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13話

キーボードをカチャカチャと叩く音がやけに耳につく様になって、やっと外が暗くなっている事に気がつき、チラリと腕時計を見て小さな声でグォっと言いながらノビをした荒井は、モニターの斜向かいの、遠くのシマでやはり同じ様にモニターとにらめっこをしている女性に目が止まる。

視線を外さないまま手探りでスマホを取り出し、メッセンジャーアプリを立ち上げ、素早くメッセージを打ち込み送信した。

遠くのシマの女性がモニターとのにらめっこを止め、荒井と同じメーカーのスマホを取り出す。

それまで軽い皺を眉間に寄せていたがメッセージを確認するとフッと表情が和らぎ、荒井と同じく素早くスマホを操作し、またモニターとのにらめっこを始めた。

しばらくして荒井のスマホに表示されたメッセージは『イイよ。』のひと言。

それ見た荒井は小さいガッツポーズをデスクの下で誰にも見つからぬ様にした後、すぐに遠くのシマの女性と同じ様にモニターとのにらめっこを始めた。



「荒井さんごめん、待った?」

オフィスでは見せない柔らかい表情で石崎が近いて来る。

「んー、大丈夫。タバコ吸いながらボケーっとしてた。どこ行こうか?いつもの所でいいか?」

「うん、イイよ。」

踊る様なイントネーションで、そう言いながら石崎は荒井に近づき腕を組む、荒井も当たり前の様に石崎の細い腰を抱く。

しばらく2人で夜の繁華街を歩き、少し暗い路地へと入り、いつも利用しているホテルへと姿を消した。

荒井は妻帯者だが、あまり良い結婚生活を送っているとは言えなかった。そんななか石崎が入社し、荒井は石崎を一眼見た時から恋に落ちていた。

相手に悟られない様に、またそんな気持ちは自分の中に秘め、外に出すべきではないと荒井は思っていたが、ある時の飲み会の帰りに2人きりとなり、飲み直した時の酔いに任せ、荒井はとうとう胸に秘めた想いを打ち明け、その日に2人は結ばれたのだった。

石崎も荒井が妻帯者と知っていたが、心根に荒井の事を意識していた面もあり、所詮一夜の過ちと思っていたが、ズルズルと体を重ねるたびに心から荒井の事を愛する様になり、2人で会っている時間が有限である事に最近は不満を持ち始めていた。



週に1度か2度の3時間だけの貪る様な愛を交わした2人はそれぞれの家路につく。

いつもの様に荒井は石崎をバス停まで送り、2人手を繋ぎバスを待ち、石崎がバスに乗り込む直前まで別れを惜しむ様に繋いだ手をギリギリまで離さなかった。

石崎がバスに乗り込み発車するまで手を振り、荒井は自分が乗るバスが止まるバス停へと歩みを進める。

2・3歩歩いた所で、短いスキール音とともに巨大なシンバルをいくつも一斉に鳴らした様な、それでいて余韻が全くない、大音量のガシャっと言う音に荒井は振り向くと、石崎が乗ったバスが交差点の中央で交差点を塞ぐ形でバスが腹をこちらに見せ横転していた。

一緒何が起こったのか荒井は理解できなかった。普段は見れないバスの底面がこちらに向いているため、なおさら理解に時間がかかった。

「え?お?あれ?」

言葉にならない言葉が口から出て始めて石崎の乗ったバスが横転している事を理解した荒井は全速力で走る。

荒井がバスに到着した時はまだ野次馬は遠巻きに見ていた。それをみて荒井は苛立ちながら大声で

「誰か救急車をよべ!」

そう叫んでも、野次馬は指を指し何やら話している。

「クソが!目の前の事なのに他人事か!」

荒井は再びそう叫ぶと現状を確認する。

バスは交差点に差し掛かった所で右手から猛スピードで現れた車に衝突されていた。

辺り一面にガラスの破片が散り、バスの運転席周辺のフロント部分は衝突した車がめり込み原型を留めていなかった。

荒井は救出に向かおうとするにも、衝突した車が障害となりフロントからは車内に入る隙間もなかった。仕方なく荒井はバスの底面に回り込みバスのドライブシャフトやブレーキライン等に足を掛けよじ登り石崎を探した。

荒井は石崎が最後に座った席を覚えていたが、そこから石崎は衝突の衝撃と慣性力で前方に投げ出され、後部座席付近に座っていたにも関わらず、バスの中央付近で倒れていた。

荒井は石崎を見つけると

「おいリナ!大丈夫か?返事しろ!おい!ガラスを破るぞ!目を閉じていろ!」

荒井はそう言うや否や返事を待たず、直ぐに足で窓ガラスを踏み抜き、車内に入り石崎を抱え、外傷がないか身体中をチェックする。

外傷は特に見当たらず、強いて言うならば額に血が滲んでおり、頭部をしたたかに打ち付け意識を失っている様子だった。

進入した窓へ抱え挙げようにも、上から引っ張り上げてくれる人物もいないため早々に諦め、荒井は最後尾の窓ガラスを石崎を抱えたまま蹴り破り外に出た。

その直後、衝突した車から火が上がり燃え始める。

「危なかった。あと一歩遅かったら燃えてたな。昔ラグビーやっててホントに良かった。普通の奴じゃ同じ事は出来んぞ。」



荒井は高校・大学とラグビーに明け暮れ、ラグビーの聖地、『花園』にも出場経験があった。今年で40歳になるが、その身体は日頃から鍛えており、現役の頃からあまり変わり映えはしておらず、185cm、90kgのいわゆるガチムチ系と言われる体型だった。

対して、石崎リナは160cm、45kgと平均よりやや細めな体型であり、45kgは荒井にとって無理をすれば片手でなんとか抱える事が出来る重さだった事も幸いだった。



荒井は石崎を助け出した事に安堵し、タバコを咥える。事故現場でタバコを吸うなど、引火する危険性があるため如何な物かと、一瞬躊躇うが事故車両はすでに燃えているし、これ以上何に引火するのかと想い、タバコを吸いながら救急車を待つ事にした。



回りは相変わらず野次馬が適度な距離を持ち、皆スマホを構え、スゲースゲー、オッさんハリウッドかよ、などと言いながら写真や動画を撮影していた。

荒井の目は、誰一人助けようとしない、目の前の出来事なのに他人事。ネットで自分が見たものをアップし、友人や知人に『イイね』や『リツイート』してもらい、ひと時の承認欲求を満たすだけのオナニーしか出来ない下らない人間に思えた。

「けっ!、目の前で起こったことも全部画面越しか!お前らの目はガラス玉か?」

そう呪詛の言葉を吐きながらタバコを地面で揉み消し、二本目のタバコに火を点けた所でやっと救急車が現れた。

荒井は手を振り、救急車に怪我人がいる事をアピールし、救急隊員に大した怪我は無い様だが頭を打っている事を伝え、一緒に救急車に乗り込む。

救急車が出発しても相変わらず野次馬は消えず、安全と思われる距離を置いて事故現場を取り囲んでいた。

輪の一端から悲鳴が上がりそれは次の野次馬の輪を作っていった。

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