第32話
「……起きて、準備する」
動けるかな、と思いながら、言った。
「もうちょっと寝ててもいいですよ」
「ううん、お風呂入りたいの。いい?」
「ああ、用意させましょう」
「ここから王宮は遠いの?」
来た時、ちゃんと外見てなかったと思いながら訊いてみた。
「すぐ近くですよ。アルトゥル叔父上とギルバートは朝から出仕してます」
二人はもう行ってるんだ。
そういえば、ヒースのおじさまとは結局会ってない。
男性だから、遠慮してくれたんだろうか。
「誰にもまったく予告なくというわけにはいかないから、二人は根回しをしてくれています。兄は為政者としては暗愚というわけではないのです。元より兄につくことで権力を得ている者、遠くとも王家に連なる血を持っていて己が身や大切な者へ危険を感じる者、これ以上は国が破滅に向かうと危機感を持つ者、今の政治勢力から漏れていて野心を持つ者……そしてそれ以外の者。王族の周りには様々な者がいます」
当たり前だけど、みんな別々の思惑があるんだ。
そこに行って大丈夫なのかなって、改めて思う。
「私が戻ることにはもちろん賛否あるから、説得でこちらについてくれる者を先に取り込みに行っています。……正攻法で済むのなら、それで済ませたいですからね」
反対する人たちと、話し合いで決着がつくんだろうか。
「最初から覚悟を決めて、私が逃げなかったなら、弟妹たちは死ななくて済んだ。でも」
ヒースはどこか別の場所を見ているように、見えた。
遠い場所を。
「あの時は、私が逃げれば終わるのだと思っていた」
王太子エドウィンは、ヒースより四つ上だそう。
第一王子で、王の初めての子。
正妃だったヒースのお母さんより先に後宮にいた、最初の寵妃の産んだ王子様だそうだ。
正妃を母に持つヒースが生まれるまでは、王太子エドウィンが王位継承権第一位だった。
ヒースに同腹の兄弟はいないそうだ。
現王の後宮は最大で五人の妾妃がいたという。
五人。
聞いた時には、その多さになんとも言えなくなった。
だけど後宮の定員自体はもっと多いらしく、歴史的に見ると五人は少ない方らしい。
この微妙な気持ちは、これからそこに行くって女じゃないとわかんないと思う。
王の妃と愛妾のうち一人以外はもう亡くなっている。
ヒースの兄弟は、ヒースが王家を去るまでは多かったようだ。
王位継承権は正妃の子を優先して、後は男子に年齢順に振られていく。
妃の位を持つ女性から生まれた王子は臣籍に下ると母の位に合わせて爵位を得る。
公爵になったテレセおばさまの旦那様は今の王様とお母様が同じで、正妃から生まれているので公爵なんだそうだ。
これだと貴族があっという間に増えていきそうだけど、妃の位を持たない愛妾を母に持つ王子は爵位が貰えないので、元からいる貴族に婿入りする。
先日流刑になったという公爵様は、その口だそう。
そして、やっぱりドロドロの争いはいつの時代もあるようで、結局それほどは貴族の数も増えないらしい。
「私は産まれた日から狙われていたそうだから、本当のところ誰がというのを論じるのは難しいのです。私を疎む者はたくさんいて、そのうちのそれなりの数が実行に移そうと思ったのでしょう。私の母は長年争っていた国の王女で、先代の王の時代に和平が成り、その証に嫁いできました。それで王家に他国の王家の血が入ることは良くないという考えを持つ者には、そこからもう邪魔だったのです」
ヒースの周りは一際ドロドロしていたようだ。
その理屈は、やっぱりわたしにはよくわからない。
二つの国の血が混じることは、争いをなくすためにはいいことなんじゃないかと思うのに。
「二つの国の血が混じるということは、どちらかがどちらかに飲み込まれることだと考える者もいるのですよ。私が王になることに反対する者の言い分は、主にそれです。私が王になった時、グランディルは消えてしまうのではないかと恐れている」
ヒースがそんなことをするとは思えなかったけど、疑う者はなんでも疑うんだろう。
ヒースの語るのを聞きながら、わたしは口に入れられたパンを咀嚼していた。
ああ、今、わたしたちは遅い朝食兼昼食を摂っている。
餌付けよろしく、今日もヒースの手ずからだ。
お風呂に入って、昨日とは違うドレス……でも型がほぼ同じ……を着せられて、その後で食事になった。
「いつの間に、兄が暗殺の主体になっていたのかはよくわかりません。私も、私を支持してくれていた者も、それを見誤ってしまいました。私を排除することが目的で、私に王位を継がせないことが重要で、そのために兄は担がれているのだと思っていたのです。もちろん野心がないとは思っていなかったけれど、人の理解の及ぶ範囲だと思っていました」
誰も、まさか、王位継承権を持つ者を皆殺しにするほど王位に固執しているとは思っていなかった……
そういうことだろう。
ヒースには子どもを作れないという負い目があって、争い続けるよりも、王位を継ぐ権利を譲ってしまって終わりにするべきだと考えた。
そして、それを実行した。
だが王太子になった第一王子は、自分がヒースを追い落とすために狙ったように、自分を狙うかもしれぬ弟妹から順に、次々と殺していったということだ。
権力って、そんなに魅力的なものかなあ……
ごはんを食べて、出かける準備が終わったら、わたしたちは王宮に行く。
わたしたちを受け入れる支度をする暇など与えない強襲みたいなものだから、なんにも持たずに行くわけにはいかないので、着替えとかも積んでいくようだ。
準備というのは、その準備。
それは今、テレセおばさまが指揮している。
このお屋敷では客のわたしたちが手を出すわけにもいかないので、おまかせするしかないようだ。
「衣装箱の中にね、食べられる物も少し入れてもらってます。保存が利くものだからおいしいものじゃないけれど、離宮に着いたら確認しましょう。もし私がしばらく戻れなかったりしたら、それで食べ繋いでください」
後宮のはじっこにあるという、離宮。
そこを住まいにすることまでは、どうにかごり押しできたようだった。
その午後遅く馬車は王宮に着いた。
その馬車で、三年ばかり前に子を作れぬという理由で王宮より去った前の王太子が妻を連れて戻るということは、下働きの者も含めて王宮中の者が知っていた。




