侵略のち逆襲。あるいはときどきの探索。
20XX年、突如として発見された未知の孤島と、その中心に存在する謎の穴。調査を重ねるごとに謎の深まっていくばかりであったその穴の先は、別世界であるという驚きの結論に達した。
大気組成、毒性、感染症、気圧、気温、天候、物理法則……各種調査の結果は、人類が生きていくのには充分であった。
満を持して投入された調査隊は、新天地の予感に胸を膨らませる人類の期待を背負って半年間の開拓事業を行った。
次第に人類の拠点が出来上がっていく様は各メディアで大々的に報道され、人類には輝かしい未来が約束されたかに思えた。
期間満了と同時に帰ってきた彼らが持ち帰ったのは、一体どんな未来か。
……あるいは、予想だにしなかった可能性か。
「――――Urrsduk n armsik g utab!」
「うるっせぇなぁ。いつもいつも何て言ってんだよこの女。」
やけにヨーロピアンな森の中の村、こちらを睨んでくる原住民から離れながら、第一期異界調査班――――通称「先遣隊」として雇用された民間軍事会社の一員であるマイクは、汚く言葉を吐きだした。
「マイク、気を抜くな。ここは戦場だぞ。」
「はいはい分かってらぁ。でも、これぐらいいいだろ。」
同僚達からの窘める声に、噛みつくような態度で不平を述べる。
未開の土地を切り開き、地球とはまるで違う文明と遭遇し、世界の謎を解き明かしていき、徐々に親睦を深めていく。そんな英雄譚じみた仕事だと思っていたのに。
「いざ始まってみれば原住民を虐めただけ、なんて……俺達が来た意味なんてあったのかよ?」
「口に気をつけろよ。こちらからの敵対的な行動は禁止、そういった差別的な発言にも注意しとけ。」
「ハイハイ。我らが上官殿は聡明でいらっしゃる。」
そう言ってスタスタと歩き出す仲間たちを慌てて追いかける。
まぁ焦る気持ちも理解できる。何せ今日は半年ぶりにあの「入口」を通る日。帰還日なのだから。
「なぁ、そういえばあの話は聞いたか?」
「あの話? そりゃ何の話さ。」
「村の外に出てった部隊が壊滅したって話だよ。」
「ハッ、そんなの嘘に決まってんだろ。お前村の奴らを見たのか? 剣の一本だって持っていなかっただろうが。この世界の奴らじゃ、蚊の一匹だって殺せねぇよ。」
「違いねぇ。」
そうやって気を緩め始めていた時だった。隣を歩いていた同僚が、ふと顔を上げた。
「何か聞こえないか?」
一瞬、何が言いたいのかまるで分らなかった。
音と言えば、森のさざめきや見たことのない虫や鳥もどきの出す騒音、風の吹く音の他には、少し離れている川の音ぐらいしか聞こえる音は存在しない。
「一体何が聞こえるっていうんだよ? 今までは耳でも塞いでたってか?」
「お前らこそ耳にクソでも詰めてんのかよ? 布を振ってるみたいな音、聞こえるだろ!」
まさか怒鳴り返されるとは思わず、世界に耳を傾けてみる。……言われてみれば確かに、そんな気がしないでもない。だが、一体何がそんな音を立てているのか、皆目見当もつかない。
「音が聞こえるからなんだっていうんだよ。あの村の住人がよくわかんねー事でもしてんじゃねえのか?」
「だといいけどな。」
緊張が流れていく。
決壊する寸前であったそれを、仲間の言葉が助長させる。
「……やっぱり聞こえる。近づいてきてるよ。後ろからだ。何か来てるんだよ!」
大丈夫だ。まだパニックにはならない。まだ落ち着いている。少し警戒度が上がっただけで、問題なんてない。
そう言い聞かせてはいても、手は銃へと伸びている。
「落ち着け。音を立てないようにしよう。早急に広場へ向かうぞ。」
仲間の言葉に大人しく従う。荒ぶる息を整えて、嫌な予想を取り払う。全員で周囲に視線を配りながら、未知の何かから離れていく。
しかし、その「何か」は離れてくれない。
音は大きくなっていき、その正体にも見当が付き始める。
「……何かが飛んでる、のか……?」
羽ばたきの音だ。何かが空を飛んでこっちへ向かっている。次第に音は大きくなる。
その羽ばたきが、急にその速度を上げた。
「おいおいおいおい、ヤバいんじゃないのかこれは! 逃げた方がいいんじゃないのか!」
「落ち着け! この速度だぞ、逃げても間に合うわけねえだろ! 森だ! 森の中に隠れ―――」
仲間の賢明な判断は、瞬間的に襲来した圧倒的な暴力によって中断されてしまった。
大地に刺さった一本の柱が、人一人を惨殺した。人の痕跡はちらりと覗く手足だけ。柱の正体は、巨大な怪物の前足だ。
その前足は細くありながらも武骨。肘までの長さは三ヤードほど。そこから鳥の足のように伸びる四本の指と、鎌のように伸びる長大な爪は残酷なまでに鋭利。遠目から見ても分厚さの程が窺える鈍色の鱗は、鈍く太陽光を反射させている。
「……は、ドラゴンかよ。」
そんな凶悪な前足に繋がる胴体も超常的な威圧感を誇っている。巨岩の如く天を突く肉体は、およそ現実世界のものとは思えぬ肉体美。数十ヤードの長さの尻尾と、空の半分を覆い隠す翼。それら全ての上に伸びる顎は強靭にして強大。
「GRUUUOOOOOOOO!!!!」
怪物の声が辺りに響き渡る。灼熱を帯びる両眼が地上を睨み、10mの距離差を経て目と目が合う。
その怪物の姿は、伝説に聞くドラゴンそのものだ。
一目見ただけでわかる。
あれは殺意を帯びている眼だ。殺す視線だ。
それを周りも理解したのだろう。錯乱状態に陥るのは一瞬だった。
「うあ、あぁぁあああ!!」
銃を撃つもの。
通信を試みるもの。
俺のように背を向けて逃げるもの。
5.56㎜口径のアサルトカービン、M4の銃撃を受けても平然としている怪物は、血の垂れる前足を一歩踏みしめて、その口に焔を溜め始める。
三秒の停滞の後、口が解放された。地面に押し寄せる焔の奔流が、大地を焦がし人を燃やしていった。
背を向けて走る。息を荒げて、嫌な予想から必死に逃げる。
銃はとっくに棄てた。少しでも体を軽くするために、水筒、無線機、医薬品等々も捨てていく。
無理だ。あんな奴に勝てるわけがない。あぁ! こっちに来るな! くそ、逃げるならバラバラに散ってくれ。俺の方に来るな! 嫌だ嫌だ嫌だ。こんなところで死にたくない! やめろやめろやめろ来るな来るな来――――
衝撃に体が襲われて、マイクの意識は閉ざされた。
20XX年8月、北太平洋で未知の島が発見。調査の際、生物の存在は一切確認されず、そんな謎の土地の中央で謎の穴が発見された。
同年12月、穴についての調査が開始される。各界の専門家が集まり、穴の正体について調査が行われた。調査の結果、穴は別の世界に繋がっているという事実に辿り着いた。
その後無人機探査等を経て、「向こう側」の大気組成、生態系などが判明。
結果は人類が生きていくのに十分で、新天地の予感に世界中が歓喜した。
そして、今。
誰が呼んだか「入口」と呼ばれる彼の穴の先で初の有人探査が実行されて半年。
凄惨な結果が人類にはもたらされた。
先遣隊は壊滅。生存者は1%未満。話を聞こうにも統一性のない言葉の羅列ばかり。
かろうじて断片的な映像記録と生存者の証言から、「向こう側」には未知の敵性生命体が存在することが判明。各国はこの未知への対応を急速に迫られることとなった。
この世界的混乱が収まるまでには半年が必要とされ、その間に多少なりとも世間は変化し、一部の国家はそれを利用した。
曰く「あんな危険な世界の住民を、我々は早急に保護しなければならない」。
大義名分が建てられて、世論も探索を求めている。我々を止める者はどこにもいない。
「――――以上が、「入口」と「向こう側」についての情報だが、ここまでで何か質問はあるか?」
米国某州の古びた飲食店で、光量の足りてないライトに照らされながら、筋肉質な男と華奢な男が向かい合って座っていた。
筋肉質な男の名はアルバート・ターナー。知る人ぞ知る冒険家兼写真家である。
向かい合う華奢な男はヘイニ―財団の役員のようだ。交渉は始まったばかりである。
「質問か? あるよ。そんな話をわざわざした意図とかな。まさか俺にも「向こう側」へ行けとでも言うのか?」
三分の二ほど残っているグラスを指でなぞりながら、アルバートは交渉相手へと問いかける。
「あぁ、察しが早くて助かる。その通り、我々は君に「向こう側」の調査を依頼したい。もちろん、一人で行けなんていうつもりは無いさ。各界から我が財団の交渉に応じてくれた者達が君と共に行くこととなっている。安全面に関しては先遣隊よりも高いはずだ。」
「へぇ、そいつは凄い。そんな中に俺が混ぜていただける理由は?」
肩をすくめるアルバートだが、言葉に反して彼には心当たりが存分に存在していた。
「とぼけないでくれるかな? 第一期異界調査班。99%が未帰還者となったあの惨劇で、あなたは数少ない生還者となっただろう? 今、この世界においてあなた以上に「向こう側」を知る人物はいない。」
アルバートは腕を組んで下を見つめていて、その表情は窺えない。だが、交渉相手の方はと言えば手応えを感じていた。
「我々は知っている。あなたはあんな悲劇で心を折られる人物ではないとね。どんな困難に阻まれても、その勇気と知恵で乗り越えてきた。そんな21世紀のコロンブスが、この未知への冒険を諦めるのはずがない。」
「は。煽ってくれるじゃないか。そこまでして、「向こう側」に一体何を求める?」
「簡単だ。我々の目的はいつだって変わらない。
人類の発展と、利益だよ。」
アルバートは交渉相手の目をじっと見つめてから、迷うようにグラスへとゆらゆらと右手を伸ばす。中に入ったウィスキーに視線を移してから、グイッと飲み干して口を開いた。
「分かった。この話を受けよう。ただし、一つだけ言っておきたいことがある。――――損を出したくなければ、絶対に手を抜くな。」
「ありがとう。それでは報酬と日時についてだが――――」
空になったグラスを置いて、相手の前へ右手を差し出す。
相手もそれを握り返したこの瞬間、交渉は成立した。
この交渉の抱えることとなる重さを、彼らはまだ理解していない。
侵略はこれから始まっていくのだから。





