—18— 出会い
「うぅ…」
イゾルテを抱えたままかなりの高さを落下したデリスであったが、降り積もった雪が緩衝材となったため全身の骨に損傷を受けつつも一命を取り留めることができた。しかし、この雪の中動けない程の怪我を負っているデリスに取ってはそれもあまり意味のないことかもしれなかった。
「イゾ…ルテ…?」
彼女は腕の中にいる子竜の名を弱々しい声で呼んだ。しかし、イゾルテは呼びかけに応じることはなく、力なく微かな呼吸を繰り返すのみであった。体温の低下により血圧が低くなっているせいか出血はそれほどひどくなってなかったものの、周囲には赤い染みが広がっていた。
「私のせいで…ごめん…ね…」
寒さが体力を奪い、力が入らなくなってきている腕で精一杯イゾルテを抱きしめる。左目から零れ落ちた涙の雫が眉間と右目を伝って雪の結晶をそっと溶かす。デリスは意識を失うまでの間ずっとイゾルテの顔を見つめていた……
――時を同じくして、ガルフピッケンの険しい雪道を進む2つの陰があった。
「ぶぇえっくしょい!」
より大柄な男のほうが特大の声量でくしゃみをする。しかし雪がその音を吸収して辺りはすぐに元の静寂した空間に戻った。
「クラウさん、大丈夫ですか?」
「ああ、なんとかな。しっかしあいつら気候のいい所や食いもんが美味しいところには喜んで付いてきやがる癖にこんなときばっかり全部押し付けやがって」
クラウと呼ばれた大柄な男がギルドに残った女性陣に対する不満を漏らした。
「すみません、突き合わせてしまって。俺一人だけでもよかったのですが…」
「なぁに、お前が気にすることじゃねーよ。それにフェルナの奴、肌に悪いからとか適当な理由付けて来ねぇ癖に”ウィル一人だと心配だから一緒に行って来い”なんてうるさいからな。…あ、今言ったのことは男二人の秘密だからな。くれぐれもフェルナ達に言うじゃねーぞ?」
「ははは、わかりました。フェルナさんらしいですね」
ウィルと呼ばれた青年はこんな場所までに付き合わせてしまったことに対して申し訳なさそうな表情を浮かべるも、笑いながらクラウの言葉に応じた。ここワーブラー王国のとなりに存在する同盟国であるブルメリア王国のギルドであるシャムロックに所属する二人は、多くの遺跡が眠っているという話を聞きオーパーツを採掘するために北の大地へと向かっている途中であった。目的地となる北の大地は現在ワーブラー王国と戦争中であり、正規のルートでは抜けることが難しそうであったため、ガルフピッケンを抜けて忍び込もうとしていた。険しく気候も荒れているこの地は双方の国の目が行き届いておらず、越境することは容易であった。もちろん、この厳しい山々を無事抜けることができればではあるが。
「しっかし相変わらずウィルって本当に便利だよな。魔法といいオーパーツといいこんな風にずっと俺達の周囲だけ気候を調整できるなんてよ。多少直接触った雪の冷たさが気になるが、それ以外はヴィオラの街と大して変わらないような感じがするぜ」
「…まるで人を物みたいに言わないでください」
ガルフピッケン自体は高所であるため酸素が薄い、雪が多い、氷点下である、道が険しいといった風に環境が劣悪であるが、今二人の周囲はウィルの魔法とオーパーツにより低所の平地と変わらないような気候に調整されており、見た目の割には快適に過ごすことができるようになっていた。既に山の尾根に近いような位置に来ているにも関わらず2人が平然としていられるのもこのためである。
「まあ快適なのは間違いないが、流石にそろそろ疲れてきたな…」
「そうですね。そろそろ休憩でもしますか。ラスが作ってくれたお弁当がまだあるのであの岩肌あたりに穴でも空けて風を凌いで休みましょう」
「お前、さらっとすごいこと言うよな。もうだいぶ慣れてきたけど」
え、なにがですか?と聞き返すウィルに対してクラウは呆れたような疲れたような表情をした。ずっと人里から離れて暮らしていたせいか、人並み外れた能力のせいか時折常識とかけ離れた行動をするときがある。
「せーのっ」
ウィルが岩肌を穿つためにマナを集中させた右手を突き出すと岩肌の一点に鈍い衝撃音がして人が数人入れる程度の穴が空いた。しかし、脆かったのかその穴は上から崩れてきた岩ですぐに塞がれてしまった。
「…あちゃー、失敗してしまいました」
「ったく、何やってんだよ」
「あはは、すみません。すぐに崩れた岩をどかしますね」
クラウが呆れたように見つめる中、ウィルは風の魔法で邪魔な岩をどかし始めた。
「あいつもなんでもできる感じがあるくせにどこか抜けたところがあるんだよな…」
ウィルに語りかけるわけではなく、独り言のようにそう言うと作業しているウィルに背を向けて周囲を見渡した。…すると視界の隅に小さな人影が見えた。その人影は少女であり、何かを抱え込むようにして倒れ込んでいた。
「ウィル!人が倒れてるぞ!」
「え、本当ですか?」
ウィルも作業を中断するとクラウに続いてその倒れている少女の方へと駆けていった。
「こいつぁひでぇな。女の子の方はまだ助かりそうだがこの竜の方はもう…」
2人が駆けつけるとそこには全身アザと凍傷だらけの少女と腹部を貫かれ瀕死になっている小さな子供の龍がいた。
「これは…非常に危険な状態ですね」
「どうする?女の子の方だけでもさっき作った穴の中に運んで手当するか?」
「いえ、子竜の方もまだ間に合います!クラウさんは女の子の方を穴の方へ運ぶ準備をしてください」
「ああ、わかった!でもそいつはどうすんだよ、腹に穴が空いて臓物も出ているし助からんだろう?」
「念のため持ってきていたのですが、オーパーツの中に生き物の細胞を活性化させて急激に再生するものがあるんです。それを使えばなんとかなるかもしれません」
「細胞?活性化?」
難しい単語を並べられたクラウにはそれがなんなのかわからなかったが、ウィルの表情を見ているとどうやら瀕死の竜の子供の方も助かりそうな雰囲気だった。ウィルは腰につけていた鞄から何やら水晶のようなものを取り出すと、それをぽっかり空いた腹部の穴へと持っていった。そしてその水晶を砕いて欠片を腹部へとまぶすと眩い光が腹部を包み、みるみる体が再生して穴が塞がっていった。
「おいおい、オーパーツってのはそんなものもあるのかよ。聞いたことも見たこともねぇぞ」
「えぇ、これは非常に数が少ない上にそこらの遺跡程度には無いものですからね。国にも存在は知られていないでしょう」
「まあそんなもんが出回った日には上の連中が黙っていないだろうな」
クラウの言葉にウィルは顔を竜の方へと向けたまま頷いた。
「ですが死者を蘇生できるわけでもありませんし、弱ってしまった体力や気が元に戻るわけでもありません。むしろ身体の再生にそれらを消費してしまうので下手をすると衰弱死してしまう可能性もあります」
「っておいおい!そんなものをこいつに使って大丈夫だったのかよ?」
「幸いこの子は竜族です。彼らは人族と違って気以外にもマナからその力を摂取することもできます。なのでこうしてマナを送り続ければ…」
ウィルはそう言いながら竜の腹部に手を当てて何かを送り込むような動作をする。すると今にも消えそうだった呼吸音が徐々に穏やかなものへと変わっていった。
「ふぅ…ここまでくればとりあえず大丈夫でしょう。さ、この子達を穴の方へと運んで休ませてあげましょう」
「あ、あぁ…」
女の子を背負いながらも呆気にとられているクラウをよそに安らかな寝息を立てている竜をその手にウィルは穴の方へと向かって歩き始めた。
「なあ、ウィル」
「なんですか?」
真剣な声色で話しかけてくるクラウの言葉にウィルも真剣に耳を傾けた。
「やっぱり一家に一人ウィルって感じだよな」
クラウのどうでもいい一言に安らかに寝ている竜を落としそうになるも無事に運び終えたウィル達は穴の中で女の子と竜を看病しつつ休息を取ることにした。