒業パーティにて。
侯爵令嬢のヴァイオレット・ハストンは、まるで死刑宣告を待つかのような青い顔をして扇を握り締めていた。
目の前には愛する婚約者と他上級貴族の子息達……そして、あの妙に目に付く女が立ちふさがっている。
(これも全て、あの女のせいだわ………)
ふわふわのピンクの髪を揺らし、優越感に浸っているような間抜けな顔を晒している男爵令嬢、ミア・チュロスに向かって、ヴァイオレットは思わず舌打ちをしたい衝動に駆られた。
ヴァイオレットは、ついこの間まで婚約者に易々と近づく彼女をそれはそれはこっぴどく虐めていた。
しかしそれはミアの罠で、わざとヴァイオレットを触発し自分を虐めさせることでこの状況を作り出したのだ。
(わたくしがしたことに関しては、全てアルバート様に伝わっているはず……)
きっと婚約者であるアルバートはヴァイオレットに失望したのだろう。
そんなことを考えると、ミアへの怒りはすっかりなくなって、悲しみだけが心を覆った。
「アルバート様ぁ……」
ヴァイオレットに怯えているようなふりをして涙目でアルバートの腕に擦り寄るミアが、ヴァイオレットには憎たらしくてたまらない。
(貴女さえいなければ、今頃わたくしは…………ッ)
アルバートへの恋心を拗らせて、なかなか「好き」と言えなかったヴァイオレット。だから、何年も前からこの卒業パーティで告白しようと決めていたのに―――それはもう、叶わないことなのだろう。
心がじくじくと痛む。苦しくて、上手く息ができない。
自分はアルバートの心の中にひとかけらも残っていないのだということを思うと泣きそうになった。
歯を食い縛ってそれを耐え、ミアを睨みつける。するとミアはまた泣きそうな顔でアルバートに縋り寄った。
憎い。でもそれ以上に、辛い。
(…………もうこれで、終わりなのかしら)
きっと、アルバートはヴァイオレットのことを憎悪に満ちた顔で睨みつけているのだろう。
そう思って、ミアから視線を逸らすと――――
「…………ぇ?」
ヴァイオレットが驚きのあまり身を固めたのと同時に、ミアがピンク色の口紅で塗りたくった唇を歪めるように口を開いた。
「アルバート様、ミア、ヴァイオレット様が怖いですぅ……」
その言葉に同調するように後ろの子息達も声を上げる。
「殿下、ミアを傷つけたあの女を許すわけにはいきません!」
「侯爵令嬢と言えど、それ相応の罰を受けるべきでしょう」
周りにいる野次馬達も、殆どがヴァイオレットを卑下し、ミアを可哀想だと口を揃えて言う。
しかしヴァイオレットは、そんなことは気にもせずにアルバートの方を見つめていた。
何故なら目の前でこちらを見据えているアルバートが―――これ以上にないほどの、美しい微笑みを浮かべていたからである。
アルバートはその笑みを湛えたまま、ゆっくりと口を開いた。
「みんな、落ち着いて。一先ず僕は――――」
それに続く言葉に期待を込めて、ミアがアルバートの方に目を向けた。他の野次馬達も彼の方に視線を移す。
そして、アルバートが次の言葉を発した瞬間―――
「――ヴァイオレットに罰を与える気は、ないよ?」
周りの者たちはあっけらかんと告げられたその言葉に耳を疑った。
それはミアもヴァイオレットも同じであり、ミアはアルバートの腕を掴んだまま恐る恐る尋ねる。
「あ、アルバート様? アルバート様は、あくや……ヴァイオレット様と婚約破棄をするつもりだったのでは……?」
「なに馬鹿なことを言っているんだ、ミア。僕とヴァイオレットが婚約破棄するわけがないだろう?」
「……はっ?」
先ほどまでかわい子ぶっていたミアがポカンと口を開けたまま固まり、婚約破棄されるとばかり思っていたヴァイオレットは思わず扇を落としてしまった。
その場が一瞬にして静まったのにも関わらず、アルバートは言葉を続ける。
「そもそも、ミアより遥かに身分の高いヴァイオレットをどうして罰さないといけないのかい?」
「!? そっ、それは……あの女がミアを虐めたからで、」
「でも、これと言って酷いことはしていないだろう?」
「あっ、アルバート様ッ!!!」
ようやく正気に戻ったミアが横入りに大きな声を上げた。
「ミアはこの学園に編入してから、確かにヴァイオレット様に何度も殴られたりしたんですっ! それに昨日は階段から突き落とされて、とっても怖くて……」
さっきまでのアホ面を撤回し、再び涙目でアルバートの感情を揺さぶろうと目論むミア。
それに乗っかって、そうだそうだと周りが騒ぎ始めた。
すると、アルバートは顎に手を置いてこんなことを言い出す。
「確か、ミアが編入してから三日でヴァイオレットが接触して、僕達に容易く近づくな、と忠告したんだよね? でもミアはそれを聞かなかったから、ヴァイオレットがミアを虐めるようになった。
と言ってもだよ? そもそもその忠告を受け入れなかったミアがいけないし、ヴァイオレットがやったことは、ハストン侯爵家の派閥下のリッセン伯爵令嬢達を使ってなるべく服で見えなくなる場所を狙って蹴りつけたり、バケツ入りの水を二階の物置部屋からミアに向かって落としたり、ミアの所持物を捨てたりボロボロにしたりしただけでしょ? こうやって考えてみると、そんなに酷いことしてないと思うけど?
あと、ヴァイオレットは朝早くから三回くしゃみをする癖があるんだ。可愛いよね」
早口でそう言い放ってなんだか満足そうな表情を浮かべたアルバートの言葉を聞いて、その場にいた人達はますます混乱した。
まずアルバートがそこまで虐めの事を知り尽くしていることに驚きだし、そもそもそんなことしてる暇あれば助けろよっていう話だし、こうして聞いてみても結構酷いことだし、しかも最後の方全然関係ない。もしやこの王子、頭沸いてたりするんじゃないだろうか? と思ってしまう一部の者達であった。
「まぁ、どちらにしろ罰はあり得ないね。なんせ、今回の目的はヴァイオレットが嫉妬してくれるかどうかを試すことだったし……」
……やっぱり彼、頭沸いてたようだった。
そんな頭沸いてるアルバートの言葉に、ヴァイオレットはミア以上に驚愕していた。それはアルバートがまさかこんなにおかしい人だったとは、という意味……
(アルバート様……わたくしのことを今、か、かか可愛いと……? それに……嫉妬? わたくしを嫉妬させる為にこんなことをしたの? ―――流石、やることが大きいですわ、愛しのアルバート様っ!!)
…………ではなく、アルバートがそれだけ自分のことを思っていると分かってこその歓びだった。恋は盲目とは正にこのことである。
しかし、あまりに突拍子すぎて全部空耳だったという可能性も拭いきれないので、ヴァイオレットは意を決してアルバートに尋ねた。
「アルバート様、それは……本当の話ですか?」
「あぁ、もちろんだよ、ヴァイオレット。ごめんね、最近全然話せてなくて……」
「…は、はいっ! 大丈夫ですわ、アルバート様!!!!」
少々上ずった声でヴァイオレットが言う。その顔には、これまでにない喜びが滲み出ていた。
一方、ミアは歯軋りをしてヴァイオレットのことを睨んでいた。しかし、心の中は酷く混乱している。
実は、ミアには‘‘前世の記憶‘‘というものががあった。
ミアは前世でとある乙女ゲームにハマっていて、今世はそのゲームのヒロインに転生したのだった。
だからこそ、だ。
逆ハールートを目指して動いていたミアにとって、攻略対象の一人であるアルバートがミアに惚れないなどあり得ないはずなのだ。
(私がこの世界のヒロインのはずなのに…………! それにどうして? どうしてアレが効かないの!?)
そんな疑問が頭の中を駆け巡り、ミアは焦っていた。なんせ彼女は今まで、アルバートが自分に惚れこんでいると思い込んでいたからである。
もしかして今のアルバートは演技をしているのではないか、とまで考える始末。というか、むしろその考えの方が現実味がある。‘‘嫉妬させる為に‘‘ミアを利用していたなんて普通に考えたらおかしな話なのだ。そんなことをするような人は、相当恋を煩わせているのか、――――相当狂っている人だとしか考え難い。
しかし次の瞬間、彼女のその考えは粉々に打ち砕かれることとなる。
「あ、そうそう。ミアには恩があるから、牢獄は一番綺麗な場所を用意するよ」
「…………はっ?」
(ろうごく……? って、牢獄!?)
その言葉を聞いてすぐに、頭の中が真っ白になった。
(どうして!? ゲームには牢獄エンドなんてなかったはずよ!!)
ミアが狼狽する中、アルバートはとどめを刺すかのように言い放った。
「――その香水、人間を操る薬入りなんだろう?」
「なっ…………!」
「残念ながら、それは愛する人がいる人間には効かないんだよ」
その言葉に場内がざわつく。一部では、お互いミアの薬が効かなかった婚約者同士が頬を赤く染めていた。
同じくそれが効かなかったヴァイオレットが、その言葉の意味に気づいて顔を湯気が出るほど真っ赤にした。
「で、殿下………あのっ」
「ヴァイオレット、嬉しいよ。君は僕のことをこんなにも愛してくれていたんだね」
媚薬や虐めをひっくり返して愛と嫉妬として受け取ったアルバートは、にっこりと微笑む。それを見たヴァイオレットは覚悟を決めたように思い切って口を開く。
「アルバート様、昔から――大好き、でしたっ!」
その言葉を聞いて、アルバートはヴァイオレットのことを抱きしめた。
なんだかいい雰囲気になっている二人を尻目に、ミアが頭を抱える。
(どうしてこうなったの!? 私の演技にぬかりはなかったはず!! 薬だって効果100%の超高級品よ! それにあれは好意ではなく味方敵の優勢を操るもの。愛する人がいる人には効かないだなんて聞いたことがないわ!!)
それに………どうして、アルバートは香水のことを知っていたのだろうか? どうして、アルバートはゲームの設定と違ってヴァイオレットのことを愛しているのだろうか?
そして、そもそもおかしいのが―――
(どうして、悪役令嬢がアルバート様のことを好きになっているの?)
この二人は元々仲が良くなかったはずだ。だから、ゲーム内でヴァイオレットがミアを虐めるようになったのは、彼女が平民出身の男爵令嬢だったから、という設定のはずなのだ。
そう、そのはずなのに――――。
「―――あ、そうそう」
「!? な、なによッ!」
いきなり近づいてきたアルバートに警戒心剥き出しで対応したミアに、彼は小さく苦笑する。そしていつもとは打って変わった冷酷な笑みでこちらを見据えた。思わず鳥肌が立つ。
『‘‘どうして悪役令嬢が僕に好意を抱いているのか‘‘、知りたい?』
「に、にほッ…!?」
ミアの前世で使われていた懐かしい言語。それを聞いた瞬間、ミアは真実の一部を悟った。
そして、少し落ち着きの払った声で尋ねる。
『………知りたいわ』
その返答に満足したのか、アルバートはにっこりと微笑んだ。
『じゃあ、教えてあげよう。
それはね――僕が君と同じ手を使ったからだよ』
『え?』
理解が出来なくて、ミアは思わず聞き返した。
そして次の瞬間――アルバートが胸ポケットから出した物を見て目を見張る。
『う、そ………』
「アルバート様、どうされたのですか?」
ヴァイオレットがこちらへ近づいてくるのにも厭わず、彼は続けた。
『まぁ、正確に言うと、僕のはそれを少し改良した‘‘ヴァイオレットの好意を操る‘‘薬なんだけどね』
そう言ってミアの目の前で香水瓶を揺らしたアルバートは、不敵に笑った。
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