約束。 加奈
「加奈、俺もう、高校行くからな」
「はーい」
兄が、バッグを背負って私の部屋の扉を開けた。
兄は土曜日だというのに、部活動をしているのだと言う。
「俺今日サッカー部の練習試合だからな。……お前は、いいよな。何も無くて」
何も無いわけじゃないのに……。
想太のいない生活をして、早三ヶ月。
今も色あせない、あの日。
あの学校で過ごした青春が、まるで一つ一つ、宝物のように綺麗に輝いて。
どう綺麗に輝いているかは、私にも分からない。
苦しいことだらけだった、片想いだったあの日も、残らず輝いている。
過ごした日々は、決して何も無駄な事などなかった。
あの日々を思い出す度、胸の奥が苦しくなって、涙が出てくる。
でも、思い出す度、懐かしさはこみ上げてきた。
転校する、と知った日、私は一瞬、冗談かと思った。
だって、朗らかな家族が、嘘をつくなんて、日常茶飯事だから。
いつものように、私の反応を楽しんでいるように思えた。
でも、兄の進路である高校を見て、分かった。
市内の高校じゃない、ずっと遠い、偏差値の高い高校だったから。
その瞬間、私は絶望した。
想太の笑顔がもっと見たい。さえっちやミサちんともっとずっと一緒にいたい。
だって、大好きな人達と別れるのは、嫌だから。
私は、ふと、スマホを手に取る。
あの子と、話せたら。
きっと。
本当に大事なことを言えるんだと思う。
ある人をタップする。
『想太』
見るだけで切なくなる。
想太。
元気かな。
スマホを耳に当てる。
呼び出し音が、室内に響く。
『……もしもし』
懐かしいあの声が、耳元で聞こえる。
「想太……。久しぶりっ!」
私は、笑った。
『!!』
電話越しからも、息を呑む音がする。
『加奈…』
切なそうに、想太は言う。
やっと聞けた。
大好きなあの声が。
『加奈。……元気にしてた?』
「元気にしてるわけないでしょっ。……ずっと元気なかったよ……」
あぁ、涙まで出てきた。話していることが嬉しくて、でも、この電脳世界でしか話せないことに、悔しさを覚えて。
「私ね、……私ね、友達が出来たんだ。瀬戸口万里さんって人。皆にマッキーって言われてるんだ……」
友達。
瀬戸口万里。通称マッキーは、クラスの人気者タイプで、モテる可愛い女の子だった。活発で明るくて、東麻呂市立第十小で言う、清香さんタイプだった。
マッキー、と、私も呼んでいるけれど、やっぱり、私とは正反対の社交的な女の子で、転校先のクラスには、私みたいな大人しい系の女子はいなかった。皆グループで固まっては、悪口を言う。
特にひどい人達は、ある女子と話していて、その女子がいなくなったら、その女子の悪口を言うという、最低な人達だった。
ミサちんやさえっちが、蘇ってくる。
あんなにおしとやかで可愛い、芯の強い女の子が、転校先の学校にはいなかった。
そんな人達と友達になれるわけがない。
最初のうちは、お父さんに「戻りたい」と懇願していたが、段々とその気力も失せてきた。
私は、どれだけ自分が恵まれていたかを、知るはめになった。
前の学校には、一緒にいて楽しい、気の合う優しいミサちんやさえっちがいた。
騒がしい五年二組。
萩尾さんと清香さん。
恋敵の、裕香さんや、奈波さん、読者モデルの実優さん。
完璧カリスマ転校生の遥君。
遥君の片想いの相手、超絶可愛い宮野さん。
年下の可愛い男子達、健一君、莉以君。
そして、大好きな、想太。
どの人も、皆、何だかんだ言って、良い人だった。
そんな幸せを手放してしまうことが、どれほど苦痛か、今の私は痛感したのだった。
今の学校には、優しさとは程遠い邪悪な空気が漂っている。
転校生だからと言って油断していると、いつの間にかいじめられてしまうこともあるかもしれない。
それに比べれば、直面勝負してくる裕香ちゃん達の方が、数百倍良かった。
『瀬戸口万里……か。良い名前じゃん。可愛いんでしょ?』
「う、うん。まぁ、可愛いんだけどね……」
やっぱり、前の学校の方が楽しい。
瀬戸口さんも優しくしてくれるけど、そこに本当の優しさはないような気がするから。
だって、そうだよ。
転校生が女でも男でも、仲良くするよ。女子は。
特に男の子は、好きになってほしいがために、沢山仲良くする。
でも、ミサちんやさえっちは、遥君に気に入られてもらうために努力しなかった。
自然と友達になればいい。そんな考え方をする二人に、私は心底憧れていた。
最近、電話で、「ミサちんが健一君と付き合うことになった」との連絡があった。
ミサちんは、遥君が好きだと言ったけれど、健一君が自分に好意を向けていることが嬉しくて、付き合うことになったらしい。
「……それより、何かそっちで重大な事件ってあった?」
私は興味本位で尋ねてみる。
『……あ、あるよ。まず、新任で本井夏輝って先生が来て、その人が保健室の氷室あかり先生と付き合うことになったんだ』
「えぇぇっっ、あの男子に人気の氷室先生が」
私は氷室先生の顔を思い出す。
間違いなく美人の類に入るであろう保健室担当の先生だった。
「そうなんだ。……本井先生って、何年何組担当?」
『俺らのクラス担任。……あと、俺のクラスといえば、実優と奈波が裕香をいじめたってことかな』
「マジ? あの、超絶仲良しの奈波ちゃんと裕香ちゃんが!?」
私は飛び上がった。
転校生の桐野実優はともかく、一年の頃からの親友である奈波ちゃんが、裕香ちゃんをいじめていたという事実に、私は驚きを隠せなかったから。
『でも、もう仲直りしたよ。奈波が本当は実優に命令されてやった事だって、ちゃんと裕香に話したんだって。……裕香に何かあったら守るとも言ってた。奈波と実優が直接対決して、言ったんだよ。
いやぁ、あれは名言だな、奈波の』
カッコいい。そんな事が言えるだなんて、奈波ちゃんはなんていい子なんだろう。呪いそうになった私はなんて馬鹿なんだ。
「……他には他には?」
『……あのね、これ、言っていいことなのか分からないけど』
「……?」
見えないのに、首を捻る。
何なんだろう。
『加奈は、俺を含めて三人に好意を持たれてたんだよ』
「っは?」
私はまたも飛び上がった。
ツインテールがくしゃっとなる。
指先で整える。
「って、誰?」
なんて、ツインテールは関係ない。私は思わず聞き返す。
『莉以と遥』
雷が鳴り響いた。
今は雨など降っていない。外は快晴だ。
そして、気付いた。
私の心の中で、雷が落ちたんだって。
「……、嘘でしょ、絶対嘘でしょ。莉以君はまだしも、遥君が私のこと好きだなんて有り得ないって。大体、遥君は宮野花音さんが好きなんでしょ」
まくし立てた。はぁ、と息をつく。
『残念。嘘じゃないよ。だって、宮野さんを好きになる前、遥は加奈を好きだったんだよ? 合コンのときも、聞こえなかったようだけど、告白してたし。
そもそも、「恐怖の大都市」のオフ会に行って、加奈に一目惚れして、転校してきたんだよ。
キャンプの時だって、そうだよ? 皆を誘う作戦と見せかけて、加奈に振り向いてもらいたかったんだよ』
想太から語られる衝撃の事実に、頭を打ち付けたくなる衝動を抑えて、何とか聞いていた。
「……そうだったんだ」
自意識過剰すぎると言われることを承知するけど、実は莉以君からの好意は少し、ほんの少し感じていた。
莉以君のことはそんなに驚かなかったけど、正直に、遥君が私に好意を向けていたなんて考えもしなくて、あまりにも現実離れしすぎているから、びっくりしてしまったんだ。
『あ、あのさ、加奈』
どれくらい時間が経ったのか分からなかった時、ふと、想太が電話越しから声を発した。
「……? 何、どうしたの」
私は尋ねる。今日何度目だろう。
『これから、加奈は色々な人と出会う。
そして、新たに男の人と付き合うこともあると思う。
中学に進んで、高校、大学と進学していって、社会に出て、結婚して、子供を産んで、孫が産まれて、お婆ちゃんになる。
そんな長い長い人生の中で、一つ年下の、森川想太は、どれほど残っていられるんだろう。
加奈はこれから、魅力的な人と沢山出会う。……俺よりも、イケメンでカッコいい優しい人が現れる。
その美しさに溢れた人生の中で、俺は、加奈の記憶にどれほどいられるんだろう、もしかしたらすぐ忘れちゃうかもしれない。
……でも、加奈が忘れても、俺は忘れない。
……なんか、我がままな頼みだけどさ。
これからも、ずっと、俺のこと、忘れないでくれない?』
なんて、カッコいい、大人な言葉なんだろう。
世界一大好きで、世界一幸せになれる声。
小学校生活の中で、一番の大切な人になった。
一年間で、色々なことがあった。
どれも輝いている、沢山のキラキラした思い出だ。
そんなキラキラ輝いている、素敵な思い出を作ってくれた、大好きな人を、忘れるわけがない。
「……うん。……これからも、絶対に、ずっとずっと、想太を忘れない」
私は、笑いながら言った。
そして更に。
『加奈』
「想太」
大好き。
この物語も完結することになりました。
本当に読んでくれた人達、感謝しています。
一番投稿歴が長いです。思い入れがあります。
個人的に好きなのは静香です。
本編に有り得ないくらい登場しなかった、しかも番外編で自殺してしまった子なのですが、好きです。
なんか悲しくて切ない両想いって感じが好きです。
こういうふうな悲しくて切ない両想いなんて、私には訪れないと思います。
こういう人になりたいなっていう憧れです。
死ぬほどどうでもいいですね。
最後までこんな下らない見てくれた人は、きっと心優しい人なのでしょう。
本当に感謝しています。
流石にここまで見てくれるすごい人はいないと思います。
けれど、もしいたとしたら、精一杯の感謝です。
ありがとうございました。




