6話
「助けて下さい!」
少し離れた所からこちらを伺う様に見ていた小学4年生くらいの男の子が勇気を振り絞る感じで声を掛けてきた。
「どうした?」
「お母さんがお父さんに噛まれてる。」
「そうか・・・」
「お母さんを助けて。」
男の子は堪え切れず聡明そうな大きなクリクリの瞳をウルウルさせ訴えてくる。
少し考える間を置いてトシローは決断した様子で話し出した。
「正直に言おう。お母さんはもう助からん。おじさんは人が人を喰うバケモノをたくさん見た。噛まれた人はみんなバケモノになった。だから、辛いかもしれんが諦めるんだ。
これからは、妹を守る強いお兄ちゃんにならないとな!だからメソメソするな。」
「嘘だ!このルンペンおやじ!お母さんがバケモノになんかなるか!」
堪えきれず涙を流しながら男の子は悪態を言った。
「おじさんはこの川の下流に住んでたんだ、そこはさっきも言ったがバケモノばかりの地獄になった。おじさんはお母さんみたいな人はいっぱい見てきた。だから、な?」
「お母さんはバケモノにならない!いつも優しいし、良い匂いするし・・・」
男の子はヒックヒックと嗚咽する声を漏らしながら言う。
「もう、食べられちゃったんだよ。お母さんは助からない。ここで同じ事を言い合っても埒が明かない。もうすぐ夜になるぞ、家には帰れないだろう?どうするんだ?」
「・・・」
二人の兄妹は困った顔で見つめ、おし黙る。
「あー、近くに親戚はいないのか?」
「じーちゃんがS県にいる。」お兄ちゃんの方が答える。
「んー、この先の山を越えたとこかぁ。それなら方向は同じだから、一緒に行くか?」
「知らない人について行っちゃダメだってママが・・・」
あちこち跳ねて、硬そうな髪を無理やり結んでお下げにした妹が初めて喋る。
「えっ?あぁ、おじさんの名前はトシローだよ。お嬢さんは?」
トシローはしゃがんで目線を合わせながら努めて優しい声で話しかける。
「ユキ。コレはメイ!」
そう元気良く言いながら後ろ手で隠してたオレンジの髪をしたお下げのヌイグルミをトシローの顔面にグイっと差し出した。
「ちゃんとお名前言えてエライねぇ〜。ユキちゃんにメイちゃんだね、よろしくね。お兄ちゃんのお名前は?」
「ソウタ。」
さっきのやり取りに納得がいっていないのかソウタは無愛想に返事をする。
「これからもう少し上流に、山の方に向かって川添いに歩くからね。頑張ってユキちゃんはついてこれるかな?」
「はーい!」
元気良くユキは答えるが、トシローは慌てて
「出来るだけ大きな声とか音とか立てない様にしようね。こわいお化けがやって来るからね。
大きな音を立てると赤ずきんちゃんを食べちゃったオオカミさんみたいなのが来るよ。」
「赤ずきんは食べられてない!」
ソウタが噛み付く様に訂正してきた。
「あぁ、そうかそうか。おじさん間違えちゃったね。まぁ、大きな音を立てちゃいけないゲームと思って楽しんでやって見よう!頑張れるかな?よーいスタート!」
トシローは声を出さずに拳を小さく振り上げ『おー!』と口を動かすと、子供達も拳を振り上げ『おー』とマネをするがユキちゃんは思わず小声が出てしまった。
「はいっ、ユキちゃんの負けぇ〜」
「おじさんズルい。今の無し。もう一回!」
「ユキちゃん声大きい。じゃあさっきのは練習で、もう一回始めるよ。よーいスタート。」
そう言うとトシローは無言で川上目指し川原を歩き始めた。
『正直、疲れる。しかしこのまま見ぬふりはないだろう。願わくばこの子達の爺様が生きている事を願うしかないか。こんな世界で子供でいる事は残酷な未来しか想像出来ないが、もしあそこで出会わなければあのまま・・・』
トシローはそんな事を願いながら歩いているとふと後ろからついて来ているはずの二人の気配が無い事に気がついた。
慌てて振り返ると、50m程度下流で川添いの道路に上がろうとする二人が見えた。
道路と川原とで高低差があるためか、ソウタがユキを道路へ押し上げようと踏み台になっている。道路の上は明らかに人間では無い挙動の人影が見えた事をトシローは確認すると反射的にリュックをその場に投げ捨て走り出した。
『クソっ!間に合うか?』一足毎に河原の丸石がジャリジャリ音を立るがトシローは構わず全力疾走する。
「何やってんだぁ!」
思わずトシローは叫ぶ。道路に上がったユキのすぐ側にユラユラとした人影が近付いているからだった。
「おかぁさんが上の道に居るんだ。」
ソウタが嬉しそうにそう答えると同時にユキの泣き叫ぶ声が聞こえた。
「いたい!いだい!おかぁさんいたい!やめてよぉ」
その声を聞いてソウタは心配そうな表情をトシローにむけるが、
「あれはもうダメだ。諦めろ、行くぞ。着いてきても、着いてこなくても良い。勝手にしろ。」
トシローは小声でそうソウタに伝えるとクルリと振り返り、再び上流目指してゆっくりと歩き始めた。
残されたソウタは頭上の道路とトシローの背中を交互に何度か見遣るとトシローの後を追って上流に向かった。




