アダルティ・チルドレン
嘘や裏切り、罪悪感を抱くと、大人へと成長してしまう異世界カルバーナ。そこでは大人とこどもが日々、物資と命の奪い合いをしていた。
冒険を求め、異界にやってきた主人公アルマと友人ルイは、早々、死ぬか殺すかの選択を突き付けられる。
純真無垢なアルマ、打算的なルイ。その性格の違いから、ルイは段々と大人への変貌を遂げていく。しかしカルバーナから元の世界に戻れるのは、子どもだけだった。
それを知って、自分がもはや手遅れだと理解したルイは、悪逆非道の大人陣営に組入り、裏からアルマを支えるため血で手を汚し、心を荒ませていく。
対するアルマは諦めず、こども陣営に身を置き、2人一緒に帰る方法を探すため、仲間と旅にでる。対立する大人とこども、2人の親友。
すさむ一方のルイと、無垢なアルマ、その差が2人の関係にヒビをいれる。
やがて2人が出会うとき、彼らは果たして、友か、敵か。ダークファンタジー。
「うわ、きっしょ……」
彼が手を触れると、それはネットリと水気を帯びてねばついた。
思わず顔をしかめ、手をブンブンと振り回す。
ライトで照らすと、壁には一面、青色の苔だ。
僅かに濡れた青色の苔と、汚く伸びた茶色の枯草が、まるで石壁を隠すようにビッシリと張り付いて生えていた。
一見それは、不衛生なただの石壁。
しかしそうじゃないことを、彼らは知っている。
「開いた……もんな」
なぜなら少年らの前で、その壁が開いたからだ。――壁ではなく、隠された扉。それも、苔や草の具合から言って、もう何年も開かれていないような扉が、触らずに、ひとりでに。
まるで2人を、或いはどちらか1人を――待っていたかのように。
扉の奥を照らしても、どうやら濃霧が立ち込めているようで、スマホの光では先が見えない。
「へへ、ようやくだ。俺たちは、こういうのを求めてたんだ!」
非日常に重なる非日常に、友人ルイの言葉が好奇心で震える。
それを横で聞きながら、アルマは濃霧を見据える。
「それで、どうする?」
「どうするって、何がだよ? 行く以外に、どんな選択肢があるってんだ?」
2人の少年は、同時にニヤリと笑い合う。
互いにどうしたいか、2人にはもう、分かり切ったことだった。
らんらんと輝く2人の視線は、もはや扉の奥に釘付けだ。
濃霧なんて関係ない。目の輝きが、2人に道の奥を照らす。
驚きと、興奮と、期待。
それらの感情を入り乱らせながら、2人は足を前に出す。
心臓が高鳴る。鼓動がワクワクで騒ぎ出す。
「俺、この感情が何て言うのか、知ってるぜ。……――冒険って言うんだ!」
そうして2人は、足並み揃えて、奥へと踏み入った。
冒険と、冒険ごっこは違う。それを突き付けられたのは、その直後だった。
◆
気を失っていたのだろうか、はっとして我にかえると、地面が揺れていた。
いや違うと、アルマは目で情報を集める。
「ボート?」
「あ……?」
同じく気づいたのだろう友人ルイの間抜け面を見て、同じ心境なんだと、少し安心する。
彼らはいつの間にか、手漕ぎボートに対面して座っていた。
5人は乗れるだろう大きさだ。
辺りは夜のように暗かった。
その理由は、緑色に淀んだ暗雲のせいか、視界を奪う霧のせいか、それとも黒く濁った汚水のせいか。
「でも、なんで?」
「おい、あれ!」
慌てるルイの言葉に、同じ方向に視線を向ける。
沈むまいと必死だったのだろう、上半身だけを大きな樽に乗せ、女性が力なく血を流し漂っていた。
しかし、ルイが示したのは、その傍らにいる男。
水上に立っている男は、その手に、血濡れた短剣を握っていた。
「子ども……?」
上半身は裸で、赤褐色の肌。下半身に灰色のズボンを履いた男だ。
動物の頭蓋だろう、ツノの生えた不気味な面を被っていて、その表情は見えない。
だが顏が分からずとも、その男が友好的でないことは、彼がナイフを投げようと構える動作から分かった。
狙いはルイ。
「嘘だろッ!?」
瞬時、男がナイフを投げるよりも先に、防御ではなく回避を選んだルイが、ボート上でしゃがみ込む。
力を溜められたナイフは、しゃがんだルイの頭上を一直線に過ぎ去った。
とても目では追えない速度で空気を切り裂いたナイフは、そのまま誰も負傷させることなく、カッ! という音を伴って、ボートの内側に突き刺さる。
「ちっ!」
男は舌打ちすると、腰にさしたサヤから鈍色の剣を抜いた。
「は!? 剣!?」
間一髪、ナイフを避けたルイが立ち上がりながら、恐怖に目を見開く。
「! く、来るよ!」
咄嗟に、2人はボート上に置かれていた木製のオールを手に取った。
頼りないが、ないよりはマシだった。
「子どもは、殺すッ!」
ゴゴゴというモータ音が唸る。男の足元から無数の気泡が出てくる。
そのモーター音が一層けたたましく唸った。ボコボコも大きくなり、気が付けば、男はものすごいスピードで接近してくる。
「迎え撃つぞ!」
「お、おう!?」
ルイの言葉に同意し、頼りない木材を、より一層強く握りしめる。
2人の様子から反撃の意思を理解したのか、お面で表情が見えないはずなのに、男がニヤリと笑ったように見えた。
2人の背中に悪寒が走る。
死を感じさせる腐敗臭、無残な女性の死体、肉薄する赤褐色の男。
鈍色な剣の一撃は、突進の勢いと相まって、凄まじい勢いで放たれた。上段からの袈裟斬り。
容赦のない一閃は、ルイが上段に構えたオールを容易く叩き切った。
「ぐっ!」
致命傷は避けたものの、男の剣の切っ先は、ルイの体の表面を僅かに斬る。
「ぎっ!」
恐怖と痛みに、ルイの顔が見たこともない表情に歪む。
アルマは恐怖を忘れ、吠えた。
「ルイ! くそっ。嫌だ、死ぬのは、死なせるのは、いやだッ!」
言葉が勝手に口を出た。思うより先に決断し、決断するより先に体が動いた。
背中から引っ張るようにして振りかぶり、アルマは思い切り、男の後頭部に木材を叩きつけた。
バギャン! と木の砕ける音が響き、アルマの両手がジンジンと痺れる。
あまりの手応えに心臓が高鳴る。砕けたオールを放り投げ、アルマは男を見た。
男は、まだ立っている。だが動かない。
仮面を被っているせいで意識があるかも分からない。
アルマとルイが肩をこわばらせ、男の全身を注視する。と、ピクリと男の指先が動いた。
「まだ生きてる!」
ルイが咄嗟に叫んだ。そして彼は、自分の言葉の真意を一瞬で理解する。
まだ生きてる。『だから、殺せ』
言外に込められた自分の意思。その暴力性に唖然として、思わず動きが止まる。
その間にも男は回復し、2人を殺そうと、ふらつきながらも剣を下段に構える。
近くにいたルイによろめきながら近づき、男が力なく呟いた。
「……せめて、貴様だけでも……!」
逃げようとするが、ルイの体は動けなかった。
顔面蒼白になりながらアルマに助けを求めようとして、先刻、男が投げたナイフが目に入った。
そして、魔が差した。
「刺せ!」
ナイフは、アルマよりもルイの方が近い。そのことには2人とも気が付いていた。
しかし、アルマは動いた。友達を守るため、友達を死なせないため、彼はナイフをボートから引き抜き、振り向きざま――
「う、あ。うぅああぉあああああ!」
無我夢中に、その行為に悲鳴をあげるようにして、アルマは男の腹部にナイフを突き刺した。
ズブリと、人肉に食い込むナイフの感触がねっとりと手にまとわりつく。
「っ、ぐ、ふっ」
そんなうめき声を発し、男は前のめりになって倒れた。ゴンっとボートのふちに頭をぶつけ、暗い水の中へと沈んでいく――。
男を殺し、戦闘から解放されるなり、2人はボートの上でどっさりと尻もちをついた。
その途端だった、2人の視界が真っ白に奪われた。
「なっ!? 今度はなんだ!?」
「おや? 自分たちで来たんじゃないか」
ルイの叫びに、聞きなれない老婆の声が揺らいだ。
ルイの背後、ボートの進行方向の先端に、いなかったはずの、藍色のローブに身を包んだ老婆が座っていた。
「訊きたいこともあるだろうけどね、まずはようこそ、カルバーナへ」
慌てて立って飛びのき、ルイが老婆から離れる。
「年々、子どもが減っていてねえ。10年に1度、カルバーナはよその世界から子どもを食らうのさ。お前たち、年齢は14ってとこかい、まあ及第点だね」
老婆の発言に、存在に、全身に悪寒が走る。
その震えに言葉を乱れさせないよう、アルマは慎重に口を開いた。
「おまえは、なんだ?」
「誰だ、ではなく、何だ、ときたか。クク、勘が良いねえ坊や。あたしはこの世界の意思さ。怯えなくとも、あんたたちはもうあたしの胃袋の中さ。殺しは、しない」
ボートが進むにつれ、霧が濃くなっていく。老婆の姿が、消えるように白くなっていく。
「いいかいお前たち。ウソをついちゃあ、いけないよ。この世界で大人になると、帰れなくなるからね……」
「どういう意味だ! さっきの男は何だ!」
間髪入れず、ルイが詰問する。しかし、老婆はまともに返答する気はないようだった。
「大人は汚く、子どもは純粋だ。だが、それと善悪は別だ。よく見極めることさ」
真っ白い霧にボートごと包み込まれる。アルマとルイの視界が奪われる。
まったくの視界ゼロだ。
この変な老婆に連れ去られるかもしない、そう不安に駆られたアルマは、すぐに声を張った。
「ルイ! いるかっ!」
「ここだ!」
記憶していた友の位置と声を頼りに、手を結ぶ。空いている方の手でポッケをまさぐるが、入れておいたはずのスマホがない。
「くそっ! なんだんだよ!」
苛立ちと恐怖、不安と焦りの色を滲ませ、ルイが吠える。
やがて2人を包んでいた霧が晴れると、もうそこに老婆の姿はなく、ボートには彼ら2人がいるのみだった。
「んぐっ? がっ!」
途端、ルイが痛みを訴えるように胸を押さえた。ルイの体が、黒い光で覆われていく。
やがて光が収まり、アルマが目を凝らすと……ああ、ルイの姿が変わっていた。
突き出た喉ぼとけ、伸びた髪、完璧に声変わりした低い声。
「る、ルイ?」
「……なんでだ、俺、嘘なんか、ついてねえぞ……?」
3歳ほどだろうか、成長した友が、そこにいた。
血濡れたボートのうえで立ち尽くす。
『大人になったら戻れない』
老婆の声が、重苦しい異世界で、低く轟いたような気がした。





