—14— 偵察
「あれがベスティアの住む窖か?」
リノンやシンクレア達が村で準備を進める頃、アヤメ達山頂付近にあるベスティアの住処だと思われる窖に来ていた。ヴィダルの話によるところベスティアは夜行性であり、昼間は住処に集まって休んでいるとのことだった。そのためか、アヤメ達はここに来るまで一匹も遭遇することはなかった。
「どうやらそうらしいな。ベスティアの様子を探りには来たが、あいつら窖の中で寝てんじゃねーのか?」
「ヴィダル殿の話では夜行性ということだったな。寝ていてくれるのは助かるが、これでは外見も様子も把握することができないな」
「あの中に入るわけにもいかねーし…どーしたもんか」
いつも無茶ばかりして周囲を困らせている二人だが、流石に窖に突入するのはまずいと思ったのかそのようなことはせずにその入口の方を見つめていた。しかし、ベスティアの調査をしに来たにも関わらず、まだその姿さえ見ることのできていない現状に二人はどうしたものかと悩んでいた。しかしその悩みは杞憂に終わる。
窖のある岩壁の向こう側から一匹の大柄な獣が歩いてきたのである。全身が金色の毛に包まれ、勇ましい立髪と隆々とした筋肉、一歩一歩を重く踏みしめる四本の足に備わった鋭く大きな爪はカデルが知っていたものと合致する。その威圧感は離れていてもビリビリと二人の方へと伝わってくる。
「あれが…ベスティア…」
おそらく見張り役なのであろう。窖の周囲を警戒するようにその鋭い眼で見渡す。その眼差しに捉えられないよう二人は咄嗟に身を近くにあった岩の陰へと隠した。
「さすがの重圧だぜ…」
「アンガスやクレイグには及ばないが、あんなのが何匹もいるとなると嫌になるな」
「どうだ?戦ったとしていけそうか?」
「わからない。俊敏さも力もそれなりにあると見た。内包している気の量はわからないが…見た目から予測できる程度の強さだとしたら一匹くらいは私一人でなんとかなるかもしれないが」
「あの中に何匹いるかわからねぇ…か」
アヤメが頷く。
「数にもよるがこっちで近接戦闘が可能なのは私、お前、デリスの三人だ。それ以上の数がいた場合はシンクレア達を護るのは難しい。そうなると厳しい戦いになるだろうな」
「俺も一人であいつらを二匹以上引き付けるのはごめんだぜ。片方を相手している間に後ろから引き裂かれちまうだろうからな」
「シンクレア達の罠をうまく活用して立ち回らなければならないだろうな」
「ふむふむ。ちゃんと今回は大人しくしているようじゃな」
アヤメ達の後ろから結界を張り終えたシンクレア、マホンが気配を絶ちながらゆっくりと歩み寄って声をかけた。目の前のベスティアに集中していた二人は一瞬だけ驚いたが咄嗟の反応で声を潜めた
「シンクレア!結界は張り終えたのか?」
「ああ、これで村の方は大丈夫じゃろう」
「あれがベスティアですか…」
目の前にいる獰猛な獣の姿を見たマホンはアヤメやカデルよりもその威圧感を強く受けていた。普段は集団戦において後方から支援、攻撃をする魔法部隊に所属しているため、気を抜けば一瞬で間合いを詰められてしまいそうな距離にその相手がいることが耐え難いようだ。
「気取られている訳でもないのに凄まじい殺気じゃ。随分ピリピリしておるのう」
窖にいるであろう仲間を護るためか目の前にいるベスティアは何者も近寄らせまいと全方位にお構いなしに殺気を放っていた。
「ふむ、確かに厄介な相手じゃのう。どれ…」
シンクレアは掌をベスティアの方へと向けると目を瞑って何か感じ取るように集中した。
「シンクレアの奴何やってんだ?」
「ベスティアの気の量を測っているんですよ。魔法部隊は索敵も仕事の一つですからね。普段から周囲の気を感じ取れるように鍛錬しているんです」
「お前らそんなこともできんのかよ。器用だな」
「カデル、それは貴方が気の鍛錬を怠っているからです。熟練した戦士であればそれくらいできて当然ですよ?」
「うっせーな。細かいことは苦手なんだよ。俺は攻撃に活用できていりゃそれでいい」
「全く貴方って人は…。しかし魔法部隊の者でも感じ取ることができるのは存在している気の大まかな位置ぐらいです。その量まで感じ取ることができるのは我々のギルドでもシンクレア様くらいです」
「へー、シンクレアってすごいんだな」
「当然でしょう!シンクレア様はアガートラムに所属している魔道士、いや、国中の魔道士から尊敬されているお方なのです!」
「…なんでお前がそこで熱くなってんだよ」
「お前達、先程からうるさいぞ。人が集中しているというのに先程からかき乱しおって」
気を探り終えたのか、ベスティアはかざした手をおろしてカデルとマホンを見つめながら諭した。
「それで、どうだった?」
ずっと一人だけ静かに見守っていたアヤメが口を開いた。
「そっと探ってみたところ抱え込んでいる気の力もかなりの大きさのようじゃ。もしかするとアヤメでも危ないかもしれないな」
その言葉にアヤメ達の顔が曇る。
「そんな顔をするな。正面からやり合えば苦しい相手じゃが、前もって準備すれば奴らが何匹いようと負ける要素は無い」
シンクレアはそう言うと腰に付けていた杖を手にすると先端についている翡翠色の宝石に触れる。すると触れた宝石の内側に光が揺らめいた。シンクレアがアヤメ達へ微笑みかけると、その光も呼応するように輝きを増した。
「ふむ、奴らのことはある程度わかった。明日の昼、奴らの活動が最も鈍くなっているときに仕掛ける。村は早朝に出発するから各自今夜はしっかりと休むようにな」
今日の目的は達成した――シンクレアの言葉を聞いた一同は明日の戦いに備えるため村の方へと下っていった。その途中
「きゃっ」
履いていた草履の鼻緒が切れ、アヤメが雪の中へ頭から突っ込んだ。
「どうした?柄にも無ぇ声を出して。大丈夫か?」
「ああ、すまん。履物が壊れたようだ。直してから行くから先に行っててくれ」
全身に付いた雪を払い落としながら体勢を直して冷たい雪の上に座る。脱げた草履を探り寄せて壊れている箇所を確認するとカデル達に先に行くように促した。
「じゃー先行ってるぞ。早く来いよー」
「ああ、すぐに追いつく」
そしてカデル達がまた歩き出すのを確認するとアヤメは切れた鼻緒をじっと見つめた。
「そういえば母様が死んだ前の日もこんなことがあったな……明日悪いことが起きなければいいんだがな…」
鼻緒の切れた部分を持っていた布で補強しつつ結び直すと、カデル達を追いかけるようにして山を下っていった。