第55話
どうしよう。
どうしよう。
いろんなことが聞きたくて、いろんなことを言いたかったけど、何から言っていいかすぐにはわからなかった。
それは、もしかしたらいいことだったかもしれない。
衝動的に何か言ったら、玄関にいるルク宰相には聞こえてしまっていた。
わたしはミルラとヒルダの手を引っ張って、部屋の奥の方へ移動した。
そこでミルラとヒルダに顔を寄せて、小さい声で訊いた。
「ここなら、ルク宰相に聞こえないかな」
ヒルダがリビングの戸口を振り返る。
「そうですね……大丈夫だと思います」
改めて三人で顔を寄せ合って、小声で話をする。
「あのね」
どこから言ったらいいのかは結局わからなくて、ずばり結論、そして希望から言うことにした。
「わたし、ヒースを助けに行きたい」
「……サリナ様」
ヒルダが顔を顰める。
ミルラはただ顔色を青くした。
「ルク宰相についていっても、それだけでヒースに会わせてくれるわけじゃないってことはわかるの。わたしが行けば、ヒースは無事帰ってこれるって言ってるけど、会わせてくれるとは言ってないもんね」
そう、行けば会えるわけじゃないってことはわかってるの。
ルク宰相は、何か他のことをわたしにさせたいんだと思う。
そしてそれは、このタイミングならあれだ。
「ルク宰相は、わたしを檻に入れて前に出すんだと思う。ルク宰相がエドウィン王子についたんじゃないのなら。のこのこついてって、エドウィン王子に差し出されたらどうしようって思わなくもないけど、でも、ここで篭もっていて解決する? 何もしないでヒースが自分でどうにかするのを待つの? どうにかならなかったら――結局同じことだと思うのよ」
そこまで言ったら、ヒルダが「はぁ」と溜息を吐いた。
「罠かもしれないと考えていても、行かれたいのね」
「う、うん……だめ? もちろん一人でとか言わないわ。一人で行っても、わたし一人じゃ何もできないし、身も守れないもの。ヒルダとミルラがいいなら、いっしょに来てほしいの。だめなら……しょうがないから、一人でがんばるけど……」
「殿下のおっしゃってた通りですね」
「ヒースの?」
「サリナ様は基本は慎重で、いろいろ考えているんだとおっしゃってました。ただ、いろいろ考えた末に暴走する、と」
「…………」
当たってると思いつつも、恥ずかしい。
暴走云々は、迷惑をかけたいろいろだと思う。
やっぱり迷惑だったんだ、穴掘って埋まりたい……!
「ごめんなさい、でも」
でも埋まってる場合じゃない。
「暴走したら止まらないかもしれないから」
うっ……追撃がきた。
「守ってやってくれと」
「…………」
……心配かけて、ごめんなさい、ヒース。
「なので、言われなくても着いていきます。でも私たちから離れないと約束していただくのが条件よ」
「ありがとう、ヒルダ」
「殿下がどうかされたとは今でも思えませんけど、待っててもイライラするだけですし。私待つのって苦手で」
ヒルダの言葉にミルラが「あー……」と小さく呻いた。
ミルラはやっぱり反対かと顔を見たら、どこか諦めたような表情で、わたしを見返した。
ごめんね、ミルラ。
「……エドウィン殿下が出てきたら、どうします?」
「逃げるわ」
胸張って言うことじゃないとは思うけど、こればっかりは迷わず言った。
あの人に捕まったら、ヒースに顔向けできない事態になることは間違いない。
本当だったら縁もなさそうな美形だったけど、わたしに手を出さないでいてくれるとは思えない。
一回会っただけの人にこんな確信も変だけど、あの人は病んでる。
異世界から落ちてきた女神だったら、わたしでなくてもいいんだ。
わたしの顔も体も心も関係ないんだと思う。
だから、逃げる。
「ルク宰相には悪いけど、エドウィン王子に捕まりそうだったら檻に入ってなんていられないわ。どうにかして逃げて――ここに戻ってくるしかないよね」
「檻には入るんですね?」
「うーん、ヒースは怒るだろうけど……無事にここに戻れるなら、わたしは入ってもいいと思ってる。檻に入って見せ物になるのは恥ずかしいし、多分手枷を外したら怖いことになるけど……それ以上何もされないようにルク宰相が守ってくれるつもりなら。でも、それより前に、ヒースに会わせてくれるように、交換条件にはしたい」
ミルラとヒルダが顔を見合わせる。
「わかりました」
「ええ、覚悟はわかりました、サリナ様。完全武装で行きましょう! 近付く男は全部魔法で吹っ飛ばしてでも、サリナ様をお守りするわ!」
そしてミルラも頷いてくれて、ヒルダは力強く言った。
心強い言葉にホッとする。
「ありがとう、ミルラ、ヒルダ」
「そうとなったら、フランシスカを呼び戻しましょう。戦力は多い方がいいわ。私はフランシスカを呼ぶから、ミルラは支度を始めて……あら」
ミルラに話しかけていたヒルダが、急に声を低くして口ごもる。
表情が険しくなって、ドキリとした。
「どうしたの、ヒルダ」
「……フランシスカとも遠話が繋がりません」
「それって」
ヒースと同じってこと?
「フランシスカまで……こりゃ本気ね」
腕組みして考え込むヒルダに声はかけづらくて、ミルラの方を窺う。
「大丈夫なの?」
「多分……ヒース殿下といっしょだと思います。魔法使いから戦う力を奪う方法は多くないので……魔力を封じ込めるか、殺すか、薬で意識を奪うくらいしかないんですよね」
その方法の中に、普通に「殺す」って入ってきちゃうのが、なんとも言えない気分にさせる。
ここはやっぱりわたしの常識よりも、はるかに簡単に人の命を奪う世界だ。
「下手打ったわね、フランシスカも。無事を祈りましょう。サリナ様は二人で守るしかないわ。ミルラ、私、長杖持つから、短杖と鞄持ってってくれる? 確か、聖杯があったわね。鞄に呪文書と呪符を詰めて……あんた、なんか、役に立ちそうな魔導具持ってる?」
「ここんとこは、殿下のお願いで手枷の代わりのものを作ってたんで新しいのはないんです。書き溜めてあった呪文書と、結界とか封印の呪符くらいなら……でも呪文書は単なる水の呪文だから」
「なんの呪文よ」
「ただの産水の呪です。でも、相手を押し流す量で綴ってあるから」
「戦場用なの? 呪文書切ったら宮殿中水浸しなわけね。弁償させられるかしら?」
わたしにはわからない、魔法についての話がヒルダとミルラの間で交わされる。
それからミルラが、わたしがついて行くけど、支度をするまで待つようにルク宰相に言いにいった。
わたしは役に立つと思われてなかった外出用のドレスに着替えさせられて、ミルラとヒルダもミルラと初めて会った時のような灰色のローブを侍女のお仕着せの上に羽織り、離宮に来た時にも持っていた黒い鞄や魔法使いっぽい杖を持って……
アルド離宮を出た。




