24話
秋の空はカラっと晴れて夏とは若干違った色の光線を太陽は放っていた。
事務所の窓から入る日差しが眩しく、福井は目を覚ました。
慌てて腕時計を見ると10:00を少し過ぎたところだった。
福井は隣で寝息をたてる中丸を揺する。
「マルちゃん、起きて!もう10:00過ぎてるよ。ヤバいよ。」
「あー、もう少しだけ…。ん?10:00?何で誰も来てないんだ?」
「分かんないけど開店準備しないとランチに間に合わないよ。」
「おぅ、ダッシュで準備する。」
中丸は眠い目を擦りながらガバっと起きるとコック帽を被りキッチンへ走る。
「おー!見事に昨日のままだな!」
昨夜はオーナー秘蔵のワインを中丸と福井で数本空けて二人とも事務所のソファーで寝ていたのだった。
中丸は昨夜の片付けを手際よく始めるとホールの方からは掃除機をかける音が聞こえて来た。
キッチンカウンターからホールを除くと福井が掃除機を忙しく動かしていた。
「そっちもか…。ったく、誰も来ないなんてオーナーに嫌気さしてボイコットしたかぁ?」
普段であればキッチンには中丸の部下のコックが1名、見習いでアルバイトの若い男性が1名の3名体制でランチの仕込みをしている時間帯だった。ホールも同様に福井とアルバイトの女性2名の3名で開店準備をしているはずであった。
いつも11:00には開店準備がほぼが終わっており11:30に開店、気の早い客は11:10には来店する。
必要最低限の準備だけが終わった頃は11:00を少し回った頃だった。
「こっちは何とか間に合ったけどそっちは?」
福井がキッチンに向かって叫ぶ。
「こっちも何とかな。あとはオーダー捌きながら同時にするしかない。ちょっと裏で一服してくる。」
中丸はコック帽とエプロンを外し裏口に回った。
福井はホールで今日のランチメニューを黒板で出来た立て看板に書き込みながら空いた手をヒラヒラさせ返事した。
『アン プチ ルークス』の裏口はビルとビルの谷間にあり、昼間でも薄暗い。
周りの店舗のゴミ箱や室外機が所狭しと置いてあり、人が一人通るのがやっとのスペースしかない。
中丸はそこにアウトドアで使う折り畳みのイスを置いて休憩スペースとして使っていた。
中丸はイスにドカっと座ると直ぐにタバコに火をつける。
「アイツらみーんな休みやがって、一人で3人分の仕事が出来るかっての!」
ブツブツ文句を言ってると、背後からゴミ箱を倒す様な音が聞こえた。
中丸が振り返るとそこには黒いライダースジャケットを着てエプロンをつけた不思議な格好の人物がいた。
「あー、先輩っすかぁ。今日は食材何も無いっすよー。今日は配達も来なかったから、あり物の食材でランチを捌くから…。って、聞いてます?」
黒いライダースの男はゴミ箱や室外機にぶつかりながら中丸にどんどん近く。
「先輩、酔っ払ってんすか?」
中丸が近づくと黒いライダースの男は中丸の両肩をガシっと掴んだ。
「先輩!イテーっす!って言うか、その首大丈夫っすか?」
黒いライダースの男の首筋は楕円にスプーンでえぐり取られた様な傷がついており、食道やその他の管の様な物まで見えていた。
中丸がその傷口に気を取られていると、黒いライダースの男は、開けられる限界まで口を開けると中丸に向かって噛み付いてきた。
中丸は既のところでライダースの男を突き飛ばし噛みつきから逃れた。
「うへぇ、首の傷口に指が入っちゃったよ…。何すんすか先輩?ちょっとマジ洒落にならんっすよ?」
ライダースの男は隣の店舗の丸いゴミ箱に腰掛ける格好で尻からゴミ箱にハマってもがいていた。
中丸はもがくライダースの男に次々と質問していたが男は全く答えない。
これはどうしたものかと中丸は腕を組んで考えていると前方からライダースの男同様に、ゴミ箱を蹴散らしながら歩いてくるサラリーマン風の男、その後にも、そのまた後にも、ずらっと一列になってビルの谷間を行進してくる集団に気がついた。
先頭のサラリーマン風の男には右腕が無かった。つい先程無くなったのか、右腕は肩から千切れて一歩歩くたびに赤黒い液体がピュッピュッと噴き出て辺りを汚していた。
その異常な光景に中丸は全身にゾワ〜っと鳥肌が立つのを覚え、店に戻ろうと回れ右をする。
ビルの谷間の反対側からも同様にずらっと一列になり行進してくる集団を見つけた。
うめき声は発するものの、誰も言葉を発さず、ふらふらと歩いてくる様は異常そのもので、中丸は得も言われぬ恐怖を感じた。
中丸は緊張のためか、異常事態のためか脚に力が入らず上手く動かせずに、近づいてくる集団と同じ様なスピードで店の裏口に向かい、そろそろとドアを開け、中に入り鍵を掛けた。
ここで呪縛が解けたかのごとく脚が動き、ホールへ向かった。
「福ちゃん、裏、ヤバい…。アァーッ!!!」
中丸が叫んだ理由は福井がエントランスのドアを開けようとしていたためだった。
ドアは格子状の木材に強化ガラスが嵌められ外が見えるものだった。
ドアの外には裏にいた類の人と思われる集団がいた。
福井は中丸の方を向いていて気がついていない。
中丸が走る。
福井の手がドアノブに掛かる。
一瞬ドアが開くが間一髪で中丸が間に合い、直ぐにドアを閉め鍵を掛けた。次の瞬間、ドンドンドンとドアが叩かれた。
「えっ?何?何?」
「俺も分からない。裏口にもいっぱい来た。」
「丸ちゃん、この人、大怪我してる。」
福井が指差す人物は頬が欠損し、傷口から奥歯が見えていた。傷口のすぐ上の白く濁った目玉は支えを失っているのか、今にも溢れ落ちてきそうな状態だった。常人であれば、その痛みで動けなくなるか、痛みをこらえるため手を当ててしまう様な怪我の具合だったにも拘わらず、平然と無表情でドアを叩いていた。
「あぁ、裏口に来たヤツもそんな感じだ。先輩も首筋に凄い怪我してた。」
「先輩って、あのホームレスになっちゃったあの先輩?」
「ああ、あの先輩だよ。話しかけても暴れるだけで言葉を理解してる風じゃなかった。噛みつかれそうになるし…。」
「どうする?警察か救急車呼ぶ?」
「あぁ、そうしよう。ドアは開けない方がいいと思う。ライオンを見て危ないと思える様に、俺の中の何かがコイツらは危険だって言ってる。」
中丸はドアを叩くゾンビをずっと見つめながらそう言った。
福井は店の固定電話で119へ電話するが繋がらない。
「119が話し中みたい。こんな事ってあるの?」
福井はすぐに110にも電話する。
「110も同じだよ。」
「ひょっとして皆んなが一斉にかけてるんじゃ無いか?」
「って事は、いろんなところでこんな状態だって事?」
二人の間に嫌な沈黙が流れ、事務所から付けっ放しのTVが緊急ニュースを伝える音と、外のゾンビがドアを叩く音だけが響いていた。




