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32話

薄暗い部屋で一人、中村は身体を拭いていた。

こんな世界になって満足にご飯も食べられず、風呂にも入れず、髪はベタつき、着替えも碌になく、元の世界だったらオシャレして遊びに行って素敵な人と出会って…。

奇跡的に蛇口からはまだ水が出ていたためタオルを濡らし、こまめに清拭してはいたが、それでも若い雄達の体臭が自分に移る様な感じがし、それが嫌で中村は取り留めもない現実逃避をしながら身体を拭いていた。

家事能力が壊滅的な中村は、集団の中で役に立つ事はほとんど無かった。それこそ合流当初は色々とチャレンジしたが、戦闘能力は無く、家事は須賀の方が遥かに上手であり、中村が手を出すと皆が嫌な顔をする始末。今の状態は必然だと言っても良い。それは中村にも解っていた。

その時、部屋の外から慌ただしい雰囲気がして中村はサッと着替えると部屋から出た。


山本の叫ぶ声が聞こえる。

「須賀ぁ、消毒液を全部持って来い!田中が噛まれた!」

須賀は救急箱にしている銀行にあったジュラルミンのアタッシュケースを持って走ってきた。

田中は斎藤組の一人だった。

テーブルに横たわった田中の腕からは蛇口を軽く捻った様にダラダラと出血が続いていた。

須賀は山本達に田中を押さえつける様に言い、消毒液を腕にかけた。腕に深く残る歯型の谷間にも2本指でクパァっと強引に開きながら消毒液を流し込む。

田中は余りの痛みに泣き叫び、暴れようとするが腕を山本と原田に、脚を斎藤達に押さえつけられ動く事が出来ない。田中は痛みから逃げるため、それでも身体を強引に捻る。

須賀は未使用の歯ブラシを取り出すと腕の歯型に残る異物を消毒液を掛けながらブラシで擦り取り除く作業を始めた。

消毒液でさえ激しく痛むのにその上ブラシで傷口を擦られればその痛みは途轍も無いもので田中はグフゥという声とともに意識を失った。

ブラッシングを続けると田中の腕からはゾンビの歯が一本コロンと出てきた。

他に異物が無いのを確認して須賀はライターで焼き消毒した縫い針と予め消毒してある絹糸で傷口を縫い始めた。

「普段はゾンビ怖いよ〜なんて言ってる癖にこう言う時は頼りになるなぁ。」

原田は須賀の怯える口調を真似して場の雰囲気を和らげようとするが、須賀に「ちょっと黙ってろ!」と低い声と真剣な眼差しで言われ口をモゴモゴさせながら大人しく須賀の作業を見守った。

ひと針ひと針丁寧に縫い、作業開始から3時間経ってようやく縫合が終了した。

須賀はその場にヘタリ込むと目頭を押さえ涙を浮かべていた。

「須賀、おつかれさん。どうしたんだ?」

山本は須賀の涙を不思議に思い訊ねる。

「初めて人の縫合なんかしたから疲れと何だか分からない感情が溢れた感じですね。田中君早く良くなると良いですね。」

「あれだけ丁寧に消毒して縫ってもらったんだ、その努力は報われないとな。頑張ったな。」

山本は須賀の肩を荒々しくバシバシ叩くと回収した物質を田中の隣のテーブルに並べ始めた。

そこには家庭用ゲーム機器と対応するソフトがズラリと並んだ。

『こんな物の為に田中君は…』

須賀は余りにも予想外の品々にビックリし開いた口が塞がらなかった。

「おぉ、そんなに喜んでくれるか!今は2日物資の調達に出かけたら1日休むだろ?休みの日はこれで思う存分遊べるって訳よ。田中も強く望んでたしな。あの怪我じゃ、治るまでは田中専用のおもちゃだなこりゃ。人間いつ何時も遊びが大切よ!なっ須賀。」

須賀は首を縦に振るしか無い山本の同意に軽くうなづいた。

「それにいつ屋上の太陽光発電が故障するかもわからんし、それまでは精一杯遊べるだけ遊ばんとな。」

山本達の根城となっている銀行は屋上にソーラーパネルが設置され、太陽光発電で昼はおろか夜も電気が使えていた。

ただ、バッテリーの性能があまり良く無いのかここ最近は夜間に電気をつけると直ぐにバッテリーあがりを起こしていた。


『くそっ!須賀の童貞野郎が!これで私の必要性がまた一つ消えたじゃないか!』

中村はドロドロした思いで須賀を見ていたが、中村は傷の手当てに関する知識、特に縫合等の知識は当然の様に持っておらず、ただのやっかみでしか無かった。

それでも自分よりも格下だと思っていた須賀が活躍して皆にチヤホヤされている様を見るとどうしようもなく胸がザワつき、イラついていた。

その感情が何なのか分からず、中村はただ須賀と山本を見ていたが、急にフッと理解出来た。

性の奴隷状態と言っても過言では無い今の状態から、自分はこの集団の女王になりたいのだと。

でもなれない、その方法も手段も分からない。それがイラつく原因だと気がついた。

気がついた所でやはり自分だけの力ではどうしようもなく、誰かの庇護につきその地位を勝ち取るしか無かった。

中村が無いものねだりの考えを巡らせていると珍しく、いやこの根城に来て初めて須賀が声を荒げていた。

「こんな物の為に大怪我して、もし死んじゃったらどうするの?」

「明日死ぬかも知れないなら、今日やりたい事を精一杯する。それのどこが悪いんだ?」

「生きる、ってその時その時だけの刹那的なものじゃなくて、ずっと続いて行く事なんだよ?計画的に食糧を貯めて、不測の事態に備えて、ひょっとすると子供だって産まれるかも知れない。その時どうするの?」

「そんな生き方したって楽しくねーだろ?せっかく全てがリセットされたんだ。お前も今を楽しめよ。」

「楽しむのは悪い事じゃ無い。けど、危険を伴ってまではダメだよ。」

「いいか?今は安全な場所はここしか無いんだ。ここに籠ってる須賀は分からねーだろうが、一歩外に出ると楽しかろうと楽しくなかろうと危ねーんだよ。」

「分かった。じゃぁ皆んなの防具を作るよ。そしたら今回みたいな事にならないでしょ?そしたら真面目にしてくれる?防具作るには型取りのためにアルジネートと石膏、木工用ボンドをそれぞれ大量に持ち帰って。防具の材料はこの銀行にある物で作れるから。」

「おっ、何だそれ。面白そうだな。ちなみにどんな防具なんだ?」

「デザインはある程度融通は効くよ。コピー用紙で作るから。」

「はぁ?んなもんで大丈夫なのかよ?」

「ローマ兵達の胴鎧は布と膠で作ったんだよ。それでも矢を通さない強度があるんだ。しかも軽い。それをコピー用紙と木工用ボンドで作るんだ。」

「さすがオタク。明日取りに行こう。所でアルなんちゃらはどこで売ってるんだ?」

「ホームセンターかフィギュアなんかのホビー用品売ってるところには必ずあるよ。型取り◯◯みたいな感じの商品もあるよ。」

「さすがオタクだな。」

「オタクじゃ無いってば。それに2度も繰り返さない。」

「アイアソマソ見たいな感じの防具作れるか?」

「ぱっと見の見てくれだけなら出来るけど、関節部分は出来ないよ。」


山本と須賀のやり取りを見ていた中村はまたも活躍の場を広げる須賀に歯痒さを感じながら、その防具が有れば自分でも外を自由に散策出来るのではと考えていた。

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