散る散る満ちる
大好きな人が引っ越してしまった。
四月一日。エイプリルフールの出来事。
嘘であればいいのに、と呟いた声は、千の風になって溶けて消えた。
「俺、県外に引っ越すんだ」
十二月半ばの夕暮れ時。放課後、居残りして勉強をしたその帰り、あいつは唐突にそう言った。
私は何も返さず、冷え切った手をあいつの背中に入れてやった。ギャッと、可愛くない声が上がった。
「フォフォフォ、俺サンタがプレゼントをくれてやろう。さぁ何でも言うがよい」
十二月二十四日、クリスマスイブ。赤いコートに赤いとんがり帽子を被って、あいつは待ち合わせ場所にやって来た。
お前を寄越せ、と言えば、くれるのか。引っ越さないでいてくれるのか。そんなことを思った。でも、無理だ。きっと無理だから、困らせちゃいけない。
取り敢えず、今日も今日とて冷えている手を、あいつの手で暖めてもらった。
……失敗した、あいつは冷え症だった。
「ハッピーニューイヤー!」
大晦日、そして元旦。近所の神社で、あいつと新年を迎えた。
神社の人が配ってくれた甘酒を飲みながら、空を見上げる。でも、生憎の曇り空だ。
ため息を吐きながら、甘酒をおかわりした。
あいつを見ると、甘酒一杯で酔っ払っていた。将来苦労しそうだ、ざまーみろ。
「おー、高い高い!」
一月三日。公園に呼び出されたので言ってみると、小さな子供達に混じって、阿呆が凧上げをしていた。
きゃっきゃきゃっきゃとはしゃぎ回る子供と馬鹿を微笑ましく見つめながら、私は小さくため息を吐いた。
その後、あいつと羽子板をし、あいつの顔を真っ黒にしてやった。
パンダにしようとして、失敗したから。
「うん、甘いな」
二月十四日。バレンタインのこの日、私はあいつにチョコを作ってやった。溶かして固めただけは手抜きなので、色々な種類のチョコを混ぜてみたりした。味見はしていない。
大喜びでチョコを齧ったあいつは、もぐもぐとあっという間に平らげた後、満面の笑みで、甘いとだけ言った。
それだけか、と私は軽くあいつの足を蹴った。大袈裟過ぎるほどに痛がってみせるあいつを見て、少し頬が緩んだ。
「料理が出来る男はモテるらしいな」
三月十四日。家のチャイムが鳴ったので出てみると、小さな袋を持ったあいつが出て来た。
ホワイトデーだから、と言って差し出されたそれを受け取り、中を見てみると、中身はチョコレートだった。
どうやら手作りらしい、形が小惑星のように歪だ。ドヤ顔を浮かべるあいつに、料理下手だね、と告げるとショックを受けたような表情を浮かべていた。
あいつが帰った後に食べたチョコは、ほんのり苦くて美味しかった。
「行かないで、と言えば良かったのかな」
四月一日。あいつは引っ越していった。
見送りに行った私の頭を、あいつはくしゃくしゃと撫でた。髪が乱れる、と嫌がってみせたものの、じゃあ手を退ければいいだろ、と返された。嫌だ。
去り際、あいつは私を抱き締めて、頬に優しく唇を当ててきた。
もう会えないから、と囁いて。
私の心のダムは決壊した。大洪水だ。
早く、直してよ。
四月一日。
もうじき大学生になる私は、暇を満喫しようと思い、卒業したての高校に行くことにした。
桜が元気に咲いている。儚げな雰囲気は全くなく、風情の欠片もない。が、少し面白い。
恩師の先生に挨拶をした後、自分が今までいたクラスへ向かった。
閉まっている扉を開けると、窓が開いているのが見えた。先生が閉め忘れたのだろうか。
閉めようと思い、一歩、教室に入った。
「エイプリルフール、成功」
四月一日。学校で、桜の花びらにまみれた馬鹿と再び出会った。
二度目の初恋だった。