第34話
離宮に着いて、荷物もなく、暇になったと思ったのが悪かった。
手枷の真実を聞いてしまったのはこの時だった。
「…………」
「その、いまさらですし」
ミルラはわたしがそれを知らないとは思ってなくて、さっきのどよめきについてわざわざ「すみません」と謝ってくれたんだよね。
だから、ミルラは悪くない。
「ま、まさか知らないとは思ってなかったんです」
悪くないんだけど。
何に謝られてるのかわからなくて追求した結果、事実が判明してしまったわたしは、いったいどうしたらいいのか。
じっと手枷を見る……
自分でもミルラが気にしてるのに悪いと思いながらも、どんよりどよどよと沈み込むのを止められなかった。
「あ、あの……あたし、できるだけ早く、別の型で作り直しますので」
別の型、という希望の言葉が聞こえて、バッとミルラを見直した。
「別の形で作れるの!?」
「ええと、環の形であればなんでもいいんです。ただ、陣を刻まないといけないので……小さくするのはちょっと面倒臭いんですが、手枷より大きい環でよかったら問題ないです」
この手枷より大きければ。
この際、贅沢は言わない。
手枷でなければなんでもいい。
「お願い、新しいの作って! お礼は、わたしにできることになっちゃうけど」
この離宮の庭で、野菜でも育てるか。
自分にできることって言ったら、そのくらいだし。
「いいえ、お礼なんて。じゃあ」
「何?」
「足枷でいいですか?」
そこ、枷から離れて……
環になってるものは枷じゃなくてもあるでしょう。
ミルラをそう説得していた時だった。
――コンコン。
玄関の扉をノックする音がした。
わたしとミルラは、揃って玄関の方を見てから、顔を見合わせた。
ここは離宮とは名ばかりの小さな可愛い家で、玄関につけられた金属製のノッカーで扉を叩けば、その音は二階にいても聞こえるだろう。
よく響くように設えられてあるようだ。
「……誰か来たみたい」
「そうですね……」
声を潜めて言えば、ミルラも声を潜めた。
わたしもミルラも、腰を浮かせることはなかった。
まさに出て行く前にヒースが言っていったからだ。
誰かが来ても、中に入れてはいけないと。
――コンコン。
しばらく息を潜めて外の気配を窺っていると、もう一度ノックの音がした。
「荷物を運んできたのかな」
「馬車の荷物は、扉の横に積んでおくようにって言われてるはずなんです……」
怖い想像をしないように言ってみたけれど、ミルラが言うには馬車の荷物を運んできた者ではないようだ。
……では、誰なのか。
「どうしよう、出ていった方がいいのかな」
「え、サリナ様が出てったら、あたし、閣下に顔向けできないです。ていうか、殿下に殺されます!」
いや、それはオーバーでしょうと言いたくなるような台詞を聞いて、ミルラの顔を見る。
でも青ざめるで済まないレベルで顔色を青白くしたミルラが見るも憐れに動揺していて、おおげさだという言葉をかけられなかった。
そういえば、森の中でヒースがミルラを殺しに行ったのは、まだ二日前の話だ。
あれは本気だったと、わたしも思う。
なら、ミルラにとってはオーバーな話ではないのかもしれない。
「いや、中に入れちゃだめだってヒースも言ってたし、扉は開けないけど、扉越しに帰ってほしいって言ったら……だめかな」
「退いてくれますかね……? その、諦めないなら、どうにかして侵入しようとするでしょうし、諦めるなら何も言わなくても諦めると思うんですよ」
だからここで様子を窺っていようというのが、ミルラの主張だった。
「諦めなかったら?」
いやでも、それは事態が悪化しないだろうかと不安が湧く。
正体不明の訪問者が諦めなかったらどうなるのか、どうにかしてというのは具体的にどうすると思うか、その時わたしたちはどうすればいいのか、と湧き上がった不安を訊こうとした時。
――ゴンゴン。
さっきまでよりも明らかに力の入った音がして、息を飲んだ。
「……どうしよう」
諦めではなく苛立ちを感じさせる音に不安は膨らみ、疑問の途中経過をすっ飛ばしてしまった。
でも本当にどうしよう。
「えーと」
ミルラは自分の抱えてきた手荷物の鞄を探っている。
「閣下は時間を稼げって言ってたので」
そう言って、鞄の中から大きめの素焼きの杯を一つ引っ張り出して卓に置いた。
「時間を稼ぎます」
どうやって、と杯をまじまじ見たところで。
――ガッガッ。
何かを破壊しようとする音が聞こえ始めて、とうとう不安に耐えられなくなって椅子から立ち上がってしまった。
逃げるべきか、と、真剣に悩む。
そこでミルラの声がいつもとは違う雰囲気で流れた。
ミルラは杯を撫でている。
『我ミルラ・マリア・ユリアスは、環より十足の所を壁とする。意思ある者と悪意ある力をそこにて禁ずる』
何も見えないし、何も見た目には変わらなかった。
でも、多分、見えない壁ができたのだろうと思う。
それからすぐ、鍵のかかっていたはずの、玄関の扉の開く音がした。
ミルラの隣にじりじりと寄りながら、食堂の入口を見つめる。
食堂の綺麗な木目に飾り彫りを施された扉には鍵はついていなかったから、玄関を壊してきた白昼の大胆な侵入者を阻むことはできない。
「――こちらにいらっしゃいましたか」
だからじきに食堂の扉を開けて、白金の髪のその人は現れた……




