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小学生の恋物語。  作者: けふまろ
番外編
94/95

最期に大事な言葉を。  静香

 静香が主人公みたいな話になってるけどね。

 あともう一話、加奈と想太の話に戻ります。

 

 最終回はこの二人で行かなきゃ、駄目なんだと思います。

 蒼井静香、という少女は、ごく平凡で、地味な女の子だった。


 私の人生を一冊の本にまとめると、最初の自己紹介はこんな感じに始まるのだろうか。


 でも、あの人は、どれほど長くいたんだろうか。

 私の人生を一冊の本にまとめたら、あの人は、どれほどいたんだろうか。


 人生の最期に、私の心の中に留まったあの人は、きっと、笑顔で、別の人生を歩んでいるはずだ。


 大好きだった、あの人は。



 ◆◇



 始まりは平凡だった。

 一年生の頃の、学校探検でペアになったのが久我さんだったのだ。

 それから、何かと一緒に行動することが多くなった。


 そんなドラマチックでも何でもない出会いが、まさか、私の人生の最期をこんな時期に迎えるきっかけになるなんて…。


 そのときの私は、思いもしなかった。



「蒼井さん」

「はい」


 

 塾の廊下。振り向くと、花音さんがいた。

 男子に人気の可愛いと評判の女の子。

 だけど、今年の一月四日に、デパートで喧嘩してしまい、険しい関係になってしまったのだ。

 久我さんを巡っての出来事は、私は気にしていなかっただけで、実は花音さんは沢山の負担を背負っていたんじゃないかと思う。


 一月四日、花音さんは私の好きな人を暴露して、久我さんの好きな人を暴露したのだ。

 その日、花音さんが言いかけた言葉。

 久我さんが好きだから、と言いたかったんじゃないか。


 なのに、花音さんの好きな人暴露は、久我さんにバレてしまったのだ。

 それで久我さんに手痛い仕打ちを受けることになった。

 多分、花音さんは傷付いていると思う。

 嫌な奴。ただの自滅じゃん。自業自得だ。


 そんな風に思ってしまう自分が、とっても嫌な奴って事を確信しながら。



「何ですか?」

「遥君が呼んでるわよ。…あんたの好きな人が」


 六年になった今でも、告白したというのに、私に対する態度は冷たい。

 仕方ない。そう思いながら、心の中で理不尽さを感じていた。



「…何だろう…」


 遥君が、塾の屋上で待っている。

 その言葉を聞き、私は階段を駆け上がった。



「遥君…」

 私は、屋上のフェンスから街を見下ろす形で立っている遥君を見た。


「どうしたの?」


「…蒼井さん」


 爽やかな笑みを浮かべる遥君。

 あぁ、そんな美しい瞳に、恋したんだ。


「…駄目だよ、僕なんかじゃ」


「え?」


 遥君は私を見据える。


「僕、花音さんが好きなんだ」

「え?」


 もう一度、尋ねてしまう。

 花音さんのことが好きって事は、花音さんは遥君が自分のことが好きってことを知っているのか。


「それは、彼女に言っていない。

 実は見てたんだ。…花音さんが僕の好きな人をバラす瞬間…」

 

 私は息を呑んだ。

 久我さん以外に視線を感じていたけど、まさか遥君だったなんて。


「…まぁ、あの時、君は花音さんの後ろにいる久我さんにびっくりしていて、花音さんは自分の話にびっくりしているんだと思って、全く話が噛み合ってなかったからね。仕方ないよ」


 何が仕方ないのか分からないが、まぁ遥君がそう言うならそうなのだろう。


「…だから、僕、蒼井さんが好きって知ったときは嬉しかったし、自分に好意を向けてくれる女の子がいるのに恥ずかしさも感じた。…まぁ、自慢って思われちゃなんだけど、僕、告白とかはよくされるんだ。何がいいのか分からんけど」

 あまりにも清々しく言うものだから、私はあまり自慢とは思えなかった。ただちょっとチャラ男的な面があるんだけで、自慢するとは言いにくい。



「でも、本当は、好きな人がいるんじゃない?」



 遥君の言葉に、私は面食らって「はぇ?」と言ってしまう。

「遥君以外に好きな人なんかいない」

 そう言ってみるのはいいものの、遥君は苦笑するばかりでちっとも言うことを聞かない。


「まぁ、本当は自分が気付いていないだけってこともあるけどね」

 遥君はホント、大人的な観点で物事を見ている。

 その大人っぽさに憧れる女の子も多い。


「それに、…君はある人から好意をもらっているんでしょ?」

「!! …、そう、かも、知れませんが…」

 久我さんのことを言っているのは明らかだ。

 でも、…好意を持たれているのかな?

 友達として、の間違いじゃない?


「もうそろそろ、授業が始まる。早く戻ろう」

 遥君の言葉が、必死に考えている私の頭に降り注ぐ。そうだ、身長差があるんだった。


 にしても、身長、高いなぁ。

 今ではすっかり百六十より上になっている。学校一背が高いイケメンだと評判らしい。


「…うん」

 私は、塾内へと入っていった。


 ◆◇


 授業が終わると、私は有咲さんと一緒に帰る。

 塾内の男子には嫌われ者らしいけど、女子には好かれていて、信頼も厚い。私も仲良くなる前は、ギャルギャルしい雰囲気が苦手だと思っていたけど、むしろ良い人で、今では何故この人が男子に好かれないのか謎になるほどだった。


「あぁ、じゃあ私、もうそろそろ帰るね」

 有咲さんが曲がり角で手を振る。私も振り返す。

 有咲さんは、良い友達になりそうだ。



「ただいま」

 築十四年のマンションの五階に、蒼井家はある。

 共働きのため、ご飯は冷蔵庫にある食べ物をレンジでチンして食べる。

 今日のご飯は、玄米と味噌汁、野菜炒めに肉じゃが。平凡でどこにでもある物だけれど、ラップを外すと、母親が一生懸命作ってくれたご飯の匂いが、鼻を刺激する。


 ご飯を食べ終わって、宿題を終わらせる。塾に通っていれば、簡単に解ける問題ばかりだった。

 私はふと、机の上の朝刊を見た。

 多分散らかってても気にしないタイプのお父さんが置いてたんだ。

 私は溜息をついて、新聞を見る。

 そこに、気になる新聞記事が載っていた。


『○○中、男子生徒自殺。いじめが原因か』


 私は麦茶を飲みながら、そのニュースを読んでいた。

「『○○中で、中学二年生の男子生徒が自殺。屋上から飛び降りた模様』…。

 …こんな親不孝者も、いるもんなんだね…」

 それが自殺したいと思っている人にどれだけ失礼かは知っている。でも、自殺はどれだけ親を不幸にするかも知っていた。

 自分は絶対自殺なんてしたくない。私のために一生懸命仕事を頑張っている親を悲しませるわけにはいかなかった。


「最近自殺のニュースが増えてるな。…関係ない話だと思ってたけど、小学生にも自殺なんて有り得るんだよね…」

 私は目を閉じて考えた。

 もしも、お父さんやお母さんが会社でリストラされていて、それに耐え切れなくて自殺したら?

 もしも、遥君が死んでしまったら?

 もしも、花音さんが死んでしまったら?


 もしも、あの人が死んだら…。


 やめよう。

 あの人のことは深く考えないことにしよう。


 私は目を開けて、本を読み始めた。

 本の世界は良い。すぐ自分の世界に入ってこれるんだから。


 もう、寝よう。

 明日は学校なんだ。

 もう、九時を回っている。塾が恐ろしいほど長い。


 この長い長い人生の、どれくらいの時間、塾がかさばってくるんだろう。


 そのときはまだ知らなかった。知る由もなかった。

 長い長い人生なんてないことに。


 ◆◇


 休みの日、私は近所の文房具屋で日記帳を買った。

 小さなノート。これに、私の日々の行いが書かれるんだ。

 私はちょっとハッピーな気持ちになって、帰った。


 歯をみがいてトイレに行って、もう寝ようかという時間帯に、私は日記帳を開いた。


『五月十三日 日曜日

 はじめての日記。

 何だか緊張する。

 まず、見せるわけでもないが、二十年後の私が見てもあの頃が鮮明に思い出せるように、書いておこう。そうしよう。

 まず、お父さんの名前は静司(せいじ)。お母さんの名前は有香(ゆうか)。二人とも私のために一生懸命働いてくれている、大好きな両親。

 私の友達は、桜庭有咲さん。男子に不人気の(何故かは不明)、ギャルっぽいけど、大親友になれそうな予感。

 続いて、先輩の水沢安和(みずさわあんな)さん。保育園からの付き合いで、仲の良い女の子。

 他にも、沢山友達がいる。

 それで、好きな人は立花遥君。…でももう、好きじゃない? 宮野花音さんが好き?

 それで、登場するあの人…久我広樹さん? みたい?

 そして、公表していないけど、久我さんのことが好きな、花音さん?

 

 私は、六年二組所属の、出席番号二番の蒼井静香。

 どうか、三日坊主になりませんように!』


 時刻を見ると、もう十時だった。

 ヤバイ!

 特急で布団の中に入る。


 でも、日記をつけたことで、更に毎日が楽しくなりそうだ。

 過去の自分にコメントをつけたり…?

 いや、恥ずかしいな…。

 布団を頭まで被る。


 自分がちょっとだけ女子に近付いていることに気付いた。

 それで、更に布団に潜り込んだ。


 ◇◆


 それから、私の毎日は少しずつ楽しくなった。


『五月十四日 月曜日

 夜の月!

 今日は雲に隠れているけど、滅多にない気温の低さで、夜の街に出て月を見た。

 風が吹いていて、雲が月を隠している姿もまた素敵。

 こんな日は、あの人と見たかったな、なんて思っちゃった。

 まさか、私って…』


『五月十五日 火曜日

 あの人と遊ぶ!

 今日はあの人と遊んできた。

 公園で遊んで、あの人の笑顔は、素敵だった。

 あんな無邪気な笑顔をしてみたいな。

 まぁ良い育ちをしているあの人の純粋無垢な笑顔には、適わないけどね(笑)!

 社会の裏側を知ってしまったら、あの人のような笑顔は見せられない!

 なんて(笑)。ヤバイ、私のテンションがおかしくなってる…』


『五月十六日 水曜日

 塾の帰り道に…

 有咲さんと帰っている途中に、白い綺麗な花を見付けた!

 まるで花音さんのように可憐で華やかな花だった。

 花音さんに似合うだろうな。

 久我さんにも、あげたいな』


『五月十七日 木曜日

 中学生の怖そうな男子軍団が、登校時間の小学生の通学路に現れた!

 静香はどうする!?


 戦う

「逃げる」

 一時的に隠れる


 静香は、ダッシュして逃げた!

 静香は気にも留められなかったようだ。


 だがその中にあの人がいた!

 静香はどうする!?


 真正面からぶつかる

「無視して逃げる」

 声をかける


 静香は、無視して逃げた!

 あの人は、何か言いたそうな目をしている!


 冗談で書いてみた。

 あの人何を言いたかったんだろう』


 ◆◇


 一週間後、私は、日記帳を書いていて、気付いてしまったのだ。

 

 あの人が出てこない記事がない。

 つまり、あの人と毎日関連付けて詳細を書いているのだ。

 

 もしかして、これは。

 多分「そういうこと」なんじゃないかな…。


 とは思うけど、それはあの人が私の事を好きって言うから気にしているだけであって、本当は「そういうこと」じゃないんじゃないか、と思う。

 そう思っていて合ってほしい。


 ふいに、遥君の言葉を思い出す。


「まぁ、本当は自分が気付いていないだけってこともあるけどね」


 気付いていないだけ?

 いや、そんな事、あるわけない。

 あの人のことを好きだなんて、あるわけない。

 絶対、そうだ。

 

「静香、もう寝なさい」

「あ、はーい」

 お父さんが私を寝るように促す。


「…おやすみなさい」

 ベッドに潜ると、私は一分も立たないうちに寝てしまった。


 ◆◇


 事件が起きたのは、その翌日。

 私は、学校が終わって、塾が無かったので公園に出掛けることにした。

 杉の木公園はとても広くて、地元の子供達がわいわい騒いで遊んでいた。

 昔は私も、子供達のように無邪気に遊んでたのかな…。

 今は受験はしないけど、勉強が忙しくなって、こうやってゆっくり公園に行く時間も無いからな。

 なんて、大人っぽく思ってみたり。


「あ、静香」


 聞き慣れた声がして、私は振り返った。

「あ、久我さん…」

 久我さんは、Tシャツにジーンズ姿。両手にスコップとバケツを持っていた。

 更に、ジーンズの裾には、泥が沢山ついている。


「いや、何してんの?」

「子供が砂場で遊んでいて、それを見てたらお兄ちゃんもやってって言われてさ…」

 呆れる。それを受け入れる中一も中一だ。

「それでこんなにジーンズが汚れたってわけか。馬鹿なのか、久我さんは」

 まぁ、こんな優しそうな童顔だから受け入れられるのも頷けるけど。

「もう小学生じゃないんだから、保育園児と無邪気に遊ぶと、馬鹿にされるよ、同級生に」

 私が溜息をつくと、久我さんは「えっ」と言った。


 あ、もしかして、何か気に障るようなことでも言ったかな…。

 ちょっと気を引き締める。向き直ってごめん、と言おうとした。


「あ、ごめ…」

「年下にも馬鹿にされる僕って何なのさ」

「…え? …って、知るかよ!」

 はぁ、何だ。心配して損した。やっぱり小学生の頃から全然変わんないじゃん。

「…でも、年下に好かれるのは、頼りにされてるってことだもん、良いことには変わりないよ」

「え、そうかな…」

 それに、花音さんにも好かれてるしね。

「ま、ありがとう」

 久我さんはニッと笑って、子供達と砂場で遊び始めた。

 

 何か、小さい子供を見ているようだ。

 もちろん私より背が高いのはそうなんだけど(背が平均よりも少しだけ低いことが私のコンプレックスだ)、何か私よりも無邪気なんだ。

 まぁ私が大人っぽいことを求めてるってこともそうなんだけど。

 背が小さいくせに大人っぽいことばっか求めんな、とクラスのガキ大将ポジションの男子に言われたばっかりだけど、そう考えは変えられない。


「…あ、静香も一緒にやる?」

 久我さんは、私の方を向いて、手を振る。

「やりません」

 私は即答する。


 ◆◇


 子供達が家路に着いた、五月十八日、金曜日の午後六時。

 辺りは少しだけ薄暗く街灯が照らしている。

 ベンチに座って、私は隣に座る久我さんを見た。

「あはははははっ! でも、本当に驚きましたよ。子供がコケて持っていたバケツに入っていた大量の水が、久我さんの頭から降りかかってくるんですもの!」

 私は、つい先ほど起きた久我さんの痴態に、大爆笑していた。今でも思い出すと噴き出してしまうくらいの面白さ。

「あぁぁぁぁ!! 笑うなってぇぇぇ!」

 久我さんは持っていたリュックに顔をうずめた。

「いいじゃないですか! あぁ、笑えるぅ…」

「うわぁぁぁぁぁぁっっっ!」

 久我さんはビシバシと私を叩く。痛くもかゆくもない。

 きっと笑われて最悪だと思っている頃だろう。もしかしたら人間不信になるかもしれないから(それどんな状況!?)やめておこう。


「っていうか、もう暗いよ? 送ろうか?」

 久我さんは急に話題を変更した。これ以上笑われるとプライドが傷付くと思ってなかったことにしているんだろう。

 濡れている髪の毛がそれを物語っているがな。…あぁ、また笑いそうになった。


「いえいえ、大丈夫です…。ぐっ…」

 必死に笑いを抑える。

 口角が上がりに上がっているため、私は顔を伏せた。

「えぇ、でも、危険だよ? こんな暗いし…」

「いや、私塾に行っていっつもこれくらいの時間、勉強してるんですよ? 帰るのが八時だというのに、これよりも暗い中一人で歩いてるし、しかも私服のセンスがダサいですから襲う人なんていませんって」

 久我さんは飛び上がって目を逸らす。

「いや、…まぁ、確かにその通りなんだけど…」

「失礼すぎっ! 私をダサいと思ってたんですね!?」

 違う違う、と久我さんは否定する。


 正直、私ももう帰ろうかな、と思っていたところだ。

 だから、立ち上がった。

「じゃあ、もう帰りますから、久我さんも帰った方が身のためですよ」

 不審者に捕まりますからね、その童顔だと。

 言おうとしたけど、やめた。


 久我さんは、どこかを見ていた。

「え、久我さんどこ見て…」

 私は久我さんの見ている方向を見る。


「!!」

 

 入り口の方から、ゴツイ格好の男の人達が、わらわらと集まり始めたのだ。

「久我さん、帰りましょう」

 久我さんは頷いて、ゆっくりと方向転換した。

 だがそのとき。


 ガシャン!


 何か鉄製の物にぶつかる音がした。

 足元を見ると、久我さんの足が、鉄製のシャベルにぶつかっていた。


「!!」


 私は目を見開いて走り出した。

 久我さんの手を握り締めて。

 

 すると、突然…。

 私は、何者かに足を掴まれて、転倒した。

 鼻が地面に当たる。ゴキッと妙な音がした。

 立ち上がった。鼻がものすごく痛い。涙まで出てきた。


「誰だ!? …うっ」

 久我さんの方を見ると、久我さんも一緒に転倒してたらしく、おでこを抑えていた。

 足元を見ると、ひょろっとした体型の男が足を掴んでいた。


「俺ら見て逃げるなんて、失礼すぎるだろ」

 その男は、足を掴んでいた手を離して、立ち上がり、にやりと笑った。

 そして、その後ろにはゴツイ男が沢山…。


「い、いやぁぁぁ!!」

 

 久我さんの手を掴んで、思いっきり走る。

 驚いた。

 何で、足を掴まれたの?

 足が速いの?

 …何で逃げ出そうとしてたって知ってたの?

 

「待てよぉ。…逃げんな!」


 男性の野太い声で、後ろからドドドドドッッッッ!! と音がした。

「ひっ」


 私は更に逃げた。

 公園から出ると、木々に囲まれた道が、伸びている。

 私はひたすら走った。

 車は沢山通っている。

 

 善良な市民は、今の時間、スーパーにいるか、ご飯を食べている。

 何でこんな遅い時間まで残っていたんだろう。

 あと、一分、帰るのが速ければ…。


 悔やんでも、事態が変わるわけじゃない。

 逃げなきゃ!


「久我さん!」

 

「え?」

 

 私は後ろを走る久我さんに大声で言った。


「絶対に、逃げ切るまで、この手を離さないでください!」

 

「!!」


 久我さんの言葉は、聞けるはずも無く、私は夜道を走る。

 後ろから追いかけてくる気配は、まだ消えない。

 


 気が付くと、私と久我さんは、東麻呂市立第二小学校に来ていた。

「…はぁ、…はぁ」

 息が苦しい。例えるなら、ペースランニングで校庭十周走ってきたときの五倍ぐらいの辛さだ。

 まだ耐えずに、私はウサギ小屋の中に隠れた。

 久我さんも、私の手を離すわけもなく、必死で身を潜めていた。


「そこにいるんだろ?」

 気付かれた。

 男の声がする。

「…ここじゃねぇよ、リーダー」

 もう一人の男の声がする。

 足音がして、遠ざかっていく気配がした。

 

 完全に人の気配がしなくなったとき。久我さんが口の横に手を当てた。

「…逃げよう」

 耳元で囁かれる。

「…うん」

 頷いて、走り出す。


 すると…。


「やっぱな」

 ウサギ小屋の入り口に、男達が立っていた。

 見付かってしまったのだ…。


 ◇◆


 人の気配がないと思ったのに。

 私は久我さんを睨んだ。

 そんな事をしても、事態は何一つ変わりっこない。

 

「どうして逃げんだよ!」

 男達は、さっきから私達を質問攻めしていた。

 

 こうなる事を恐れていた、とは口が裂けても言えない。言ったら口が裂けてどうにもならない姿にされちゃうからな。

 私は隣に座る、涙目の久我さんを見た。

 

「…、逃げようって、思ったから…」


 え?

 横を振り向くと、涙で顔をぐちゃぐちゃにした久我さんが、拳を握り締めている。

「あぁ? 逃げようって思ったぁ? 何でだって聞いてんの。おい、そこのダサい女も喋れよ」

 ダサい女、とは私のことだ。自覚していることでも、人から指摘されるとやっぱり傷付いた。


「…静香が傷付けられたら、嫌だ」


 涙が出てきそうだった。

 私が傷付く姿を見たら、嫌だ?

 なんて友達思いなんだろう。


「…あ? てめぇ、このダサい女助けるために逃げたって言うのかよ。じゃあちゃんとそう言えよな」

 初対面の奴にどうやって言うんだよ。

 男達数人は、げらげらと笑い出す。ひどく下品だ。

 

「お前、ぶっ壊れたのか、頭。逃げなきゃこんな危害加えなかったぜ? こっちには学生時代陸上部のエースだった奴がいんだよ」


 質問する男が、一人の男に指を指す。

 ひょろっとした体型の人だ。


「なのに逃げようなんて無謀なことするもんだねぇ」


 ぎりぎり、と歯軋りをする。

 歯軋り自体何の意味も無いが、悔しかったのだ。ただ単に。


「いい加減喋れよなブス、ダサい女!」


 男の一人は、私の胸倉を掴んで、突き飛ばした。

 案の定学校の壁にぶつかって、妙な音がする。

 


「…っ!」


 私は、ぶつかった頭を抑えて必死で立ち上がる。

 この人達、不良じゃない。

 暴力団か何かだ。

 私がそう思うや否や、みぞおちに蹴りが飛んでくる。

 まともに食らった私は、ヒーローみたいにすぐ立ち上がれるはずも無く、倒れこんで、しばらく動かなかった。


 激痛が体内を駆け巡って、涙があふれ出た。

 痛い。

 何で。

 

 何で…?


 何故自分がこんな状況下に置かれているのか、全く理解できない。

 過去を悔やんでも仕方が無いのは分かっている。でも、過去を悔やむしか、考えられなかった。

 自分がこんなことになるかもしれないって分かっていれば、早く帰れたのに…。


「てめぇ!」

 

 すると、男の体が、真横に倒れた。

「!!」


 驚いた。

 隣を見ると、久我さんがいない。

 それで、真横に倒れた男の隣を見る。


 そこに久我さんがいた。


「! …久我さん」


 やっと喋ったな、と言う言葉も、来なかった。

 男達は、久我さんに憎悪の視線を向けていたから。



 ふと、昔のことを思い出した。

 今となっては、思い出すことも苦しくない、あの日。


 秋場、という男子生徒と、その取り巻きとぶつかった日、偶然近くを通りかかった久我さんに、助けられた。

 最終的には久我さんもフルボッコにされて、私自身も花音さんにキツイ制裁を下されたけどね。

 でも、その日、久我さんが助けてくれなかったら、私は今、心を閉ざしていたかもしれない。


 あの日から、久我さんに対する意識が何かと変わっていったのだった。

 でもその意識の正体は分からない。



 今更そんな事を思い出して、また涙を流してしまう。

 あの時は、本当に感謝していた。

 久我さんはお礼を言っても「いえいえ」と軽く受け流していたが、あの時負った怪我は、その辛さを物語っていた。


「…てめぇ、静香に何しやがんだよ!」


 久我さんは、怒ったような表情で、睨みつけていた。

「ふざけんな!」

 殴る。


 それが、暴力団だと言うことを忘れてしまったような表情だ。

「やめて!」

 殺されるかもしれない。

 口をパクパクと動かす。

 そこから何故か、言葉は出ない。


「俺はな、お前を許さない」


「やめて!」


「絶対に!」


 お願いします、やめてください。

 もう誰も、傷付けないで…。


 久我さんは、拳を振り上げる。


「さっきから調子こいてんじゃねぇよガキのくせに!」


 男は、ふいに久我さんの髪を掴んで投げ飛ばした。

 校庭に落下する。

 砂埃が舞う。


 私は、久我さんに手を伸ばす。


 もう誰も、傷付けないで。

 お願いだから、日常に戻ってほしい。


 いつまでも、久我さんと笑い合っていたかった。


 ただ単に、平和な日常を望んでいただけだ。

 

 去年の短冊にも、書いたのだ。

『こんな幸せが続きますように』って。


 本当に、その願いが叶っていると思ってた。


 ほんの少し前までは。


 私は、久我さんに向かって走り出した。

「久我さん!」


 だけど。


 ひょろっとした男が、久我さんの胸倉を掴んだ。

 自分の頭上より高く、持ち上げる。


 そして。



 首を絞めた。



「いやああぁぁぁぁぁぁっ!!」



 住宅地に響き渡る大声で、叫んだ。

 でも、聞こえるはずもないだろう。

 聞こえていても、見て見ぬふりをするだけだ。


 でも、助けてほしかった。


「あ、ああ…」


 目を見開いた。口を押さえる。

 涙が溢れんばかりに出て。

 声を押し殺して、泣いた。



 久我さん。

 貴方は、いつから、私の心の中にいたんですか?

 もしかして、一年の頃から、ずっとずっと?


 それはないや。

 あの頃は、誰も好きではなかった。


 でも。でも。

 

 何か、引っかかる。


 本当は、もっと、遥君がいる前から心の中に住み着いていたのではないか。

 そして、時々心のど真ん中で、手を振って挨拶してくる。


 自分の存在に気付いてって言ってるみたいに。



「やめてぇぇぇぇぇっっっっっっ!」



 叫んだ。

 久我さんが、振り返る。


 更に、言葉を、吐き出す。



「私の大切な人に、何してるんですか! 今すぐその手を離して!」



 久我さんが「うっ…」と呟いた。

 はぁ、はぁ、と息を荒らげる。

 

 お願いします。

 その手を離して…。


 だけど、私の体は、言葉とは裏腹に逃げ出した。



 ダッシュして、校庭を走り抜けて、夜道を走って、マンションに戻った。


 玄関の鍵を閉めると、両親が心配そうな顔をして、私の顔を見た。


「…ただいま」

 お母さんは、私の肩を支えた。

「どうしたの!? …すごい疲れているわよ? ご飯作ってあるから、温めるからね、食べなさい」


「ごめん、ご飯いらない」

 揺るぎない瞳で、お母さんを見る。

 そして、お母さんをすり抜けて、自分の部屋に走る。

 バタン、とドアを閉める。

 

「静香?」

 お母さんの声が聞こえる。

「よせ、何か辛いことがあったんだよ。顔を合わせたくないんだよ」

 お父さんの声。


 そう、とっても、辛いことがあった。

 何で逃げちゃったんだろう。


 ごめん。久我さん。


 ◆◇


 気が付くと、寝ていたみたいだった。

 窓の外を見ると、藍色の空に、真っ白な月が浮かんでいる。


 時計を見ると、午前一時。

 もう皆、寝てしまったみたいだ。


 

 私は、机の引き出しから日記帳を出す。


 ページを開くと、昨日までのきゃぴきゃぴした自分が書いた日記が記されている。


 傍から見れば異常なほど、久我さんのことが書かれている。

 冷静になって見返せば見返すほど、段々と分からなかった「久我さんへの意識」の正体が分かってくる。


 これは、もしかして…。

 考える前に、私はシャーペンを取り出して、一心不乱に書き進めていった。


『五月十八日 金曜日

 意識の正体が。

 好きな人が、暴力団らしき男達に殺されかけてるのを見てしまった。生きている限り、好きな人が殺されかける姿が忘れられないから、死にたい』


 シャーペンを置いて、ふっと、気付いた。


 好きな人…。

 好きな人が、殺されかける…。



 好きな人…。


「…死にたい…」


 ボソッと呟くと同時に、私は部屋を飛び出して、マンションを飛び出した。


 

 また学校にたどり着くと、フェンスを乗り越えて、偶然開いていた昇降口から中へ入る。

 


 私は、馬鹿だ。



 こんなに傍にいたのに、気付かなかった…。

 きっと、きっと…。

 

 本当は、心の中で分かっていた。

 大切な人…。

 それが好きな人に変わるまでに。

 それほど時間は必要ない。



 自分は馬鹿だった。

 自分が馬鹿なあの人を支えていると思っていたのに、いつの間にか、あの人は、私の心の支えになっている。


「…久我さん」


 走り出した。

 階段を駆け上がる。


 

 職員室には、誰もいなかった。

 チャンスだと思い、壁にかかっている屋上への鍵を盗み、階段を駆け上がって、屋上への扉を開けた。



 風がビュウウゥゥ、と吹き荒れ、髪の毛が乱れる。

 私は、おそるおそるフェンスを登っていった。


 

 フェンスの上は、風が当たってきて、涼しかった。


 人生の終わりを祝うには、立派過ぎるぐらいだ。

 

 私の人生は、たった十年ぽっちで終わってしまうけれど。

 沢山の幸せを手に入れた。

 家族、友達、好きな人…。

 そして。


 両想いの人を。


 走馬灯が、駆け巡る。

 

 お父さん、お母さん。

 ごめんね、親孝行な娘じゃなくて。

 有咲さん、安和さん。

 こんな私と友達になってくれて、ありがとう。

 遥君。

 貴方は最期まで、私の理想の人物でした。

 久我さん。

 こんな私を好きでいてくれるなんて、ありがとう。

 生まれ変わったら、また。


 こんなに、人に愛された幸せな人生を、歩むことが出来るのかな…?


 悔やんでも仕方ないね。


 でも最期に、言いたいことが、一つあるんだ。


 心の中で唱えるだけじゃ終わらない。

 口で言わなきゃ駄目なこと。


 それは。


 

 私は、息を吸って、前のめりになって、

 落ちた。


 

 そして、蚊の鳴くような声で言った。




「大好きでした、久我広樹さん」




 最期に、激しい痛みが、全身を駆け巡った。



 ◆◇



 今も思い出す。

 あの人の笑顔を。

 忘れることなく。


 蒼井静香は、あの人に出会えて、幸せだった。

 

 目をつぶった。

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