—02— 傭兵達の日常
インファタイル帝国軍との戦争からしばらく経ち、アガートラムの傭兵達も以前の落ち着きを取り戻しつつあった。戦争の請負もしてはいるが、普段は部族間の小さな抗争程度のものであれ程の規模のものは珍しかった。トレアサやアヤメ達の活躍もありアガートラムの団員に死傷者は出なかったものの、戦で負った傷の治療や消耗した体力の回復などでしばらくは業務に復帰できなかった者も少なくはなかった。
「ふあぁーあ・・・ねっみ」
カデルもクレイグとの戦いであばら骨をやってしまったためしばらく戦うことができなかった。怪我の方は治ったもののシンクレアからまだ無茶をするなと釘を刺されたためアガートラムのギルド内にある待合室でただぼーっとしていた。
「もうっ、お兄ちゃんやることがないからってだらしないんだから!」
「うっせーな、暇なんだから仕方ねえだろ」
頭の後ろに腕を組んで座りながらながら机に脚を乗っけてあくびをするだらしのないカデルを妹であるリノンが叱った。
カデルと同じ銀色の髪が声を出す度に肩の上で揺れる。
「そんなに暇なら少しは家事手伝ってよね!」
「あぁ?家事なんてのは女子供がやる仕事だろうが。」
「うわぁ、お兄ちゃんその考え古いよ、化石級だよ。そんなんだからその歳になっても彼女ができないんだよ」
「んだと!?」
「うわぁ、こわーい、アヤメさん助けて―!お兄ちゃんがいじめるー!」
声を荒げて掴みかかろうとするカデルの腕をすり抜けてアヤメの後ろへと隠れた。走るたびに頭の上に乗っている小さな帽子がぐらぐらと揺れて落ちそうになる。刀の手入れをしていたアヤメはリノンが刃に触れないようにそっと遠ざけた後にリノンを宥めた。
「どうした?またカデルと喧嘩したのか?」
「お兄ちゃんが暴力を振るってくるんです。しくしく」
「おい、アヤメ!そこをどけ!」
アヤメの後ろへと回ったリノンはアヤメの着物をきゅっと掴み、いーっと歯を見せた。
「カデル、落ち着け。お前は兄なんだからもう少し大人になったらどうだ?」
「いやだめだ。そいつは甘やかしたらとことん調子に乗るからな。ここらでしっかりと教育をしてやらなきゃならねー」
ちょっとした威嚇のつもりかそう言いながら胸の前で拳をポキポキと鳴らす。それでもなお兄を挑発するリノンとますます加熱するカデルに挟まれ、アヤメは少し困った顔をしていた。カデルとリノンを諭しながら、掴みかかろう暴れるカデルをなんとか抑えていた。
「怒りっぽくてすぐ暴力を振るうお兄ちゃんなんか大嫌い!どこかへいなくなっちゃえばいいのよ!」
「あ!?お前こそ消えろや!その方がゆっくり落ち着ける」
しかしアヤメの言葉には耳を傾けずに二人のやりとりは過熱する一方で行き交う言葉も荒いものとなっていく。
「二人共いいかげんにしないか!」
しばらくはなんとか穏やかにその場を鎮めようとしていたアヤメだが我慢の限界を超えたのか声を荒らげた。戦闘では猛々しいアヤメだが、ギルドで仲間と過ごしているときの彼女はとても大人しかった。そんなアヤメが珍しく大声を張り上げたためそれまでギルドの中に響いていた様々な音が一斉にやんだ。会話をしていた者も、装備品の手入れをしていた者も、掃除をしていた者もそれまでの行為を中断して何事かと一斉に声のした方を見た。あれほど激しく言い争っていたカデルとリノンも呆気にとられてアヤメを見ていた。
「カデルも、リノンも。そんなことは言うな。お前達は互いにたった一人しかいない兄妹だろ」
「・・・」
「家族で嫌い合うもんじゃない。お前達は間違えなくていいんだ」
「アヤメさん・・・」
間違える・・・その言葉が何のことを言っているのかはわからなかったが、あまり見ない表情をしたアヤメの静かで重い言葉は二人には響いたようだった。
「・・・お兄ちゃん、ごめんなさい。少し言い過ぎた」
「いや・・・、こっちこそ悪かったな」
アヤメの言葉で冷静になったカデルとリノンは先程までのことを互いに詫びた。ただ、視線も集まりその場に居づらくなったのかカデルはそのままギルドの外へと出て行ってしまった。周囲の者は何があったのかよくわかってはいないが一段落したような様子を見て各々の行動を再開した。ただ、アヤメは思い詰めた表情で先程からずっと前方の床をただ見続けていた。
「私のせいで変なことに巻き込んじゃって、ごめんなさい・・・」
その表情のことを自分のせいだと感じたリノンはとても申し訳なさそうに詫びた。
「あっ、いやっ、気にするな。こちらこそ済まなかったな、急に怒鳴ったりして・・・」
「何かあったんですの?なんか今日のアヤメちゃん様子が変ですの」
それまでカデルとリノンのやり取りを遠くで眺めていたデリスだったが、アヤメの様子が心配だったのか近づいてきて声をかけた。
「ぎょー?」
イゾルテもアヤメのことが心配なのかアヤメの顔を下から見上げながらその表情を覗っていた。
「本当になんでもないんだ。イゾルテも驚かせてしまってごめんな」
アヤメは目線の高さをイゾルテに合わせるように屈み、燃え上がる炎のように紅い鱗で覆われている頭をそっと撫でた。
「きっとこの前のインファタイル軍との戦争の疲れが抜けきってないんですの。そういうときはぱーっと気晴らしに楽しいことでもするですの!」
突然にではあるがアヤメを気遣ってかデリスがそんな提案をしてきた。
「あっ、私ちょうど新しい服が欲しかったんだった!デリスさん、今から一緒に街へ買いに行きませんか?もちろんアヤメさんも!」
リノンもデリスの意図を汲み取ったのか、その提案に乗っかるようにしてアヤメの腕を取ってぐいぐいと引っ張る。
「えっ、いや、私はいいから!デリスと二人で行ってくるといい」
「そんなこと言わないんですの!ほらほら、アヤメちゃんも行きますのよ!いつもそんな血が染み付いたような服ばかり着て、女の子なんだからたまには可愛らしい服でも着てみるですの!」
「そうよ、アヤメさんめちゃくちゃ綺麗なんだからもっとおしゃれしなきゃ損ですよー!」
「わ、私はそんなのは向いてないしこれでいいんだ」
「ふっふっふっ、今日はアヤメちゃんを着せ替え人形のようにして楽しむですのー」
目に不気味な輝きを灯したデリスとリノンが手をわきわきとしながらアヤメに迫る。
「ひっ・・・!た、助けてくれイゾルテ!」
そんな二人に得体の知れない恐怖を感じたアヤメはイゾルテに助けを求めるがイゾルテは自分には手が負えないと悟ったのか羽ばたいて食堂の方へと去っていってしまった。
「さあ、覚悟するんですの!」
「さあ、行きましょー!」
「い、嫌だ!私は刀の手入れがー!」
アヤメは悲鳴を上げて必死に抗議するもそれぞれの腕をデリスとリノンに掴まれて引き摺られながらギルドを出て行った。