—01— プロローグ
あの雨の日にトレアサがギルドに連れ帰った少女はかなり深い傷を負っていたにも関わらず瞬く間に回復し、翌日には意識を取り戻していた。意識を取り戻してからはトレアサやシンクレアが代わる代わる部屋に来て話しかけたが何も答えようとせず、部屋に誰もいなくなると「母様ーっ!」と泣き叫んだり、放心状態になったり、虚ろな瞳で「ウィル、どうして・・・」と呟いたりしてひたすらそれを繰り返していた。
与えた食事には手を付けてくれたため、体調の面では心配は無かった。そして徐々に精神面の落ち着きも取り戻していった。しかし、誰にも心を開こうとせずに寝台の上で上半身を起こしながら少し前方の床をただ虚ろな目で見つめていた。そのような状態を見かねたトレアサがアヤメを無理やり引っ張ってギルドの中を連れ回した。
このギルド、アガートラムは主に戦争への助力や怪物の討伐依頼など戦いに関する依頼を請け負っている。そのためこのギルドをあまり知らない人は力仕事が得意な筋骨隆々な大男達が大勢所属しているむさ苦しい心象を浮かべる。しかし、実際には女性も多く年齢層も幅広い。
この世界には魔法と呼ばれる、特定の力を使って原理に働きかけることで様々な事象を発生することのできる技術がある。それは力の弱い者でも炎や雷、風などを発生させることができ、強力な攻撃手段として使えた。ただ、この魔法を使用するには体内に宿す気と呼ばれる生命力を巧みに操る能力に加え、体内にそれなりの気を保持しておく容量が必要である。それらはどちらかというと女性の方が優れた素質を持ったものが多いため、素質があり魔法の扱いに長けたシンクレアのような女性達も多くアガートラムに在籍している。
そのようにアガートラムのギルドには老若男女非常に多くの団員がいる訳だが、その団員達の間で少女の存在はちょっとした話題になっていた。
「そういえば、あの大雨の日に団長が連れて帰ってきたあの女の子どうなったんだろうな?」
「ああ、あれには驚いたぜ。あんな小さな子が血だらけになってよお。シンクレアさんが付きっきりで介抱しているそうだぜ」
「何があったのか知らないけど、あんな小さな子が可哀想にねぇ・・・」
「それにしてもあの子見たことのない髪の色だったな」
「ええ、あんな吸い込まれるような深い黒色の髪は私も初めて見たわ。着ている服も独特だったし」
「持っていた剣もこう刀身が反り返っていて独特だったな」
ギルドに運び込まれていた時の状況や見た目の印象が強烈だったのか、団員達の間ではしばらくその話題で持ちきりだった。
「あっ、おい、あれ団長と例の女の子じゃねーか?」
一人の団員が気が付いて指をさすと他の団員も一斉にそっちの方を見た。そこには小さな女の子を無理やり引っ張って連れ回すトレアサの姿と、無表情のままトレアサに腕を引っ張られて転びそうになっている少女の姿があった。
「ほらほら、どうだ?ここがこのアガートラムの待合室さ。皆ここで依頼を受けたり暇なときは集まって雑談してたりするのさ。結構大きな部屋だろう」
今トレアサ達がいるこの大部屋は100人を軽く超える団員達が全員集まれる程の大きさがあった。その大部屋には依頼を終えて雑談に花を咲かせている多くの団員達がいた。その団員達はトレアサ達が入ってくると一斉にそちらの方を向いた。担ぎ込まれたあの日からずっと姿を見せなかったその少女がどうしても気になるようだったが、話しかけづらかったのかトレアサと少女を交互に見ていた。
トレアサが大部屋でギルドの仕組みのことや団員達のこと、いろいろなことを説明するがその少女は興味がないのかただ黙って前方のどこかをじっと見ていた。するとその少女と同じくらいの年の少年と少女が近くに来た。
「なあなあトレアサ、そいつなんなんだよ?」
「おおカデルか、ってお前私に対して呼び捨てはないだろ、さんをつけろさんを!」
そのどこかだるそうで生意気そうな目をした白銀の髪の少年はトレアサに頭を叩かれていた。
「いてーな!この年増!何すんだよ!」
「ほーぅ、いい度胸じゃないか。そんな奴にはこうだっ!」
トレアサはカデルのこめかみ付近を握った拳で挟み、ねじ込むように圧迫した。
「ぐぁあああ!」
「お前はこんな風になっちゃだめだぞー」
「もー、二人共うるさいですのー!」
少年と歩いてきた少女が、トレアサの連れていた少女と話したかったのか騒がしい二人を注意した。そしてそれでも騒がしいのが収まらない二人を放置してその少女に話しかけた。
「初めましてですの!私はデリス、こっちは家族のイゾルテ、ゾルちゃんですの!」
「きゅっ」
横でトレアサとカデルが騒いでいるのにも無関心だったその少女に対してデリスが話しかけた。そしてデリスが話しかけるとその腕の中に丸まっていた子供の竜も彼女に倣って挨拶をした。イゾルテと紹介されたその子供の竜はその少女の肩の上をとてとてと歩いてじゃれついた。
「ふふっ、ゾルちゃんもあなたのことが気になってるみたいですの。あなたのお名前は?」
名前を聞かれた少女は自分の肩の上で飛び跳ねているイゾルテをしばらく無表情で見つめていた。そしてゆっくりとデリスの方を向くととても小さな声でぼそっと答えた。
「・・・アヤメ」
「じゃあアヤメちゃんですの!アヤメちゃんはしばらくここにいるんですの?」
「・・・」
アヤメはその質問には答えずまた無言になった。
「どうせ行くあてもないんだろう?そんな何もない状態で出て行っても野垂れ死んじまうよ。しばらくうちにいるといいさ」
「・・・」
トレアサの言葉にもやはり無反応でただ黙っていた。
「それじゃあずっとここにいればいいですの!私ずっと同い年くらいの女の子がいなくて寂しかったですの。これからよろしくね、アヤメちゃん!あ、それとこれはカデルですの、口は悪いですけど根はそんなに悪い奴ではないですの」
「っつー・・・。おい、アヤメって言ったか。トレアサ達はああ言ってるが働かざる者食うべからずだ。しばらくは俺の下っ端としてこき使ってやるから覚悟しろよ」
「阿呆、お前もまだ何もできないクソガキだろうが!お前達にはそのうち働いて貰うから今は大人たちに甘えて大人しくしてな!」
「誰がクソガキだ!俺はもう一人前だ!」
そう言ってまたカデルとトレアサはぎゃーぎゃーと言い争いを始めた。
「もう、いい加減にしてですのー!ね、こんなの放っておいて行こ!」
そう言ってデリスはアヤメの手を引っ張って大部屋を出ていった。
「ほらカデル、お前もさっさと行きな!デリス達はもう行ってしまったぞ」
「くそっ、いつか絶対ぶっ飛ばしてやる!」
カデルはそう捨て台詞を吐くとデリス達を追って部屋から出ていった。その姿を
見たトレアサは少しだけ安心したような表情になっていた。
「元気になったみたいですな」
少し遠くから様子を見ていたロイドがカデル達が出ていったのを確認してからトレアサに近づいて話しかけた。
「ああ、少なくとも体はね。精神面はまだ不安定だが・・・きっとデリス達がなんとかしてくれるだろう」
「しかし団長、あの娘はずっとここに置いておくつもりで?あっしは何か面倒ごとに巻き込まれそうな嫌な予感がするですがね」
「・・・やめてくれ、お前の感はよく当たるからな。だが、だからと言ってあんな子を放り出すわけにもいかんだろう」
「・・・」
「もし何かあったら私がどうにかするさ。・・・さあ、それよりも仕事に戻るぞ」
「承知しやした」
そう言うとトレアサはロイドを連れて出かけて行った。