第43話
馬車は正宮に着いた。
この後、どうするのかは訊いてない。
ヒースに腰を抱かれる形で、正宮の門を潜り、中に入った。
わたしたちの後ろにギルバートがついて、歩いている。
距離は、わたしの影響が出ないくらいに離れつつ。
ここは政治の場で、貴族たちが会議をし、役人が行き交う。
役人たちの本当の仕事場は副宮という横手にある建物だそうだけれど。
大きさで言うと副宮が一番広いらしい。
正宮に着く前にその横を抜けてきたんだけど、わたしはそこが正宮かと思ったら通り過ぎてしまって、驚いてたらヒースが教えてくれた。
「この後、どうするの?」
ヒースに支えられて馬車を降りたところで、囁いた。
他人に聞かれるのはよくないだろうと思うけれど、何も知らないのは不安だ。
知って何かできるわけでもないが。
「ここから入るしか行けないからここに来たけれど、行くのは後宮ですよ」
「え」
囁き返された答に目が丸くなった。
来たところに帰るのか。
ここから入るしか行けないと言うんじゃ仕方ないが、ずいぶん大回りをさせられている気がする。
「裏からは入れなかったの?」
「正式でなければそれでいいんだけどね」
裏口からでは訪問した記録がつかないらしい。
王宮に戻ったばかりだし、記録というのは大切なのかもしれない。
ヒースにひっついて、中に進む。
ヒースに気がつけば、誰もが廊下の端に寄り、頭を下げた。
廊下が広いから、そうするとわたしの女神の力の影響範囲には入らない。
逆に言えばヒースがいっしょじゃなければ、人通りの多そうなこの宮殿には出てくることはできないだろう。
たまに壁際で、わたしが通りすぎる時にびくりと身を震わせている人がいた。
ちらっと振り返って見ると、何があったのかわからないという顔か、まさかという顔をしている。
女神の力の影響は個人差があるという話は聞いている。
元の事情もあってかなり影響の薄いヒースのような人もいれば、強く影響を受ける人もいるわけだ。
だから、通りすぎる際に反応しちゃう人は、多分強く影響を受ける人なんだろう。
反応しちゃった人に、心の中で謝った。
それでも理性が吹っ飛ばないところまで弱まってるだけマシだから、許してほしい。
そして気が付いてしまった人には、見逃してほしい。
わたしは人と距離を取れなくては、すれ違うこともできない……と、ひっそり改めて思い知った。
廊下には広さが必要で、狭い廊下で人と行き合ったら……詰む。
手枷で影響範囲の小さくなっている状態でこれだから、元々の範囲で影響が出るなら、部屋に篭もっている以外のことはできなそうだ。
アルド離宮のように周辺のすべてと距離を取った建物は、ある意味合理的なのかもしれない。
攫われるような危険がないなら、あの離宮の周りは歩いても人と会わないし、周辺は庭園で遮るものがないから近付く者はわかる。
ヒースはどんどん進んで、豪華な扉の部屋の前まで来た。
「約束してあります。ルク殿にお取り次ぎを。第二王子ヒースクリフ・アールトとその妻、及び王都守護騎士団副団長ギルバート・バルフが来たと伝えてほしい」
ヒースが話しかけたのは、扉の両横にいた二人。
身長ほどの槍を持って、立っていた。
そのうち一人が扉を開けて、中のやっぱり扉の横にいたらしい人に話かけた。
外に立っていた人がまず戻り、それからしばらくして、中から扉が開いて声がかかった。
「お入りください」
若い、少年のような子がわたしたちを呼んだ。
「よくお戻りになられました、ヒースクリフ殿下」
部屋の中には、淡い茶色の髪の中年の男性がいた。
線の細い感じで、でも目つきは鋭い。
「お話は伺っておりますよ」
「お久しぶりです、ルク宰相。昨日はこちらまで来られず、申し訳ありませんでした」
「相変わらず腰の低い御方ですね。お変わりなきようでなによりです」
「変わりましたよ、だいぶ」
会話が始まって、どうせ口を挟むことはできないから、部屋の中を見回した。
大きな執務机の横に立つのは、この部屋の主らしい淡い茶色の髪の人。
ルク宰相とヒースが呼んだ人。
あとはさっき戸口に出てきた若い子が一人、ギルバートくらいの歳の男性が一人、他にいる。
宰相って偉い人じゃなかったかなあと思う。
この国の政治のことはわからないけど、相応の言葉に訳されて聞こえているはずだ。
この人は味方なんだろうか……
「そちらがお妃様でいらっしゃいますか。お連れいただけるとは思っておりませんでした」
話がいきなり自分にふられて、ドキッとした。
ルク宰相を改めて見ると、目を細めてわたしを見つめている。
優しそうに見えるけれど、値踏みされているのはわかった。
「他国の方なのですね」
「そうです」
まあ、嘘じゃないか。
正確には異世界の人間だけど。
「その手枷はどうなさったのです?」
訊くよね、普通。
今までもヒースは訊かれてたんだろうか。
「事情があってつけていますが、罪人というわけではないですよ。この禁止の枷はこの国の型ですが、記録を確認すれば該当する咎人がいないことはわかるでしょう。事情が許せば、外すこともできます」
そうか、この手枷は重犯罪者がつけるものだから、記録はあるはずだ。
だから逃亡した罪人ではないと……!
……信じてくれるのかな。
「その事情とは?」
「先に陛下にお話ししたい。すべてを捨てた身とは言え、お許しなく妻を娶りました。それが許されなくば、私はここに戻ることも叶わぬでしょう」
「おや」
平坦だった宰相の声に、わずかに感情の抑揚がついた気がした。
「この期に及んで脅されますか」
「脅すなんて」
「もう今朝から、ずいぶん噂になっておりますよ。ヒース殿下がお連れになられた女人は、女神様でいらっしゃると。それゆえに殿下のお妃様としての務めも果たすことができ、また人を避けてアルド離宮に入られたのだとね」
ああ、本当に噂になってるんだ。
「そしてさきほどからは、だいぶ混乱しているようです。お妃様を連れて、正宮を突っ切っていらしたようですね。それは女神様ではありえないことですから」
「私は正宮に入った後、こちらにすぐ参ったはずなのですが。ここは宰相閣下の情報収集力に感服するべきところでしょうか。私より先に、私の噂が届いているなんて」
「皆、必死なのです」
生き残るために、という言葉が幻聴のように聞こえた気がした。
「噂通りということであれ、真実咎人であれ、殿下がお選びになられたのであれば、おそらくは許されるでしょう。今となっては臣に下ることだけはお許しにならなかった陛下のご判断が英断とされる向きです。殿下が臣に下られていたら、またもう一つ面倒でしたからね。今は王の血がきちんと残せることが何より重要です。エドウィン殿下に御子があれば、話はもう少し違いましたでしょうが……手枷の女神様」
呼びかけられて、緊張した。
わたしのことを言っているのは間違いないけど、女神と呼ばれて応えていいのか迷う。
「昨夜のうちに、エドウィン殿下よりも陛下に奏上が参っております。約定通り、王太子の後宮にて手枷の女神様をお迎えすると」
だけど続いた言葉には迷いも吹き飛んで、ひっ、と音を立てて息を飲んでしまった。




