第15話
わたしはこの世界の常識を知らないので、この世界の夫婦がどうしたら夫婦なのかわからない。
わたしたちは今、夫婦なのか、同居している恋人なのか。
ヒースとそんなことを考えてしまう関係になってから結構経って、そんなことを考えてしまう日々を送っているわたしです。
「サリナ」
今は昼間。
明るい時間にコトに至ったのは二回目だけで、ヒースがわたしを呼ぶのもそういう意味じゃない。
「少し外に出ます。サリナは三階にいてください」
「う、うん」
そう言われて、慌てて塔の階段を上がった。
三階にいろと言われるのは初めてじゃない。
ヒースの生業は薬売りで、前に言われた通り、薬を買いに人が来る。
わたしが塔に住み始めてから一人しか来たことがないから、本当にたまになんだろう。
街に売りに行っていたのが主だったのかもしれない。
わたしがいっしょに住み始めてからは、わたしを置いて行かないようにしているのか、街に薬を売りに行くことはなかったけれど。
その、たまにの客が来たようだった。
そしてヒースには、ノックがある前に訪問者がわかるらしい。
森の道の途中に魔法を置いてあるのだと聞いた。
全方向、森中のことがわかるわけではないと言っていたけれど、主な道筋から来る客がわかるなら十分だと思う。
不意の客にわたしが見つからなければいいのだろうから。
三階まで上がって、どうしても気になって階段下に向かって耳を澄ました。
ヒースが外に出ると言っていたのが気になった。
前回の客の時には、外で話をしていたわけではなかった。
やっぱり上から耳を澄ませて盗み聞きして知った範囲内でのことは、戸口で出迎え、望む薬を聞き、作り置きのものから売って帰した。
なら、外へ行ったということは、薬を買いにきた客ではないのかもしれない……
その気持ちが大きくなってくると、三階でじっと隠れているのは辛くなった。
もしかしたら、やっぱり気が付かない間に誰かに見つかって、その誰かがわたしを連れに来たのではないかと思う。
もう階下から物音一つしない。
ヒースは外に出て行ったんだろう。
三階の部屋には窓もあるけど、玄関のほうは向いていない。
そこから覗いても、玄関の前で話をしてるなら見えない。
もしかしたら、と、窓に近付いた。
そっと外を覗いて、見回す。
身を乗り出したりはしてない。窓の横で身を隠すようにして覗いた。
塔の周りは裏の畑のほうはしばらく開けているけど、横手はすぐに森の木が迫っている。
そこはいつもと変わりなかった。玄関前のあたりはやっぱりよく見えない。
「大丈夫かな……」
取り越し苦労ならいいけど。
また階段のところに戻って、下を窺う。
まだ塔の中には戻ってないのか、物音はしない。
薬を買いにきただけの客にしては、話が長い。
緊張で、お腹が痛くなってきた。
どれだけ階段の下を窺ってたか自分ではもうわからなかったけど、やっと玄関の扉の開く音が響いた。
他人がいっしょに入ってきていたら、わたしは姿を見せたらまずい。
でも、どうなったのか気になりすぎる。
……声がしないし、ヒース一人だよね。
そうっとそうっと、階段を降りていく。
がたがたって、何か音がした。
階段を一階に至る途中まで降りると、廊下にいるヒースが見えた。
ヒースだけだ。
「ヒース」
呼んじゃってから、気が付いてドキッとした。
ヒースが今まで見たことのないものを持っている。
――剣だ。
ファンタジーの映画で出て来るような、剣。
実物を見るのは初めてで、この塔にあるとも思ったことがなかったもの。
ヒースは魔法使いのはずで、そんな剣なんて持っていると思わなかった。
ヒースは廊下にあった、灯りの魔法のかかった水晶球を置く、縦に細長い台の横を開けているところだった。
今まではただの台で、開けられるようになっているとは思わなかったけれど……
ヒースは階段の途中にいるわたしを見上げ、一瞬止まった後、なんでもない顔で剣をその台の中にしまって蓋をした。
見たことのなかった剣は、そこに隠してあったらしい。
「サリナ、いいと言うまで降りてきては駄目ですよ」
「ごめんね、ヒース……お客さん、もう帰ったの?」
「もう帰りました」
……本当に心配は要らないの?
「本当に?」
「サリナ……」
ヒースは綺麗な顔を俯ける。
「この国を出ましょうか」
ぽつりとヒースはそう言った。
「夜が明けたら、塔を出ましょう。幸い、君のことはまだ世間的には知られてないはずです。だから今なら、国境を越えても誤魔化しがきくでしょう。女神が落ちてきた場所を特定できる者はいない……女神にとって、もっと安全な国へ行きましょう」
ここよりももっと安全な国へ行こうと、ヒースは言った。
そんな国もあるの?
ああ、もう、何があったのとか、誰が来たのとかは訊く気はどこかに行ってしまった。
「女神に関わる決まりは国によって違います。ほとんどは男子禁制の場所に住まわせるようにするけれど、女神の力を封じる国もあるといいます」
「封じるの……? そんなことできるの?」
「理屈自体は私でもわかりますよ。封じる国はそれを選んだのでしょう」
力を封じる。
そんなことができるなら……
「行きましょう。いずれ、そうしなくてはいけないと少し前から思っていました。サリナ」
ヒースの両手が、わたしの手を握る。
「私は追われ者なのです」
「追われ者……?」
「私を邪魔に思う者がいるのです」
魔法使いの住む塔なんて、いかにもおとぎ話っぽいから気にしなかった。
でも、もしかしたら、ヒースは町には住めなかったのだろうか。
「私とでは追っ手がかかるとわかっていたから、今まで踏み切れませんでした。でも、それしかないこともわかっていたのです。本当は……君だけをそこへ送り出すべきなんでしょうけれど」
握る手に、少しだけ力が篭もった。
「私は駄目な男です……わかっていても君を手放せない」
ヒースから離れて、一人で行くのは……いやだ。
それがわたしのためだと言われても、いやだ。
「サリナ、逃げて追われるのは私です。君ではない。君には関係がないことで、私が追われるから、逃げることを躊躇っていました……ここで永遠に君を隠し切れないことはわかっていても」
間近にある、ヒースの真剣な顔。
「それでも君と共にいたいのです。我が儘な男を許してほしい」
「……わがままじゃないよ、わたしがいっしょにいたいから」
ヒースといっしょにいたいから、いられるところまでいっしょにいよう。
「いっしょに連れてって」
たとえ途中で見つかって連れて行かれても、逃げ切れなくても、誰も恨まない。
できるところまでしたら、きっとできる。
諦めることだって。
「サリナ……」
ヒースの手が頬を撫でて、そして髪を撫でた。
「サリナ」
ヒースに呼ばれるのが気持ちいい。
呼ばれるだけで気持ちよかった。
「いいの、わたしがヒースを好きだから」
ヒースがわたしから漏れる力に惹かれたのだとしても……わたしが好きな気持ちに証明は要らない。
そして女神の力を封じる国。
そこまで行ったら、この呪われたとしか思えない恵みの力も、どうにかできるのかもしれない。




