—08— 過去の影
その頃、一人訓練場を出たアヤメはドロヘダの街を一望できる城壁の上でヴィオラの街の方角を見つめていた。
――アヤメは何があっても絶対俺が守るから
――俺が殺した
城壁の上の柵に手をかけながらじっとするアヤメの頭の中に一人の少年の声が浮かんでは消える。頭の中のその少年は優しい言葉と冷たい言葉を少女へと投げかける。どちらが本当の少年の姿なのか、受け入れたくない事実と微かな願望が交錯する。
「なぜ母様を殺したんだ・・・・・・ウィル」
ウィル――自分の中で認めたくなかったのか、口にすることで肯定してしまうのが恐ろしかったのか、短いその言葉を震えながら吐き出した。マホンの言葉の中の青年とアヤメの中の少年――その2つが重なり抑えきれない憎悪があの場ではこみ上げてきた。しかし、今はかつての少年を思い出しいくつもの感情がアヤメの中に渦巻いていた。アヤメの心の中とは対象的に人気の少ない城壁の上はとても静かで穏やかな風が流れていた。
「あの向こうにウィルがいるのか」
目の前の山の向こう、そしてその先の平原更に向こうにブルメリア王国、ヴィオラの街がある。遠く離れたその地にずっと会いたかった少年がいるかもしれない。
「お前は今何をしている・・・?母様を殺したその先に何を見ている・・・?」
腰に差した刀、アヤメの母が、少年が使っていたものと同じ形をしたそれに語りかけるようにそっと触れ、見つめる。
「今会えばどうなるんだろうな・・・・・・。憎しみですぐにも切り裂きたいと思うのか・・・それとも・・・・・・」
柵の上に乗せた両腕を組み、その上に頭をそっと置いた。頭の中を整理しようと目を瞑ると、城壁の下から微かな、それでいて賑やかな声が聞こえてくる。昼間の仕事を終えた人達が夕日に見送られながら家へと、酒場へと向かっていく。普段は気にもかけないその声達が今はとてもうらやましく思えた。
どれほどそうしていただろうか、空の色はすっかりと茜色から青みを帯びた黒色に変わっていた。空とは対照的に憂いを帯びた顔は一向に変わらない。ただ、アヤメはゆっくりと動き出した。両手を柵から離し、腰に差した刀を握ると鞘から刀身をゆっくりと解き放つ。静かな空間に鞘と刀身の摩擦音が広がる。
「はっ!」
両手で刀を正面に構え、右足を大きく踏み込むと同時に右上から左下へと大きく刀を振る。
「ふっ!」
振り下ろした刀を今度は逆の方向へと振り抜く。
「せいっ!えぁっ!」
右から左へ、前から後ろへ、振る向きを変えて、踏み込む足を変えてアヤメは何度も刀を振った。
「どこへ行ったのかと心配して探しに来てみれば・・・せっかくの休みの日に鍛錬か。相変わらず真面目だな」
「・・・ロイド」
刀を降っていたアヤメの後ろからロイドが声をかけた。
「そうやって剣振ってるのもいいけどよ、リノン達が心配したぜ?」
眼帯に隠されていない右目がアヤメをじっと見つめる。アガートラムのギルドマスター補佐を務める彼は依頼の管理や割当てだけでなく、団員達の精神面の面倒を見るのも仕事の一つだ。リノン達から話を聞き、アヤメを探していたのだろう。ただ、アヤメを見つめるその表情は仕事というよりもまるで子供を心配する親のようだった。
「リノン達は、その・・・マホンは大丈夫だったか?」
「ああ、あいつらはお前を心配して探しに行こうとしてたが今はぶっ壊した天井を修理させてる。生意気にもカデルが”それどころじゃねぇ!”とか突っかかってきやがったがおもっきりぶっ飛ばしてやったぜ!がっはっは!」
「そう、か・・・」
「落ち着かねえか?」
「・・・・・・ああ」
「そうか。だったら久々にやるか?こっちに夢中になれば頭ん中少しはましになるだろ」
そう言ってロイドは腰に差していたブロードソードを引き抜いて構えた。
「どうだ?」
「ああ、そうだな」
ロイドの提案に乗るようにアヤメも刀を構えた。
「じゃあ、行くぜっ!」
早速ロイドがアヤメに仕掛ける。右手で持った剣をアヤメの胴めがけて一気に付く。右足で踏み込んだロイドのその攻撃をアヤメは左に避けて彼の背中側へ回った。そしてガラ空きとなっているその背中へ刀を振り下ろす。
「へっ、あめぇな」
ロイドは更にアヤメ側に背を向けるように身体を捻ると左手で鞘を取り外しその斬撃を防いだ。
「おらぁっ!」
「ぐぁっ!」
そしてその捻りに更に回転を加えて防御の体勢から強力な後ろ左回し蹴りを放った。先程の斬撃で深く踏み込んでいたアヤメはその攻撃を回避することができなかった。咄嗟に左腕を刀から離して頭部を防御するものの、体重と回転力を乗せたその蹴りに激しく飛ばされてしまう。体勢をすぐに立て直すものの煉瓦でできた地面に打ち付けた左肩に鈍痛が走る。
「いい勉強になったろ?おめぇは動きが単純すぎんだよ。目の前の動きだけを見て判断するんじゃねぇ。相手の筋書きを読んだ上でそれに対処していくんだ」
「くっ!」
今度はアヤメがロイドに斬りかかる。上から大きく振り下ろした斬撃をロイドに横に避けて躱す。ただ、先程のロイドを真似したのかそこから更に刀をロイドがいる横方向へと振り抜き連続攻撃を仕掛けた。しかし、それもあっさりと剣で防がれ鞘で腹を殴られてしまう。
「ごほっ・・・」
肺の空気が外に出されたアヤメは必死に空気を取り入れようとする。だが体が言うことを聞かず、しばらく動くことができなかった。
「お前の筋書きはわかり易すぎだ。攻撃をする前の動作が大きすぎる。それじゃあ”今からこうやって攻撃しますね”と相手に教えてるようなもんだ。そんなん通じんのは力や気が圧倒的に劣ってる相手だけだ」
肺に空気が戻ってきても二度も攻撃をくらった体が重く、なかなか立ち上がることができない。
「どうした?そんなもんか?」
「まだだ!」
「気合だけは一丁前だな!よし来い!」
そうしてまた二人は刃を交わし始めた。
――
どれほど打ち合っていたのだろうか。すっかり疲労したアヤメは片膝を着いて地面に突き立てた刀で身体を支え、肩で息をしていた。一方ロイドはまだ余裕があるのか立ったままその状態のアヤメを見下ろしていた。
「少しは頭ん中落ち着いたか?」
「ああ」
「そいつぁよかった」
ロイドはアヤメに手を差し出すと彼女の手を引っ張って立ち上がらせた。
「成長したな、剣の腕も、外見も」
「・・・あれから随分たったからな」
「・・・・・・そうだな。今のお前の姿、母親にそっくりだぜ」
「・・・・・・」
ロイドはあの日血だらけで倒れていたアヤメを助けた際に彼女の母親の亡骸を見ている。その女性の黒く美しい髪、整った顔立ちをしていた。若干アヤメには幼さが残っているが、あと数年もすればきっとその女性と同じような美しい女性になるのだろう。
「母親の仇、見つかったのか?」
「・・・・・・もしかしたら、な」
「そうか・・・・・・」
長い間沈黙が流れる。
「別にお前が何をしようが俺は止めはしねぇ。ただ、家族を悲しませんなよ。お前がいなくなったらあいつらも辛いだろうからよ」
「・・・・・・うん」
「まあお前の母親を殺すほどの相手だ。今のお前じゃ敵わねぇだろうからまた稽古してやるよ、昔のようにな。別にそうじゃなくても頭ん中もやもやしてたら呼んでくれりゃあいい。いつでも付き合うぜ」
「・・・・・・ああ」
「じゃあ俺はもう戻るぜ。お前もあんまり遅くならねぇようにしろよ?あいつら心配してっからな」
そう言ってロイドはギルドへ帰ろうとアヤメに背を向けて歩いて行った。アヤメはしばらくその姿を見つめていた。
「ロイド」
「んん?」
帰り際に呼び止められたロイドはアヤメの方を振り返る。
「ありがとう」
その言葉を聞いたロイドは何を言わずに再び背を向け、手を振りながら去っていった。