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夢は続く

 「最善を尽くしましたが――」

 二人に、それ以上の言葉は入ってこなかった。和馬は、完全に力が抜け、その場に立ち尽くすのがやっとだった。その横で、麻奈美が大きな声で泣いていたが、その泣き声でさえ、耳に入ってこなかった。

 あまりにも突然で、和馬は何も考えられなかった。ケンタッキーを買いに行って事故に遭うなんて――あまりにも情けなくて、むなしすぎる。父親も、そんなことで死ぬなんて考えていなかったろう――やっと掴みかけた夢が、もう終わってしまったのだから……。神様や仏様がいるなら、もう少しまし死に方に――それ以上に、せめて初めての仔馬がレースで走っている姿を見せてあげて欲しかった。

 麻奈美は、いろいろな手続きのため病院に残ったが、和馬は家に戻った。車内は雨の音が強く悲しく響いていた。

 雅喜の乗った車は、水溜まりでタイヤが滑り、ハンドルをとられ、電柱に激突したらしい。家に帰る途中、事故現場を通ると、まだ警察の人たちが検証をしていた。和馬は、なるべく見ないように事故現場を通り過ぎた。家に着き、自宅に入る前に馬小屋を見ると、美空がずぶ濡れになって馬たちの世話をしていた。

 「あ、お帰りなさい!」

 「おい、どうしたんだよ? そんなに濡れて……」

 「何回か、外に出て様子見ていたら濡れまして……」

 「とりあえず、家で髪乾かしな。風邪ひくよ」そして、和馬は馬たちの前に立って言った。「あとで、お前たちにも話しするからな」

 馬たちは、悲しそうに和馬に鼻をすりつけてきた。

 「行こう」

 和馬は、二頭の首を叩いて家に戻った。

 「おばさんは……?」

 着替えてきた美空は、ソファーに腰掛け呆然としている和馬に訊いた。

 「まあ、座りなよ」

 和馬は、自分の隣に座るよう美空を促した。美空は、黙って静かに座った。

 「母さんは、今手続きしてるよ」

 「入院の――」

 「親父は死んだ」

 「え……」美空は、言葉を失った。

 それから、和馬は雅喜のことを説明した。美空は涙を流し、しかし、声を上げることなく訊いていた。

 「ありがとう……」

 「え? 何で、ありがとうなんて――」

 「親父のために泣いてくれて……」

 「いえ、私もお世話になりましたし――」

 「あと、ゴメンな……。家族じゃないなんて言って……」

 「気にしないでください。実際、私は家族じゃないし……」

 「もう家族だよ」

 「え?」

 「本当の家族だよ。親父も言ってた。美空ちゃんは本当の――」

 和馬の目から、それまで我慢していた寝みだが洪水のように溢れだした。

 「やべえ……。我慢してたのに……」

 「和馬さん……」

 「美空ちゃんも泣くなよ……」

 「和馬さんだって……」

 二人は、ずっと、ずっと大声で泣いていた。馬たちも、たぶん馬房で泣いていただろう。そんな泣き声を、雨がかき消していた。まるで、雅喜が聞きたくないと言っているように――


 それから、落ち着いた美空は、泣き疲れたのか自分の部屋で寝てしまった。

和馬は、春衣に電話した。

 「もしもし」

 (お兄ちゃん? 珍しい! 電話してくるなんて)

 「あのな、親父が交通事故で亡くなった」

 (は? 何言ってんの? 急に……)

 「死んだんだ」

 (ちょ、笑えないよ。今何時だと――)

 「笑えないよな」

 (……本当なの?)

 「ああ」

 しばらく春衣のすすり泣く声が、電話の向こうから聞こえた。和馬は、黙って聞いていた。

 (明日、朝一で学校行ってからそっちに帰る)

 「わかった。気をつけろよ」

 (……うん)

 和馬は電話を切ると、そっと厩舎に向かった。


 厩舎には、麻奈美が馬たちの鼻筋をなでていた。

 「母さん……」

 「ああ、和馬……」

 「もう、大丈夫なのか?」

 「うん、明日は忙しいわよ。朝からいろんな親戚やお父さんの知り合いに電話しないといけないから」

 「ああ……、そうだな」

 「まったく、勝手に北海道に連れてきておいて――」

 「勝手に牧場買って――」

 「勝手にケンタッキー買いに行って――」

 「でも、いい親父だった。ま、最後にあんなはしゃいだ親父を見れてよかった」

 「そうだね……」

 「春衣、明日学校に行ってから帰ってくるって」

 「そう。ありがとう……」

 「こいつらにはちゃんと話したのか?」

 「ええ」

 「わかってた?」

 「知らないわよ。馬と喋れないし、でも、ちゃんと話したわ」

 「そうか。きっと、納得したんだな。さっきまであんなに鳴いてたのに、今は鳴いてない」

 「この子たちも、ちゃんとわかってるのね」

 「ああ……」

 二人が現実をしっかり受け止めたとき、激しく降っていた雨は止んでいた。

 「牧場、どうしようか?」

 「続けるさ。親父の夢が詰まった牧場だ。こんな終わり方、親父が許さねえよ」

 「あんた、お父さんの夢知ってる?」

 「え、知らない……」

 「お父さんね、ダービー馬を育てるのが夢だったんだよ」

 「へえ……」

 「サラリーマンのときからね、ずっと、ずっと言ってたんだよ」

 「そうか。じゃあ、この牧場からダービー馬が産まれるまでオレは死ねないな」

 「そうよ。頑張って!」

 「頑張ってじゃねえよ! 母さんも頑張るんだよ」

 「そうね……」

 「あと、美空ちゃんも、春衣もそうだ。みんなで頑張らないと……。それが生きている間にできなかった親孝行になる」

 「そう考えてくれてるだけで、もう親孝行だよ」

 「親父の夢は、オレが叶える。こいつらの前でオレは誓うよ」

 麻奈美は、それから何も言わずに馬たちを見ていると、静かに家に戻って行った。和馬も、そのあとを追うように戻って行った。



 次の日、夕方前に春衣が札幌から戻ってきた。家に着くなり、眠るように横たわる雅喜の前で叫ぶように泣いた。麻奈美は何も言わずにそば近寄り肩を寄せると、春衣は麻奈美の胸に顔をうずめて泣いた。

 和馬はドアの陰から見ていたが、何も言わずにその場をあとにしようとした――すると、そこに美空が立っていた。どうしていいかわからずに困っているように和馬には見えた。

 「そっとしておいてやってくれ。オレらはオレらの仕事をしよう」

 そう言うと、和馬はいつもと変わらないように振舞おうと、一つ大きな伸びをして放牧地に向かった。美空は、春衣の泣き声に申し訳なさを感じながら和馬を追いかけた。 

 その日の夕方、雅喜の通夜が行われた。突然のことにも関わらず、東京からたくさんの人たちが来てくれた。勤めていた会社の社長や専務まで来てくれた。今になって、雅喜の偉大さを感じる和馬だった。ユーアンファームの田中たち、美空の叔母加奈子も来てくれた。田中は、何も言わずに和馬の肩を叩いた――「何かあったら、何でも言ってきてくれ」、そう言ってるように見えた。

 次の日に東京で仕事があるのかどうかは知らないが、ほとんどの弔問客が早来を後にした――残ったのは、柳と河内だけだったが、麻奈美と美空がもてなした。田中も残ってくれていたが、つい先ほど帰って行った。

 「何をそんなに興奮するかな……」

 「それだけ嬉しかったんですよ」

 嘆いている柳の空いたグラスに、和馬はビールを注ぎながら話した。雅喜の嬉しそうな顔が、今もなお、和馬の頭の中で笑っていた。

 「そうだよな……。オレも嬉しかったもんな……」

 「オレなんか、責任感じちゃうよ」

 「そんなことないですよ! 親父が、あんなに喜んでる顔見たの初めてなんですから。河内さんには感謝しかないです」

 「そう言ってくれると、気が楽になるよ」

 「本当にありがとうございます。春衣、大丈夫か?」

 お礼を言う和馬の隣で、まだ春衣がすすり泣きをしていた。妹の泣いている姿を見る兄として、何もできない自分の無力さを感じる和馬だった。

 「ほら、春衣! いつまで泣いてるの? こっち来て手伝いな!」

 「……だって」

 「あんたが泣いててもお父さんは喜ばないよ。さあ、顔洗って来なさい」

 麻奈美の声に、春衣は何も言わずに立ち上がり、洗面所に向かった。麻奈美は、台所に戻ると、入れ違いに美空がビールを持ってきた。

 「はい、どうぞ」

 「美空ちゃん、ありがとう」

 「……放してもらえますか?」

 柳は、ビール瓶の代わりに、美空の手を持っていた。

 「エロじじい」

 河内が、美空の手を掴んでいる柳の手を叩いた。柳は、子供が怒られて泣きそうになった顔をして河内を睨んだ。

 「いいじゃん、ちょっとぐらい……」

 「ダメだよ」

 和馬は、二人のやりとりを苦笑いしてみていた。雅喜の遺影も心なしか苦笑いしているように見えた。


 次の日、告別式が終わったあと、着替え終わった和馬と美空は、馬たちのもとに向かった。

 「やっと終わったよ」和馬は、馬たちにエサを与えながら話した。

 「これからは、オレがお前たちをしっかり面倒見るからな」

 「そうですね……」

 「どうした?」

 「ちょっと――」

 バケツに水を入れて持っていた美空が、派手に水をこぼし膝をついた――その音に、馬たちが激しくいなないた。

 「大丈夫か――すごい熱じゃないか」

 和馬は、美空の腕を自分の肩にまわし、置き上げた。

 「どうしたの!?」

 馬のいななきに、麻奈美と春衣が馬小屋に駆け付けた。

 「熱があるんだ。早く部屋へ!」

 和馬の言葉に、二人は美空に駆け寄り急いで美空の部屋に運んだ。

 和馬は、一人厩舎に残され、ただ黙って後片付けをしていた。


 風呂から上がり夕食を食べ終わると、和馬は自分の部屋に戻った。

 「……何してんの?」

 「何が?」

 春衣が、和馬のベッドの上に、当然のように横になりながらマンガを読んでいた。

 「何がって――ここ、オレの部屋だろ?」

 「今、美空が寝てるんだから、私がこの部屋使うから」

 「昨日は、自分の部屋で寝てたろ?」

 「美空が、違う方が移らないって。だから、ここ」

 「オレは?」

 「父さんの部屋で寝て」

 「何でだよ! オレの部屋だぞ?」

 「ここの方が、美空の様子見れるでしょ?」

 「はい、ちょっとゴメンね」

 今度は、布団を持って麻奈美が入ってきた。

 「は? 何?」

 「美空ちゃんが心配じゃない? だから、ここで春衣と一緒に看病するわ」

 「……どうぞ」

 母親の麻奈美が来て、もう対抗心のなくなった和馬は、トボトボと階段を下りて、居間のソファーに倒れ込んだ。

 「……心配してんのは、おめぇらだけじゃねえっつうの」

 和馬は小さくつぶやきながら、テレビをつけた。

 上の階で、麻奈美と春衣の楽しそうな笑い声が聞こえてきた。

 「看病じゃなくて、修学旅行になってるじゃん……」


 ふと、和馬が寝返りを打ち、目を覚ますと、自分の体に毛布がかけられていた。

 「あれ?」

 眠気眼で毛布を見た。いつの間にか、寝てしまっていた。テレビもつけっぱなしで、砂嵐が音を出して映っている。すると、台所の方でバタンと扉が閉まる音がした。

 「……美空ちゃん?」

 「あ、起しちゃいました?」

 美空が、冷蔵庫から水のペットボトルを持って現れた。

 「これ、かけてくれた?」

 「あ、はい。なんか、くしゃみしてたので」

 「そう――ありがとう」

 和馬は、ちょっと恥ずかしそうに頭を掻きながらお礼を言って、ソファーに座り直した。

 「熱は?」

 「あ、もう大丈夫です。お騒がせしました」

 「でも、寝てないと」

 「そうなんですけど、ちょっとお腹空いて……」

 「じゃあ、何か作ろうか?」

 「え、料理出来るんですか?」

 「まあ……、小さい頃は、春衣によくチャーハンとか作ってあげてたから……」

 「ええ! 食べたいです!」

 「そう……、じゃあ――」

 和馬は、重い腰を上げて台所に立った。

 「どうしようかな……」

 冷蔵庫の中を物色する和馬の隣で、美空も一緒に見ていた。

 「座ってていいよ」

 「見てたいです」

 あまりにも楽しそうにする美空を見て、和馬は不審に思った。

 「本当に熱あったの?」

 「え、あ……、なんか熱っぽ――」

 「そんな芝居いいから」

 というやりとりがなんか楽しかった。妹よりももっと近い存在――和馬は、こんな生活が続くことを願った。


 「気をつけて帰れよ」

 和馬は、車で春衣を駅まで送った。

 「美空のこと頼むね」

 「ああ」

 「手出すなよ」

 「出さねえよ」

 発車の合図が鳴り、扉が閉まると、汽車はゆっくりと走り始めた。和馬は、汽車がホームから離れるのを見届けて、車に戻り牧場へ向かった。

牧場に戻り厩舎に入ると、美空が馬房の掃除をしていた。

 「お帰りなさい」

 「ただいま。もう大丈夫なの?」

 「はい! 昨日のチャーハンのおかげです」

 「んなこたねえだろ」

 「でも、本当に美味しかったです」

 「ありがとう。さて、馬たちの様子見てこようっと」

 「ダメです。はい、掃除」

 「ええ……、美空ちゃんは?」

 「馬たちを見てきます。じゃあ、あとお願いしまーす」

 「あ、いや……ま、元気になったからいいか」

 和馬は、美空の元気な姿を見て安心した。掃除が終わり、放牧地を見ると、美空が仔馬たちと遊んでいるのが見えた。そんな姿がとても愛おしい……

 「和馬、電話!」

 麻奈美の声に、我に戻された和馬は、自宅に戻り電話をとった。

 「もしもし」

 電話の相手は、河内さんだった。仔馬の様子や、お金のことなどを話した――それともう一つ。

 電話が終わると、放牧地に出て馬たちを見た。仔馬たちは、元気よく走りまわっている――そして、ドリームバードの仔は、今日も丘を見ていた。


 次の日、柳が牧場を訪れた。和馬と麻奈美は厩舎の外で柳を出迎えた――美空は、厩舎の中で潜めていた――柳の後ろには、初めて会う二人の中年夫婦が頭を下げていた。

 「初めまして。前沢麻奈美です。今日は、わざわざありがとうございます」

 「息子の和馬です」

 「和馬君だね。林田悟朗です。こっちは妻の涼子です」

 「初めまして」

 「よろしくお願いします」

 柳が連れてきた夫婦は、この前まで柳の牧場で働いていた林田夫婦だった。昨日の河内の電話で聞かされ、会うのは初めてだったが、とても優しそうな目をした夫婦だった。

 「この二人がいれば、かなりの戦力になるよ」

 「でも、ホントに給料はスズメの涙程度ですけど、大丈夫ですか?」

 「大丈夫さ! 強い馬で、レースに勝てばいいんだから。給料よりも、夢の方が大事さ!」

 「馬が大好きだからね。私たち夫婦は、馬の世話ができるだけで幸せですから」

 「そう言ってもらえると助かります。ねえ、和馬?」

 「未熟者ですが、ご指導よろしくお願いします」

 「そんなご指導だなんて……。私たちも、GⅠを勝つ馬を育てたわけじゃないから」

 「これから一緒に頑張りましょ!」

 悟朗が和馬の手を掴むと、涼子も一緒に手をとり、三人は力強く握手をした。

 「さて――」柳が、おもむろに厩舎の方へ歩いていった。

 「お、いた、いた!」

 「馬はあそこにいるのかい?」

 悟朗は、自分が世話する馬のことが気になっていたかのように目を輝かせて訊いた。が、和馬の顔は、対照的なものだった。

 「馬はあそこにいますが……、柳さんは――」

 「美空ちゃ~ん!」

 やっぱり、柳の目当ては美空だった――見なくても、美空の困っている顔が頭に浮かんだ。状況を把握できず、顔を見合わせている林田夫妻の横で、和馬は頭を抱えていた。

 「とりあえず、馬を見てもらいましょ! 美空ちゃんも紹介しなきゃいけないし……」

 麻奈美の一言が、和馬の救いとなり、二人を厩舎へ招いて、美空と馬たちを紹介した。

 こうして、父親の悲しい別れがあったマジックファームに、心強い味方が現れ、和馬は一層父親の夢への活力とした。



 暑い八月が終わり、残暑が残る九月が過ぎると、そろそろ仔馬たちの離乳――親から話して生活させ、自立させること――の時期がやってきた。この離乳が、悟朗たちの経験もあり、意外とすんなり成功した。ストレスをためてしまう仔もいるが、この仔馬たちは、離乳前から親から離れて遊んでいたので、スムーズに進むことができた。この頃から、母親と違う馬房に入れて生活させるようになる。それでも仔馬たちは、毎日元気に走り回っていた。

 そして、仔馬たちは、来年から競走馬としての訓練が始まる。それまで、なんとか無事に育ってほしい――和馬は、心からそう願った。

 雪が降り始めるころには、美空の乗馬技術も和馬に匹敵するぐらいうまくなっていた。しかし、美空と一緒に、麻奈美に頼まれた夕飯の買い物に行った帰り――

 「ああ、危ない!」

 「大丈夫ですよ!」

 「生きてる心地がしない……」

 美空の運転は、乗馬ほどうまくはなかった――絶対に、冬道は運転させない! 和馬は、そう心に誓った。


 雪が一面に広がった放牧地に、仔馬たちが元気よく走りまわっていた。体も大きくなり、和馬たちより小さかった背も、今ではほとんど変わらない。ドリームバードの仔は華奢だったが、レディーマスタングの仔は、がっしりとしていた。きれいな栗毛に付いた雪が、仔馬のやんちゃぶりを表している。

 「ダメ! マス子!」

 仕事をしている美空の服を噛んで引っ張るレディーマスタングの仔を、美空は叱っていた――だけど、レディーマスタングの仔はまだ引っ張っていた。

 「マス子って何だよ?」

 柵の外で雪かきをしていた和馬が、鼻で笑うように訊いた。

 「レディーマスタングの仔だから、マスコです――やめなさい!」

 美空は、スノーダンプを押すのをやめ、自分の服を引っ張ってマス子から放した。

 「マス子ね……」

 じゃれ合う美空とマス子の後ろで、一頭、たたずんでいる仔がいた――ドリームバードの仔だ。

 「あいつには、何か名前ある――」と訊いた和馬の声が聞こえないぐらい、美空とマス子は放牧地を走り回っていた。

 「ったく、仕事しろよ」

 和馬は、雪かきをまた始めたが、またすぐに手が止まった。ドリームバードの仔が、どうしていいかわからずに、ずっと美空とマス子を見てたたずんでいる。

 「おい!」

 和馬は、雪の中にスコップを刺すと、柵に上り腰掛けて口を鳴らした。ドリームバードの仔は、和馬に気付いて見ている。

 「ほら、来い」

 和馬が手招きすると、うつむいたままゆっくりと和馬の座る柵に近寄って来た。芦毛の馬体が、雪とシンクロして見え、何か静かに揺らめく内に秘めたものが、和馬の目には見えた――こんな感覚は、初めてだった。

 「河内さんが言ってたこと、あながちウソじゃないのかな……」

 和馬は、はにかみながらつぶやいた。

 芦毛の華奢な体がゆっくり和馬に向いた。

 「お前も名前ほしいか?」

 和馬の問いに、ドリームバードの仔は激しく首を縦に振って答えた。

 「何がいいかな――」

 和馬が、柵から降りて仔馬の首をなでながら考えた。

 「太郎は?二郎?三郎?」

 和馬が訊いた名前をことごとく無視して、仔馬は鼻で雪を舞い上げた。

 「冷てえな……お前、スノーは?」

 すると、仔馬は後ろ足を蹴り上げて喜んだ。

 「じゃあ、今日からお前はスノーだ! よろしくな、スノー!」

 スノーは、高くいなないた。

 「そうか、嬉しいか? じゃあ――」

 和馬は、いきなりスノーに雪をかけると、走って逃げた。スノーは、顔を振って雪を払うと、和馬を追いかけた。和馬とスノーが遊んでいるのに気づいた美空とマス子もそれに加わり、結局二人は仕事そっちのけで二頭の仔馬と、一日中遊んでいた。

 その二頭を、遠くから見ている人たちがいた。

 「あの二頭、バネがあるな」

 柳は、あごをさすりながら言った。

 「ああ。とくにあの芦毛の子、蹴り上げたときの脚力といい、体の柔軟性といい、ちょっと他の馬とは違うよ」

 「そうなんですか?」

 河内の言葉がイマイチ信用できない麻奈美だった――なぜなら、馬は可愛いが、馬の競走馬としての知識はまったくと言っていいほど無知だったのだ。

 「ええ。あの馬は、本当に大きな仕事をしそうですよ。あの牝馬も、いいとこいきそうだし、僕の初めての競走馬としては、最高ですよ。ホント、親父と知り合いでよかった」

 「なあ、よかったろ」

 柳は、どや顔を決めていたが、河内はそれを無視して仔馬たちを見ていた。

 「近くに行きますか?」

 後ろから、厩舎掃除を終えた悟朗が声をかけた。

 「いえ、このまま見ていたいです。ああやって遊ぶのが、仔馬にはいいトレーニングになると思いますから。遊ばしておきましょう。変な男が二人行って邪魔するのも悪いし――」

 「美空ちゃん、今日も可愛いなあ……」

 「そこかよ……」

 河内は、柳の〟美空ちゃん好き〝に頭を振りながら仔馬たちを見ていた。


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