第17話
そうだ。
だって昨日はお客さんが来たんだから。
昨日のお客さんは、この通れない壁を抜けてきたの?
「私がサリナを置いて街に行かないと踏んで、計画的に逃げられないように囲んだんでしょう」
ヒースの言葉にドキッと心臓が跳ねた。
考えるまでもないことだった。
この壁は、わたしたちを逃がさないための壁なんだ。
まさに見えない檻だ。
「陣は必ず環を描く。これだけの大きさならば、維持するためには陣の中央から術士は動けない」
ヒースの言葉は、わたしに説明してるのか、独り言なのか区別がつかなくなってきた。
「……だから、この障壁陣の中央に術士がいます」
通り抜けられない壁を作っている人が、その真ん中にいる?
知ってる人なんだろうか。
かもしれない、くらいには、見当が付くのかもしれない。
ヒースも魔法使いで、そして壁を作った人も魔法使いなら、知り合いなのかもしれない。
ヒースは森の木々が陰を作る、その向こうを睨みつけている。
「サリナ」
「何? ヒース」
これからどうするんだろう。
一回、塔に帰る?
でも、ただ帰っても何も解決はしない。閉じ込められたということは、ここにずっといたら、多分何か嫌なことが起こるんだもの。
そう、わたしが連れて行かれるとか、ヒースが連れて行かれるとか……
「この荷物を持っていてくれますか」
ヒースは持っていた鞄を、わたしの手に押しつけてきた。
抱き締めるようにして、ちょっと重い鞄を受け取る。
鞄を抱えたわたしの腰を、ヒースは抱くように引き寄せた。
そしてまた、ぐらっと足元が揺れたような、歪んだような気がした時、信じられないヒースの声が聞こえた。
「術士を殺せば、壁は崩れます」
えっ!?
こっ殺すってっ、知り合いじゃないの!?
ぐらぐらした足元がもう一度しっかりした時、場所が変わったことに気が付いた。
そこは同じ森の中の匂いだけど、灯りがある。
灯りが照らす大樹の根元に、荷物らしい塊が固めて置かれていた。
その傍らに、灰色っぽいフードのついたローブをまとった人が立っていた。
わたしの視界が変わってその人の姿が目に入った時、灰色ローブの人も同時にわたしたちに気が付いたようだった。
わたしたちは灯りを持っていなかったから、どうしてわかったのかはわからない。
魔法に気配でもあるんだろうか。
とにかく灰色ローブの人は、慌てたように振り返った。
もちろんヒースも気が付いたはず。
それはすべて同時だったはずだ。
ローブはすっかりその人の体を覆い隠していたけれど、彼女が女性であることはすぐわかった。
「きゃー!」
悲鳴がどう聞いても女性のものだったから。
フードを深く被り、その奥の目は隠れているから表情は窺いにくかったけれど、悲鳴を上げた口元からは恐怖以外のものは感じなかった。
フードの人のところまで、約五メートル弱。
わたしを抱いてた腕をなめらかに離して、その瞬間から駆け出すヒース。
何をするためかは――
彼女はヒースが走り出したから恐怖したのか、いや目に入った瞬間には悲鳴を上げてたと思う。
つまりヒースに殺されるかもしれないって最初から思ってたんだろう。
なんてことまでは、その瞬間には頭回ってなかったけど。
「殺しちゃだめっヒースっ!」
先に何するか言ってくれてなかったら、見守っちゃうところだった。
叫んだわたしを、ヒースはちらと振り返ったような気がした。
その一瞬が、彼女の命を救った気がする。
それがわたしとヒースの未来を変えることにはなっただろうけど、それは……それでいいと思う。
誰かを殺してまで逃げたいとは、わたしは思わない。
でも、ヒースには悪いことをしたかも。
「ちょっ、待てっ!」
一気に距離を詰めたヒースとローブの彼女との間に、大樹の後ろにいたらしい人影が飛び込んだ。
人影が、やっぱり剣でヒースの剣を払い除ける。
「説得などと言っても、はなから私を逃がすつもりはなかったわけですね」
「待てって。無理矢理おまえを連れて行けるとは思っちゃいない。それでも、手を打たなきゃ逃げられるってわかってる奴相手に無策で突っ込むほど馬鹿でもない。それだけだ。落ち着いてくれ」
後ろ姿でもわかる、ヒースは目の前に飛び込んだ男の人を睨んでる。
飛び込んできたのは濃金の癖っ毛の青年だった。
剣を持っていて、なんというか騎士風とでもいうような格好をしている。
ヒースよりもちょっと年上に見える。
……年齢の推測はヒースがちょっと規格外だから、外してるかもしれないけど。
どうどう、という感じで、ヒースを宥めようとしてる。
「縛り上げて連れて行こうなんて考えてるわけじゃない。そんなことは不可能だ、わかってる」
「どうでしょう」
剣を交わしながらも、ヒースから剣呑なオーラが出まくりの会話が続いている。
濃金の髪の人は灰色ローブの彼女を庇う位置に移動していた。
そしてヒースと濃金の髪の彼との間の会話は、灰色ローブの彼女の泣き言に中断された。
「閣下ー!」
「頑張れ、ミルラ!」
「維持と相殺を両立するには限界があります!」
「どうにかして頑張れ!」
「剣振りながら! 無詠唱で攻撃魔術を連発できるような人に! 競り勝てると本気で思ってるんですか!!」
「勝てなきゃ終わるんだ、勝て!」
諦めたら試合終了だってことだね。
……それはお互い様だわ。
動きが激しいし、これ以上近付けばわたしのダダ漏れ分がバレそうな微妙な距離だ。
邪魔をしたらヒースが怪我をしそうで怖い。
だから最初に止めた以外には息を飲んでヒースたちを見つめるしかなかったんだけど、ヒースは飛び込んできた濃金の髪の人と剣をぶつけながら、その後ろにいる灰色ローブの彼女を邪魔しているみたい。
彼女の周りでは、あちこちでチカチカといろんな色の光が瞬いていた。
そこだけ明るく、場違いな感想が許されるなら、とても綺麗だ。
ヒースは本当に強いらしい。
この距離って意外に会話が聞こえるもんだなあと、場違いにのんびり考えていた。
「諦める気はありませんか」
「俺も命がかかってるんだ。言ったろ? 次は親父で、その次は俺なんだ」
「悪いとは思っています」
「なら諦めてくれ」
「無理ですよ……そもそも戻れるわけがないでしょう。戻そうと思う方がおかしいんです」
「多少の無茶は俺と親父でどうにかする!」
「ギルバート。私が嘘をついたと思っているんですか」
「嘘じゃないのか」
「嘘じゃありません」
「……嘘じゃないのか」
ギルバートと呼ばれた濃金の髪の彼が、私を見たような気がした。
次は13日朝です。これ以降は日中の3回更新。




