—05— 初めての共同作業
「フェルナ!そっちに4匹行ったぞ!」
「わかったわ!」
背中の筋を伸ばしながら弦を引き、向かってくる猪の眉間へ矢を乗せた人差し指を向ける。遠くから迫って来る猪の凄まじい足音にも動じず、フェルナは冷静に矢を放った。
「まずは一頭!」
フェルナの放った矢は狙い通り猪の眉間へと刺さり、猪はその勢いのまま走りながら崩れ落ちた。そしてフェルナは素早く矢を番え、1頭、そしてもう1頭と確実に撃ち抜いていった。しかし、次々と迫って来る猪4頭相手にするには距離が足りず、最後の1匹はその突進を躱すので精いっぱいだった。
「あっぶなー!流石に全部は無理だったわね。デリス、気を付けて!」
「はいですの!」
残された一頭はフェルナを抜けて、そのまま後方にいたデリス目掛けて突進していった。デリスはラスと同じくらいの標準的な女性の体格であり、猪の突進をくらえばひとたまりもない。しかし、デリスは腰に装備していた鞭を手に取ると素早く猪の前足を絡めとり、その勢いを利用して投げた。投げられた猪は回転しながら宙を舞う。
「えいっ!」
そしてすかさず宙を舞っている猪の腹部を目掛け、今度は鞭のうねりを利用した凄まじい打撃を叩き込んだ。丈夫な骨や筋肉で守られている頭部や背中と違い、柔らかい腹部はその一撃を受けて裂け、猪は臓物を撒き散らしながら地面に落下した。
可憐な少女が見せる容赦ない攻撃にクラウとフェルナは顔を引きつらせながらもデリスの方へと駆け寄っていった。
「デリスって可愛い見た目をして結構えぐいことするのね…」
「あぁ、そうだな…」
「えっ、そ、そんなことないですの!たまたま当たり所が悪かっただけですの!」
二人から若干引かれているのを察してデリスは必死に両手をブンブン振りながら言い訳をした。
デリスが加入して新しい顔揃えとなったシャムロックは郊外にある農場から害獣駆除の依頼を受け、果樹園の林檎を貪る猪を駆除しに来ていた。比較的戦闘が得意なクラウ、フェルナ、そしてデリスの3人は群がってくる猪の駆除を、魔法や薬の扱えるウィルとラス、メルトは猪の接触により傷んでしまった木の治療、補強を行っていた。
「ウィル、そっちはどう?」
「うん、だいぶ木に元気が戻ってきたかな!この感じなら来年は美味しい林檎が沢山実ってくれるかも」
デリスの活躍により微妙な空気になっている戦闘組と異なり、ラスとウィルは暖かい日の光りを感じながらのんびりと作業をしていた。
「ちょ、ちょっと~!ゾルちゃん、駄目だよ~!!」
「ぎょふっ♪ぎょふっ♪」
その横では林檎の果実を飛びながら貪っていくイゾルテとそれを必死に追いかけるメルトの姿があった。
ウィルがフアラを壊滅させた事により、シャムロックには様々な依頼が舞い込むようになった。ただ、近年の雑用ばかりこなしている弱小ギルドだった印象が強いのか、未だに戦闘を前提とするような難しい依頼は来ずに比較的平凡な依頼が多かった。一方でデリスは元々アガートラムという、隣国屈指の傭兵ギルド出身であるため戦闘以外の作業はからっきし役に立たなかった。初めはその可憐な見た目から料理や掃除などの家事代行の依頼を任せてみたがその結果は散々なもので、結局デリスはしばらくシャムロックのギルドの建物の中でおとなしくしていた。そのような中今回は珍しくデリスが活躍できそうな害獣駆除の依頼であるため彼女はとても張り切っていた。ただ、その結果彼女はクラウやフェルナから微妙に距離を開けられてしまうこととなった。
「みんなー、そろそろ休憩にしない?」
作業がひと段落したラスが全体に呼びかけた。その声に応じて各自区切りのいいところで作業を止めてラスの方へと向かっていく。ラスは皆が座れるように鞄から蓙を取り出して土の上へ敷いた。そして手際よくお茶とお菓子の準備をして皆が座るのを待った。
「メルト、やけに疲れてるわね。ところどころ汚れてるし」
「だってゾルちゃんがー…」
ずっと飛び回るイゾルテを追っかけていたせいでメルトはとても疲れているようだった。それとは対照的にイゾルテはちゃっかりと蓙の上にちょこんと座り、ラスのお手製の焼き菓子を頬張っていた。
「ぎょふ~」
そしてその横ではイゾルテの主人であるデリスが落ち込んでいた。
「デリスさん元気ないですね?」
「あぅ…」
ウィルがデリスを気遣い、注いだ紅茶を差し出しながら声をかける。遠くからデリス達を見ている限りでは順調に猪を駆除していた様に見えたためウィルは首を傾げた。差し出された紅茶を受け取った後もデリスは俯いてただそれを眺めるだけだったので、ウィルはデリスと一緒にいたクラウとフェルナへと視線を向けた。しかし、二人共どこか気まずそうに目を泳がせながらお茶を啜っていた。デリスはその二人の様子を見てお茶を手に取った更に萎縮した。
「そういえば、デリスさんのいたアガートラムってどんなところなんですか?」
「あ、それ俺も気になります!」
良い意味で空気を読めていないメルトがその微妙な空気を断ち切るように質問を投げかけた。ウィルも空気を換えるいい機会だと思いその質問に乗っかった。
「…えーと、そうですね。私のいたアガートラムはこの隣国のワーブラーと、そのまた北に隣接しているインファタイル帝国との国境付近のドロヘダという都市にありまして…」
「ドロヘダといやぁ、この前俺とウィルが嬢ちゃんど出会った雪山の近くか?」
「ガルフピッケンですね。あの場所へ行くにはかなり迂回していかなければいけないのですが、直線距離で言えば確かに近いかもしれませんですの。南にあるブルメリア王国とワーブラー王国は大陸をほぼ横断するガルフピッケンを含む大きな山脈によって隔てられていて、ドロヘダはちょうどその山脈の隙間にあるんですの。」
「ドロヘダはインファタイル帝国の侵攻からワーブラー王国を守る要になっていて、その見た目から要塞都市と呼ばれているそうね」
「そうですの。その関係で街には沢山の傭兵や鍛冶、鉄鋼業といった戦争のためのギルドが多く存在しますですの。アガートラムもそのようは傭兵ギルドの中の1つで、主に国からの依頼でインファタイル帝国との戦争に駆り出されていますの」
「うげっ…戦争ですかぁ?」
メルトが嫌そうな声をあげた。メルト達のいるブルメリア王国は北にある山脈に隔てられており人の行き来が厳しいため、インファタイルからの侵攻はほとんど受けていない。そのため、ワーブラー王国と同盟が組まれているとはいえ一般市民が戦争に巻き込まれることが無く、ブルメリア王国の人々にとって戦争は身近なものではなかった。
「はい。私もゾルちゃんも他の仲間達も皆常に戦いの中に身を置いていましたですの」
「俺より若いのに大変な生き方してんな」
「私達は孤児か、親が傭兵をやっていたか…、そのような人が多いんですの。だから、戦いの中でしか生きていく術を知りませんの」
「そう、なんですか…」
ラスもシャムロックを経営していた両親の元へ生まれ、生まれたときからその手伝いをしながら生きていた。幸いシャムロックは傭兵以外にも街の住人の手伝いなど多様な仕事を受け持っており、ラスも母親から薬の調合を教わってその技術で今も食べていくことはできている。そのため、戦いの中でしか生きていけないというデリスの言葉を重く受け止めていた。
「ラス様、そんな顔をしないでくださいですの。私達の団長はとても強くてとても聡明です。いつも誰よりも大変な環境で誰よりも活躍して、ただ戦うことしかできない癖の強い私達を束ね、導いてくれます。だから他の傭兵団ほど悲しい思いも辛い思いもしませんし、皆自分の意志で納得して団長に付いて行ってるんですの」
「トレアサ・アレクサンドラスか」
「トレアサ…?」
「アガートラムはもう知ってるだろ?そこの団長だよ。つまりラスと同じギルドの経営者だな」
「アガートラムは大陸で一番力を持つ傭兵団って言われてるけど、その評価は団長であるトレアサによるものだって言われてるわね」
「ええ、ギルドを経営する力だけでなく集団の統率力、個人の戦闘能力でも並ぶものはいないと言われるほどの豪傑ね」
「ウィル君、そんなことまで知らないの...?どんだけ山奥に引きこもってたのさ?」
トレアサはその強さや功績から大陸に彼女のことを知らない人はいないと言われる程で、首を傾げていたウィルにクラウ達が矢継ぎ早に説明した。
「ウィルはオーパーツのことなんかより先にもう少し世の中のことを勉強した方がいいかもね」
「い、いえ…隣の国のいちギルドの団長ですし、ウィル様が知らないのも無理はないかもしれないですの」
容赦なく浴びせられるメルトやフェルナの言動にデリスが咄嗟に擁護した。当人はそこまでそのことは気にしていなかったが、デリスに気を遣わせてしまったことに若干の申し訳なさを感じていた。
「そうだ、今度ウィル君の社会勉強ついでに武術大会出てみようよ!今度はドロヘダで開催でしょ?」
「もう、メルトったら!まだそんなこと言ってるの?」
先日デリスが来たことで話題が中断されてしまったが、そのときに話していた武術大会のことを忘れていなかったメルトは流れに無理やりねじ込んで再び大会へ参加することを提案した。
「えー、いいじゃん!デリスさんやゾルちゃんだって来たんだし、もしかしたらいいところまで勝ち上がれるかもよ?ねぇ、フェルナ?」
「え、えぇ。確かにデリス達がいればそこそこのところまで行けるかもしれないけど…」
「ねぇねぇ、駄目かなー、デリスさん?」
「わ、私は構いませんですの。で、でも…その、アガートラムの皆も出てくると思うのですが…」
上目遣いでメルトにすり寄られたデリスは、大会に出ればアガートラムの団員やアヤメに合うことになると思い少し悩むような表情でウィルの様子を窺った。
「まあ嬢ちゃんがいてくれれば、俺とフェルナでなんとかなるかもしれねぇな。ウィルはどうしたい?」
「…」
「せっかくだし、出てみましょうか!俺も精霊の剣に興味がありますし、やれるだけやってみましょう!」
「え、いいの?やったー!ということでお姉ちゃん、よろしくー!」
「ウィルならあのトレアサにも勝てるかもな!」
「ばーか!ウィルに無理なこと押し付けるんじゃないわよ!アガートラムと当たったらあんたが戦ってきなさい」
「もう、皆勝手なことばっかり!こんな空気になったら駄目って言えないじゃない…。わかったわよ…認めます」
その後、しばらくメルト達は武術大会の話題で盛り上がった。
「さぁ、休憩もこのくらいにしてまた作業に戻りましょうか!フェルナ達は周囲の見回りをお願いね!」
「ええ、わかったわ」
話題もひと段落し、十分に休息の取れたラス達はそれぞれ自分の持ち場へと戻っていった。
「ウィル様…」
持ち場へ戻ろうとウィルが支度をしている際に、後ろからデリスが声をかけた。
「どうかしましたか?」
ウィルが振り返るとデリスは両手を前に組み、悲しそうな表情をしていた。他の者達は既に持ち場の方へと向かって歩いていたため周囲には誰にもおらず、二人の間に静かな時間が流れた。
「きっと…今度の大会はアヤメちゃんも来ると思いますの。…その、いいんですの?」
「…えぇ、大丈夫です。大会ってことはきっと大勢の観客に見られてるんですよね?流石にそんな中じゃこの前みたいなことはしませんって」
ウィルは誤魔化すように笑い、そう答えた。
「ウィル様はアヤメちゃんのこと、嫌い…ですか?」
あまりにも真っ直ぐな、不意を突いたその言葉にウィルは目を見開いた。どのように答えようか悩んだが、じっと見つめてくる真剣な眼差しにウィルはゆっくりと口を開いた。
「そんなことはないですよ。アヤメは…俺にとってとても大切な人です」
「ウィル様…」
「時が来たらちゃんとアヤメにも、デリスさんにも話します。だから、今は待っててください」
優しくデリスを見つめながらそう言うと、ウィルは軽く頭を下げ去っていった。