愛の形。
午前四時
いつもは寝坊ばかりだというのに、今日に限って日も昇らないこんな時間に目が覚めてしまった。
夏の暑さと昨夜の運動でかいた汗、そして綺麗な液体で身体にべったりと張り付き固まったタオルケットをベリベリと引き剥がして、ゆっくりと身体を起こす。
冷房を止めて窓を開け放てば、夏の生暖かい風が新聞配達の音を乗せて服の代わりに私の身体にまとわりつく。濡れた身体を乾かそうともしないで。
こんなに不愉快になるのなら窓は開けない方が良かったかもしれない。窓を閉めて冷房を入れ直すと、ベッドの上に目線を落とした。
そこにはまる雪のように真っ白な肌をした愛しい人が、静かに可愛らしく顔を歪ませて眠っていた。その芸術品のような美しい身体を深紅のドレスにつつまれて。
私は、愛しいその人の肌にそっと触れる。ハリのある彼女の肌はなぜか死体のように冷たくて、けれど私には身体の奥底から生まれる確かな暖かさが感じられた。
本当なら、今すぐ彼女に抱きついてその身体を愛したい。けれど彼女との約束があるから仕方ない。それを我慢して優しく頭を撫でながらその寝顔を眺めるだけで我慢する。
どれくらいの時間が経っただろう。少しずつ空は白んできて、それとともに蝉たちが騒ぎ立てる。私は静かな方が好きなのに、これじゃぁ気分が台無しだ。それにあんまりうるさいと彼女が起きてしまう。
歯をかみしめて悪夢にうなされるようにすやすやと眠る彼女の額にそっとキスを一つ落とすと、起こさないようにゆっくりとベッドから降りる。
ベッドの脇には小さな水たまりが出来ていて、生ぬるい液体が私の足に絡みつく。なんとも気持ち悪くて、けれどこれが彼女の一部であると考えるとそれもまた興奮する。
ペタペタと地面に足跡を残しながらシャワールームへと歩いて行く。
冷水のシャワーとフローラルな石けんが汗とあの人の深紅のドレスを洗い流していく。
私の身体から愛しい人が流れていって、代わりにいつも彼女のまとう香りに包まれる。これはこれで私と彼女が一つになったような気がして気持ちが良い。
全身を綺麗さっぱり彼女の匂いに包まれたところでキィと浴室のドアが開く。
目の前の鏡には何も映っていないけれど私には分かる。そこに愛しい人がいるということくらい。
「まったく……。妾の身体をこんなに汚しおって」
どこか時代錯誤なそして高貴な口調で彼女は話しかけてくる。だけどその言葉の節々にはとげが突いていて、それは私の身体に突き刺さる。
「本当に……どう責任とってくれるのかえ?」
私の背中にべったりと赤を塗りながら彼女は耳元でそう囁く。
「責任も何も私はあなたを愛しただけ。それは貴方も同意の上でしょう?」
「どこに人を愛するのに身体をナイフで刺して内臓を引き出し食らうような人がおるのだ。そんなのは愛とはいわんぞ」
そんなことはない。私にとってはいつだって、親からの愛は真っ赤だった。頑張ったときも、ダメだったときも。お父さんとお母さんは私の身体を真っ赤にして愛してくれた。私だってお父さんとお母さんを同じように真っ赤に愛した。だから私にとっての愛は赤くて、鮮やかで、暖かくて、美味しい。だから私はそんな愛し方しか出来ない。それに。
「あなたはいつだって私の愛を受け入れてくれるじゃない。もし仮に私の愛がおかしくても、貴方はそれを受け入れてくれる。何回刺しても何回内臓を食べてもあなたはこうしてそれを受け入れてくれる。だから問題ないでしょう?」
背中の向こうで、彼女の表情が歪んだ気がした。細長くて綺麗な爪が私の背中に突き刺さる。少し痛くて、凄く気持ちいい。彼女もまた私を愛してくれているのが伝わってくる。
「やっぱりあなたも私のことを愛してくれているじゃない」
「ッ――」
私の言葉に反応して彼女の爪がより強く私の背中に刺さる。もういくつあるのかも分からない背中の傷は、こうして出来た彼女からの愛の印。
「ねぇ。もっと私を愛してよ。私は貴方みたいに強くない。お腹を裂かれたり心臓を刺されたりしたら死んじゃうけど……それが貴方からの愛なら喜んで受けるもの。ねぇ。私が貴方を愛するみたいに貴方も私をもっと愛してよ。おねがい。もっと。もっと。もっと私を愛して!」
私は彼女に愛されたい。その結果死んでしまうとしてもかまわない。そう彼女を見れなくなってしまうのは悲しいけれど、その時きっと彼女は私を食べてくれるはず。そうすれば私は彼女と一緒になれる。私は今まで彼女の色んなものを食べてきた。髪の毛も、目も、内蔵も。好き嫌いせずになんだって食べてきた。そして、彼女はそれを全部受け入れてくれた。そうして何回でも私の元に返ってきてくれた。
だから私も彼女にそうされたい。私は帰ってくることは出来ないけれど、それでも彼女と完全に一緒になることは出来るから。
「うるさい!」
まるで起こったかのように彼女は叫ぶ。
「黙れと言っているだろう!」
私はこんなにも彼女を愛していて、彼女も私を愛してくれているのに意味が分からない。
動きの止まった私の首筋に彼女はかみついた。
彼女の長い歯が私の肉に突き刺さり、血管に穴を開ける。その穴から血が流れだし彼女の体内へと流れ込む。
「んんっ……あっ――」
同時にこの世のものとは思えないくらいの快感が私の全身を駆け巡る。一人で慰めるよりも、彼女を食べるときよりもずっとずっと気持ちが良い。
「なんだ……。お腹がすいていたのね。それならうるさいなんて言わないでそう言ってくれれば良かったのに」
彼女はきっと口下手だ。お腹がすくと怒ったようにかみついて、私の血を吸っていく。可愛らしく表情を歪ませて。
「こんなにまずいもの、妾は飲みたくはないだがの」
「どうしてそんなことを言うの? いつも私の血を飲んでくれるのに……」
彼女はいつだって私の血をまずいという。そんなに綺麗に顔を歪ませて、毎日毎日飲んでくれているというのに。誰だってまずいものを何回も飲みたいとは思わない。だからきっと彼女の言うまずいは美味しいの裏返し。
「呪いさえなければこんなまずい血なんぞ染みたくもないわ! 呪いが解けたら貴様なんぞすぐに殺してやるからの!」
「私は呪われてなんかないよ? じゃなかったらこんなに愛されて幸せに生きるなんて出来ないもの。それにもし呪われているとしてもあなたが解いてくれるんでしょう?」
彼女は私のことを呪われているという。そうしてその呪いが解けたら殺すとも。きっと彼女は本気で言っている。つまりその呪いが解けたとき、彼女は私を本当の意味で愛してくれるはず。きっとこれは私たちカップルに課せられた天からの課題。
「あーあ。早く呪いが解けないかな。そうしたら貴方は私のことを本当に愛してくれるんでしょう? 私、楽しみに待ってるね」





