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札幌五R サラ系二歳新馬

 ついにやってきたユメミガオカのデビュー。ここから和馬の人生は、ユメミガオカと家族を見守ることに一生懸命になり、何倍もの速さで過ぎていくこととなった。

 「明日、やっとユメミガオカのデビュー戦か……」

 珍しく麻奈美が寝静まったあと、美空と晩酌をしている和馬がつぶやいた。

 「ヒイアカは、もう一勝してるし、ユメミガオカも早く勝って、二頭ですごいレースバンバン勝ってほしいね」

 美空は、和馬のグラスにビール注ぎながら話した。和馬は静かにうなずくと。しばらく二人は黙って晩酌していた。


 次の日の午後十一時四十分、マジックファームスタッフ全員がテレビの前に集まっていた。

 「いよいよだ……」

 和馬は、テレビの前で手を組み、祈るようにテレビを見ていた。和馬の緊張が周りに伝わっているのか、ヒイアカのとき以上にみんなの顔が強張っている。

 「見に行かなくていいの?」

 美空が和馬の隣に座りながら訊いた。

 「河内さんもいるし、オレは重賞に出走するまで見に行かないって決めたんだ」

 「そうなの」

 和馬の決意に納得できないまま、美空はテレビを見た。

 「頼むぞ、スノー……」

 全員が、固唾をのんで見守っていた。


           札幌五R サラ系二歳新馬


 一枠 一番  スターゲオルク

 二枠 二番  ミチ

 三枠 三番  ニューターン

 四枠 四番  カチョカバロ

 五枠 五番  ユメミガオカ

 六枠 六番  レッドアロイヤル

 七枠 七番  カフェドール

 八枠 八番  スサノオウノケン

    九番  マイフェアガール


 「札幌第五レース、サラ系二歳新馬九頭立て、芝の一八〇〇mで行われます。断然の一番人気は五番のユメミガオカ一・五倍、二番人気は一番スターゲオルクで八・三倍、ここまでが一〇倍を切るオッズです。各馬スムーズにゲート入りが行われ、一番人気のユメミガオカも大人しく入りました。果たして、人気に応えれるでしょうか。最後に八番のスサノオウノケンが入りまして、ゲート入り完了。

 スタートしました。一番人気のユメミガオカ、ちょっとスタートが合わない。その他はきれいなスタートで第一コーナーに向かいます。

 押し出されるように七番カフェドールが先頭に立ちます。その直後にニューターン、内にミチ、半馬身離れて大外九番マイフェアガール。

 さあ、各馬第二コーナーを回り向こう正面に入ります。先頭はカフェドール、一馬身差でニューターン、その内にミチ、外から六番レッドアロイヤルが口を割って上っていく。その直後にマイフェアガール並んで内にスターゲオルク、その後ろに四番カチョカバロ、スサノオウノケンがいて、最後方に一番人気ユメミガオカです。ここからどういった競馬を見せるのでしょうか、一番人気ユメミガオカ。先頭が前半の八〇〇mの通過。四九秒から五〇秒、ゆったりとしたペースです。このペースでユメミガオカ届くのか。

 先頭は変わらずカフェドール、その直後にレッドアロイヤルが折り合った。そして、ミチ、ニューターンと続きます。さあ、ユメミガオカが動いた。三コーナーを回り、四コーナーに向かいます。先頭は、カフェドール。来た来たユメミガオカ、一頭足色が違う! スサノオウノケンも追いかけるが、持ったまま、もう先頭に並びかける!

さあ、直線! ここでレッドアロイヤルが先頭に立つが、あっさりユメミガオカがかわした! 他の馬も必死で追いすがるが、差は広がる! 残り二〇〇m、持ったままつき離す! 三馬身から四馬身、これは強い! 二番手は外からカチョカバロ!

しかし先頭は、ユメミガオカ! 一度も鞭を使わずに一着でゴール! これは強い、強すぎる! 二着はカチョカバロ。札幌の地で、新しいクラシック候補がデビューしました! オグリ、クロフネに続く新しい芦毛の怪物、その名はユメミガオカです!」


 ユメミガオカが一着でゴールした瞬間、全員が飛び跳ねて喜んだ。和馬は、安心したかのように膝から崩れ、美空と抱き合った。そして立ち上がると、みんなに握手を求められ少々面倒くさかったが、それ以上に勝ったことが嬉しかった。

 圧勝だった。スタートした直後は、誰もが心配したが、どこ吹く風、最後は四馬身離しての勝利だった。そこにいる誰もが勝利に浸り、仕事へと戻っていった。

 しかし、それ以上に注目を集めたのは、次の日の中山競馬場でデビューした馬だった。


 「先頭はウォーアーマメント! 強すぎる! 二番手ははるか後方! ウォーアーマメントが一着でゴールイン! この馬に勝てる馬はいるのでしょうか?」

 和馬は、悟朗と一緒にテレビを見ていた。

 「これが、ユメミガオカのライバルかい?」

 悟朗の顔が青ざめている。和馬も、何も言葉が出なかった。

 「どうだったの?」

 美空は、訊きながらテレビに映った掲示板を見た。着差は大差。ユメミガオカよりもさらに差をつけての勝利。そして、コースレコードにコンマ二秒の好タイムに加え、鞭を一度も使っていない。メンバーもユメミガオカよりもレベルが高い。インパクトは、ユメミガオカよりも強かった。

 「本当に、ユメミガオカはこの馬と並んでゴールしたの?」

 悟朗は美空に訊いたが、美空も何も話さずにテレビのリプレイを見ていた。

 「これが、あのユーアンの馬?」

 美空の言葉に、和馬は静かにうなずく。このとき、ユメミガオカが歩む道の壁となる馬の存在を改めて知ることとなった。そして、ここから和馬たちの苦難が待っていた。


 一つ目は二ヶ月後のことだった。ファンタジーSに臨んだヒイアカが二着に健闘した次の日だった。和馬のもとに河内から電話があった。

 「骨折!?」

 和馬は、言葉を失うのと同じように、眉間にしわが寄り、言葉を荒げた。

 「だから言ったじゃないですか! あんなガレた体でハードな調教をすれば、脚にも負担がかかりますよ! それに――」

 (その辺にしてあげてよ。杉本先生もかなりしぼられたみたいだからさ)

 「誰にですか?」

 (杉本先生の師匠だよ。ウォーアーマメントの調教師、田所先生)

 「え!? 田所先生が師匠なんですか?」

 (そうみたいだよ)

 和馬は驚いた。田所先生といえば、名匠と呼ばれる超が付く一流調教師だ――なのに、何であんな調教しか出来ないんだ? 和馬は、さらに納得がいかなかった。

 (いい馬預かって力が入ったんだろう。とりあえず、ヒイアカは、治るまで牧場に戻そうと思うから。明後日には着くと思う)

 「どのくらいかかるんですか?」

 (幸い軽度の骨折だけど、少しゆっくりさせて、来春に復帰を目指そうと思う)

 「わかりました……」

 和馬は、力なく受話器を置いた。考えているのはヒイアカのことではない。美空に、そう説明しようかということだ。この話を聞いて、興奮してしまうんじゃないかと和馬は心配したのだ。

 「美空、ちょっと――」

 放牧地で、仔馬をなでている美空を、力なく呼んだ。

 「どうしたの?」

 「ヒイアカが……骨折した。明後日、ここに帰ってくる」

 「ウソ!?」

 美空は驚いた様子だったが、意外と冷静だった。

 「勝つために一生懸命練習したんだね。帰ってきたら、いっぱい、いっぱい労ってあげないと」

 美空は、少し笑いながら悲しい目をしていた。でも、どこかホッとしているようにも見える――そんな美空を見ていたら、さっきむきになって怒鳴ってしまった自分が恥ずかしく思える和馬だった。

 「美空、強くなったな」

 「母親ですから……」

 美空は、ヒイアカが帰ってくると、付きっきりで看病をしていた。


 そして、ユメミガオカだ。新馬戦の圧勝劇で一気に注目を浴びたが、十月の二戦目、十二月の三戦目と掲示板にすら載らなかった。

 月崎の話だと、全然レースに集中していなく、勝負どころでハミを取らないし、手前を変えない――片方の脚を前にばかり走っていると疲労が溜まるため、騎手の指示や自発的に手前の脚を入れ替えて走るのだが、それをしないこと――と言う。二走とも一番人気だっただけに、月崎も責任を感じていたが、馬の性格を直すのはかなり難しい。杉本も月崎も、そして和馬も頭を悩ませることとなった――どうすれば本気で走ってくれるのか?

 一方、ユメミガオカのライバル(勝手に和馬がライバルと言っているだけだが)ウォーアーマメントは、その名の通り強い競馬をしていた。二戦目で東京スポーツ杯二歳S(GⅢ)に挑戦し、七馬身差の圧勝。そして、誰もが二歳チャンピオンを決める朝日杯フューチュリティS(GⅠ)に進むと思ったが、出走せずに年末のラジオNIKKEI杯二歳Sに出走し五馬身差をつけて勝利した。

 ウォーアーマメントは三戦全勝、ユメミガオカは三戦一勝で、二歳シーズンを終えた。

 この段階では、ユメミガオカどころか、他の馬でさえ、ウォーアーマメントには勝てないという構図になっていた。


 そして、三歳シーズンは、通年通り一月五日から始まった。ウォーアーマメントは、三月の弥生賞へ出走するまで放牧へと出された。ウォーアーマメントが休んでいる間に、オープン入りを目指すユメミガオカは、一月の末の梅花賞(京都・五〇〇万下・芝二四〇〇m)に出走し二着に入ると、二月の末にあった水仙賞(中山・五〇〇万下・芝二二〇〇m)を首差で勝利し、オープン入りを果たした。


 ケガをしているヒイアカは、順調に回復し、予定よりも早く厩舎に戻れることになった。だが、和馬が心配していたのは美空の方だった。

 「美空、もう中に入れよ!」

 「もう少し!」

 和馬の言うことも聞かないほど、美空は大きなお腹を抱えながら、ヒイアカのそばから離れなかった。


 そして、ヒイアカが厩舎に戻った三月頭。ウォーアーマメントが弥生賞(中山・GⅡ・芝二〇〇〇m)に出走すると、休み明けも関係なく三馬身差の快勝で、皐月賞(中山・GⅠ・芝二〇〇〇m)への出走権を得た――そして、和馬に忘れられない日の一つがやってきた。


 「ちょっと、落ち着きなさい!」

 和馬は、分娩室の前でうろうろしながら、麻奈美に怒られていた――牧場の仕事中、美空が陣痛を起こし、和馬と麻奈美で病院に連れて行き、そのまま美空は分娩室へと運ばれたのだ。

 「まだかな、まだかな……」

 「だったら、立ち会えば良かったのに――意気地がないね」

 図星の和馬は、言い返すこともできずに、ただ忙しなく歩き続けた。すると、加奈子が病院に駆け付けた。麻奈美が立ち上がって挨拶すると、加奈子もソワソワしながら頭を下げた。

 「美空は?」

 「さっき分娩室に入ったばかりです」

 そして、三人が黙って待つこと三時間――


 オギャー オギャー


 分娩室から、赤ちゃんの泣き声が聞こえた。三人は、赤ちゃんの泣き声とともに立ち上がって抱き合い、拍手をして泣きながら喜んだ――姪の子の、孫の泣く声を、そしてわが子が泣く声に心が弾んだ。新たな命は、親そして親族に明日へのエネルギーを与えた。


 そのあと、三人は面会を許され、美空の隣で泣き疲れて寝ている赤ちゃんを見た。これが玉のように可愛いということなのかと思うぐらい、小さくて可愛かった――和馬が顔に触れると、気持ちよさそうに口を動かし、その小さな手で和馬の指に触れた。和馬は涙が止まらなかった。

 この日生まれた女の子の名前は〟すみれ〝――美空が一番好きな花の名前だった。


 一方、皐月賞の出走権のないユメミガオカは、三週間後の毎日杯(阪神・GⅢ・芝一八〇〇m)に出走するが、六着に敗退。次走の青葉賞(東京・GⅡ・芝二四〇〇m)へ向けて調整していた。

 そしてこの日、和馬は居間で悟朗と、テレビを睨むようにしてメインレースを見ていた。


 「残り二〇〇m! ウォーアーマメントが先頭で坂を駆け上がる! 二番手は、サンユニバースだが、三馬身以上差が開いている!

若手のジョッキーを背に、その漆黒の馬体を躍動させ、ライバルたちを蹴散らし、最強伝説第一章完結!

 ウォーアーマメント、まず一冠!」

 和馬は、テレビを見て脱帽した。ライバルは、完璧なまでの強さを発揮してGⅠを制した。横にいる悟朗も、頭を押さえてテレビを見ている。

 「完璧だな……」

 「ああ……。でも、このジョッキーもいいジョッキーになるぞ」

 勝利ジョッキーインタビューで、ウォーアーマメントの主戦騎手の平良稔が淡々とインタビューに応えていた。そして、表彰式で人差し指を立てて馬に跨っていた――まずは一冠と。


 青葉賞当日。前の日に帰ってきた美空とすみれは、寝室でゆっくりと寝ていた。

北海道は晴れていたが、東京は大雨が降っていた。馬場状態は重から不良に変わり、ユメミガオカはデビューして以来、初めて最悪の馬場状態での出走となった――血統的にはこなせそうな感じもしたが、和馬は華奢なユメミガオカに不安を抱かずにはいられなかった。

 「和馬君は、何でレースを見に行かないの?」

 「オレは、あいつがダービーの舞台に出るって信じていますから。それまでは見に行かないです」

 和馬は、ピッチフォークで馬房を掃除しながら答える。悟朗は、顔をしかめた。

 「……万が一、ダービーに出れなかったらどうするの?」

 「そんときは、菊花賞があるでしょ?」

 悟朗は呆れた顔をして首をかしげるが、最後は二人で笑いながら仕事をしていた。


 テレビの前にすみれを抱えた美空を含め、全員が集まり、ユメミガオカの走りを、固唾をのんで見守っていた。

 ユメミガオカは、馬場の状態を見て早めに先団につき好位置を走っていた――今までの追い込み一本ではなく、先行できるほど走りに幅が出たことが素直に和馬は嬉しかったが、それでもダービーへの出走権を取らないと意味がない。和馬は、祈るようにテレビを見ていた――すみれは、テレビの中の馬たちをつぶらな瞳で見ていた。

 直線に入り、早め先頭に立ったとき、スタッフたちから自然と声が上がった。みんな手に力が入り、行け、行け! と手で画面を仰ぎながら叫んでいた。

 しかし、残り一〇〇mのところで、後続の馬に迫られ、六頭が一団となってゴールを駆け抜けた。実況のアナウンサーも、どの馬が先頭で駆け抜けたかわからないぐらいの混戦だった。和馬たちは、ユメミガオカがゴールしたにも関わらず、緊張が抜けなかった。

 写真判定は、かなり長い時間かかった。その間、テレビを見ていた誰もが、手を組み、目をつむって祈っていた――最低でも、二着!

 そして、掲示板に着順が表示されると、マジックファームのスタッフは、飛び跳ねて喜んだ。抱き合い、泣き合い、笑い合い、歓喜の瞬間を喜んでいた。

 ユメミガオカが二着に入り、マジックファームは初年度生産馬で、ダービー出走という偉業を成し遂げた。

 和馬は、この日を「奇跡の日」と名付けた――が、誰もそう呼ぶことはなかった。

すみれは、スヤスヤと寝ていた。


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