『boys be ambitious』
僕は慎重に言葉を選ぶ。
手札は『1枚』。
1回でも切るタイミングを間違えれば、すべてが終わる。
僕の青春が終わってしまう。
夕焼けの校庭。生徒は楽しそうに帰路につく。
舞い散る桜は夕焼けに照らされ、宙を、アスファルトの地面を、幻想的に踊る。
僕と彼女の時間だけが切り離されたような、そんな空間が広がっていた。
彼女を呼び止めたのはいいが、どう切り出したらいいものか。
左胸の僕が、急かすように内側から激しくノックし始める。
「あの……なにか御用ですか?」
彼女は戸惑いながら、僕にそう言った。
僕はハッとする。
しまった。声を掛けてから、少し時間を空けてしまったせいで、不審がられている。
とりあえず、なんでもいいから話を切り出そう。
「えっと、あの……いい天気ですね?」
「え? は、はあ、そうですね」
3月の少し冷たい風が僕の頬をかすめていく。
なにやってんだ、僕。
なんでそんな平凡で面白くもなんともなく、むしろ物凄くどうでもいい会話の切り出しかできないんだ。
しかも、今夕方だし、下校中だし、今日という1日において、まったくの役目を終えた情報なんだから、会話が二言で終わることなんて目に見えていただろ。
彼女の戸惑いのような呆れのような視線が僕を突き刺す。
やばい、なんか変な汗かいてきた。
「あの、それだけですか? それだけなら、私はこれで……」
そう言って彼女は立ち去ろうとする。
彼女の長く綺麗な黒髪と一緒に、チェック柄のスカートが風になびく。
その様と、スカートから伸びる白い脚に見惚れていた僕は、ハッと我を取り戻した。
「あ、あのっ。待ってくださいっ」
僕がもう一度呼び止めると、彼女は不審そうな顔で振り向く。
「ま、まだ、なにか?」
「いや、あの……」
急に声を出したせいで喉がヒリヒリする。
僕は何をやってるんだ。
何のために彼女を呼び止めたと思ってるんだ。
……伝えたいことがあるからだろ?
僕は彼女にどうしても伝えたいことが、届けたいことがあるんだ。
クラスのアイドルである彼女に。清楚で綺麗な容姿をした彼女に。
みんなの憧れである彼女に。
こんな冴えない僕なんかが伝えてもいいことなのか、分からない。
でも、もう止めることができないんだ。
この伝えたいという想いは、もう僕にも止められない。
同じクラスだから、成功しても失敗しても、今後僕と彼女の青春に大きな影響を与えるだろう。
これは僕のエゴなのかもしれない。
それでも、僕がこれからも僕であるために、彼女が彼女のままでいられるために。
「本当になんなんですか? 私急いでいますので、それでは」
彼女は踵を返し、校門へと歩みを止めない。
彼女の姿は少しずつだが、どんどん遠ざかっていく。
下唇を噛み、痛みで自分を目覚めさせる。
気が付けば、僕の肺は激しく呼吸をしていた。
普段運動をしていないせいか、走り方がぎこちなく感じる。
今にも脚がもつれてしまいそうだ。だが、脚より先に出る想いが、僕の体を支えていた。
急に激しい呼吸を強いられた肺が、悲鳴を上げているのが分かる。喉が次々と酸素を求める。
忙しなく上下を繰り返す視界が、彼女の黒髪を捉えた。
僕はただ真っ直ぐに、彼女へと走った。
ようやく追いつき、僕は右手で彼女の左肩をしっかりと掴み、振り向かせる。
驚いた彼女の瞳を見た後、その下にある鼻先を、一直線に見つめた。
一度大きく吸った息を止め、放つ。
くらいっ! これが、『ジョーカー』だっ!
「———あのっ! 鼻毛出てますよっ!」
3月の空気は一瞬で凍り付く。
彼女の見開いた瞳に映る、真剣な顔をした僕。
即座に両手で鼻を隠して、彼女はしゃがみ込んだ。
僕は息を整える。
やったっ! やっと、伝えられた。
彼女の名誉に関わる大切なことを。それに気づいた僕の想いを。
ふう、これで、すっきりし———。
次の瞬間、彼女の悲鳴、顎への激しい痛みとともに、僕は橙色の空を見上げていた。
———そして、僕の青春の1ページは幕を閉じた。
少年よ、大志を抱け。