ターミナル・ヴェロシティ
ドッペルゲンガーを見たことがありますか?
それともあなたがドッペルゲンガーですか?
ドッペルゲンガー。世界に3人いると言われる同じ顔の人間。都市伝説。出会えば死ぬ。
オカルトだ。誰も実在を証明できないし誰も見たことがない。というか、見たことがある奴は死んでる。――そう、これはオカルトなのだ。
じゃあもし、オ・カ・ル・ト・で・な・い・ド・ッ・ペ・ル・ゲ・ン・ガ・ー・がいたとしたら? 火のないところに煙は立たない。そのオカルト話の元になった話があるとしたら。
そいつが見つかったのは2022年のことだった。あるイギリス人と、全く同じ顔、同じ声、同じ性格、同じ身長、同じDNAの、同一人物。〈ダブル〉と名付けられたそいつはありとあらゆる方法で実験され研究されたが、その特異な存在が世間に明かされることはなかった。そしていつしか〈ダブル〉は1人でなくなっていた。〈ダブル〉の目撃例が世界中であがるようになると研究はどこでも行われるようになった。日本も例外ではない。人類が気が付かなかっただけでドッペルゲンガーは実在した。虹や雪崩のように、そこら中にあるありふれた現象の一つだった。〈ダブル〉が出現する事象は「重複化現象」と呼ばれるようになり、日本では〈ダブル〉への対策として厚生労働省直轄で「重複ちょうふく化現象対策課」――チョウタイが組織された。
長い説明でごめんなさい。何が言いたかったかって? ドッペルゲンガーなんて大したオカルトでもないってことかな。でもまだおかしなところがある。どうして〈ダブル〉に対・策・しなくちゃいけないのか。〈ダブル〉はどうして世から秘されたのか。〈ダブル〉にはまだ、秘密がある。
夜の東京の風が吹く。屋上から見下ろした。さっき23時を回ったはずだが池袋の明かりはまだまだ消える様子がない。
「おっと」
強烈な風に吹かれてバランスを崩しそうになる。背中をフェンスに押し付けて、靴裏の接地面積を少しでも増やした。ぼーっとしていれば意図せず落ちてしまう――どちらにせよ今から飛び降りるのだから同じことだが、自分のタイミングで行きたいのが人情だろう。
ここはサンシャイン60。完成当時はアジアいち高い建物で、飛び降り自殺を図る者が現れるまで屋上も開放されていた。私はお仕事で特別に入れてもらっているのだ。国家権力おそるべし。
「さて」
電車に乗るように踏み出した。一身に風を受けて目を閉じる。東京の明かりは全部消えて真っ暗闇。ぐんぐんと加速する。速くなって速くなって、空気抵抗を受けて終端速度へ近づいていく。地面に激突する自分を想像する。あと何秒だろうか。3、2、1
抵抗感は消え、百何回目かの落下は終わった。今回も死ななかったらしい。よかった。
すとん、とさっきでの運動エネルギーはどこへやらという優しい効果音とともに、オフィスの応接スペースのソファーに落下した。チョウタイの応接スペース。いつもの景色だ。高層ビルから落ちるとそこはオフィスなのだ。いやそんなことはないが、私にとっては慣れっこの道行きだった。
「ふぎゃ!」
真横からハスキーな悲鳴が聞こえた。多分同僚の三崎だろう。このソファでコーヒーを飲むのが三崎の勤務中唯一の楽しみらしくて、暇な時もそうでないときも大体このソファに座ってコーヒーを飲んだりボーっとしたりしている。
「バカ! 久地くじお前コーヒーこぼしたじゃんかよ。服にかかんなくてよかったー」
目を向けるとやはり三崎だった。ベージュの高そうなカーディガンにコーヒーが飛んでいないかチェックしている。彫りの深い端正な顔立ちに亜麻色のセミロング。確かに弁償だなんだと言われると厄介そうだ。この美人は何かといい服を着ているから。
「ん、ごめん。ところで、それかわいいけどなんてブランド?」
三崎はおしゃれが好きだから服を褒めたら大体許してくれる。
「え? これはハニークイーンてとこ。ちょっと高いけど最高! 久地もさ、顔かわいいんだからもっとおしゃれしなよ。そんなスーツなんか着ないでさ。もったいない」
「勤務中。私服みたことないだけでしょ」
「あーそう言えばそうかも。ていうかさ、ここまで戻ってくるためにまたアレやったの? 自殺もどき。普通に戻ってきたらいいのに」
言いつつ三崎は立ち上がった。こぼしたコーヒーを拭くものを取ってくるらしい。
「これが一番速いよ」
「そりゃそうだけど、よくやるよ。自分だったら絶対無理」
応接スペースから三崎が出ていったのと入れ替わりに事務の田村さんが入ってきた。くるっくるに巻いた黒髪が特徴的なこの女性はウチ、チョウタイこと重複化現象対策課で唯一の常識人だ。しかも一・般・人・。課長も一般人だけどあの人は絶対ヤバい。いざとなったら〈チーム〉の人間全員売って自分だけ逃げそうな気がする。その点田村さんなら安心の人畜無害感がある。
「あ、久地さん戻られてたんですね。明日から始まる例の特殊事例のプロジェクトの資料印刷しておいておきましたから見ておいてください。……またコーヒーこぼしたんですかあの人。雑巾何枚あっても足りないですね。今度新聞紙でも家から持ってきてストックしとかないと」
「分かりました。ありがとうございます」
ぶつぶつ言いながら田村さんがどこかへ行くと、すれ違いで三崎が戻ってきた。
「ほい、明日の資料ついでにとってきたぞ。田村さんが見とけって」
「うん、さっき聞いた。今会わなかった?」
「いや、コーヒーこぼしたから怒られるかと思って隠れてたんだよ。……それにしてもこんな奴本当にいるんだな。特殊事例のこいつ、死なないって、マンガじゃあるまいし」
特殊事例。普段チョウタイで処・理・している〈ダブル〉は誰でも超能力のようなものが使える。使えるから〈ダブル〉なのであり、使えないのが一般人である。〈ダブル〉はその超能力ゆえに研究され対策され、処理される。サイコキネシスやテレパシーの類の生活がちょっと便利になりそうな程度のものが多いが、まれに「不死」なんて大層なものを持ってるやつもいる。その超能力もどきを総称して〈ギャップ〉という。特殊事例の男、木田健吾の〈ギャップ〉は極めて厄介だ。
「殺せないんだもんな。死なないんだから当たり前だけど。殺してなかったことにできないならいっそ〈チーム〉に加えちゃおうってそりゃまた乱暴な作戦もあったもんだよ」
「いいんじゃないの。人が増えたら仕事が楽になりそうだし」
バケツに雑巾を放り込んで三崎はドカッとソファに座った。こちらまで揺れる。
「それはそうだけどさ。変な感じ。ついにチョウタイにも本物の〈ダブル〉が入るのかと思うとさー。自分とか三崎みたいなも・ど・き・じゃなくて本物のさ。めんどくせー」
確かにこのプロジェクトは面倒だ。木田を確保するところまではいつも通りだが、その後の監視体制やらなんやら、事後処理に普段の比じゃない面倒さがある。いつもなら三崎が〈ギャップ〉で五分ぐらいで終わらせるのに。
「スタート何時だっけ」
「11時。今のうちに仮眠とっときなよ。またサンシャイン上らなきゃいけないだから」
そうだ。私は明日もあのビルから飛び降りる。わけもなく憂鬱な気分になりそうだったが、慌ただしい足音が応接スペースの外から聞こえてきてハッとした。見やると田村さんだった。珍しい。いつもおっとりした人なのに。
「大変です! 木田健吾さんが!」
「木田って明日の? まさか行方不明になったとか?」
三崎が呑気に言う。
あれ? もしかして何かマズいことになってるのでは? 嫌な予感がした。田村さんの慌てぶり以上に何か虫の知らせのようなものが私を緊張させた。
「木田さんが死にました!」
「「は?」」
奇しくも台詞が被った。
木田が死んだ? 聞き間違いか?
「いやいやいやそんなわけないって。死なない、木田は死なないって、死なないから明日のプロジェクトがあってさ。だって自分が一回殺そうとしたんだってば。それできっちり殺したのに生き返りやがったから今回の――」
「落ち着きなよ三崎。田村さん、詳しく」
「監視組から連絡があって、その……木田さんの部屋から何者かが出ていったのを発見し中を確認したところぶつ切りにされた木田さんの死体があったと……」
「その侵入者は!」
「追跡しましたが撒かれたそうです。組織的な犯行かと……」
「またひょっこり生き返るんじゃないの!? 前回と同じでさ!」
「いえ、〈ダブル〉消失時の〈トリンケーブル反応〉が出ました……まもなく死体が消失していくはずです」
「じゃあさ」
自然と声が出た。憂鬱な気持ちはすでに去っていた。地上200mから見下ろすような明快さだけがある。
「行こうよ三崎。その現場に行こう。どこの誰だか知らないけどチョウタイの管轄荒らされて黙ってるわけにはいかないでしょ」
「マジか久地!? でもそうこなくちゃ! 準備してくる!」
「ちょっと! 三崎さん! 久地さんもどうしちゃったんですか? いつもそんなこと言わないのに」
「田村さんは課長に連絡お願い。でも、課長は多分オッケーくれるよ」
「……分かりました。でもどうして」
「チョウタイはさ、きっとこういうときのためにあるんだと思う。〈ダブル〉にもチョウタイにも、まだ秘密があるんだよ」
私にはあのビルから飛び降りる時のような清々しい確信があった。チョウタイは今やっと動き出す。不死殺しを追って――