馬車、舞い寄る災い
「……むぅ」
なんだろうか。嫌な予感がする。
昼間、護送用の高級馬車でロイのおしゃべりに付き合って、寝るときは流石に馬車からは下ろされてしまった。
従者用の野営地。
俺の分のテントはありはしたのだが、流石に侍女さんと同室と言うのは気が引けてしまい、現在進行形で木の上で寝ているのだった
「……ぬぅ」
人の気配とか、そういう明確な悪意は感じない。
が、予感はもうすぐ起こるであろう何かを確かに示していて。
「……………」
木の上で、着実に武装を整えておく。
もし俺のこの予想が的外れでも、俺が武装する分には兵士連中には特に迷惑も掛からないだろうし。
腰のベルトに包丁と釘入れを入れなおして、さらに石袋も装備しておく。
当たる心算はないけれども……。
鞄の中からグローブを取り出して手にはめる。
カンガルー皮のグローブ。幾ら気の技が在るといっても、流石に50人以上殴れば手が疲れてくる。
ソレをカバーする為に特注したのがこの皮グローブ。
指と手の甲に鉄板が張られており、気を注ぎ込む事で攻撃力、防御力共に上げてくれる一品である。
制作費は…嗚呼、思い出したくも無い。
貧乏学生には手痛い出費だったのは事実だ。
「…………」
手に通して、気を注ぎ込んでみる。
久しぶりに手にはめたが、十分に使えるだろう。
「…さて、後は件の災いだかなんだかが到来するかどうかなんだけれども」
気配を感知できるように、精神を研ぎ澄ましておく。
幾つか固まっている人気。これは間違いなく馬車の面々だ。
「………………………む」
探知状態のまま仮眠に入ろうとして、…探知。
後方の大分離れた所に、結構な数の人気を感じる。それも、殺意とか戦意を感じる。
先ず間違いなく、敵かそれに順ずる存在だろう。
「……んーと」
この距離なら、確実に相手側の奇襲は成功してしまうだろう。
だから、奇襲されても対抗できるように、此方の人員をたたき起こしておこう。
「携帯電話………音量は最大で……よし」
電源を入れて、前回と同じく音源アプリを起動させる。
今回のは動物物ではなく、只単純に大音量で警報音を鳴らすだけの代物だ。
アプリにセットとして入っていたのだけれども、正直ネタ以外のなんでもなかった。
まさか、使う機会が訪れようとは。
耳に手を当てて、即座に耳をふさげるように準備しつつ。
なる時間は60秒。その間は如何に手を尽くそうとも絶対に鳴り止まない。
「せーの」
ポチッと。
携帯のボタンを押した途端、凄まじい音が夜に響いた。
「……………!!」
「!?」
「―――――!!!!」
あー、何か大騒ぎになっちゃってるよ、兵士達のほう。
まぁ、機械的な音声なんて知っている筈もないだろうし、騒がれるのも在る意味では当然なんだろうか。
が、その混乱もすぐさま収まった。
はじめに響いたのはダニエルさんの声。
流石騎士というか、その一声で兵士達の混乱を解いてしまい、次いで、遠目に見えるその異常にも気付いた。
「なんだ、あの明かりの数はっ!!」
遠くに見える、幾つもの数の松明。
ソレが全て人だとするならば…数は50は居るだろう。
そして、全うな人間は夜間は移動しない。夜間に魔物とはち合うなんて言う状況は、人間にとって絶対的に不利な条件なのだと、ダニエルさんは語っていた。
「真っ当な人間なら動かない。なら、真っ当じゃないんだろう」
「全員、急遽撤収準備っ!!」
ダニエルさんの一声で、突如空気があわただしくなった。
眠っていたはずの侍女たちも、すぐさまテントを畳んで馬車の中へ。
俺も木の上から飛び降りて、馬車の幌の上へと座り込んだ。
「ダニエル殿、如何する気ですかっ!!」
「この距離ならまだ逃げ切れる。全速でこの場を離れるっ!」
「敵に背を晒すなどっ!!」
「目的を違えるなっ!! 我々の目的は、ロイ様を送り届ける事だっ!!」
言い合った声は、然しすぐにおさまって、ソレと同時に馬車は急に発進して。
ヒヒィンと鳴くのは睡眠中だった馬。哀れ、馬。
寝起きで全力疾走させられた馬は、そのまま一気に街道を駆け出す。
「ほぉ」
背後に見えていた大勢の火は、しかし次第に距離を離して、そのまま何時しか見えなくなってしまった。
どうやら、上手く逃れる事が出来たようである。
「ま、なら良いんだけれども……」
電源を入れっぱなしだった携帯電話へと視線を落とす。
時刻は5時。なんとも微妙な時間だ。
「……うわ、眠っ」
まぁ、日が昇ってしまえば暫くは大丈夫だろう。
幌の上から下りて、馬車の中へと滑り込んで。
…さっさと寝てしまおう。うん。