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<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

No,I Don't

作者: パルコ

お久しぶりです。久しぶりに書くため、文章が下手になっていますがご容赦ください。

ネタバレを避けるため、キーワードには書いていませんが注意する内容です。

性行為を想起させる描写がありますので苦手な方、15歳未満の方は閲覧はご遠慮ください。

 目が覚めると、コーヒーの香りがした。そして、パタパタと軽く響くスリッパの音も。

「あ、おはよう。もうすぐだから、待ってて」

(あおい)が穏やかな声で俺に言った。こっちの気も知らないで、お気に入りの歌を口ずさんでいる。

「ごめんね。どうしても行きたかったベーカリーがあって、今日はパンなんだ」


 テーブルにはトーストしたレーズンブレッドとマッシュポテト、厚切りのベーコンソテーが乗ったワンプレートが準備されている。いつかテレビで見ていた、洒落た朝食がそこにはあった。


 葵が買った海の見える一軒家で暮らし始めて七ヶ月が経つ。どこなのかはわからない。ただ、葵にプロポーズをされて、ここで幸せになるんだと聞かされて、混乱が解けないままここで暮らしている。

「葵。母さんに電話させてほしい」

「またその話? 元気に暮らしてるって伝えてあるんだからいいでしょ?」

「お前の話だけじゃ不安がるだろ? 今あの家は母さん一人だ」

「だめ」

「少しでいい」

「だめだって言ってるでしょ!?」

葵の鋭い声が、ダイニングに響いた。そして、一瞬の静寂。

「ねぇ、(おさむ)さん。あたし、貴方と幸せになりたいだけなんだよ?」


 葵が俺の頬を華奢な両手で包む。そっと隈を撫でる、指先。

「葵……幸せって、なんだろうな……?」

この時、俺の目は虚ろだったと思う。

「マリッジブルーなんだね。大丈夫! 二人で乗り越えていこうね」

その声は、慈愛に満ちていた。



 葵には、人並みの幸せを手にして欲しかった。今まで頑張ってきた葵を守ってくれる人と、幸せな家庭を作って欲しかった。どこから歪んだのか、どこで変わってしまったのか、いまだに分からなかった。

「じゃあ、打ち合わせ行ってくるから、いい子で待っててね。今日寒いから、夕飯あったかいものにしよっか」

葵が俺の顔中にキスを贈る。ある日、抵抗として葵のキスを避けたら鼻を摘まれ、酸素を求めたところに深く口づけられた。殴っても突き飛ばしても、笑顔で頬を撫で返す葵に抵抗の意味はあるんだろうか。


 特殊な機器が取り付けられ、内側から簡単に開けることが出来ない玄関ドアから、葵は俺をおいて出ていった。のろのろとリビングに戻って見つけたのは、発行日が切り取られた書籍が段ボールに十数冊。ここにはテレビもなければパソコンも時計もない。おそらく葵の部屋にはあるだろうが、葵の部屋にも玄関ドアと同じ特殊な機器がついている。キッチン収納も南京錠がついていて、開けることが出来ない状態だ。


 葵に勝手に開けられたピアスに触れる。このピアスも自力で外そうとしたが、耳に激痛が走るだけだった。葵曰く、マイクロチップが内蔵されているとか。今日も逃げることを諦めて、ネックレスのチェーンに通った指輪を握りしめた。

「すまない……貴子(たかこ)……」

葵に懇願して、この指輪はいま処分されずにいる。二十五年前、妻に永遠の愛を誓った証が、俺の拠り所になっていた。



 ダイニングに用意してあったサンドイッチを食う気にもなれず、用意された本を読み耽っていると辺りが暗くなっていた。どうやら夜になっていたらしい。

「ただいま~。修さん?」

パチリと照明が点く音。突然降って来た光の眩しさにきゅっと目を瞑る。

「ただいま!」

ハリのあるソプラノは、葵の好きだったアイドルに似ていた。

「ああ、おかえり……」



 葵は夕飯のときも、楽しげに今までのことを話してくる。自分の仕事のことも、俺を拒絶していた時期のことも。

「あの時は素直じゃなかったの。大好きなのに、『大嫌い』って言葉ばかり口から出て来た。でもね、傷つけた分、幸せにしたい。幸せにするから」

声を発する気にもなれず、葵が淹れた緑茶を啜った。


 ベッドに入ると眠れない時間が続いたのに、この日はすぐに眠りについた。眠りについて数時間、ふと目を覚ますと、腕に違和感を覚えた。

「は……? 何だよこれ!? 葵!」

「あ、気がついた?」

仰向けで寝ていた俺の両手首には手錠がかけられている。俺の身体に跨る葵は楽しげだった。派手な下着だけ身に着けた状態で。

「七カ月一緒にいて、こういうこと無かったんだし、いいでしょ? もう」

「当たり前だ! 俺はお前を抱くなんて考えたくもねえ! 外せ早く!!!」


 迫られても抵抗して、寝室から逃げ出して、眠れない夜を過ごした。葵が寝息を立てて動かなくなるまで、息をひそめて。それでも、葵は俺に迫った。今まで俺たちが築いた関係を忘れたかのように。


 葵が俺の耳元に囁く。それは、俺にとっては呪いの言葉だった。

「修さん、―――――」

「!!! いやだあああああっ! やめおおおおおおおおおおおおっっ!!!!!!」

俺が感じたのは、葵の体温と、滲む世界と、絶望だけだった。



 手錠はもう外れていた。まだ光が差してこないから夜は明けていないだろう。


 葵は、いつか目を覚ましてくれると信じていた。正常な思考へ戻って、正常な世界に戻って行ってくれると希望を持っていたのに、暑い季節から寒い季節を迎えても葵は気狂いのまま。助けが来る見込みのないまま、葵に愛欲を求められる生活に参っていた。

「葵」

満足そうな顔で寝息を立てる葵の髪を撫でる。

「お前を狂わせたのは……俺か?」

俺が消えれば、葵は元に戻るのではないか。


 葵の手でなければ、外に出ることは出来ない。凶器になるものは隠されているとなれば、俺が取れる手段は限られた。

「なぁ、これだけは覚えててほしい」


  葵、愛してる。

  ずっと、愛してるんだ。



 俺はその決断をした瞬間、静かにベッドを降りて浴室へ向かった。翌日がオフの葵は、寝付いたらなかなか起きない。浴室の蛇口を捻ると冷水が栓で出口を塞がれた浴槽を叩く。冷水が溜まるその浴槽に、俺は身を入れることにした。


 冷え切った浴室と、身体に沁みる冷水の温度に頭が冴えていく。どうして早くこうしなかったのかとさえ思えた。葵が起きる前に、全て終わればいい。起きてしまったら、もう繰り返しは出来ないから。だんだん水が広い浴槽に溜まり、腹あたりまで水位が上がる。

「葵の花嫁衣装、見てみたかったなぁ……」

俺の、ささやかな願いだった。こうならなければきっと、叶っていたはずの願いだった。


 まだ、こうなる前の葵を思い出す。一緒に買い物していた時、葵の友達と会って、「すごいカッコいいじゃん!」と言われて、二人で照れ笑いしたこともあったな。ホットケーキを丸焦げにして、「一生懸命やったのに出来なかった」と泣いている葵を宥めたこともあった。葵が俺を拒絶したのは、妻と旅行から帰った翌朝のことだった。裏切り者、側に来るなとヒステリックにがなり立てた。


 浴槽を水が満たしたところで水を止めた。

「ふぅ……」

俺はそこに頭を沈めた。息が苦しい。冷たい。それでも、浴槽から出ようとは思わないし、身体も不思議と沈んだままでいてくれた。妻を遺してしまう未練もある。ただ妻は、俺が葵をこの世で一番愛していることを知っている。葵を守るために、葵が目を覚ますために、勝手に逝くことを許してくれと、意識が遠のくなか妻にひたすら謝る。


 夢を見たんだ。誰もいない小さな教会で、白い花の冠と、白いワンピースで、永遠の誓いの言葉を立てる、葵が俺の目の前にいた。ダメなんだ。俺は、お前と誓いを立てることはできないんだ。



  ごめんな、葵。

  さよなら。

  幸せな人生を、歩んでくれ。



 葵はいつもより遅めに目を覚ました。ダブルベッドの右側には誰もいない。昨夜はそこにいたはずの人物を探すため、ベッドを降りた。

「おはよー……あれ?」

リビングにもいない。玄関やベランダは自分しか解錠できないはずだ。辺りを探し、何気なく洗面所を開けると、浴室のドアが少しだけ開いていた。


 浴室のドアを開けると、冷たい空気が葵の肌を刺す。なぜか水で満たされている浴槽。

「え……?」

葵が探していた人物、葵が一番愛している男が、広い浴槽に窮屈そうに沈んでいた。

「っ! ……う、うぇ、ふううっ……」

その場で崩れ落ち、男の冷え切った手を浴槽から出して握りしめた。

「ああああああっ……ひくっ! お父さん……!」

冬のよく晴れた午前、葵が二十歳を迎えた日のことだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ネタバレありの感想です。 未読の方はご注意ください。 こんにちは。 企画よりまいりました。 「ネタバレ防止のためにタグに未記載のものがある」と書かれていたにもかかわらず、あっさりと叙述トリ…
[良い点] なにがあってこうなってしまったのでしょう。 どうしていたら、こうならなかったのでしょう。 考えてもどうしようもないことをぐるぐると考えてしまう、すてきなアンハピエンドの物語でした!
[良い点] 読み返すと悲しさと、愛情が滲んでくるところ。 途中から主人公の心情からして、葵への距離が妙に近いと思ったのですが、なるほどでした。 後半で語られる主人公の葵への愛が、とても切なかったで…
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