第58話
がたがたっと檻が揺れる。
わたしはわかっていても、体が竦んだ。
檻が揺れるのは近付いた男性が、そのまま檻に体当たりしたからだ。
近付いた男性は私との距離が一メートルを切ったところで誰も一瞬動きを停止し、まさに理性が飛んでいるという様子にみるみるうちに変わっていく。
前にもわたしの力に引っかかっちゃった人は見たことあるけど、その瞬間を見たのは今日が初めてのことだった。
そして一メートルというのは、もうそのつもりで腕を伸ばしたら届く距離なんだよね。
背が高くて脚の長い男性なら、大股で一歩の距離。
そこが縮まるのは、ほんとに一瞬だ。
思っていた通り、よほど細くなければ男性の腕は檻を通らない。
一人目も二人目も、そして今の三人目の男性も入って手首までだった。
理性が飛んでいるせいか、手を縦にすると手首までは入るというのも思いつかないようで、手首まで通った二人目の人もたまたまじゃないかと思う。
一人目と三人目はただ腕から体当たりしただけに終わった。
わたしは竦んだ体を気力で動かして、後ろに下がる。
そうでないと、わたしの力に惑わされてしまった気の毒な人を檻から引き離せないから。
「飛ばしなさい」
ルク宰相が命令する。
二人目と三人目の間にもぼそぼそと呪文を唱えていた魔法使いのヤンが、檻に貼り付く三人目の男性の背中に飛びつくようにして、呪文を完成させたようだった。
三人目の男性の姿が消える。
それで緊張が解けたわたしは、深く息を吐いた。
転移って、あんなに長い呪文だったんだなあ……
現実逃避だなと半分冷静に思いつつ、そんなことを考える。
ヒースが転移の呪文らしいものを唱えているのを聞いたのは、森を出てくる時に森の入口までギルバートと彼の部下たちとわたしも含めた大人数をいっぺんに転移させたのと、わたしの体に魔法をしかけた時だけだ。
大人数を転移させた時も、呪文はここまで長くはなかったような気がする。
でもわたしの体にしかけた時には、もっと時間がかかっていたような気もする。
これは条件が違うからだろうか。
人によって、呪文が違ってたりするのかなあ。
あとは、何度も転移の魔法を使うところは見たけど、ヒースはなんにも一言も口にしないまま魔法を使ってると思う。
どうやってるのかはわからないけど。
三人目の男性の姿が消えると、ヤン青年はまた檻から離れて、次の人のための呪文を唱え始める。
その顔に、ちょっと顔に疲れが見え始めていた。
二十人を転移させると言われた時、ヤン青年は文句は言わなかったけど、実はそんなに魔法をかけることはできないのかもしれない。
三人目で息を吐いているくらいだし。
不幸中の幸いに、彼は二十人も転移させなくてすむと思う。
最初の三人だった大臣様がわたしに近付くのを拒んだので、やり方が変わったから。
大臣様たちが拒んだのは恥ずかしい姿を見せたくないっていう至極真っ当な理由で、わたしの力でそんなことにしてしまうのが申し訳ない限りだ。
わたしに近付きたくないのも無理はなく、大臣様がたは近付かないことを選んだことを謝ってくれたけど、そんな不快に思ったり怒ったりなんてことはない。
そんなわけでわたしに理性をぶっ飛ばされたくない人がいたから、「いっぺんに三人出てきて、一人近付き、確認を終えたら理性飛んじゃった人と確認だけする人のうちの一人が退場。そしてまた二人補充する」というやり方になった。
これだと二人ずつ入れ替わるので、飛ばす人数は半分の十人くらいですむはず……
合ってるかな、計算。
でも今のヤン青年の様子だと、十人も厳しそう。
三人目の犠牲者が飛ばされた後は、三組目に混ざっていた恰幅の良い大臣様がわたしの入ってきた廊下に繋がる扉から出ていこうとしていた。
「それでは私も失礼しよう。ルク殿、私は執務に戻っているけれど、私が必要になった時には呼んでくれ。それでは女神様、またお会いできますように祈っております」
また会えるかどうかなんて怪しい話で、なんて答えていいかわからないので、ぺこりと会釈だけして大臣様を見送る。
「次の者を呼びなさい」
ルク宰相が言って、部屋に残っていた女騎士さんが次の人を呼ぶために続き部屋への扉を開けた。
隣の控室になってる部屋には、確認するべきだというエドウィン王子派な人と、そんな必要ないだろうっていう穏健な中立派とヒース派な人で、最初からだいたい半々に呼ばれているようだ。
次が呼ばれて、四人目、五人目と進んでいく。
五組目の見届けただけの人が部屋を出て行こうとし、六組目になる二人が呼ばれた時だった。
また女騎士さんが扉を開けに行く。
その時に、部屋から廊下に出ようとした人と入れ替わるように中に入ろうとしている人影があった。
「どうかお退きください……!」
「なぜ止める?」
部屋の中にいた人たちが一様にぎょっとする。
そんな中でルク宰相だけは平然としていて、やっぱりそうだったのかと動悸が激しくなった。
「宰相殿、これをするのなら呼んでほしいとお願いしていたはずだが」
部屋の前で番をしていた女騎士たちを振り切って中に入ってきたのは、エドウィン王子。
文句はつけていても、怒っている様子ではなかった。
「殿下のお手を煩わせるまではないと思いまして」
ルク宰相は落ち着いた様子で答えている。
その言葉を信じるなら、知らせるように頼んでいたエドウィン王子に黙ってこれをやっているってことなんだけど、本当なんだろうか。
「何人に見せたのかは知らないが、もう十分だろう。証人が出ても疑うという頑固者など、いずれ相手にする者はいなくなる」
……まるでエドウィン王子は最初から、檻に入れて人に見せるこの話に反対していたみたいな言い方。
でも、それを訊くことはできない。
そもそも……
エドウィン王子が近付いてくるのが怖い……!
怖くてたまらない。
来たら逃げるなんて、あっさり言ってたけど、そんなことできそうもなかった。
なんでこんなに怖いと思うのかわからないけど怖い。
態度はもの静かだけど……わたしを見る目のその瞳の奥に、わたしの力に惑わされて正気を失ってしまった人と同じ光があるから?
この人のそれは、怖い。
上位の獣、捕食者のもののように思える。
わたしはどうにか檻の中を反対側の端まで後退った。
「ここで中止だ」
「……しかたがありませんね」
ルク宰相はどうするのか。
そう言ってる間に、エドウィン王子は檻の前まできた。
「この檻を開けなさい」
そして元々部屋にいた女騎士に命じた。
彼女が鍵を持っていると疑わないように。
息を飲む。
もしも彼女が檻を開けたら――
「こ……来ないで!」
思わず叫んでいた。
そうしたら、なぜか足元が揺れた。
目の前が歪む。
そして、ぱんっと軽い弾ける音がした。
この音は聞いたことがある。
これは障壁にぶつかって転移を途中で阻害された音だ。
転移して障壁のある場所で止まってしまったということ。
多分、ヒースのしかけてあった魔法が発動して、それで。
わたしはその部屋にたった一人で、叫んだ。
「……ここ、どこ!?」




