22話
照明を点けてもどこか薄暗い地下のワインセラーで、黒いギャルソンエプロンをつけ、髪をオールバックにした細身のスタイルがよく似合う30代半ばの福井はワインを探していた。
数日前に訪れた自称食通の芸能人がネット上で福井の勤めるフレンチレストラン『アン・プチ・ルークス』を酷評し、それに気付いたシェフが名誉挽回とばかりに気合いを入れて作った新メニューを援護射撃するワインだ。
「やっぱり南の方だね。」
福井はそう呟くと南フランス地方の赤ワインをいくつか開け、それぞれ少量をデキャンタに移し、仔牛のローストをひと齧りしてワインを一口含み味わう。水を飲み、料理とワインの味を消し去って、また同じ行動を繰り返す。数本目のワインで福井は頷き、再度同じワインをズルズルと音を立てて口に含む。細身でイケメンとも言える福井はソムリエがやるテイスティング時の蕎麦を食べるかの様な飲み方をしても絵になる男だった。
「うん、これっ!」
福井が最終的に手にしたのは
コート・デュ・ローヌ・ヴィラージュ・レ・ベック・ファン・ルージュだった。
フランス南部産のこの赤ワインは主にグルナッシュ種、シラー種、サンソー種の組み合わせで作られたワインで値段もよく、コストパフォーマンスが高い。
味は口に含むと豊かな果実味で、プラムを思わせる風味の中にスパイスやシナモンが感じられ、余韻はわずかにチョコレートやバニラへと変化する。
決められた予算内で、より料理に合う美味しいワインを提供する、新たな料理とワインの組み合わせを発見し提案するこの仕事は福井は大好きだった。
たまに客の方からこの料理にはこのワインじゃ無いのか?とプロの癖にと嫌みを含めて言われる事もあるが、実際に食し、その組み合わせの良さに曇った表情が、ぱぁっとなる瞬間が福井にとって快感だった。だから客にワインの事で意見や嫌みをどれだけ言われても福井は平気だった。
そんな福井を見て同僚は、どんなに嫌みを言われても気にしない。嫌みをヒラヒラ躱す。むしろ快感に感じてる。M気質だ、俺と今晩…アァーッ!等と勝手に囁かれているが、本人は涼しい顔をして気にしていない。
「おーい、福ちゃん。ワイン決まったかい?」コック帽を脱いだ丸刈り頭の中丸がワインセラーに降りてきた。中丸は180cmを超える大柄のため地下のワインセラーに降りるにはコック帽を脱がないと地下の入り口にコック帽、いや頭そのものをぶつけるためだった。
「あぁ丸ちゃんか。これ、どうだろう?」
「んー、俺は福ちゃんが決めたらそれで良いぞ。でもちょっと一口だけ味見しよう。」
そう言うなり中丸は福井に口付けを強引にした。その大柄な体でスリムな福井を強引に抱きしめ、股間の暴れん坊を押し付けながら中丸は福井をレンガ作りの壁に追い詰める。
「んも〜、丸ちゃんダメだって、誰か来たらどうするの?」
福井が中丸の口と身体の拘束を解きながら口を尖らせ言う。福井は、さっきまでの颯爽とした雰囲気は無く、立ち姿も心なし内股で甘える様な上目遣いで中丸を見上げ、女性的な雰囲気を身体から醸し出す。
「誰も来ないって、閉店作業済ませたから上にはオーナーしかいねぇよ。ところで余韻が良いワインだな。」
「なんか味わってるし、変態っぽい。新メニューは今日オーナーに許可貰うの?」
「おぅ、福ちゃんのワイン待ちだ。行くぞ。」
「あっ、丸ちゃん待って。」
福井はワインとデキャンタを慌てて掴むと中丸の後を追う。
「んで、オーナーどっすか?」
中丸がオーナーが座るテーブルに覆いかぶさる様に齧り付き反応を伺う。
閉店後の店内で実際に客に提供する様に福井と中丸はオーナーに新メニューを試食してもらっていた。
「んー、美味いが、これは幾らのコースで粗利どれ位取れるんだ?」
「¥8,000のコースで粗利は¥1,600です。」
福井が中丸に変わってすかさず答える。
「ダメだ。全然話にならん!そんなもん大赤字だ。仕込みの人件費や経費、ロスを入れたら儲けゼロだろぅ!」
「かぁー!オーナーよぉ!俺たちは舐められたんだよ。あのクソ野郎を招待して美味い!って言わせないとダメでしょーが!この際、金勘定は無視してくれよぉ!」
「このコースをずっと出すのか?」
「イヤっ、その日だけのスペシャルっすよ。」
「なおさらダメだ!ウチは常連さんで成り立ってる。あんな批評は放っておけ。ちょっと批評されただけでスペシャルコース出してたら、其れこそ常連さんが離れていく。」
「んじゃ、アイツにやられっぱなしで良いのかよ?」
「このコースは定番化するなら最低でも¥15,000は取らないと採算が合わん。なおさらウチの常連さんは離れる。」
「だからぁ、金じゃねーっての、失った誇りっすよ!」
「その金を稼ぐからお前達も生きてるんだろぅ?一人の批評よりも、たくさん常連さんの信頼と評価でこの店、イヤっ、お前達も生かされてるんだぞ。」
「そんじゃぁ、ファミレスでもやりゃぁ良いじゃねーか!カネカネカネ言いやがって!こんな中途半端に高級路線走る店よりもよぉ。」
「丸ちゃん、言い過ぎだって。」
「おい、この店『アン・プチ・ルークス』のオーナーは俺だ。その俺のやり方に文句があるなら、今すぐ辞めてもらっても構わん!」
「俺が居ねーとこの店、誰が料理するんだよ。」
「あぁ?調子に乗るんじゃねーぞ?お前程度のシェフは掃いて捨てるほど居るわ。」
余りに険悪なムードになり過ぎた為、福井が中丸とオーナーの間に割って入る。
「オーナー、あの、もうすぐ開店20周年ですよね?その時のスペシャルメニューとしてどうでしょう?」
「それは良い考えだが、幾らに設定するんだ?通常ウチは¥8,000のコースがメインだろ?」
「ファン感謝デーとして、同じ¥8,000はどうでしょう?」
「それなら、もう少し料理のグレードを下げろ。ウチのコンセプトは普段よりちょっと背伸びするけど気軽に来れる、ちょっとしたお祝いなんかで使って貰う様な店だ。店名も『少しの贅沢』って意味だ!そのコンセプトから外れるだろ。それに〇〇周年感謝デーの度に大赤字になってちゃ、店の存続に関わる。」
オーナーvsシェフ・ソムリエの白熱した議論が交わされている時、店のドアを叩く音が聞こえた。
「かぁ、あんたはとことん金の亡…」
「ん?中丸ウルサイ!こんな時間になんだ?忘れ物か?」
中丸に最後まで言わせずオーナーは席を立つ。
この店はオーナーが入り口で客を迎え入れ、料理の提供までに簡単な会話を客と交わす、古いスタイルの店で、客が来るといつもオーナーは誰よりも早く反応する。
オーナーはツカツカとエントランスに向かう。
「丸ちゃん、ダメだって。クビになるよ?」
「けっ、クビにするならしやがれってんだ!職人の矜持ってもんを踏み躙りするやつは…」
「ぎゃぁぁぁぁああぁぁ!」
エントランスから壮絶な悲鳴が店内に響いた。




