第1話 突然の結婚
「セレナ。突然だが、結婚してみる気はないか?」
それは、本当に突然のこと。のんびりと紅茶を嗜んでいた私は、そんな父の提案に驚きのあまりティーカップを落としそうになる。
「……えっ!? い、いきなりどうしてですか、お父様?」
口ではそう言いつつも、なんとなく理由は分かっていた。
自分で言うのもなんだけど、親バカの父は、どんなに私が求婚されても家の力で揉み消していた。つまり、今回はそれが出来ないような上流階級から結婚を申し出されたのだろう。
「……実は、イリオス王国のシリウス王子殿下が、是非お前をと言っているんだ」
「王子!?」
予想を上回る回答に、思わず大声を出してしまう。どんな素晴らしい家柄かと思ったら、まさか王家ときましたか。しかも経済大国イリオスの。そんなところの王家からの縁談なんて、小国ではないけど大きくもないフェガリ魔法王国の一貴族じゃ断れないわ。
そこでふと私は思う。
「でも、王子様なんて普通は生まれた時から結婚相手が決まっているのではないですか?」
大抵のフィクションで王子には許嫁がいる。というか父が潰しているだけで私にだって結婚の話はあったのだし、王子ならなおさらだ。
「それが、先方は既に婚約破棄をしたそうだ。結構な騒ぎになっただろう、ダイアナ姫が振られたと」
「ああ、ダイアナ様の……」
それならば知っている。我が国の第二王女、ダイアナ様が去年婚約破棄をされたとか。たしか婚約者に危害を加えようとしたというのが原因で、王女は今も周囲から白い目を向けられているらしい。あれの相手はイリオスの王子だったのか……って、じゃあ私がその王子と結婚したら、私はダイアナ様から婚約者を奪ったってことになるじゃん!
「…………いきなりのことで、思考が追いつきません」
しかし、内心絶対イヤと思いつつも、当たり障りのない返事をしておく。ここでどんなに私が取り乱して結婚を拒んでも意味がない。向こうが結婚したいと言っているのなら、もう結婚は決まったと同義なのだから。
「……そうか。たしかに少し急な話だったな。だが私もこの話は先月一方的に知らされたもので、徐々に話を進めることができなかったのだ」
「……どういうことですか?」
どんなに高貴な家柄だろうと、一方的に婚約を言い渡すのは非常識だ。それに、徐々に話を進められなかったという言い回しも気になる。
私の問いかけに、父は深く息を吐いて言った。
「奴は本気だ。半年後の優満月の日に結婚式を挙げるつもりらしい」
――ああ、気が遠くなってきた。
◯
来週に顔合わせの場を設けると告げられ、私はおぼつかない足取りでベッドへと倒れ込んだ。
結婚ね……。そりゃ私も十六だし、いつかするとは覚悟してたけど、こんなにいきなり決まってしまうものだなんて。
というか問題は相手! シリウス王子、シリウス王子ね……。
何度かパーティーで挨拶したことはあるけど、幸せオーラ撒き散らしてるおめでたい人だったわ。苦手なんだよね、自信に満ち溢れてる人と関わるのって。とにかく結婚したらあれと毎日顔合わせなきゃいけないのか……今から憂鬱。
それに、ダイアナ王女を振ったってところもイヤ! シリウス王子はイリオス王国の第一王子。つまりいずれ国のトップに立つことを約束された王太子で、その妻の私はいつか王妃になるということ。もしそれで私がフェガリを訪問するとして、迎え入れるのには当然ダイアナ王女も……あああ絶対ムリ!
「はあ……」
思わず溜め息が出てしまう。二、三度言葉を交わしたことがあるかどうかって程度の関係だったのに、どうして見初められたのか……まあ、どうせ顔なんでしょうけど。
見た目だけでいえば、私は極上のスペックを持っている。この姿になってからはブスとも豚足とも寸胴ともほとんど言われなくなったし、自分でも初めて鏡を見た時には「あれ、こんなところに天使の絵があるー」と思ったくらいには超かわいい。でも前世との落差が激しすぎて、未だに自分の顔に慣れないんだよね。
「カミサマ極端すぎ……普通でいいのに……」
調節下手くそか。そうぼやきつつも、現実は変えられない。
「イリオスの首都タラッサは世界一美しい都市って有名だし、宮殿もフェガリ王宮の数倍はあるって聞いたわ。そんなところに嫁入りだなんて素敵!」
ああ、心の底からイヤ。陰キャに王妃なんて務まるわけないじゃん、バカなの? 目立つのなんて大嫌いなのに。
……ダメだ。それっぽい言葉を並べても気持ちまでは変えられない。そうだ、もう残り少ない休日になるかもしれないんだし、街へ出かけようかな。と思ったその時、
「せ、セレナ様、今大丈夫ですかぁ?」
気の抜ける可愛らしい女性の声とノック。侍女のマリーだ。
「マリー。ええ、もちろんよ」
私はすぐにベッドから起き上がり居住まいを正す。侍女とはいえ、人様にだらしない姿は見せられない。
「失礼します……。うっ、セレナ様……ご結婚だなんて、いきなりすぎます……! か、悲しいですぅ……」
入ってきた途端泣き出すマリー。彼女は幼い頃からうちで奉公していたから、私たちは姉妹のように仲が良かった。けれど私がイリオスに嫁に行くということは、そんなマリーと離れるということだ。
「そうね、マリー……。私も悲しいわ。あと半年でこの家とも、この国ともお別れだなんて」
「セレナ様は落ち着きすぎです! ど、どうしてそんなにすぐ受け入れられるんですか!」
「……どうしてかしら……。そうね、現実味がなくて、どこか他人事だと思っているのかも」
私の突然の結婚を自分のことのように悲しんでくれるマリーと違って、私はセレナ=アウルムノクスの人生をまだ自分のことだと思っていないのかもしれない。こんなに純粋に喜怒哀楽を露わにできるマリーのことが、少しだけ眩しく思った。
「そ、そうですね……あのシリウス様が、ダイアナ様を振ってまでセレナ様と結婚したがっているなんて……。うーん、でも、セレナ様なら納得ですね!」
「……まさか。親への反抗とか、気まぐれとかそんな理由よ」
「そんなテキトーな理由じゃ王家同士の婚約破棄なんて出来ませんよ!」
う。我ながら苦しい言い訳だったか。マリーは私とシリウス王子がロクに話したこともないだなんて知らないし、恋愛脳の子だからきっと私たちの間にめくるめくロマンスがあるとでも思っているのだろう。はあ、否定するのも虚しい。
「でも、暴力行為が公の理由だったし、流石に暴力沙汰が全くの嘘ってことはないんじゃないかしら」
「だからそれはあれですよ! 他に好きな女性が出来たと言ったシリウス様とダイアナ様の間で修羅場が!」
「口を慎みなさいね、マリー……」
でも、あり得るから困る。全然知らなかったっていうのに、私のせいにされたら嫌だな。そもそも結婚なんか望んでないし。
「……とにかく、会ってみなきゃ何も分からないもの。勝手な憶測をしてはいけないわ」
そして可能なら断りたい。一度結婚話が流れてるんだし、もう一回くらい流してもいいでしょ。
「セレナ様は優しすぎです!」
再び泣き出したマリーを宥めることで、私は更に冷静になれた気がした。
泣いたところで、この縁談は断れない。
だから私にできることは、今までとても良くしてくれた両親の顔に泥を塗らないよう、シリウス王子に好かれるよう心がけるだけだ。