王都への旅路
「アディオス、学園都市クルスト。また来る日まで」
無駄に爽やかに決めてみた。ピッっと指で空を切ったりしてみて。
「あ、アヂ…?」
「鯵? …ああいや、アディオスっていうのは地方の言葉で……」
…のだけど、結局クリスに言葉の意味を説明したりで、お間抜けを晒すのだった。…うん、極まりがイマイチだ。
とりあえず目指すのは、王都ミレウス。ミレウス皇国の首都であり、精霊魔法に関しては世界一…といわれているらしい国。
なんでも、伝説では「一騎で7万の軍を止めた英雄」とか、「一撃で小さな村を消滅させた大魔導師」だとか「包丁一本で雷龍をさばいた」だとか、そんな偉人を数多く輩出したらしい。
…果たして、最後のは魔術関係あるのだろうか。
「如何かしましたか?」
「…ん? ああ、んにゃ、なんでもないよ」
表情に出たのだろうか。敏感に気配を感じ取ったクリスが、此方を向いて声を掛けてきた。
「体調が悪くなったら言ってくださいね? この辺りは湿度い割りに気温が高いので、熱射病に注意しないといけないんです」
そう言って、にこりと笑うクリス。
「了解」などと少し無愛想に成ってしまう応えを返しつつ、内心は感謝の気持ちでいっぱい。
思わずギュッとやっちゃった先日、クリスはデコピン一つで、「今度やる時はちゃんと事前に一声掛けてくださいね」とだけ言って許してくれた。
…うう、なんというか、俺如き愚人になんて寛大な処置か。
「うん、大丈夫。サンダース2世もちゃんと歩いてくれてるし。な」
言って、跨った葦毛馬の背を撫でてやる。
ヒヒィン、という啼き声はまるで「任せろ!」とでも言っているかのようで。
「そうですね。ナンナちゃんも頑張ってくださいね」
ヒヒィン、とクリスの跨る馬が応えるように啼く。
栗毛の馬、ナンナだ。
この二頭、俺達が購入した馬と言うわけではない。王都と学園都市間の間だけの貸し馬という奴だ。
本来なら、王都と学園都市の間には定期的に馬車が行き来している。俺達も初めはソレに乗る心算だったのだが、何処かのモジャ毛が俺達を探して街中を闊歩している、なんて情報がクリスの情報網に引っかかったらしい。
で、只でさえ駐在さんの視線が気になる今日この頃、街中で騒ぎなんて起こそうものなら目も当てられない事態になるのは明白。
クリスの助言を受けて、俺達は早々に学園都市を離れる事にして。
「まるで指名手配犯にでもなった気分だ」
「あはは、まぁ、実際追われちゃいましたしねー」
「モジャ毛め…今度逢ったら問答無用でフルボッコしてやる!」
「フルボッコ?」
フルボッコの意味をクリスに説明しつつ、馬はゆっくりと街道を北上していく。
カッポカッポという蹄鉄の音が、何となく心和ませて。
「……相変わらず、尻が痛いのは変わらないけど」
「…あはは」
少し上等なクッションを用意してきたのだが、それでもやはり尻は痛くなる。
初めて馬に乗ったときと比べれば確かに楽といえば楽なのだが…うん、やっぱり痛い。
「んー…俺は暫く歩くよ」
「ペースはこのままでも大丈夫ですか?」
「ああ、モチ」
馬のペースは今の所少し早歩き程度の速度だった。
こんなもの、ちょっとした散歩程度。しりが痛いのに比べれば幾らもマシだ。
サンダース2世の背中から飛び降りて、その横で手綱を引きながら歩く。
飛び降りた俺にサンダース2世はちょっと驚いた様子だったが、しかしブルルと一啼きして、再び平然と闊歩を再開した。
…うん、度胸のある馬だこと。
言いつつ、なんだかんだと言ううちに日は傾いていき、あっと言う間に地平線の彼方へと沈んでいってしまった。
「今日はこの辺りで野宿しましょうか」
夜中に町の外を歩き回るのは自殺行為、という言葉を思い出す。
クリスの言葉に従って、手近な木の下で焚き火を焚く。なんでも、木陰だと木の葉っぱが炎の光を隠したり、煙を散らして隠してくれるのだとか。
只の獣なら火で逃げてくれるが、此処はだだっ広い高原。木もあれば草もあり、獣も居れば魔物だって居るのだ。
まして、今の俺は通常の3割程度の性能が出るか怪しい状態。こういうサバイバルテクニックは何気に重要だったりする。
「他に何か気をつけることってあるのか?」
「水をちゃんと飲んで置いてください。寝ている間に脱水症状なんて洒落になりませんからね。あと、夜は冷え込むんで、ちゃんと暖かくして…そうですね、後は背中をなるべく木とかに預けておくと良いそうです」
魔物の襲撃時の緊急対応の為なのだとか。
クリスも、旅はなれたものらしく、てきぱきと準備を始め、あっと言う間にキャンプスペースを設置してしまっていた。
「手早っ」
「慣れてますから」
で、早々に夕飯。
ズダ袋の中から干し肉を取り出し、火で炙って齧る。
なんとも微妙な味だが、まぁ肉は肉。美味しく頂きました。
そしてその後、クリスの指示に従って、サンダース2世とナンナの背中から毛布を下ろし、その一つをクリスに渡した。
「もう寝るのか?」
「はい。夜も道も長いですし、こまめに休んでおかないと。明日も歩きとおすんですしね」
言って、クリスは目を開いてどこかを見たまま、凍りついたかのように固まってしまう。
この忘我状態と言うか、トランス状態というか……。
弱まった俺の霊的感覚でも感知できる、この不可視の存在。
精霊だろうソレに、クリスが何かを話している様子を知覚して。
「……ふぅ」
「何してたんだ?」
「風の精霊に、魔除けと鳴子の役目を頼んでたんです」
鳴子…というと、紐に引っかかるとカラカラなるあの仕掛けか。
「つまりは、風の精霊に見張りをお願いしたってこと?」
「その通りです。さすがケントさん!」
褒めてくれるのは嬉しいが、たかがコレだけで其処まで喜ばれるというのも、流石に此方も小恥ずかしいものがある。
「精霊魔法って便利なんだなぁ」
恥ずかしいのを誤魔化しつつ、肩を竦めて目を閉じる。
「オヤスミ、クリス」
「おやすみなさいケントさん」
挨拶を交わして、意識を底に沈めていく。
…視界が黒く染まる直前、少しだけ開いた瞼の先。
うつらうつらとしているクリスの寝顔と言うのも、やっぱり可愛らしい物だった。