記憶、懐かしき日々
少年は再び、階段を登っていました。
その周囲は何もなく、眼下に小さく町並みが見える程度となっています。
しかし、今の少年にはそれへの何の思いも考え出すことが出来ませんでした。
少年の思考は皆、少年の眠りを嘆き悲しみ続けている母親に向けられていました。
自分はもう、あそこにはいないにもかかわらず、それでもいつか少年の瞳が再び開かれるのを待ち続ける母親。それを浮かべては胸が痛みました。
そんな少年の目の前に、また一つの扉が現れました。
少年は少し躊躇いながらも強くノブを回して中へと入って行きました。
その部屋には照明がまだ付いておらず、それでも大きな窓から入ってくる夕焼けによって部屋は薄紅色で色づけられていました。
そこは、自分がしょっちゅう階段を上がって起こしに行った自分の担任の居室でした。
同じアパートに住んでいるということで普段からそこへ立ち寄り、授業の準備を手伝ったり、大好きな本について話し合ったりしたものでした。
少年が担任の姿を探すと、すこししてリビングで通話中の姿を見つけることができました。
少年は、悪いと思いながらも担任の電話に耳を近づけて・・・・・・・・・その動きが止まりました。
『・・・う、交通事故。こんな季節なのに可哀想よね』
「まだ終わったわけじゃないんだろう?そんな言い方は止めないか」
担任の言う言葉に棘が含まれます。そんな声に、
『ごめんなさい、でも、貴方だって・・・』
「どうせ皆もう学校にいるんだろう?僕も直ぐにそちらに向かうからちょっと待っていてくれ。詳しい話はそれからだ」
そう言って担任はお気に入りの紺色のジャケットを羽織って玄関へと足を進めます。
と、扉のノブに手をかけたまま突然少年の方を向き、呟きました。
「・・・・気のせいか・・・・・」
そう言いながら家を出ていく彼の頬には、一筋の、雨なんかよりももっと塩辛く切ない滴が零れ落ちていました。
どれだけそうしていたでしょうか・・・。しばらくして少年は担任の腰かけていたソファーに頭から倒れこみました。
そして眠りについていきます。昔からしてきたように、今起こっている全てのことを忘れようとする為に・・・・・。
少年は夢の中にいました・・・・。少年がまだ幼かったころの記憶。まだ少年が誰にでも明るく、笑顔があふれていた頃の記憶です。
少年の家は、とても明るい家庭でした。セールス業を営みながらも家庭内での関わり合いをとても大切にしてきた父親。いつも家にいて、幼稚園へと出かけて行き、帰ってくるその様子をいつも見守ってきてくれた母親。一つ年下で、よく喧嘩をしながらもお兄ちゃんを慕って少年の後ろをトコトコついて来ていた可愛い妹。
みんなみんな笑っていました。どんな時でも、あの瞬間までは・・・・・・・。
その旅行前日に、少年は風邪をこじらせてしまい、外出することが出来なくなってしまいました。キャンセルすることはできなかったので、それに伴って母親も一緒に・・・・・。
当日になり、他の家族が着々と準備を進めていく中で、少年は始終グズリ続けていました。グズる、といっても少年の場合は他の子供たちのように声をただ張り上げるようなものではありません。少年は、自分に目を向けてほしい時にこそ騒ぐことを止めてジッと相手の目を見続けるのです。家族もその行動の意味を分かっていました。
それだから彼らは、少年の頭を四人で撫でて言いました。
また、一緒に行こうね
そう言って、家族は出かけて行きました。
・・・・・・そして、それが最後の言葉となったのです・・・・・・・・・・・。
やがて少年は目を覚ましました。担任は、未だ帰ってきていません。
今見てしまった夢から逃れるようにして少年は扉を抜けて行きました。
部屋はとても静かでした・・・・・・・・。
たくさんのものが詰まった部屋の中で、何かが一枚の写真を見つめていました。
その写真には、眼鏡をかけた長身の男性とちっちゃい女の子を抱えた女性、そして中央で明るく笑っている男の子が写っていました。
ずっと、ずっとそれを見続けていました・・・・・・・・・・・・。




