—04— デリスの決意
「あの…状況がよくわからないのですが…」
突然のデリスの言葉にラスが戸惑い尋ねた。
「あなたは…」
デリスはここでようやくラスの存在に気付く。
「私はこのシャムロックを経営しているラスです」
「挨拶が遅くなって申し訳ありません。私はデリスと申します。そしてこっちは翼竜のイゾルテ」
デリスとイゾルテが同時に軽く頭を下げる。ラスはデリス達が顔をあげるのを待ってからゆっくりと口を開いた。
「デリス様のことはよく存じ上げています。アガートラムの方々のご活躍は国境を越えてこのような辺境の街でもよく耳にしますので。…ですが、そのような方がどうしてうちに?」
「突然押しかけて本当に申し訳ありません。ですが、どうか私とイゾルテをこちらで働かせていただくことはできないでしょうか?……傭兵として戦うこと以外はあまり能がありませんが、なにとぞ」
そういうとデリスは再び頭を深く下げた。
「ちょ、ちょっとやめてください!急に来られてそんなこと言われても困ります…私達のシャムロックはそんなに大きくありませんし、仕事も限られています。今も5人で細々と回していくだけで精一杯なんです」
「最低限暮らしていけるだけのお給金で構いません。私とイゾルテが成果を出せるまでは無給でも大丈夫です」
頭を下げ、目を瞑ったまま言葉を続けた。腰まである金色の髪が垂れてさらさらと揺れる。
「どうしてそこまで…?」
「私とイゾルテはウィル様に命を救われました。私達なんかのために貴重なお薬まで使っていただきました。返しきれるかはわかりませんが、せめてウィル様のお側で頂いた御恩に報いたいと思いまして…」
「そんな、大袈裟ですよ。あの薬もまだ持っていますし。それに俺は…」
「…」
ウィルは何かを言おうとしたが、それに続く言葉が出てこなかった。クラウはそんな彼を腕を組みながら黙って見ていた。すると、デリスがウィルの方へと歩み寄っていき、彼の手を自らの両手で包み、その目をじっと見つめた。
「ウィル様があの時のことをどう思っていても…私はウィル様の力になりたいんですの」
物腰柔らかそうなデリスだったが、この時ばかりは強い意思の宿った瞳でじっとウィルを見つめた。その視線にウィルは何も言えなくなり、沈黙のまま見つめ合った。
「ねえ、デリスさん達と何があったの?」
デリスとウィルの間に流れる妙な空気を感じ取ったのか、ラスも茶化すことはせずに真剣な表情で尋ねた。ウィルはデリスとイゾルテを助けた雪山での出来事はラス達には話していなかった。クラウもアヤメという少女とのこともあったのでフェルナにさえ話していなかった。流石にアヤメやアガートラムの団員達と揉めたことは言えなかったが、デリスとイゾルテのことは隠すようなことでもなかったためウィルはラス、メルト、フェルナに雪山での事を話した。彼女達は黙ってしばらくの間ウィルの言葉に耳を傾けていた。
「へぇ~、私達が留守番している間にそんなことになってたのね」
それまでずっと黙って見守っていたフェルナが口を開いた。
「ラス、この子達も中途半端な気持ちでここまで来たわけじゃないんだし雇ってあげてもいいじゃない。最近、ブルメリア王国でも物騒な事が増えてきたし、この子達、こう見えて私やクラウよりよっぽど強いわよ?捌ける依頼に限界があるから急には増やせないけどウィルのおかげで少しずつ増えてきているしそろそろ人増やしてもいいんじゃないかしら?」
「それは、まあそうだけど…」
「いいじゃん、お姉ちゃん!ゾルちゃんも頑張るって!ねー、ゾルちゃん?」
「ぎょふっ!」
すっかり意気投合したメルトは机の上にちょこんと立っていたイゾルテを屈んで撫でながら姉に訴えかけた。ラスは経営者として彼女達を受け入れて本当に大丈夫なのか悩んでいた。また、デリスとウィルの様子に芽生える微妙な感情から迎える事を渋っていたが、周囲の流れに従って受け入れることを決めた。
「もう、わかったわよ…皆がそう言うなら」
そう言うとラスはデリスの手を取って微笑んだ。
「これからよろしく願いしますね。デリスさん、ゾルちゃん」
「ありがとうございます、ですの!」
デリスも表情を崩して満面の笑みでラス、メルト、クラウ、フェルナ、そしてウィルを見渡した。
デリスとイゾルテのシャムロックへの加入が決まったところで、彼女達はラス、メルト、フェルナと女の子だけの話で盛り上がっていた。ウィルとクラウはその邪魔をしないように離れたところで武器の手入れをしていた。
「でも、ラス、本当に良かったのー?」
イゾルテとメルトが戯れている横で、フェルナが意地悪そうな笑みを浮かべながらそう言った。
「なんかその笑い方気持ち悪いわね…何がよ?」
「せっかくウィルと打ち解けてきたのに、こんな可愛い子入れちゃったら取られちゃうんじゃないの?」
「な、な…!何を言ってるのよ」
ラスが顔を紅潮させてフェルナに抗議する。デリスはまぁ!と口を両手で多い、驚いたような表情をした。
「ラスさん、そうでしたの?」
「デリス、違うから!フェールーナー!?」
「あっはっは!必死になるところが可愛いわね」
もうこれ以上変なことは言うなとラスはフェルナの両肩を掴んで前後に力強く揺さぶる。
「ところでデリス、あなたも本当にこんなところに来てよかったの?アガートラムなんて大陸最大手じゃない。仲間だっていたでしょうに」
シャムロックをこんなところ呼ばわりされたことにまたラスが騒ぎ立てる。しかし、デリスにはその騒がしい音が届かなかったようで、フェルナの言葉にアガートラムを出てきたときの事を思い出していた。
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「おい!出て行くってどういうことだよ!?」
アガートラムの待合室に大きな声が響き渡る。それまで依頼を終えて雑談を楽しんでいた団員達が会話を止め、声のする方へと視線を向けた。視線の先には1つの長机の周りにいる複数名の若い男女の姿があった。
「ごめんなさいですの」
そこには仲間から目を逸らしながら話すデリスと、左手を机に付き詰め寄るカデルの姿があった。カデルとデリスだけでなく、アヤメやリノン、マホンと言った二人と親密な仲間の姿もあった。
「デリスさん、どうしてそんな急にそんなこと言うんですか!私デリスさんがいなくなっちゃうなんて嫌です!」
「リノンちゃん…」
「デリス、理由を教えていただけますか?」
「…私、ウィル様の元へ行こうと思っていますの」
「ウィルって…」
「なんであんな奴のところに行くんだ!あいつがアヤメや俺達にしたこと忘れたわけじゃないだろ!?」
「…」
リノンもカデルも感情を剥き出しにしてデリスに食ってかかる。アヤメは先程から黙って腕を組んだままデリスの方を見ていた。雪山でのあの出来事の後に彼女はウィルが母親の敵であること、そして自分を斬り捨てて去っていったことを親友であるデリスには打ち明けていた。その彼女がどのような思いでウィルの元へ行くと発言しているのか考えているようだった。
「私とイゾルテはウィル様に命を救われましたですの。…だから、ウィル様のお役に立ちたいですの」
「だからって…」
確かにデリス達にとってウィルは恩人かも知れない。しかし、先に手を出したのはアヤメとはいえ自身や仲間達を蹂躙した彼の元へと行くというデリスにリノンは納得がいかなかった。
「まぁまぁ、カデルもリノンも落ち着きましょう」
納得がいかず、気分が高揚している二人をマホンが落ち着かせようとする。
「デリスは本当にここを出て行くんですね」
「…はい」
「…そうですか」
マホンはデリスの方を向いたまま目を閉じてしばらくの間黙った。
「わかりました。貴女がそう言うのなら僕は止めません」
「おい、マホン!」
「あの自分の意思を主張するのが苦手なデリスがここまで言うのです。僕らが何を言ってももう変わらないでしょう」
「…マホン、ありがとうですの」
「でもデリス、これだけは気に留めておいてください。その男がアヤメと敵対する関係なら貴女自身がアヤメと敵対することもあるのだということを。そのとき…、貴女はどうするのですか?アヤメと戦う覚悟はありますか?」
「アヤメちゃんと…」
デリス自身も覚悟は決めていたつもりだが、改めて他人から言われたことで戸惑いが生じた。
(…でもアヤメちゃんはウィル様のことを話すときとても辛そうだった。ウィル様もアヤメちゃんと戦っている時に寂しそうな表情をしていた。絶対に二人が殺し合っているなんかの間違いですの。それだけは止めなくちゃいけないですの!)
デリスはもう一度胸に秘めた思いを確認すると力強い眼差しでその場にいる全員を見た。
「私は皆と敵対する気はないですの。でも絶対にやらなくちゃいけないことがありますの!」
「はぁ…ここまで頑なな貴女はイゾルテを拾ってきたあの日以来な気がします」
「っち、勝手にしろ」
「うぅ…デリスさん、寂しいですよぅ」
もうカデルとリノンもデリスを本気で止める気はないようだった。デリスはカデル達と笑いながら会話を交わすと、最後にずっと黙ったままの長年の親友であるアヤメの近くへと寄っていった。そして
「アヤメちゃん、またね」
そう別れの挨拶を告げると、デリスは支度をし、アガートラムを去っていった。
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「フェルナ様、私はやらなければならないことがあってここに来ました。だから後悔はしていませんですの。寂しくないっていったら嘘になりますけど」
語気から強い意志は確かに伝わって来るものの、その表情からは言葉通りの寂しさが伺えた。
「でも健気ねー。わざわざいろいろなものを捨てて恩返しに来るなんて。私だったらそこまではとてもできないわね」
「ウィル様に救っていただいた命ですの。ウィル様が望むものがあれば可能な限り叶えてあげたい。それに…私はやらなければならないことがありますの」
「「やらなければならないいこと?」」
「…ええ。今は言えませんが」
そう言うとデリスは席を立ってシャムロックの外まで歩くと、アガートラムがある方角の空を見上げた。