7話
『今日も8時間の我慢大会が終わった。』
須賀はロッカールームで私服に着替えながらいつもそう思うのだった。
都市の中心部から大分離れ、田圃があちこちにある田舎とも言える場所でコンビニ弁当を製造する工場に須賀は勤めていた。
最初は派遣で現場に配属されたが、真面目な勤務態度とシフトを絶対に休まない事から気に入られ、昨年から工場に正社員として迎え入れられた。他の工場作業員からは「須賀は集中力が凄い」と褒められていたが、当の本人は全くそう思っておらず、作業は基本的に流れ作業の為、手を止めずにいつも違う事をいつも考えていた。
須賀は仕事に対して情熱等は持ち合わせておらず、かといって私生活で没頭する様な趣味も無く、ただ単に日々の糧を得る為に働いていた。
学生時代もパッとせず、就職活動も上手くいかず、たまたま登録した派遣会社から今の境遇に至っていた。
須賀は主体性も無く、常に流されて今まで生きていた。仕事のシフトでも、主体性が無い為、皆がやりたがらない夜勤を押し付けられ、今では夜勤専門で働いていた。
夜勤明けの朝、何時もと変わらない道を自転車で六畳一間のアパートまで帰り、簡単な食事を録画していたテレビ番組を見ながら取る。テレビ番組はニュースとクイズ番組ばかりをいつも見ていた。ドラマは全く共感出来ず、バラエティーは叫ぶばかりの近頃の芸人に面白味を全く感じられず、話題がコロコロ変わるニュースやクイズに落ち着いた。そのため実際にやった事は無いが、知識ばかりが蓄積されていった。
その日はいつもと変わらないルーチンの中で、些細なニュースが須賀の心に引っかかった。それはアメリカでホームレスが警官に噛み付き、ホームレスは即座に射殺されたらしいが、噛み付かれた警官も意識不明の重体となったという内容のものだった。
「これは?ひょっとして?」そう一人呟くと就活以来、押入れにしまってあったパソコンを引っ張り出しネットで掲示板大手サイトを検索し始めた。
「やっぱり、来るか?来てしまうのか〜?終わりの始まりがぁ!!」
月一で呼ぶ、デリヘル嬢を待っている時くらいしか興奮しない須賀が珍しく興奮していた。電灯のスイッチ紐に向かってシャドーボクシングを始めるほどに興奮していた。
「こんな事やってる暇はない。今日は買い物だ!」普段は食事を済ますとすぐに寝る須賀だがサッサと食器を洗うと買い物に出かけた。
いつも利用しているスーパーに到着するとカセットガスコンロとボンベ、水、インスタント系食品、レトルト系食品を箱で買い占めた。一風変わった買い物内容に主婦が遠巻きに噂していた。
「お客さん、凄い量ですね。」須賀が工場以外で話す数少ないスーパーの店員が話しかけて来る。
「もしもの時の為の備蓄をね。思い立ったが吉日って言うでしょ?それに何もなければ徐々に消費していけば良いし。」
須賀は名も知らぬ顔見知りの店員と短い会話を交わす。
『誰も、もうすぐ終わりが始まるとか思ってないんだろうなぁ』店員と会話しながら頭の中で須賀はこんな事を考えながら、哀れみとともに喜びを感じていた。
『誰も知らない事を自分だけが知っている。自分は選ばれたんだ、特別なんだ。』そういう考えが須賀の頭の中を渦巻き、興奮していた。
これまで掃いて捨てる程に、どこにでも居そう、容姿も悪くも良くも無く、力が強いとかスポーツが出来るとか、成績も良くもなく悪くもなく、没個性、いわゆるモブキャラとしてこれまで生きて来て、初めて自分が他人より優位に立てる状況、輝ける可能性があると言う事と、自分の人生にどこかつまらなさを感じていて、常日頃からトランプゲームでいう大富豪の革命的なドンデン返しが起こらないかと思っていて、まるでその手札を手にしたかのような優越感を感じているためだった。
須賀はスーパーとアパートを自転車で数度往復し、全ての食料をアパートに投げ込んで昼食を取ると直ぐにホームセンターに向かった。
ホームセンターでは、スコップ、バール、手斧等の武器となりそうな物と丈夫な作業着、雨合羽、安全靴、ヘルメット、保護メガネ、ガスマスク等の武器や防具となりそうな物を買い漁った。それから大工道具にロープや木材懐中電灯にラジオ、それに対応する電池を大量に買い込んだ。
さすがに自転車では運べない為、軽トラックの貸し出しサービスを利用してアパートまで運んだ。
全てを運び入れて一息つくと、今度は内側から出入り口に木材を格子状に打ち付け外からの侵入に備えた。
須賀は全ての出入り口に板を打ち付けるとそこはさながら座敷牢の様だった。
須賀は部屋をグルリと見回し、どこか封鎖し忘れた所が無いかチェックした。
「我ながら完璧だ。これで誰も侵入出来ないだろう。最後の仕上げに・・・」そう呟き携帯を取り出し職場に電話をかけた。
電話に出たのは仄かに恋心を抱いていた事務の女性だった。夜勤専門になってからは生活が逆転して会話のチャンスすら無く、恋のアタックをする事を須賀は諦めていた。
「あの、須賀です。」
「あら、須賀さん、久しぶりぃ〜。どうしたんですかぁ〜?」
媚びを売る様な語尾を伸ばす頭の悪そうな話し方の女性事務員が電話に出る。
「会社を辞めようと思って電話しました。」
「はぁ?あんた子供じゃ無いんだから、辞めます。ハイそうですか。ってなると思ってんの?」
須賀の淡い恋心は一瞬で消え去った。
事務の女性はまだ何か電話口で喚いていたが須賀は一方的に電話を切った。
「はぁ〜、一瞬教えてあげようと思ったけどなぁ〜。」溜息を何度か吐いた須賀は思い出したかのように電話を掛け始めた。
「ただいま電話に出る事が・・・」留守電だった。須賀は特に何もメッセージを残さずそのまま通話を終了させた。
電話の相手は須賀の母親だった。父親は須賀が小学校の時に交通事故で亡くなり、また祖父や祖母は父方、母方どちらもすでに亡くなっていたため連絡を取るような親族は母親だけだった。
須賀の母親は須賀とは全く逆の性格でお喋りで社交的だった。それも一方的に話し続けるので須賀は自分の母親なのに苦手に感じていて、母親からの電話はストレスに感じていた。
ある時、ふと思い立ってICレコーダーに「へ〜、そう!それで、ふーん。」と言うセリフを間隔を開けて録音した物をエンドレスで電話に流し続けてみると、なんと会話が成立しているのを発見してから母親からの電話のストレスは感じなくなった。電話がかかって来るとICレコーダーをセットするだけで相手は気づかないためゆっくり好きなクイズ番組を見ることが出来たからだった。
「母さんにも教えてあげたかったけど、人の話を聞かないからなぁ。直ぐに自分の話をしたがるからな。どうせ言っても信じないだろうし、まっ、良いか。」
須賀は誰に言うでも無くそう呟くと布団を敷き寝始めた。今日はいつもの型にはまった様な生活では無く、随分と動き回ったからか、横になると直ぐに意識を手放し眠りについた。




