2話
「土建屋、邪魔するよ。」
ペラっとブルーシートを捲りトシローが小屋に入る。基本的な構造はトシローの小屋と代わり映えしないが、さすがは元土建屋、地面は綺麗に水平に均され床下は一升瓶を入れるプラスチックコンテナーを敷き詰め、高床式になっていた。
地面からの寒気と湿気を防ぐ仕様だと土建屋は得意に話していたことをトシローは思い出す。
さらにそこよりも、もう一段ベッドの様に高くなっているところに布団を敷き土建屋は横になっていた。
「怪我したんだって?大丈夫かい?」優しくトシローは問い掛けるが土建屋からの返事は苦しそうな唸り声だけだった。
「シェフからお粥さん貰ってきたから、ここに置いとくぞ。出来ればあったかい内に食べな。」
トシローの声掛けに土建屋は唸り声で返す。トシローはそれ以上土建屋に構わず小屋を出た。
「で?どうだった?」
シェフも心配しているのかトシローが戻ってくるなり聞いてきた。
「ありゃぁ、ダメかもしれん。相当痛がってた。数年前に学生にリンチにされて亡くなった奴の時の感じに似てるな。明日の朝には冷たくなってるかもしれんな。」
「そうならん事を祈ろう。」
シェフが胸の前で手を組み空を見上げる。
「何にだ?神にか?ありゃダメだ。人間が苦しんでる様を見て喜ぶただのガキだ。聞いた話だが、聖書で悪魔が人を殺した数は数人、神が人を殺した数は数万だと。アリを水責めにしたり、踏んずけて殺すガキとレベルは変わらん。」
トシローは顔の前で手をヒラヒラさせながら目の前のハエを追い払う様な仕草で言う。
「誰かを心配して祈る気持ちは大事だろ?」
「確かにそうだな。んじゃ、俺も一緒に土建屋の回復を祈ろう」
焚き火を挟んでホームレスのオッサン二人が空を見上げ胸の前で手を組む様をトシローの相棒は不思議そうに見ているのだった。
一夜明けてトシローの好きな時間が来た。
小屋の中は真っ青なのに小屋の外はオレンジ色の空。今日は特に晴れていて、そのコントラストが綺麗だった。トシローは上機嫌でいつもは淹れないコーヒーを飲みながら、小屋の入り口を開け放ち、いつもと変わらず流れ行く川の流れを見ながら香りを楽しんでいた。
「おはよう。」
シェフが起きてきた。
「トシローさんはいつも時間通りに起きるよね。」
「うーん、時計から解放されたくてこの生活を送る様になったけど、皮肉な事に結局時間通りに過ごしてる。生活の糧を得る相手が時間通りに動く集団だから仕方のない事とは思うがな。よく見ると他の連中も割りかし時間通りに生活してるぞ。残飯漁りばかりやってる奴は俺もよく分からん。コミュニケーションも取れないしな。アレは半分植物みたいなモンだと俺は思ってる。」
「動く植物ね。見てると本当にその通りだな。天気のいい日は日向ぼっこ、雨の日は雨宿り、あまり水を必要としない所を見ると動くサボテンだな。」
「ははは、砂漠でも生きていけるかもな。シェフも上手い事言う。」
二人でまったりコーヒーを飲んでいると大きな悲鳴が聞こえた。
「何だ今のは?」
シェフが眉間に皺を寄せて声のした方へ振り向く。
「あの声は電気屋っぽかったな、一緒に見にいくかシェフ?」
「とととトシローさん、たた助けてくれー!」
電気屋は肩から血を流し走ってきた。電気屋は焦ると吃音症が出るタイプだった。
「おわっ!なんだそりゃ?どうした?」
「土建屋に噛まれた。」
「おい、ちょっと見せてみろ。」
傷口を抑えた手を退けさせると首の付け根、肩の僧帽筋の一部がスプーンでアイスクリームを掬った様に抉れていた。
「こりゃ重症だぞ。直ぐに病院に行きな。保険証はあるか?」
トシローは持ってるわけ無いだろうが一応聞いてみる。
「無いよ、んなもん」
電気屋は口を尖らせ言う。
「大丈夫だ、保険証が無くても取り敢えず応急処置はしてもらえる。日本の病院は保険証が無くとも診療を断ってはダメだと言う法律があるから、取り敢えずは診てもらえる。それからこれ、持ってけ。」
電気屋に¥5,000札を握らせるとトシロー達は土建屋の小屋へ向かった。
土建屋の小屋へ向かう途中に悲鳴がさらに聞こえてくる。
「トシローさん、こりゃただ事じゃ無いね。」
「うん、何が起こってるんだ?」
土建屋の小屋に向かう道中に土建屋はいた。
土建屋は顔面蒼白、ヨダレは垂れ流し、目は虚ろで瞳が白っぽく濁っていた。
トシローとシェフは土建屋の姿を認めると無言でゆっくり近づく。
土建屋はこちらを向いているが視界に入っていない様子でボケっと宙を見つめていた。
「土建屋?」
あまりに様子が違うためシェフが疑問形で声を掛ける。すると土建屋はピクリと反応し、そこで初めてトシロー達を視認したのか、こちらを真っ直ぐ見つめ両手を前に出し、唸り声を上げながらゆっくりと近づいてきた。
土建屋はシェフにノロノロとした動きで掴みかかろうとするが、シェフも異常を感じて直前で躱す。
「何だよ、酔っ払ってるのか?止めろよ。」
そう言いながらスルスル躱すシェフ。二人の様子を見つめるトシロー。
「土建屋いい加減にしな。」
何度目かの闘牛ゴッコの末、すれ違いざまにパチコーンとシェフは土建屋の禿げ上がった頭を平手で叩く。
「うん?」
シェフは土建屋を叩いた手を不思議そうに見ながらトシローに近づいてきた。
「土建屋が冷たいんだが。まるで体温を感じられ無い。」
そう言いながら右手を見つめるシェフの後ろから、襲いかからんとばかりに土建屋が近づいてきた。
「いい加減にせんかっ!」
トシローはそう言うとシェフと土建屋の間にサッと身体を割り込ませると土建屋の腕を掴み足を払って転倒させ腹ばいにさせる。掴んだ腕をそのまま背中側に捻りあげ、土建屋の首の付け根に膝を落とし拘束する。それはまるで刑事の様な身のこなしだった。手錠が無いのに背後に捻られた腕に手錠が嵌められた様に幻視するレベルの身のこなしだった。
「おめぇー、その動きは....」
驚くシェフがそう漏らす。
「昔、柔道やっててな。」
トシローは空いた手で頭をポリポリかく。
その時トシローの背後から電気屋が飛び出してきた。