「初めて」
これは或る普遍的な女性の一生を簡潔に書いたものです。
『私は 死んだ』
その女性は今西法子と今西紗博から「英理」という名を授かりました。
母親の法子は優秀な科学者で、面倒見が良く、周囲からも慕われていました。
父親の紗博は或る会社のサラリーマンで、位は真ん中でしたが、会議では大いに活躍していました。
そんな優秀な親から生まれた私、「英理」。死んだからいうのも何だけど、私は幼いときから容姿は優れていた。
でも、そのおかげで小学生の頃から先生たちに今でいう「セクハラ」を受けていた。
大人になってからだと、あのロリコン野郎がっ、とか、セクハラするために教師やってんのかこのビチクソが、とか思うけど、当時はそういう気持ちが……あったにせよなかったにせよ、口にはしていなかったのだろう。
それは或る夏の暑い日のこと。たしか水曜日の休み時間だったかな?
セクハラをしていた教師の一人が私に近づいてきて、校舎裏の沼の掃除をしよう、と言ってきた。
休み時間に呼び出されるのはときどきあったことなので、そのまま付いて行った。
その時は、本当に沼があり、掃除をすることになった。だが、底なし沼のような状態になっていて、その引きずりこまれそうな感覚が小学生にとってはとても怖かった。
掃除をしていると当然、服が汚れる。きっと、着替えよう、などと言って何かするつもりだったのだろう。
だが、その時は来なかった。
先生が沼に入ったとき、先生の足がグッと沈み込むのがチラッと見えた。
私は咄嗟に沼から抜け出したが、先生は気づいておらず、気づいたときにはもう、出られなくなっているようだった。
先生は私に、周りの先生を呼んできて、などと戯言をほざいていた。私は、いつものように他人に助けを求めず、じっと耐えていた。本当は罵りたかったのかもしれないが、そんな言葉は小学生の腐れ脳ミソでは瞬時に出なかった。
先生はどんどん沈んでいった。まるで、アリジゴクの罠にかかったアリのように、もがいてももがいても、出られなかった。今まで私が抑えてきた憎悪とか厭悪が、その沼に意志を与え、願いをかなえるべくして、先生の体を引き摺り込んでいくようにも見えた。
人数的には、セクハラをしている教師の数が一つ減ったにすぎなかったが、当時の私にとっては、最高のイベントだった。
その日、私は「見殺し」という意味で、人を殺した。
その日が私にとっての様々な「初めて」であった。
寝る前に、沈んでいくとき、ああいえばよかったというのがいっぱいでてきて、後悔の念と、やっと一人減ったという恍惚の念が混ざった複雑な感情で眠りに入ったのはよく憶えている。