事件。
蒼井静香をライバル視してから、四ヶ月がたった。
夏休みが過ぎて、運動会も終わり、いよいよクリスマスが近付いた頃。
遥君が想っていた加奈さんと出会い、更にその友達である美咲さんや紗枝さんとも仲良くなり、更にその三人は、壊滅的な私の家庭力にアドバイスしてくれた。
日曜日の夜。
布団の中で、私は二段ベッドの上で寝ている弟の葉音に声をかけた。
「葉音。もうそろそろクリスマスだね」
「どうしたの、しみじみと言って。…彼氏でも出来たの」
弟は目ざとく反応したようで、スパイのように小声で言った。
「嫌だなぁ、そんなんじゃないって。…じゃあ、おやすみ」
「お、おやすみなさーい」
弟の意見を素早く回避し、私は眠りについた。弟は不快そうだったけど。
月曜日の朝。
「花音ちゃん、おはよう!」
「おはよう、彩ちゃん。一緒に学校行こう」
「うん!」
歩道橋で私は彩ちゃんに声をかけられた。そしてそのまま二人で学校へ行く。
夏休み明けまで黒かった彩ちゃんの肌は、今は雪のように白かった。
「ねぇ、最近久我先輩とはどうなったの?」
突然、彩ちゃんは尋ねてきた。興味津々とでも言うように。
「ど、どうって…」
「蒼井静香は、どんな子ってことも、分かる?」
彩ちゃんはグイグイ聞いてくる。
この四ヶ月間、色々調べた結果、分かってきたんだけど…。
「一応は分かるんだけど…」
「へぇ、じゃあ、教えて教えて」
彩ちゃんは目をキラキラ輝かせる。着ている赤紫のコートが似合わないくらいの、子供の目だった。
蒼井静香は、同じ学校(違うクラス)、同じ塾で、同じクラス。
国語や社会などは結構出来るけど、理科や算数が全然駄目。所謂文系。
将来の夢はまだないけれど、とりあえず、目立ちたくないけど、自分の思いを伝えて、分かってくれたらそれで良いと言っている。
更に結構泣き虫。あまり泣かないけど、流石にって事ではメチャクチャ泣く。塾でも泣いた姿を見かけた事があった。
更に、常に大人っぽい事を求めていて、私ぐらいの年齢に流行っているもの等は、軽く受け流す。どちらかというと、大人が読むような小説を持ち歩いている。
塾にいる滑るギャグを言う先生に、何も言わずに、ただ冷ややかな目で睨み、鼻で笑う。そんな子だった。
「へぇ、蒼井静香って、私達から見ると、何考えてんのか分からないのね」
彩ちゃんは相づちを打った。彩ちゃんのストレートロングヘアーが風になびく。
彼女は最近、肌も白くて髪も長いから、男子から「雪女」と呼ばれている。
「何か、彼女も久我さんを好きそうなんだよね。…不安だなぁ…」
私はライバル出現によるショックに、今もまだ慣れてない。
「まあ、気にすることはないわよ。花音ちゃんの方が、可愛いから」
彩ちゃんは私のランドセルをポンポン、と優しく叩いた。
「ありがとう、彩ちゃん」
私はこんな優しい親友がいることに、心から感謝した。
学校に行き、いつもの授業を受け、いつも通りに帰宅する。
クラスが一緒の彩ちゃんと一緒に下校しようと、一階へ向かう。五六年は、一番上の階、四階なのだ。
今日は男子が女子を殴ったということで、帰りの会が先生の話で長引いてしまった。だから、他の人達はもうとっくに帰っていたし、靴は先生の分しか残っていなかった。
「先生、さようなら~」
「はい、さようなら~」
私は担任の先生に挨拶し、下駄箱から靴を取り出し、靴を履いた。
私は、下駄箱で突っ立っている彩ちゃんに、「ほら、彩ちゃんも」と振り返りざまに言った。
だけど、彩ちゃんは、ずっと廊下の角の向こうを見つめていた。
下駄箱近くの廊下は、曲がり角になっていて、昇降口の方へ行くと、曲がり角から先のものが見えない。
彩ちゃんが立っている所からは、曲がり角から先が見える。
私は仕方なく靴を脱ぎ、彩ちゃんの方へ駆け寄った。
「もぉ、どうしたの、彩ちゃ…」
彩ちゃんの方へ駆け寄り、彩ちゃんと同じ方向を見ると、言葉が出なかった。
そこに、あの人達がいた。
頬を押さえて目に涙を浮かべている、蒼井静香。
蒼井静香の前に立ちはだかって、険しい顔で睨んでいる、久我広樹先輩。
そして、そこを囲むように立っている、久我先輩に睨まれる背が高い男子達三人。
まるで、アニメや漫画に出てきそうなシチュエーション。
その情景から手に取るように分かる話の大まかな内容。
私の視界が、思いっきり滲んだ。
「だからよぉ、何でそいつかばってんの? ぶつかってきたのこいつなのに」
背が高い男子の一人が、大声で言った。夕焼けに照らされる廊下で、茜色に輝いた蒼井静香が、息を飲むのがはっきり分かった。
「だから、広樹ぃ。蒼井とかいう奴が悪いの。…お前は退けよ!」
もう一人の男子が、体の小さい久我先輩を投げ飛ばした。壁にぶつかった久我先輩は、小さく悲鳴を上げた。
「久我さん!」
蒼井静香が目を見開いて久我先輩の元へ駆け寄る。
「お前はこっちだ」
だがその行為は空しく、背の高い男子に髪の毛をガシッと掴まれる。
「いっ!」
背の高い男子に邪魔されて、蒼井静香の顔が見えない。だが、恐怖でゆがんでいる事だろう。
「お前さ、謝れよな。何でもかんでも広樹にかばってもらえると思うなよ」
低い声が聞こえ、蒼井静香が「ひっ」と小さく叫ぶ声も聞こえた。
「…ご、ごめんなさ…」
「やめろっ!!」
急に久我先輩は立ち上がり、背の高い男子の一人に頭突きした。その頭突きはみぞおちにヒットし、男子は「うぐぇっ」と悲鳴を上げた。
「おい、広樹!」
「久我さん!」
何てことしやがった、という表情で睨みつける男子と、泣きそうな顔の蒼井静香。
「邪魔だ! …静香! 大丈夫?」
久我さんは涙目の静香を心配するように、背中を擦った。
私は、膝の震えが止まらなかった。
歯もガタガタ震えて、涙も、床に滴り落ちる。
「…、か、花音ちゃん?」
私の様子がおかしいと気付いたのか、彩ちゃんが私の顔を見た。
「…、も、もう帰ろう?」
彩ちゃんは私の事を気にしてくれたのだろう。
でも、その気遣いは、必要なかった。
「平気…。私は、平気だよ。帰りたいなら、帰って、いいよ」
どうしてもカタコト言葉になってしまう。歯がガチガチ言っている。もう少しその音が大きかったら、あの人達に見付かるところだった。
彩ちゃんは、仕方ないと言った様子で、「分かった、もう帰るね」と、その場を後にした。
「秋場、ぶつかったぐらいでカッカするなよ。…静香は何も悪くないし、泣いてるし…」
一人きりになった私は、久我先輩の言葉に、更に涙がこみ上げて来た。
私は何も関係が無いのに。ここで何があっても、久我先輩は私がここにいる事に気付かないのに。
なのに、久我先輩に庇ってもらっている静香を見ていると、胸がチリチリと痛む。
「あぁ? お前さぁ、広樹。こいつはぶつかってきたくせに無言なんだぜ。ごめんなさいぐらい言えばよかったのに」
「…それでも、お前が怖かったんだよ、静香は」
二人は睨み合った。
漫画みたいなシーンだった。
静香が憎い。静香と、入れ替わりたい。
本当は、そんな事、思っちゃいけないのに。
「…もういい。二人とも全然反省の色ないし。…ボッコボコにして」
秋場、と呼ばれた男は、残る二人の男に命令した。
「了解」
二人は、無機質な声を出して、久我先輩に飛び掛った。
「うわぁぁぁっっっっっっ!」
久我先輩が、叫んだ。
私も、叫ぼうとした。
だけど…。
「久我さぁぁぁぁぁん!!」
私のものではない、静香の悲鳴が聞こえた。
私は、泣きそうになった。
ふざけんな、ふざけんな。
何もかも、私が言いたかった台詞を乗っ取って。
だけどそのとき、私は思い知った。
私は、久我先輩と一緒にいるべき運命じゃないんだって。
久我先輩と、一緒にいるべき運命なのは、蒼井静香なんだってこと。
「もう、ここまでにしてやりな」
秋場の冷静な声で、二人は群がっている久我先輩から離れた。
そこから、顔が腫れて、気絶した久我先輩が現れた。
絶望しきった、静香の顔も、よく分かった。
「じゃ、もう帰ろうぜ。…よし、二人共、行くぞ」
「はい」
三人の男が、こちらに向かってくる。
私は慌てて外へ出て、体育館の方へダッシュした。放課後に遊ぶ子供達が見える。
いつもと変わらない日常風景だったけど、私の心は、何か変わっていた。
体育館の水飲み場に隠れて、私は背の高い男三人が去っていくのを見送った。
男達が去っていくと、私は急いで一階の廊下の曲がり角へと戻った。
その廊下の曲がり角では、すすり泣く声がした。
私は、その泣き声が誰のものなのか、一発で分かった。
私は音を立てぬよう、曲がり角の方へと向かう。
予想通り、静香は泣いていた。
それも、久我先輩に寄り添って。
何から何まで、予想通りだった。
「久我さん…」
突然、静香は言った。
私はその言葉に目を見張る。今までの響きとは、まるで違ったからだ。
私は、静香を凝視する。
すると、静香は、突然辺りを見回した。
思わず私は曲がり角の壁に隠れる。
静香は何を考えているんだろう。
しばらく私は、壁に身を潜めていた。
…静香は何をする気なんだろう。
やがて、その言葉が頭に残り、私は思わず二人の方を見た。
そして、凍った。
静香は、久我先輩を抱きしめていた。
真顔で。
私は、思わず飛び出した。
いきなりの出現に、静香はびっくりしたのか、「わっ」という悲鳴を上げた。続いて久我先輩も、「わっ」と悲鳴を上げた。
そして、静香に抱きしめられているのが分かると、「静香…」と呟いた。
「…宮野さ…」
「ひどいよ、蒼井さん!」
静香は、驚いた表情を浮かべている。口調がいやに落ち着いていて、わざとではないと分かっていても、怒りがこみ上げて来た。
「アンタ、久我先輩の事、好きなの? 好きだから、そうしてるんでしょう」
私は率直に言葉を放つ。静香は目を見開いて、それから、下を向いた。
久我先輩は、どういう状況か分からないようで、「え? え?」と私と静香を交互に見た。
これは、女同士の闘いなんだ。
「久我先輩の事、好きなんでしょう? 分かんないって言ったら、殴るわよ」
いつもは大人しい私の発言に、流石に静香は驚いたようで、目に涙を溜めている。
静香は、シクシクと泣き出した。
「何泣いてるの。私だって泣きたいよ」
静香は、私の強気な言葉に、呟いた。
「え? 何?」
私はイラついた様子で、静香に耳を向けた。
「ごめんなさい。…好きかどうか、分かりません…」
その瞬間、私の怒りは爆発した。
「はあ? 好きでもないのに、抱きついたの? 好きでもないのに中休み一緒にいたの? 好きでもないのにかばってもらったの? 最低じゃん!」
静香は、私の言葉に、今までで一番びっくりした表情だった。
「ご、ごめんなさい…」
高く、掠れた声を発して、静香は走り去っていった。
「静香!」
久我先輩は、静香を追いかけようとして、静香が走り去っていった方向に向きを変えた。
「待ってください!」
だがその前に、私が引き止めると、久我先輩は立ち止まって、振り返った。
その瞳に、涙が浮かんでいた。
「久我先輩…。久我先輩は、誰が好きですか?」
ふいに、そんな質問が浮かんだ。
思ったことを口に出して言ってしまい、私は「しまった」と思い、口を塞いだ。
だけど、久我先輩は、答えてくれた。
「別に、今好きな人はいないよ」
私は、ホッとした。好きな人がいないなら、久我先輩を振り向かせれば良いだけの事だった。
だけど、その後の言葉で、私の視界は滲んだ。
「だけど、蒼井静香は、僕のために、涙を流してくれた。僕は、蒼井静香が気になってるかもしれない」




