—16— 背後で蠢くもの
シンクレアによって発動した獄炎は周辺の雪を全て溶かし、ベスティアの住処を粉々に破壊した。凄まじいほどの音と衝撃が今もなお山々に木霊している。その威力は風渦陣で守られているアヤメ達にも十分と伝わってきた。
「うわー、めちゃくちゃな・・・」
「シンクレア様、私達がいるのですから少し加減してください!」
「……」
舞い上がった土塵が徐々に落ち着いてくる中、シンクレアはマホン達の言葉に応じることもなく崩れ落ちた窖を見つめていた。まだ目では確認することはできないが気を感じ取ることができる彼女は崩落した窖の下にある複数の気を捉えていた。獄炎によって多くの気が消滅したが、いくつかの残った気が怒りで膨れ上がっていくのを感じていた。
「来るぞ!迎え撃つ準備をするのじゃ!」
突然の大声に一同はいざという時に備えて手にしていた各々の武器を慌てて構え直した。直後、崩れ落ちた岩の下から三つの大きな影が勢いよく飛び出してきた。
「シンクレア!」
いち早くベスティアの動きに反応したアヤメはシンクレアに飛びかかろうとしていた一匹にぶつかっていった。鋭い爪で貫くために跳躍していたその軌道を外らすために脇腹めがけてアヤメが強烈な蹴りを放つ。蹴り飛ばされた個体はうめき声をあげながらも空中で体を捻り、アヤメを睨みつけるようにして着地した。
「無事ですの!?」
「ああ、お陰様でな」
残りの二匹については、一匹はデリスの鞭によって前足を絡め取られ、もう一匹は手甲を付けているカデルによって押さえられていた。そこへすかさずイゾルテが火炎を吐き、リノンが小光輪で砲撃するが、二匹はそれぞれ押さえられていた足を振りほどきこれを避けた。
そして三匹のベスティアとアヤメ達が静かに対峙する。獣達は静かに、低い音で喉を鳴らして威嚇する。その鳴き声には怒りと強い敵対心が込められていた。同時に先程自分達の住処を破壊し、仲間を壊滅させた敵を警戒するようにその目線を左へ、右へ動かしていた。アヤメ達も相手を窺うようにしてその場をじっと動かない。周囲にまだ逃した個体がいないかも引き続き慎重に探ってはいるが、どうやら目の前の三匹以外は先程の獄炎によってやられていたようだった。
爆発によって生じた岩の崩れ落ちる音が徐々に落ち着いてくる中、六つの瞳がアヤメを捉えた。アヤメの中にある気を悟ったのか、彼女を特別危険な存在として認定したようだった。目標が定まった獣達はアヤメを中心に据えるように目線を外さないままゆっくりと左右へ展開した。アヤメ達もその歩みを目で追って動きに警戒しながら武器を握る手により一層力を込める。そして三匹は互いに一定の距離を離れたところで歩くことをやめ、前足で地面をゆっくりと掻く。それは、仕掛ける瞬間を合わせているかのようだった。そして、遂に三匹が同時にアヤメ目がけてとびかかってきた。この一撃で必ず目標を仕留める――その気迫がとびかかるときに発した咆哮からひしひしと伝わってくる。アヤメはこれに素早く反応して気の解放を行い、正面から襲い来る鋭い爪と牙を刀で受け止める。自身の体重の十倍以上は優にあるベスティアの体重を、気の解放によって向上させた身体能力で受け止めていた。続けざまに来る、向かって左の個体の攻撃を察知したアヤメは後方に身を引いて正面の競り合いから抜け出すと、振り抜こうとしてきた右爪を真上に跳躍して躱す。そしてそのまま攻撃態勢に移り、相手の頭上目がけて刀を力いっぱい振り下ろす。残っていた個体が空中のアヤメにとびかかろうとしたが、とびかかるときに露になった腹を目がけてカデルが強力な飛び込み蹴りを放ち、未然に防いでいた。一方刀を振り下ろされたベスティアはこれを後ろに下がって躱すが、それを追撃するように着地したアヤメが怒涛の連続斬りを放った。右から左から来る高速の斬撃を躱し、爪で受け止め応戦するが、そのうちの一振りがベスティアの頬を捉え、一筋の赤い線を描いた。咄嗟に痛みを感じたベスティアは大きく距離を開け、より一層大きな咆哮を上げた。その後ろでは、カデルが突き飛ばした一匹にリノンとマホンが合流して挟撃し、残る一体はデリスとイゾルテ、シンクレアが迎え撃ってそれぞれの戦いに入っていった。
カデルに突き飛ばされた個体はすぐに体制を立て直すとカデルを睨みつけてとびかかって来た。先程のアヤメと競り合いを見ていたカデルはその攻撃を自分にも受け止められると高を括っていた。しかしこれが良くなく、爪による斬撃は手甲で防いだものの体重差によって組み伏せられてしまう。カデルとベスティアは互いに両手、両前足が塞がっていたが、ベスティアは残されていた牙でカデルの首を捥ごうとその牙を徐々に首元へと近づけていった。その牙はあと少しでカデルの柔らかい肉へ食い込もうとしていたが、横からのリノンの砲撃により中断せざるを得なかった。ベスティアは空中に逃げてこれを躱すが、その身動きが取れなくなったところを狙ってマホンが風牙を放つ。彼が得意とする風の魔法の一つである高密度に圧縮された空気の弾は脇腹にぶつかり肋骨がミシミシと音をたてる。だが、風牙はこれだけでは終わらず、圧縮された空気が弾けると共に無数の風の刃を作り出してベスティアの腹を抉った。それなりに皮膚が頑丈で致命傷を与えるには至らなかったが、ベスティアは腹から血を流した状態で地面に叩きつけられた。
もう一つの個体もデリス、イゾルテ、シンクレアによる猛攻に遭っていた。イゾルテが吐いた火炎を煙たがっているうちにシンクレアの魔法によって動きを封じられてしまう。シンクレアの放った絡蛇焔によって生まれた無数の炎の蛇が体に纏わりつき、その熱から生じる痛みによって相手を束縛していた。そこへ、音速を超えるデリスの鞭の先端が頑丈な皮膚を容赦なく抉っていく。ただ、本当に容赦が無いのはシンクレアだった。彼女は絡蛇焔の発動を終えると鞭撃を受けているベスティアに素早く近づいた。
「シンクレア!何をしているんですの!?危ないですの!」
「ぎょふっ!」
しかし、魔導士である彼女が獰猛な獣に近づくのは危ないと思ったのかデリスが咄嗟に呼び止める。
「なに、心配するでない。このシンクレアの戦い方を見せてやろう」
そう言った彼女は鞭の痛みに身をよじりながらも爪を振るってくるベスティアの攻撃を潜り抜け、その頭、首、腹、足へと掌をかざしていった。そして――
「獄炎」
先程ベスティアの住処を破壊したその魔法の名を口にすると、次の瞬間ベスティアの体の至る所で爆発が起き、その肉体が弾け飛んだ。先程と比べて遥かに小さい規模での爆発ではあったが、体内に直接叩き込まれた魔法は獰猛な獣をその内側から引き裂いた。
「む、惨すぎますの…」
体内から魔法を炸裂させるといった発想が全くなかった全くなかったデリスとイゾルテは戦闘中にも関わらず手を取り合いながら味方の行動に震えていた。
「こらこら、そんな目でこっちを見るんじゃない。お前達には使わんから安心しろ」
それでも震えている頭の残念な一人と一匹にため息をつくと、シンクレアは残りの二匹の方へと目をやった。
「カデル達の方も片付いたようじゃの。後はアヤメか」
カデル達と対峙していた個体もマホンの風牙による攻撃で動きが鈍ったのか、次第にカデル達の攻撃が躱せなくなり、最後はリノンの小光輪によって上半身が無残にも消し飛んでいた。
一方、アヤメは残る一匹に苦戦を強いられていた。残る一匹は他の個体よりも体格が大きい上に力がより一層強かった。しかし、アヤメはそれ以外にも対峙するベスティアの中に何か得体の知れない力を感じていた。
「ぐっ…」
ベスティアの大きな前足を刀でなんとか受け止めたアヤメは息を切らしながら堪えていた。先程からアヤメとベスティアは激しい攻防を繰り広げていた。カデルやデリス達と違い、一人で俊敏かつ巨体な獣と戦っていたアヤメは既に相当な運動量であり、徐々にその疲労が顔に表れ始めていた。一方、ベスティアの方もその大きな体で跳びまわっており、アヤメと同様に疲労していてもいいはずなのだが戦い始めたときから一切動きが衰えていない。それどころか、戦いの中で徐々に凶暴性が増して攻撃が重くなってきているようだった。
「アヤメ!加勢します!」
その時、横からマホンとリノンがそれぞれ風牙と小光輪によって援護をした。しかし、ベスティアは小光輪を躱すと、風牙をその爪で消し去ってしまった。その動きは、明らかに他の個体とは違っていた。
「なっ…」
「どけっ!」
今度はその後ろからカデル、デリス、イゾルテが飛び掛かっていった。カデルはベスティアのその動体に凄まじい連続の拳打を放つが、ほとんど効いていないようだった。そしてデリスの鞭を器用にも前足で掴むと、効かないまでもうっとおしかったのか火炎を吐いてくるイゾルテ目がけてデリスを投げ飛ばした。
「あうっ…」
「ぎょっ…」
そのままデリスとイゾルテは空中で激突し、力なく地面に落ちた。
「てめぇっ!」
デリスとイゾルテがやられたことに激高したカデルは、打撃が全く効かなかった腹部から顔面へと標的を変え、跳躍して殴り掛かった。しかし、すぐさま攻撃に反応したベスティアの前足によって地面に叩き落されてしまう。
「がはっ!」
カデルは背中から雪が溶けた後の固い地面に激突し、肺の中の空気が全て外に出てしまっていた。
「カデル!デリス!イゾルテ!」
ベスティアの攻撃をまともに受けてしまった仲間を心配してアヤメが呼びかけた。しかし、カデル達はアヤメの呼びかけに応じることができないほど体を痛めていた。
――下でアヤメ達がベスティアと戦っている頃、上空からその様子を見降ろしている不審な影があった。
「おやおや?ドロヘダを襲わせようと手なずけていたかわいい子供達の気配が消えてしまったと思って見に来たら、なんか面倒なことになっているようですねぇ。より特別な施術をかけてあげた子だけが奮闘してくれているみたいですが…」
ベスティアが殺されていたのが面白くなかったのか、その男は困ったような表情を浮かべる。
「早くインファタイルに大陸中の国々を滅ぼして貰わないと困るのですが……。しかし、あの戦ってる人達には見覚えがありますねぇ。確か、ワーブラー王国に雇われていたアガートラムとかいうギルドの方々でしたかね」
それぞれの顔を上空から見下ろしながら、ふむふむと何かに納得したように頷く。
「おや?あの娘は…」
その時、その男の目に一人の少女が映った。荒れ狂うベスティアに対して猛々しく刀を振るっているアヤメだ。
「おお!なんと!あそこで戦っていらっしゃるのはこの星の守護者様じゃありませんか!」
男は急に狂ったように喜び笑い始める。
「そろそろもう一人の守護者が厄介になって来ましたし、そろそろ奴を殺す駒が欲しいと思っていたところです」
周囲に聞いている人がいる訳でもないのにただひたすら言葉を繰り返す。
「ただ今のままでは簡単に返り討ちに遭ってしまうでしょうねぇ。さて、ここは一つ私が力を出すためのご助力をすることにしますかねぇ。さて…」
そう言うと男は何か呪文のようなものをぶつぶつと唱え始めた。…すると、下でアヤメ達と戦っていたベスティアの様子が変わり始めた。ゴキゴキと骨が鳴る音がして筋肉が肥大し、爪や牙もより大きく鋭利なものに、そして目は正気を失ったかのように不気味に紫色に輝き始めた。
「さぁ、楽しい楽しいショータイムのはじまりです!」
その男が両手を天に掲げてそう言うと、下では変貌して凶暴さが増したベスティアがアヤメ達へと襲い掛かっていた。