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阪神十一R 宝塚記念

 それは、年明け早々ニュースで取り上げられた――大きなレースがあるときしか取り上げないようなスポーツニュースでも、ビックニュース扱いで伝えられた。それほどこのアイドルホースを、競馬ファンのみならず、いろんな分野・種目で世界一を狙う日本を驚かせたニュースだった。

 和馬も、ライバルのケガを気遣ったが、心のどこかで、「今がチャンス!」と思っていたのかもしれない。しかし、東京にいる友達や近所の人たち、雅喜の上司だった人たちまで、和馬に電話をしてきては、ウォーアーマメントのことばかりを訊いた――聞いたところで、和馬の牧場にいるわけでもないので答えることはできないし、自分が知っている範囲で答えてはいたが、一同が口をそろえて言うのは「ユメミガオカとの勝負が見たいから」の決まり文句。それほど、日本全国で〟白対黒〝の対決を期待していることに気付かされた。そう思うと、チャンスと思っていた自分の小ささに嫌気がさした。


 だが、チャンスには変わらなかった。新年から〟王者の代役〝探しに余念がない競馬記者やファンたちは、いろんな馬の名前を上げていた。

 その一番手に上げられたユメミガオカ。しかし、重賞勝ちがなく、代役はどうかという声もあったが、その声を跳ね返し、主役の座に上り詰める――それは、和馬が待ちに待った瞬間だった。

 「さあ、ユメミガオカ先頭で残り二〇〇を切った! 強い、強い! 差は、二馬身から三馬身に広がる!

王者のいないレースでは負けられない! トップハンデのユメミガオカ、今先頭でゴールイン! 圧勝です! そして、なんとこれが重賞初制覇です! 京都記念を制し、重賞初勝利です!」

 和馬は、飛び上がってガッツポーズをした。悟朗が和馬に抱きつき、美空が、麻奈美が、涼子と大人五人、家の中で飛び跳ねて喜んだ――その音で、寝ていたすみれが泣き出してしまった。

 ついに、ユメミガオカが重賞ウィナーとして、王者不在の春シーズンの主役となった。だが、群雄割拠のこのシーズン、誰が勝ってもおかしくない状態に変わりはなかった――それでも、ユメミガオカの勝利は嬉しい。この日の夜、スタッフ全員で頑張った本人がいない祝勝会をした――もちろん、ケンタッキーは忘れていなかった。


 この年の競馬界は、短距離・マイル路線も、三歳牡馬路線、三歳牝馬路線に古馬路線も混戦模様だった。ウォーアーマメントのような抜けた主役がいなく、全部の馬に平等にチャンスがあった――もちろん、マジックファームの馬たちにも。

 ウォーアーマメントは、軽度の骨折で、最新の治療法を用いて、順調に回復をしていた。だが、予定していたローテーションの大幅な変更を余儀なくされた。世界一への第一弾としていたAW――オールウェザー。芝でもダートでもなく、人工素材を使ったコースのこと――のドバイWC(ドバイ・AW・GⅠ・二〇〇〇m)から始まり、秋のブリーダーズカップ・ターフ(アメリカ・芝・GⅠ・二四〇〇m)までの予定がすべて無くなり、復帰の予定も未定。だが、誰もが早期の復帰を願い、もう一度日本でその走りを見たいと思っていた。

 そんな王者のライバル一番手に挙げられているユメミガオカは、次のレースの大阪杯(芝・GⅡ・二〇〇〇m)を追い込んで、二着を経て、天皇賞・春(芝・GⅠ・三二〇〇m)へと駒を進めた。

 その同じ時期に、マジックファームでは新しいスタッフとして斎藤誠、鳴啓一、安達舞子の三人が増えた。馬が多くなったので、さすがに四人ではきついとの判断で、新しく人を雇った。三人とも大学卒業したての若者で、悟朗の指導のもと、牧場の近くに家を借り、一生懸命働いていた――三人とも和馬や美空よりも年齢も知識も上だったが、三人ともそんなことを気にしないで指示を聞いてくれたことに、和馬はホッとしていた。

 そして迎えた種付けシーズン。美空の相棒ヒイアカ――マス子が初めての種付けに挑んだ。慣れない環境に、マス子は動揺していたのか、少々激しく頭を振ったが、美空が必死になだめると、落ち着きを取り戻し、無事初めての種付けを終えた。

 「頑張ったね、マス子」

 大きく肩でため息を吐いて、マス子の首を叩いている美空に、和馬が近づいた。

 「無事終わったね」

 「うん、頑張ったもんね。で、杉本さんは何だったの?」

 美空は、顔をすり寄せるマス子の鼻筋をなでて訊いてきた。和馬は、たばこに火をつけると、空に向かって煙を吐いた。

 「ウォーアーマメントが戻ったってさ」

 「おお! ついに、王者の復活?」

 「ああ……」

 「いよいよ、スノーとの対決だね! 盛り上がるな――どうしたの、浮かない顔して……?」

 「ん? なんか、どんどんスノーが有名になっていくなあって思ってさ」

 「それは、和馬さんが手塩にかけて育てたからじゃない?」二人は、厩舎に向かって歩き始めた。「スノーも、きっと期待に応えたいんだよ」

 「スノーは、元々素質があったんだよ。ちゃんと神様からもらった才能が」

 「それを引き出したのは和馬さんでしょ」

 「オレなんか、何してないよ……」

 「もっと自信持ってよ!」

 美空は、和馬の背中を叩いた。和馬は、むせかえり、その場で咳こんだ。そんな和馬を見て、美空は満面の笑みで厩舎へ向かった。

 「でも、そんな謙虚な和馬さん好きだよ」

 「あ、ありがとう……」美空は、笑顔で手を振って厩舎に戻って行った。

 和馬は背筋を伸ばし空を見た。そして、青く広がる空にもう一度煙を吐いた。

 「期待に応えるか……」


 天皇賞・春は、雨が降り、ユメミガオカの得意な重馬場となったが、前を行ったエルデストを捕らえられず、四着に敗れた。しかし、宝塚記念の調教で好時計をマークし、打倒王者へ万全の状態で臨めそうだった。

 しかし、みんなが注目していたのは別の日の、別の競馬場のレースだった。

 「やっぱり強い! ケガから復活した王者! さらに強くなって帰ってきた! 五馬身、六馬身! 圧勝、圧勝です!

 トップハンデを乗り越え、ウォーアーマメント完全復活! いや、さらに強くなった王者! もはや、世界を視野に入れた走り! 他の馬が弱いんではないんです! この馬が強すぎるんです!

 ウォーアーマメント、今年のダービー馬より強いインパクトをファンに見せつけ、王権奪還へ視界良好!」


 王者が、ターフに帰ってきた。



 グランプリ宝塚記念出走を兼ねたファン投票の最終結果が出た。

 一位はウォーアーマメント。そして、僅差での二位にユメミガオカ――やはり競馬ファンは、この二頭の対決を見たかったみたいだ。こちらとしても、負けてばかりはいかない。春シーズン四戦目だが、ユメミガオカは元気いっぱいに調教をこなしていた。いたって順調だった。

 叩き二戦目のウォーアーマメントも同じだった。力強い走りに加え、競走馬自身に経験という強みがつき、調教の走りに無駄な力を使っていなかった。雄大な馬体は、筋肉モリモリだが、柔軟性があり、瞬発力もある。競走馬としては、これ以上ない最高の馬になっていた。

 そして、宝塚記念一週間前。和馬のところに杉本から連絡があった。

 「どうしたんですか?」珍しくレース前に連絡してきた杉本から意外な言葉が出てきた。

 (訊きたいことがあるんやけど、この馬今年で引退させよう思うてんねん)

 「は!?」

 和馬は、いきなりの引退宣言に、思わず大声を出してしまった。

 (うっさいのう、鼓膜破れるやろ!)

 「何ですか、いきなり?」

 (いや実はな、ユメミガオカの成長は今がピークなんや。これでGⅠ勝てへんかったら、それはもう世代のせいにするしかあらへんぐらい強い馬や。せやけどな、最近ズブくなってきてるしやな、あとはウォーアーマメントや。あの馬も今年で引退するみたいや。これは関係者の中でささやかれている噂やけどな。宝塚記念が終わったら、オーナーから話はあるやろうけど)

 「ウォーアーマメントとユメミガオカは関係ないでしょ? なのに、何で杉本さんが勝手に引退決めるんですか?」

 (これは、オレとオーナーの会議の結果や。今日はそれを伝えるために電話したんや。まあ、詳しいことはこっちに来てから話すわ。それじゃ)

 「あ、いや、ちょ――」

 和馬が、反論しようとしたときには、受話器から通話終了の無機質な音が聞こえた。和馬は受話器を置くと、そのまま河内に電話をした。

 (もしもし)

 「河内さん? どういうことですか?」

 (和馬君か……。話を聞いたんだね)

 「はい、今聞きました」

 (ちゃんと説明したいんだけど、これから大事な会議があるんだ。和馬君、土曜に阪神に行くだろ? そのとき、先生も一緒にちゃんと話そう。それまで、待てないかな?)

 「……わかりました」

 (あと、このことは三人の秘密にしておいてくれないかな? まだ引退の話は表に出したくないから)

 「はい――じゃあ、土曜日に」

 和馬は、納得いかないまま受話器を置いて、悶々とした気持ちで仕事に戻った。

 「どうしたの?」

 あまりにも不機嫌そうな顔の和馬を見て、ハイハイするすみれを追いかけていた美空が声をかけた。

 「え、何でもない……」

 「ユメミガオカのことで何かあったの?」

 「うん――でも、まだ話せないから」

 「引退ですか?」

 「え!?」

 「当たりだ……」

 「あ、いや――そうなんだ」

 「まだ走れるじゃない?」

 「いや、オレもまだちゃんと説明聞いてないから何も言えないけど、河内さんと杉本先生が決めたことだから……」

 「納得いかない――」

 「オレだってそうさ! でも、このことはまだ誰にも言わないでくれ。お願い!」

 「わかった……」

 「んま、んま!」

 すみれが、ユメミガオカの写真を指差して言葉を発した。その出来事に、ユメミガオカの引退話が、二人の頭から吹っ飛んでしまい、大声で叫んで喜んだ――すみれがはじめて話した言葉は、〟パパ〝でもなく、〟ママ〝でもなく、〟んま=馬〝だった。


 宝塚記念前日。和馬は、杉本と河内と千葉の小さな居酒屋にいた。

 「美空ちゃんは?」

 「娘が体調崩したので、今回は留守番です。それより、ユメミガオカ引退ってどういうことですか?」

 「まあまあ、落ち着けや」杉本は、頼んだチューハイをグイッと飲んだ。

 「この前、電話で説明した通りや。今年一杯があいつの限界や。ただそれだけ」

 「でも、来年も走ればGⅠだって勝てるかもしれないじゃないですか! ましてや、ウォーが引退なら、チャンスじゃないですか?」

 「でも、ウォーのいなくなったレースでユメミガオカがやる気を出すとは思えないな」

 河内がつぶやくように焼き鳥を食べた――確かにそうだ。ウォーのいなくなったレースで、ユメミガオカが走るとは思えない。ウォーと出会い、再会したことで、内に秘めていた能力を解放できた。そのウォーがいなくなった競馬界で活躍できるとは思えない。動物は人間と違い、ちょっとした環境の変化を察知する。ウォーがいなくなったことを察知したユメミガオカが走らなくなる可能性もある――和馬は、コップに注がれたビールを一気に飲み干した。

 「これまで、大きなケガすることなくレースに出ていることだけでも幸運や。ヒイアカは屈腱炎、ウォーだって骨折してる。ユメミガオカは夏バテぐらいやろ。ケガなく、競馬人生を終えれることが一番やで」

 「無事之名馬――ケガなく競馬人生を終えれる馬こそ名馬――だね」

 「……今年一杯ですね」

 和馬は、納得せざるおえなかった――だからこそ、ウォーを倒してGⅠを勝ちたい! そういう気持ちになっていた。

 「スノーのことをよろしくお願いします」

 和馬は、杉本に深々と頭を下げた。杉本は、「よっしゃ!」と声を上げると、和馬の空いたグラスにビールを注いだ。

 「あと約半年、ユメミガオカGⅠダッシュや!」

 三人は改めて乾杯をすると、競馬の話で盛り上がった。


 夏が近づく青空は、二日酔いの和馬に優しい風を送るが、夏が近づく太陽の日差しは、和馬に辛く襲い掛かった。

 いよいよ、宝塚記念の発走が近づいてきた。パドックに馬たちが現れると、ファンたちから有馬記念とは違うざわめきが起こった。

 「ユメミガオカ、余裕だな」

 河内が、誇らしげに笑った。和馬も、二日酔いがやっと治まってきた頭を上げてパドックを見た。

 ウォーがじっと睨む中、ユメミガオカは堂々と前だけを見据えて歩いていた。その姿は、まるで自分がチャンピオンのような威風堂々としたものだった――それは、オッズに現れた。

 「一番人気だ……」

 オッズが表示される掲示板を見て、和馬は言葉が出なくなるほど嬉しさと、内から湧き出る興奮を押さえることでやっとだった。


 その頃、マジックファームにある和馬の自宅で、すみれがドンチャン騒ぎの大人たちを見て、つられて手を叩いていた。

 「スノーが一番人気!」

 牧場に残ったスタッフが飛び跳ねて喜んでいた。

 スノーが、初めてウォーより上に立った瞬間だった。人気でさえ、上にいくことの難しいチャンピオンより上にいった。ケガ明けの心配要素やユメミガオカの充実――負けてはいたが、それ以上に強さの目立つ走りがファンに認められたのだろう――ローテーションもあったろうが、チャンピオンを止めてほしいというファンの願いもかけられた一番人気に思える。何にしろ、GⅠレースで一番人気になることだけでも嬉しかった。


 パドックで、ジョッキーが各自の馬に乗って周回していると、一頭激しくイレ込んでいる――気性の荒い馬や興奮してしまった馬が暴れ出すこと――馬がいた――ウォーアーマメントだった。

 「怒ってますね……」

 「怒ってるね……」

 和馬と河内は、二人で苦笑いだった。その横を通る吉井の顔を見ると、いつも以上にこちらもイレ込んでいた。

 「ま、こっちは気楽に行こうよ」

 「そうですね」 

 と言う二人の手には、汗がにじんでいた。


 「すみれ、パパの育てた馬が一番人気だよ」

 美空は、すみれを抱きかかえて本馬場入場を見た。すみれは、テレビ画面に映る馬を指差して声を上げていた。



 「遂に復活を遂げました、怒れる絶対王者ウォーアーマメント。人気では上にいかれましたが、レースでは負けられない。怒りのボルテージを力にライバルたちを蹴散らすのか?」


 「イレ込んでるな……。大丈夫なのか?」

 悟朗はイスに座り、テレビを見てつぶやいたが、誰も反応しなかった――ただ、みんなこのままのテンションなら、ユメミガオカにチャンスが来ると、心の中でニヤリと笑っていた。

 「こういうときのチャンピオンホースって、とんでもない走りするんだよな……」

 手のひらにあごを乗せ、しみじみと言う。その言葉に、美空を含めたスタッフ全員が、一気に不安に駆られてしまった。

 「あんた、変なこと言わないの!」

 悟朗は、涼子に腕を叩かれ、大げさに痛がった。

 「んま! んま!」

 すみれがテレビを指差すと、ユメミガオカが現れた。


 「さあ聞いてください、この大歓声! ファンが望むのはただ一つ、絶対王者を倒すこと! ファンはこの馬に、夢を託しました! 一番人気、ユメミガオカ! 鞍上は、剛腕・月崎幸樹!」

 ユメミガオカが、ターフを駆け出すとスタッフ全員が拍手を送った。

 「頑張ってよ、スノー!」

 美空は、すみれに顔をくっつけてテレビに祈った。



          阪神十一R 宝塚記念(GⅠ)


 一枠 一番  ラフ

    二番  エルデスト

 二枠 三番  オニキスパサー

    四番  ウォーアーマメント

 三枠 五番  ヒシトレイン

    六番  ジハード

 四枠 七番  ナリタサマーズ

    八番  トレビアンモナカ

 五枠 九番  メモリアルラー

    十番  ユメミガオカ

 六枠十一番  アサクサツービート

   十二番  ミスルウッドケイク

 七枠十三番  ダーツコレクター

   十四番  ルナパークザビル

 八枠十五番  エイシンスモッグ

   十六番  ヴェスタルアヘッド


 「春競馬を締めくくるグランプリレース、宝塚記念。青天の空、そして競馬ファンに選ばれし十六頭が、ここ阪神競馬場に集まりました。

ゲート入りがもう始まっていますが、タカシさん、一番人気のユメミガオカ、落ち着いていますね」

 「そうですね。やはり、ファンが一番人気に推すだけはありますね」

 「パドックで興奮していた、絶対王者ウォーアーマメントはどうですか?」

 「もう落ち着いてますし、パドックで少し暴れてましたけど、逆にさっぱりした顔をしていますね。もう大丈夫だと思います」

 「さあ、最後にヴェスタルアヘッドですが、ちょっとゲートを嫌がっていますが、大丈夫でしょうか。これはちょっと時間がかかりそうですね」

 「パドックでも激しく首を振ってましたからね」

 「ジョッキーが尻尾を持って入れようとしますが入りません。他の馬は、静かにゲートの中で待っています。一番人気のユメミガオカも静かにそのときを待っています。

 ああ、目隠しをされて誘導されます。入り――ましたね。

 さあ、ファンたちの夢を乗せて、宝塚記念。スタートしました! きれいなスタート、出遅れはありません。

さあ、行った、行ったぞ! 暴走特急ヒシトレイン! これに一番ラフも絡んで行く。サクサツービート、ナリタサマーズも前にいきます。

 正面スタンド前を二頭で突っ走ります。その暴走とも呼べる逃げを待っていたかのように歓声が上がります。先頭はヒシトレイン。直後にラフが競りかかりに行く。ウォーアーマメントは中団より前目につけています。そして、ユメミガオカは、後方から五・六頭目で第一コーナーに向かいます。夢を乗せて、十六頭がグリーンのターフを勇ましくかけていきます。

 先頭は早くも第一コーナーを回っています。ヒシトレインとラフが後続を引き離してレースを進めます。六・七馬身ぐらい離れてアサクサツービート、十六番ヴェスタルアヘッド、ジョッキーが必死に抑えるが止まらない。七番ナリタサマーズ、内にウォーアーマメント。半馬身遅れてダーツコレクター、並んでルナパークザビル、トレビアンモナカ、天皇賞馬エルデストはここ。ミスルウッドケイク、ここにいました! ユメミガオカはここです。オニキスパサー、エイシンスモッグ、六番ジハードがいて、ポツンと最後方にメモリアルラー。先頭から殿までおよそ二十馬身以上、かなりの縦長の展開になりました。

 さあ、先頭の二頭はまだ激しく競り合っています。一〇〇〇m通過が五十八秒! かなりのハイペース! このまま逃げ切れるのか? この二頭! 場内から、どよめきのような歓声が上がります。

 先頭が後続を大きく引き離して、早くも第三コーナーに入ります。ラフがもう追っている。やはり辛いか? 後続も徐々に差を縮める。さあ、ウォーアーマメントがじわりじわりと上がってく。ユメミガオカはまだ後方だが、外を回って動いた。

 先頭はヒシトレインで三コーナーから四コーナーを回ります。エルデストが上がってきた。その外、ユメミガオカまくってきたぞ! その前を走るウォーアーマメントと先頭の差がなくなってきた。ヒシトレインここで一杯か? ジハードもロングスパートだ! しかし、それ以上の勢いでユメミガオカが上がってきた。

四コーナーを回って最後の直線! ヒシトレインもうキツイ! ウォーアーマメントが襲い掛かる! ユメミガオカはまだ後方!

ここで馬場の中央を通ってウォーアーマメントが先頭に立った! エルデストもやって来ている! さあ、月崎の鞭が唸る! ユメミガオカが来た! ヒシトレイン後退!

ウォーが先頭で坂を駆け上がる! 外からユメミガオカがエルデストをかわして二番手に上がった! ウォーが逃げる! でも、ユメミガオカの方が勢いがある! かわせるのか?! ウォーも逃げる! 前に出た! ユメミガオカがかわした! かわした! かわした! ユメミガオカが頭一つ出た! 夢が、夢が叶うのか! 

 しかし、王者も死んでいない! 平が必死で追う! 離れない! 離れない! ユメミガオカ逃げる! 盛り返す! ウォーが盛り返す! 盛り返した! 盛り返した!

 盛り返したところがゴールだ! まだ死んでいなかった! 王者の意地! 意地だけで差し返した! またしてもレコード決着! 人気は負けても、レースでは負けられない! なんて馬だ! こんな走りをされたら、どの馬がこの馬を倒すんだ!? もう日本でこの馬を倒すのは無理なのか!?

そして、一番人気のユメミガオカ、わずかの差で敗れました! 夢への道は、まだまだ遠かった!」


 居間にいるスタッフ全員が、ほぼ同時に力が抜け、大きなため息をついた。すると、美空に抱かれて見ていたすみれが、大きな声を上げて泣き始めた――まるで、ユメミガオカが負けてしまったことがわかるかのように。

 「悔しいね。すみれも悔しい?」

 美空はすみれをあやすが、すみれはいつも以上に長く泣いていた。

 「これが勝負だ――さ、仕事に戻るぞ」

 悟朗の一言で、スタッフたちは持ち場に戻ろうとするが、全員の足取りが重かった。


 和馬と河内も同じだった。今回は、一回ユメミガオカが前に出ただけに、相当悔しかった。初GⅠ制覇の夢が目の前まで見えたが、隣から来たとんでもない怪物に取られてしまった、そんな敗北感が和馬の中で、悶々と広がっていった。

 「束の間の夢だったね……」河内の力ない声が、和馬の耳に入ってきた――が、和馬は返事する元気は残っていない。

 「本当に強いな……。これなら、凱旋門に行っても大丈夫そうだな」

 「え、凱旋門に出るんですか?」

 「知らなかったの?」

 知らなかった。牧場の仕事が終わると、美空・すみれと一緒に早く寝てしまうので――という言い訳を言えるわけもなく、和馬は自分の情報のアンテナの電波の悪さにさらに肩を落とした。

 「あ、吉井さん……」

 突然河内が立ち上がるのを見て、和馬も慌てて立つ。そこには、ウォーアーマメントの馬主の吉井が立っていた。

 「とんでもない馬だな……」

 「いや、吉井さんの馬に比べたら――」

 「違うよ、あの二頭の馬のことだよ。私も、長く馬主生活をしているが、この二頭ほど宿命を背負った馬は見たことないよ」

 「宿命……?」

 「ああ。あの馬たちは、同じ年に生まれ、同じ時代の競馬を背負っている。今のところ私の馬が勝っているが、君たちの馬が勝っていてもおかしくない。紙一重の差だよ。運と言うね。実力は互角」

 「そう言っていただけると、馬も喜ぶと思います」

 「あの、すいません――」河内と吉井の話に、和馬が割って入った。

 「今年で、引退って本当ですか?」

 「和馬君!」

 「いいんだよ――和馬君の言う通り、今年でウォーアーマメントは引退だ。そのあとは種牡馬としての生活が待っている。

 私の夢を、あの馬が叶えてくれると信じて今日に至った。あの馬で、私は〟凱旋門賞〝を取る。そして、どの馬にも負けないで、競走馬人生を終えさせる」

 それは、吉井の全勝引退宣言だった。その言葉を聞いた和馬は、何も言い返せなかったが、河内は違っていた。

 「では、ユメミガオカがウォーアーマメントを負かす最初で最後の馬になるってことですね」

 「……帰ってきたら、最後にまた楽しく激しいレースをしよう」

 二人は硬く握手すると、吉井は踵を返し出て行った。

 「恐ろしい人だ……」

 「ホントね、目がマジだった……」

 「河内さんですよ!」

 「え、オレ?」

 「あんなすごい人にケンカ売るなんて……」

 「ケンカなんて売ってないよ――でも、負かすなら、強い相手を負かした方が楽しいじゃん。オレは、弱い者イジメで満足するアホより、強い者に立ち向かってボコボコにされるバカの方が好きだし」

 「マジ、リスペクト……」

 「さ、飲みに行こう! 杉本先生と月崎さんも誘ってさ!」


 和馬は河内に連れられ、杉本と月崎と一緒に残念会で盛り上がり、次の日の朝一の飛行機で早来に帰った。


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