—03— 血に濡れた少女
その頃アヤメは敵の本陣を目指して一人縦横無尽に駆け回っていた。
(戦争が長引けば死人が多く出てしまう。早く終わらせなければ)
インファタイル軍の兵士は突然現れた少女に一瞬戸惑うも、その少女の正体に気付くとすぐに武器を構えて襲いかかった。アヤメは戦場では朱殷の剣士と呼ばれ、兵士の間で噂となっていた。
朱殷の剣士。それは酸素を失ってしまった返り血を連想させる暗い色の羽織と袴と、戦場で彼女が通過した跡の地面がその色に染まることからついた呼び名である。艶やかな黒髪と透明感のある肌、美しい顔立ちとは対照的な呼び名。呼び名と容姿、その二つの対称性が戦場の兵士達に強烈な印象を与える。
襲い掛かる兵士はいずれも全身を金属の鎧で覆っていた。対する少女の武装は一振りの剣のみ。アヤメの噂は聞いてはいるが、装備と人数にこれだけの差があれば負けることはない。そう兵士達は思っていた。しかし兵士達の考えは次の瞬間に裏切られることとなる。
襲い掛かる兵士達の隙間をアヤメが駆け抜けた瞬間、すれ違った兵士達はいずれも金属の鎧ごと体が両断され、その断片がごとごとと音を立てて地面に落ちた。幸いにも斬られることを免れた兵士達が見たものは特別な魔法でもなんでもなく、自分達が持っている剣よりも小さな剣を振り回している少女の姿だった。
少女の持っている剣は兵士達が装備しているブロードソードやバスターソードに比べて小さい。反った刀身の片側にしかない刃が兵士達の鎧を撫でると、鎧が金属製であることを疑わずにはいられないほど綺麗に、簡単にそれを切断した。
生き残った兵士達はその光景を見てごくりと唾を飲んだ。そして思い出す。朱殷の剣士に出会ったら逃げろ、奴の剣術の前では鎧も力も無意味だという兵士の間で広まっていた言葉を。
我に返った兵士達の取った行動は二つだった。一つは全力でその場から逃走するもの、もう一つはオーパーツや弓矢による遠距離からの攻撃を試みるもの。アヤメ以外は自軍の兵しかいないインファタイル軍にとってこの場でそのような攻撃手段を取ることは味方も巻き込みかねない危険な手段だ。ただ、目の前にいるもっと危険な存在を排除しなければという使命感と恐怖感から兵士達はそのような行動に出た。
相手の武器は所詮剣だ。近づかなければ、当たらなければどうということでもない。そう思い兵士達は矢を番えて放ち、オーパーツによる光の砲弾を撃ち、アヤメに集中砲火を浴びせた。
自分に向かってくる雨のような矢や光の弾をアヤメは完全に見切り、その全てを躱し、叩き落していた。動体視力のいい人間であれば雨のように降り注ぐ無数の攻撃を見切ることはできるかもしれない。ただ、それを見切ったところで回避できるほどの身体能力があるかと言われれば、ほとんどの人はそのようなものを持ち合わせていないだろう。しかし、アヤメは卓越した身体能力によってそれを実現していた。
アヤメのこの身体能力は生まれつきのものである。アヤメはこの蒼き星の守護者としてその生を受けた。星の守護者とは、星の秩序を守る、星を外敵から護るために星神によって創られた特別な存在だ。星神の志向によってその姿形、数は異なるが、星の守護者は一つの星において一人存在する。そして星の守護者はその役割上、その星に存在する他の生命よりも遥かに強い戦闘能力を有する。
この蒼き星の守護者は、この星を想像した星神であるロスメルタの志向により人族の姿をしている。また、この蒼き星においては星の守護者であれ子を成すことができ、生まれた子は星の守護者としての力を有する。一人も守護者が存在しなくなるといった特別な事情が無い限りはロスメルタが自ら星の守護者を創ることはない。それは生命の愛の取り組みを大切に思っているロスメルタらしい考えだと言える。このアヤメも先代の星の守護者であるナデシコの子として生まれた。
その生まれ持った能力を活かし降り注ぐ無数の矢や光の砲弾をアヤメはひたすら避けながら敵の本陣を目指し進んだ。