勇者のいない魔王討伐
勇者が死んだ。魔王を倒す使命を持つ、人類の希望その人が倒れたのだ。
勇者が死んだ以上、魔王を倒せる可能性は万に一つ。
残された仲間たちは、行くも地獄、退くも地獄の選択肢を突きつけられる。
それは魔王軍の四天王最後の一角、もっとも手強い敵を倒したときのことだった。
勇者一行の四人、誰もが予想外のできごとが起きた。
――勇者ユリウスが死んだのだ。
激戦だった。
誰が死んでもおかしくない戦いだった。
全員が死を近くに感じ、覚悟していたことだろう。
だが、それでも勇者だけは死なないだろうと、誰もが思っていた。
あるいは死んだユリウス本人でさえ、自分が死ぬとは思っていなかったかもしれない。
彼は勇者一行の中でも群を抜いて強かったからだ。
魔王を倒すもの、勇者として授けられた様々な神からの加護を持ち、圧倒的な身体能力と戦闘センスを兼ね揃えたユリウスは、ただ一人で仲間の三人と匹敵するほどの実力だった。
勇気に溢れ、意志が強く、誰よりも正義感を持って優しさを振りまく人だった。
強さをひけらかすこともなく、冗談が好きで、ちょっぴりナルシストで、世界が平和になれば勇者モデルとして服飾の仕事をしたい、などと周りに公言する人でもあった。
もう、二度と口を開くことはない。
心臓に深々と突き刺さった四天王の鋭い爪牙が、彼の命を奪ってしまったから。
荒れ果てた原野に、ユリウスの遺体が横たわっている。
重厚な鎧は引き裂かれ、多量の血に塗れている。
ユリウスの顔は、まるで信じられないものを見たように、目を見開いていた。
「ユリウス……なぜ、なぜ私を庇ったのですか」
仲間たちが周りに集まっていた。
亡骸の横で膝をつき、滂沱と涙を流すのは僧侶のエレンだ。
四天王の最期の反撃に狙われたのが彼女だった。
自分が死ねば良かったのに、とエレンは本気で思った。
高位の神聖魔法の遣い手であるエレンは、蘇生魔法も扱える。
だというのに、四天王の呪いがあまりにも強く、どれほど祷りを捧げても、ユリウスが目覚めないのだ。
自分が戦いの足を引っ張り、その上蘇らせることもできない。
勇者一行の一人だというのに、もっとも大切な仕事を果たすことができない。
無力だ、とエレンは思った。
「エレンのせいじゃない。タゲを取れなかったアタシの責任だよ」
「貴女はもうギリギリの重症だったじゃないですか。悪くありません」
「誰が悪いわけじゃありません。ただ、力及ばなかった、それだけです。自分の責任に背負い込むのはやめなさい」
エレンを慰めるのは、重戦士のカルアと賢者のココルだ。
カルアの盾と鎧は切り裂かれ大破し、ボロボロになっていた。
賢者ココルは魔力尽き果て、白い顔色をしている。
目の周りは深いくまが覆われて、見ているだけで心配になる有様だ。
誰もが疲れ、傷ついていた。
肉体的にも、精神的にも。
このままここで、慰められればどれほど良かっただろうか。
だが、ここは敵地のど真ん中。
どれだけ悲しくとも、長くい続けることはできない。
埒が明かない、と考えたのだろう。
深い、とても深いため息をついたココルが、話を切り出した。
勇者の亡骸と、エレンとカルアを順番に眺める。
疲れ切った瞳は、昏く濁っていた。
「それでどうするのですか?」
「どうするって……何がだよ。お前はよくそんなに冷静にいられるな」
「私が……何の感情も抱いていないとでも?」
「あ、いや……すまない。失言だった」
静かな口調に、ほんのわずかに滲み出る大きな怒りに、カルアがごにょごにょと言葉を濁らせた。
余裕がなかった。
こんなときにいつも仲裁し、仲を取り持つ存在がユリウスだった。
そのことにふと気づいて、また誰もが辛さを感じる。
「良いでしょう。貴女も私も、平静を欠いているのですから。私はこれまでも皆さんに考えを述べて、方針を示してきました。これが、私の役目だと心得ています」
「……お願いしましょう。貴方の考えを聞かせてください」
涙に真っ赤に腫れた目をしたエレンが、鼻声になりながら訊ねる。
強い女性だった。これだけ心拉がれているのに、なんとか立て直そうとしている。
賢者ココルは努めて平静を装い、次の選択肢を提示する。
「勇者は亡くなりました。もはや、これはどう足掻いても覆らない現実です。その上で私たちが取れる手段は限られています。一つは、このまま魔王に挑むこと」
「でもそいつは厳しくねえか……?」
「そうですね。私たち三人が力を合わせて、命をかけた所で勇者に並ぶかどうか。魔族が強いものほど偉くなるということを考えれば、ほとんど勝ち目はないでしょう」
魔王は強いだろう。
本来魔王を倒せるのは、その対となる存在である勇者だけである。
勇者に神の加護があるように、魔王にも加護とも呪いともつかぬ、強力な力があるという。
万が一にも勝てぬとて、敵を討つというのは魅力的に映った。
「次の選択肢は、一度退いて、誰か救援を募るということです」
「ですが、もともと私たちは追加の仲間を募っていました。それができなかったからこそ、今の窮地があるのではないですか」
「あの頃は勇者がいましたから。彼がいればなんとかなる、と人任せにしていた人たちも、事態を知れば考えを改める可能性があります。もっとも、私はもっと悪い可能性も考えていますが」
「それはなんなんだ?」
重戦士のカルアが率直に聞く。
頭の痛い問題をまっすぐに訊ねられるのが、カルアの長所だが、ココルは少し言葉に詰まった。
「……私たちが敗戦の責任を問われる可能性です。勇者を失ったのは余りにも痛手でした」
「バカな。魔王軍と正面から戦っていたアタシたちが責任を問われるだと?」
「残念ながら……自分の知る限り、権力者のやることには信頼していますので」
「……きっと保身に走るのでしょうね」
「僧侶の言うとおりですね。彼らは自分たちの判断ミスはけっして認めようとはしないでしょう。保身に走る能力については、ダントツに優秀ですから」
「くそっ、じゃあ勝ち目のない戦いに行くしかないっていうのか!?」
カルアが悔しそうに叫んだが、それはまだ判断が早すぎる。
「そこで、最後の三つ目です」
ココルは最後の一つを提案する。
これこそが、ココルにとってはもっとも選んで欲しい選択肢だった。
ただし、選ばれること可能性が少ないという予想もあった。
「勇者がいない今、戦うのは無謀。まっすぐ帰るのも自滅行為。姿をくらませる、というのも一つの手でしょう」
「私たちが隠れるのは難しくありませんか? どれだけの人間が顔を知ってるか……」
「有名人ですからね。おそらく街中で生活することは不可能でしょう」
エレンの指摘にココルは素直に認めた。
騙した所で、すぐに露見する問題だ。
人混みにいれば誰かしら、疑う人間が出るだろう。
だが、手がないわけではない。
「私たちが帰らなければ、四天王を倒した魔族はどのように宣伝するでしょう? 彼ら権力者たちはどのように判断すると思いますか?」
「勇者を倒したと必ず伝えるでしょうね」
「アタシたちも死んじまったって誤解させるってことか」
「そういうことです。生きていると思えばこそ疑いますが、広く死んだと知られれば、よく似た人と捉えられるでしょう。人間の思考とは、案外操作しやすいものですから」
貴族が民衆に対してよく行う思考の誘導を、魔王軍を利用して行うのだ。
必ずや奴らは宣伝するはずだ。
ココルは自分の考えの成功率の高さを勘案しながら、力を込めて説得する。
しかし、反応は鈍い。
とくにカルアの態度は消極的だった。
「でもよ、アタシたちが戦わなくなったら、人間は負けるんじゃないか?」
「もとより勝ち目はありません。できる限りの最善は尽くしました私は自分の命を捨ててまで、人類に捧げるつもりはありませんよ。それに……」
「それに、何でしょうか……?」
「もしかしたら、この世のどこかに新たな勇者が誕生しているかも知れません」
「随分と都合のいい考えだな」
「認めますよ。正直なところ、可能性はありません。ただただ希望を失わないために言っているだけですから」
今まさにユリウスが死んだばかりなのだ。
あらたな勇者が誕生するとして、いったいいつ生まれるのか。
そもそも生まれるのか。何の保証もないのだ。
「さあ、どれを選びますか? ここまでご一緒した仲です。バラバラに行動してはかえって可能性を閉ざしてしまうでしょう。一蓮托生、私も最後までお付き合いしますよ」
賢者の言葉に、しばし沈黙が場に満ちた。
そして、選んだ選択肢は――。





