恋人たちの転生無双~異世界でもお幸せに~
イタリア・ローマ。
例年であれば、雪が降ること自体がかなり珍しいローマ。けれど、その年は例年にない数十年ぶりの雪の年末になった。
ある意味、これも奇跡的な出来事だったのだろう。
ただの傷心旅行のつもりだった。
前の年のクリスマスに、長年付き合っていた恋人が死んだ。飲酒運転の車による、交通事故だった。
僕と彼の出会いは、高校時代。彼を好きだと自覚して、付き合い始めてから15年、一緒に暮らし始めてから10年以上。僕は医者に、彼は作家になった。喧嘩もしたし、別れようと思ったこともあった。けれど、幸いにして僕の家族も彼の家族も、僕たちの関係を受け入れてくれていたおかげで、一人で悩まず相談することができた。だから、感情に任せて別れずに済んだのかもしれない。そんな中、15年目の記念日だったあの日、僕たちは久しぶりに外食をする予定だった。お店の選択は、彼に任せた。僕は特に好き嫌いもなく何でも食べるけど、彼は逆。好き嫌いが多くて、好みが偏っていたから。
その日も、僕は仕事だった。自宅からそれほど遠くない総合病院が僕の仕事場。救急の受け入れもしている病院で外科医をしていた。僕は、職場の人たちにも彼との関係を話し、最初は戸惑っていたものの徐々に僕たちの関係を受け入れてくれていた。彼も、何度か僕の職場に顔を出したこともあった。だから、彼が事故に遭い救急搬送されてきたとき、真っ先に僕に連絡がきたのだと思う。僕が処置室に駆け込んだ時には、彼はすでに心肺停止の状態で、懸命な蘇生措置を施されている途中だった。僕は、その光景を呆然と見ていることしかできなかった。それからどれくらい経ったのか……
「もう十分です。」
その一言だけをやっと絞り出すことができた。本来なら、配偶者でも家族でもない僕の言葉で蘇生措置をやめることなんてないはずだけど、自治体が独自に定めたパートナーシップ条例のおかげで、彼の家族の同意を得ることなく、僕の一存で治療方針を決めることができた。正直、最初の段階で彼の蘇生の可能性が著しく低いことは、なんとなく分かっていた。ただ、それを認めることができなかっただけ。実は彼の家族も病院に駆けつけていて、すべて僕の言葉だけで決まったのではないと聞いたのは彼の葬儀が終わってからだった。事故の原因が、忘年会帰りの飲酒運転の車だったと聞いたのも、同じタイミングだった。何の感情も湧かなかったといえば嘘になるけど、その時は彼の死を受け入れるので精一杯だった。
それから1年。周りの人に支えられて、彼の死を受け入れることはできた。けど、悲しみが癒えたわけじゃない。そんな中、僕はローマ行きを決めた。彼と僕の共通の趣味『読書』。彼と話すきっかけになった作品の舞台、バチカン市国。二人で一度は行こうと約束していた場所だった。彼の写真と分骨してもらったお骨を入れた小さなペンダントを持って旅立った。あんな結末になるなんて全く予想すらせずに。
ローマ到着の翌日は雪だった。寒いとは思っていたが、雪になるとまでは予想していなかった。ローマでは雪が降ること自体珍しい。積もるとなれば、一層珍しい。日本であれば、東京など以上に交通機関が雪に弱い。もちろん、地元住民も例外ではない。雪道の運転になど慣れていない。バチカンへ向かおうとホテルを出た直後、悲鳴が聞こえた。その瞬間、すごい衝撃が僕を襲った。周りの人が駆け寄ってくれたのは分かった。ただ、何があったのかは分からなかった。そのまま、僕の意識は途切れた。
「橘さん、橘飛鳥さん。」
誰かの声がする。名前を呼ばれている気がする。そんな感覚の中、僕の意識はゆっくりと覚醒していった。
ここはどこだ?最初に覚えたのは違和感。さっきまで居たはずのローマの光景ではない。というか、どんなに濃い霧の中でもありえないような、真っ白な空間。定かではないが、多分寝ている。フワフワした感覚。
「橘さん、目が覚めましたか?」
覚醒前、誰かに呼ばれた気がしたのは間違いではなかったようだ。柔らかい女性の声。僕は、ゆっくりと起き上がり声の主がいるであろう方向へ顔を向けた。『目が点になる』とは、こんな時でも使うんだろうか?一瞬、現実逃避的にそんな考えが浮かんだ。僕の視線の先には、土下座した女性がいた。
「申し訳ありません!」
女性は、その姿勢のままそう叫んだ。何に対しての謝罪なのか、心当たりは二
つ。というか、僕の想像通りであれば、この女性はたぶん……。
「あなたの想像は間違っていません。私の正体も、謝罪の理由も」
「えっと、とりあえず顔を上げてください。そのままでは話しにくいです。」
僕の言葉に、女性はとても申し訳なさそうに顔を上げた。
『奇麗な人』
それが女性の第一印象だった。冷たい印象を与えそうな髪と瞳の組み合わせにも関わらず、とても暖かく感じる。そんな女性に土下座されているのが、ものすごく罪悪感を覚えた。女性の言葉を信じるなら、そんな風に思う必要は一切ないにもかかわらず。
「とりあえず、話を聞かせてください。貴女の話を信じるも信じないも、全てはそれからです。」
「分かりました。」
女性が立ち上がり手を振ると、どこからともなく現れた四阿。
「こちらへ」
僕は女性に促されるまま、四阿へと足を運んだ。目の前には湯気の立つティーカップとお菓子が、すでに準備されている。
「改めて、申し訳ありません。」
僕が席に着くなり、女性は再び頭を下げた。
「とりあえず、座っていただけませんか。状況の説明をお願いしたいです。それを聞かないことには、僕には何も判断できません。」
僕の言葉に、女性は素直に僕の前に座った。やはり、奇麗な人だ。日本では、いや地球ではまず見ることのない艶やかな銀髪に淡いグレーの瞳。表情次第では、とても冷たい印象を受ける組み合わせ。けれど、目の前の女性からはとても柔和な、温かな印象を受ける。
「橘さん、まずは謝罪を。貴方は亡くなりました。スリップした車にはねられました。ただ、本来であればあの場で事故に遭うのは貴方ではなく別の人の予定だったんです。何の手違いか、貴方が事故に遭う結果になってしまいました。申し訳ありません。」
再び頭を下げた女性は、そのまま話を続けた。
「もう一件、貴方の恋人だった方の事故ですが、これも何かの手違いです。本来、あの時あの場で事故が起きる予定はありませんでした。別の場所で起こるはずの事故だったんです。」
内容は僕の予想通りだった。ならば、女性の正体も想像通りなのだろう。
「そのような話をするということは、貴女は『神』で間違いないのでしょうか?」
「はい、地球を管轄する女神の一人です。事情があって名は明かせませんが、ご了承ください。」
あぁ、やはりこちらも予想通りだった。
「話は分かりました。謝罪も受け入れます。ただ、この場ですぐに貴女を許すことはできません。僕のことは別としても、彼の事故については特に。」
「それは理解しています。簡単に許されるとは思っていません。ただ、謝罪と提案をしたく、本来であれば、そのまま転生の輪に入る貴方の魂をこちらの空間へ引っ張ってきました。」
「提案?」
「はい、こちらからの提案は2つ。1つ目は、このまま通常通り転生の輪に戻り、記憶を持たない状態で地球に転生すること。2つ目は、別の世界へ記憶を持った状態で転生すること。」
「別の世界……いわゆる『異世界』ですか。」
「はい。ちなみに、貴方の恋人にも同じ提案をしました。その方は、2つ目の案を受け入れてくださいました。」
彼女の言葉に、どこか納得できた自分がいた。彼なら、僕との別れを惜しみつつも、あまり悩むことなく受け入れただろうことが容易に想像できたから。
「本来なら、短期間に複数の人間を同じ世界へ転生させることは難しいのですが、貴方たち二人にはとても強い魂の結びつきがあります。また、本来の寿命よりも早く亡くなったため、魂のエネルギーが大幅に残っている状態なのです。今ならば、彼が転生した同じ世界へ貴方を転生させることが可能です。転生時期に数年の誤差は生じますが、ある程度近くに転生することも可能です。」
その言葉で、僕の心は決まった。
「異世界へ行きます。」
彼に、再び会える可能性があるのなら……。